おかめ桜というと前に秦野に見に行ったし、最近は根府川のも随分と宣伝されているが、環状二号線の方でも咲いていた。今年は染井吉野の開花も早いという。
それでは「口まねや」の巻の続き。
二裏。
三十七句目。
立市町は長き夜すがら
引出るうしの時より肌寒み 宗因
牛車は既に守武の頃には廃れていたが、荷物の運搬には用いられていた。そのばあいは「ぎっしゃ」ではなく「うしぐるま」という。
前句の「市」を牛市のこととし、「引出るうし」は市場に出す牛で、丑の刻と掛けている。
牛市は大阪の四天王寺の牛市がよく知られている。秀吉の時代からあったという。
市場の日には夜中のうちから牛が運び込まれたりしたのだろう。
三十八句目。
引出るうしの時より肌寒み
いのる貴布禰の川風くつさめ 宗因
前句を丑の刻参りのこととし、場面を京都の貴船神社に転じる。
ウィキペディアには、
「また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし『丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻』に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には、丑の刻であるかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に、本来の意味が変質したものと思われる。」
とある。
ただ、丑の刻というと肌寒く、川風にくしゃみをする。
三十九句目。
いのる貴布禰の川風くつさめ
うき涙袖に玉散胡椒の粉 宗因
胡椒でくしゃみするというのは宗因の時代からの古典的なネタだったようだ。
中村注は『和漢三才図会』の著者の「按」の、
「胡椒、辛気、鼻ニ入レバ則チ嚔(ハナヒ)ル、故ニ誤リテ物ノ鼻孔ニ入リ出デザル者ハ、傍ニ胡椒ノ末ヲ撒キテ嚔ヒラシムレバ随ツテ出ヅ。」
を引用している。
三十八句目のところで引用したウィキペディアに貴船神社が縁結びの神とあったように、恋に悩む女性が貴船を詣でたものの、袖に胡椒の粉がついていてくしゃみをする。
胡椒は消化器系の臓器を暖め、食あたり水あたりなどの効くということで、旅のときに持ち歩くことも多かったという。それがたまたま袖にかかってしまったのだろう。
四十句目。
うき涙袖に玉散胡椒の粉
やれ追剥といふもいはれず 宗因
胡椒を振りかけてくしゃみしている間に物を奪ってゆくという追剥がいたのだろうか。「追剥だーっ!」と叫びたくてもくしゃみが止まらない。
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