今日もいい天気で、車が渋滞した。何だか緊急事態宣言の前に戻ったような混み具合だった。
外出するなと言われても海辺や風光明媚な観光地に押しかけてしまうのは日本人だけではないらしい。もっと多くの死者が出ているところでもそうなら、止められないのかもしれない。
まあ、何年かしてコロナの猛威が去ったら、パリピ遺伝子は淘汰され、オタクや引き籠り遺伝子が支配的な世の中になるのかもしれない。
七十年過ぎてから言う好きだった
万博あとにまためぐり逢い
それでは「鐵砲の」の巻の続き。
四句目。
西風にますほの小貝拾はせて
なまぬる一つ餬ひかねたり 乙州
「なまぬる」は中村注には「微温湯」とある。「餬」は「かゆ(=粥)」という字だが、ここでは「もらひ」と読む。お粥を口に含ませるように、なまぬるを口に含むために貰おうとしたら貰えなかったということか。
ただ、何でぬるま湯を口に含もうとしたかよくわからない。「なまぬる」はここでは生ぬるいお粥のことではなかったか。小貝を拾って歩いているうちに、宿のお粥がなくなってしまったということか。
五句目。
なまぬる一つ餬ひかねたり
碁いさかひ二人しらける有明に 怒誰
昔は賭け碁をする人が多かったから、いろいろズルをする人もいて喧嘩になることも多かったのだろう。
賭け碁でなくても『源氏物語』で空蝉と軒端荻が碁を打つ場面があって、軒端荻が整地でごまかそうとして空蝉に阻止される場面がある。
碁をめぐってさんざん罵りあった後、夜も白む有明の頃には気分の方もすっかり白けてしまい、くーっと腹の虫が鳴く。そういやお粥食い損なっちゃったな、というところか。
六句目。
碁いさかひ二人しらける有明に
秋の夜番の物もうの聲 珍碩
「物もう」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「[感]《「物申す」の略》他家を訪問して案内を請うときにいう語。たのもう。ごめんください。
「―。案内まう」〈虎清狂・泣尼〉」
とある。
街の警護のための番小屋で夜番をしていた二人だが、閑なので囲碁を打っていたのだろう。いさかいになって罵り合っているところに「ものもう」と誰かがやってきて、急に我に帰る。
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