2021年7月9日金曜日

 緊急事態宣言が発令されるということで、そろそろピークアウトが近いのかななんて思いたくもなるが、一応最悪の事態も考えておこう。
 スプートニクの報道はどこまで本当かわからないが、可能性としてはワクチン接種が進むと、ワクチンのよく効いたウイルスが淘汰され、たまたま効かなかった変異株がより多くの子孫を残す可能性が高い。
 感染は広がっても重症化しなけらば問題はないが、最悪の場合そこで重症化率の高い変異株が広がった場合だ。そうなると今度は変異株に対応するワクチンを作らなくてはならない。インフルエンザのように毎年のように新しい変異株に対応したワクチンが必要になるかもしれない。
 そうなると、既にワクチンの供給網が確立できている国は良いが、そうでないところとの大きな格差が生じることになる。これが国際的に不穏な空気にならなけらばいいが。
 それと、去年もコロナ禍は五年は続くと言ってたが、最近はワクチンが思ったより早く出来たところで早期収束ムードになっているが、やはり五年を見なくてはいけなくなるかもしれない。そうなると、非接触型社会の確立は不可欠になる。テレワークの定着、飲食店や旅行業の転業、国内製造業の促進なども進めていかなくてはいけない。

 それでは古麻恋句合、最終回。

   失寵恋
 子をくふは恋のむくひか因果猫   全阿

 子殺しは多くの動物に見られる。猫も例外ではなく、子猫を食べることもある。
 昔に人は前世の因果だと思ったか。


   不馴恋
 馬下りになくねはづかし田舎猫   千琳

 馬の上に乗って眠っていたら馬が起き上がって降りれなくなったのだろうか。


   増恋
 君が裾定家かづらや二歳猫     酉花

 一歳の時は初恋だったが、二歳になるとセカンドラブ。ただ去年と同じ猫がしつこく通ってくる。さながら定家葛だ。
 テイカカズラはウィキペディアに、

 「テイカカズラ(定家葛、学名: Trachelospermum asiaticum)は、キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木。有毒植物である。
 和名は、式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説(能『定家』)に基づく。」

とある。


   寄舞妓恋
 恋種の猫の狂言明けにけり     堤亭

 歌舞伎は古くは狂言歌舞伎と呼ばれていた。そのため題に「舞妓」とあって狂言を詠む。ともに歌舞伎のことであろう。
 猫の声が静かになると、ああ、恋をテーマにした歌舞伎も終わったんだな、と思う。猫が見栄を切ったりしていたのだろうか。


   旅行猫
 乗かけにそぞろうけとや猫の娶   琴風

 琴風はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「柳川琴風」の解説」に、

 「1667-1726 江戸時代前期-中期の俳人。
寛文7年生まれ。摂津東成郡(大阪府)の人。江戸で岡村不卜(ふぼく),松尾芭蕉(ばしょう),榎本其角(えのもと-きかく)にまなぶ。元禄(げんろく)4年江戸俳人の秀作集「俳諧瓜作(はいかいうりつくり)」をあんだ。享保(きょうほう)11年2月7日死去。60歳。姓は別に生玉(いくたま),河東。別号に絮蘿架(じょらか),白鵠(はっこく)堂。編著はほかに「豊牛鼻(とようしはな)」。」

とある。


   舟路恋
 いつの間に通ひ来ぬらん唐の種   景帘

 生まれてきた子供に長毛種が混じってなのだろう。いつのまに唐猫が通ってきたのか。よもや船に乗ってきたわけでもあるまいに。
 古代には猫そのものが渡来の物なので唐猫と呼ばれていたが、江戸時代後期になるが、狩野派の唐猫図は長毛で描かれている。長毛種は「むくげ猫」とも呼ばれていた。


   寄蜑恋
 海士ならで君がふすへや竈ねこ   辨外

 海士といえば藻塩焼く海士が古代の歌には詠まれていた。江戸時代では藻塩はすっかり廃れてしまっていた。
 藻塩を焼くというとそのための竈があって、塩釜の御釜神社には「四口(よんく)の神竈(しんかま)」が残されている。
 それとは関係なく、猫は竈で暖を取り、俳だらけになることが多かったので、竈に伏す猫を見て、海士でもないのに、と詠む。


   求媒恋
 吉日をえらめるねこや桜さめ    暁白

 「桜さめ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「桜褪」の解説」に、

 「〘名〙 (「三月の桜ざめ」の略) 変わりやすいことのたとえ。
  ※俳諧・焦尾琴(1701)頌「求媒恋 吉日をゑらめるねこや桜さめ〈暁白〉」

とある。その「三月の桜ざめ」は桜の花がすぐに散ってしまうように恋心がすぐ醒めてしまうことをいう言葉のようだ。
 猫の恋も桜の季節は華やかでいいが、気を付けないとすぐに桜ざめしてしまう。


   まれにあふ
 かい巻に君をねさせて三苻に猫   周東

 「かい巻」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「かい巻」の解説」に、

 「寝具で、掛けぶとんの下に用いる綿入れの夜着(よぎ)の一種。小夜着より小型で綿も夜着より少なく入れ、袖下(そでした)から身頃(みごろ)の脇(わき)にかけての燧布(ひうちぬの)をつけないで仕立てたもの。かい巻はふとんと異なって襟元が完全に包まれるので、肩から風が入らず、また体温の放散を防ぐから、暖かく就寝することができる。表布は無地、縞(しま)が多く、綿織物、紬(つむぎ)など、裏布は無地の新モス、絹紬(けんちゅう)などを用いる。中に木綿綿(わた)(ふとん綿)を入れてふとんと同様にとじ、肩当て、掛け衿をかける。すでに室町時代の『御湯殿上日記(おゆどののうえにっき)』に「御かいまきの御ふく一つまいる」の記録がみられ、広く一般にも普及してきたが、昭和に至って毛布の普及と寝具の洋風化により、今日では利用度が以前に比し減少する」

とある。
 三苻はよくわからない。苻は割符や護符などの「符」か。


   寄雨恋
 春雨や瓦灯も細き留守居猫     堤亭

 瓦灯はお寺によくある瓦灯窓のこと。春雨の降る中、瓦灯窓の障子を細く開けて猫が外を見ている。


   寄聲恋
 焼物や泪にこもる蔵のねこ     里東

 焼物をひっくり返して壊して、蔵に閉じ込められてしまった。蔵の中から悲し気な声がする。


   人にこせうのこをふりかけられて
 耳ふつてくさめもあへず鳴音哉   其角

 「こせう」は胡椒。胡椒でくしゃみをするのは、近代の漫画でもお約束。
 猫も胡椒を掛けられれば耳を降って振り払いながら、くしゅん、くしゅんとくしゃみして哀れな声で鳴く。


   座禅のそばにひざまづきて
 おもひ切れねらふ夜半の眼にて   朝叟

 猫の夜中の眼は昼間の糸目とは逆にまん丸に大きく開いている。座禅する横に座ってた猫が何かを悟って恋の思いを断つことができたか、急に目をかっと見開く。実際は何か獲物を見つけたからだろう。


   遊禅林
 うたたねをゆり若猫や二十日草   三弄

 「二十日草」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「二十日草」の解説」に、

 「〘名〙 植物「ぼたん(牡丹)」の異名。
  ※曾我物語(南北朝頃)七「いかにさくとも二十日くさ、さかりも日数のあるなれば、花の命も限り有り」

とある。お寺の庭に牡丹は付き物とも言える。
 ゆり若猫は百合若大臣からきているが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「百合若大臣」の解説」に、

 「[1]
  [一] 伝説上の英雄の名。伝説をもとに幸若舞や説経節の「百合若大臣」の主人公として脚色される。
  [二] 幸若舞の曲名。室町時代末期成立。百合若大臣を主人公とする英雄物語。嵯峨の帝の時代、左大臣きんみつの子の百合若大臣(大和国長谷観音の申し子)が蒙古襲来に大将として出陣する。海戦で大勝した百合若大臣が帰途玄海の孤島で一休みするうちに眠りこみ、家来の別府兄弟の悪計で置き去りにされる。のち、その島に漂着した釣り人の舟で帰国した百合若大臣は、九州を支配していた別府兄弟を成敗し、さらに上洛して日本国の将軍になる。のち、説経節としても語られ、また、近松門左衛門作「百合若大臣野守鏡(ゆりわかだいじんのもりのかがみ)」などの浄瑠璃にも影響を与えた。「大臣」ともいう。
  [2] ((一)の話から) 前後も知らず眠りこむこと。また、その人。
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第七「月は夜昼は何また遊山好(すき) 露に乱れてゆりわか大臣」

とあるように、玄海の孤島で眠り込んだエピソードから、すぐ寝ちゃう奴のことを揶揄して「百合若」と言っていたようだ。
 猫も寝るのが仕事と言われるくらいよく寝るから、猫はみんな百合若なのではないかと思う。
 猫は座禅はしないが、手足を畳んで香箱を作っているうちに目を閉じ、そのまま寝てしまうことは多い。そうなるとだんだん頭が下に下がってくる。それが座禅の途中で寝てしまう人に似ていて、「揺り起こす」に掛けて百合若猫を導き出している。


   潜上猫若ねこにかたりて曰
 秋來鼠輩欺猫死 窺翁翻盆攪夜眠
 聞道狸奴將數子 買魚穿柳聘銜蟬
 (秋が来て鼠たちが猫が死んでこれ幸いと、
 甕を窺いお盆をひっくり返し夜の眠りを攪乱す。
 聞く所によると狸の奴に子どもが数匹いるというので、
 魚を買い柳の枝に差して銜蟬を召喚す。
 
 最後に漢詩を一つ。これは黄庭堅の「乞猫」という詩。(ネット上の『詩詞世界 全二千六百首 碇豐長の詩詞』を参照。)「翁」は甕の間違い。「銜蟬」は伝説の猫で鼠捕りの名人だったという。
 前書きは其角によるものだろう。潜上は僭上(せんしゃう)で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「僭上」の解説」に、

 「〘名〙 (形動) (「せんじょう」とも)
  ① 臣下、使用人などが、身分を越えて長上をしのぐこと。分をわきまえずにさし出た行ないをすること。また、そのさま。
  ※本朝文粋(1060頃)一・孫弘布被賦〈源英明〉「及下彼潔二身於相府一、流中誉於明代上、管仲之有二三帰一、僭上可レ嫌」
  ※太平記(14C後)二三「此の中夏の儀蛮夷僭上(センシャウ)無礼の至極是非に及ばず」 〔漢書‐食貨志上〕
  ② 分を過ぎた贅沢をすること。おごりたかぶること。みえをはること。また、そのさま。過差。
  ※仮名草子・犬枕(1606頃)「はなしにしまぬ物 一 せんしゃうの事」
  ※評判記・色道大鏡(1678)一三「惣じて当郭の傾城の心を量るに、大かたうは気にて、僣上(センシャウ)をもととす」
  ③ 大言壮語すること。ほらを吹くこと。また、そのさま。
  ※咄本・当世軽口咄揃(1679)一「物ごと専少(センシャウ)ゆいたがる江戸商人」

とある。自らをへりくだっての自称であろう。
 詩の後に解説分が続く。

 「山谷カ猫ヲ乞フ詩也。猫死テ大勢ノ鼠ドモ秋ノ夜スガラアレマハルホドニ山谷ヲモアナヅリテ盆皿鉢ヲ打カヘシテ姦シクテネラレヌト也。サレバ猫ヲモラヒテ畜ントナリ。此比キケバ家ノ後園ニ狸共子ヲイツクモ産ミクルホドニ猫ガ居ルトシラバ一類ナレバ悦ビテ魚ヲ買テ柳ノ枝ニサシ貫ネテ人ノ如クニ禮聘シテ祝儀ヲ述ヌベシト也。䘖蟬トハ猫ノ異名也。花山院ノ御製ニモ
 敷島のやまとにはあらぬから猫を
     きみがためにと求め出たる
  と俳諧にてりそうせらるる證句には
 猫のつま竈の崩れより通ひけり   翁
 天水やたかひに影を猫のつま    卜尺
 おもふこといはで只にやん己が恋  一鐵
 猫のつま夫婦といがみ給ひけり   卜宅
  はばかりなくぞ申ける」

 山谷は黄庭堅の号で当時は山谷の呼び方の方が一般的だった。白居易が楽天で通っていたようなものだ。「山谷ヲモアナヅリテ盆皿鉢ヲ打カヘシテ」は「窺翁翻盆攪夜眠」をそのまま読むとこういう解釈になり、翁は山谷のことになる。
 花山院御製の歌は『夫木和歌抄』所収の歌で、日文研のデータベースでは「きみがためにと」ではなく「きみがためにぞ」になっている。
 これは俳諧でこれだけたくさんの猫の句を扱ったことに前例がなく、猫が俳諧の題としてふさわしいことを漢詩や和歌を例にとって述べたものと思われる。
 まあ、相変わらず歌学とか漢詩とかの権威筋は、俳諧は卑俗だということで攻撃してたのだろう。そこで猫は漢詩にも和歌にも詠まれている事実を示したわけだ。
 和歌の場合は證歌だが、それに更に加えて芭蕉の句を證句として挙げている。

 猫のつま竈の崩れより通ひけり   芭蕉

 延宝五年のまだ桃青だった頃の句だ。
 他にもやはり延宝の頃の芭蕉のお世話になっていた卜尺や『談林十百韻』に参加した(卜尺も参加している)一鐵、『桃青門弟独吟二十歌仙』(延宝八年刊)に参加していた卜宅の名前が並んでいる。
 老いた其角にとって、こうした名前は青春の甘い思い出だったのだろう。其角もまた若い頃の成功体験に縛られて、芭蕉の新風についていけずに談林時代に逆戻りしていった。
 其角に限らず、ほとんどの門人は、芭蕉と出会い、輝かしいデビューを飾った頃の作風を終生守り続けている。その方が自然で、生涯新風をもとめて変わり続けた芭蕉の方が化け物だったのかもしれない。それゆえにただ一人「俳聖」の二つ名を得たともいえる。

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