デリック・ベルさんの「人種主義の深い淵」を読み終えた。
冒頭での暗示されていたが、多分ベルさんは何処か宇宙の果てに連れていかれても、それも良いかという気持ちがあったんだろうな。たとえそこで奴隷になったとしても今と同じじゃん、という気持ちが。
故郷を失った民族は心の中に約束の地を描きながら永遠に彷徨い続ける。結局それがこの本のテーマなのだろう。時には親切な白人が時雨の宿を提供してくれても、心は旅人だ。BLMも白人同士の権力争いに利用されて、いつしか黒人の心を裏切るのだろう。
人は誰でも自分の居場所を求めてさまよい続ける旅人だ。居場所に留まろうとすれば、争いになる。そう、それが生存競争というものだ。彼なら風雅の誠を理解できるだろう。
あのノーベル賞歌手のボブ・ディランも、彷徨えるユダヤ人の心が世界中の人の心を打ったのではなかったか。黒人音楽も同じ力を持っている。それだけが本当に世界を繋ぐことができるんだと思う。
「人種差別のひそかな約束」でもデータ嵐によってすべての白人が皆これまでの人種差別の事実を知ったらどうなるかという思考実験があったが、効果は限定的。なぜなら誰もが完全な知識を持ってるわけではないにせよ、人種差別は誰もが既に知っている公然の秘密だから、というわけだ。
データ嵐で必要なのはむしろ黒人の日常ではないかと思う。聞く人に罪悪感を感じさせるような話は拒絶反応を生みやすいし、逃げ道を塞ぐと洗脳に近い状態になり、正常な判断能力を奪う危険がある。
効果的なのは黒人も我々と同じように笑ったり泣いたりする普通の人間なんだと思えるような情報ではないかと思う。親近感を覚える人間がひどい目に合っていると思わせた方がいい。俳諧はそういう戦術を取っている。
猫の恋も、恋猫がこれでもかとひどい受難に合っていることを訴えるのではなく、笑いの中に時折怖い事実を織り交ぜて行く。
それでは古麻恋句合の続き。
寄垣恋
魚串を嗅て忍ぶや笹くろめ 紫紅
「笹くろめ」はよくわからない。寄垣恋だから生垣に関係があるのか。
魚を焼く煙の臭いに生垣を越えてやってくる。
寄關恋
包まれて髭は折るとも恋の関 朝叟
「恋の関」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恋の関」の解説」に、
「互いに恋い慕う仲を隔て妨げること。また、そのもの。恋の柵(しがらみ)。
※浮世草子・好色一代男(1682)七「是ぞ恋(コイ)の関(セキ)の戸(ト)を越て、武蔵野の恋草の所縁(ゆかり)、紫を染屋の、平吉かたにつきて」
とある。
布か何かを被せて取り押さえられたのだろう。
恋石恋
石臼やわれて中より猫の情 露拍
石臼はこの場合は碾臼ではなく餅を搗くような臼であろう。
臼を逆さに被せられて閉じ込められてしまったか。いつかこの臼を割って、
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院(詞花集)
の情であろう。
寄海恋
うき恋やたびかさなれば簀巻猫 角枝
人の家の雌猫の所に通っては追い出されたりしていたが、終には捕まって簀巻きにされ、海に落とされてしまったか。南無阿弥陀仏。
不定恋
ありながら浮草猫や御縁づく 午寂
「縁づく」は結婚することを言う。浮草のように放浪する猫はあちらこちらで重婚をしている。
疑恋
腰もとの二人静はいづれ猫 午寂
「腰もと」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「腰元」の解説」に、
「上流の商家の人々の側に仕えて雑用をたす侍女(小間使(こまづかい))をさし、身の回りにおいて使うことから腰元使ともいう。また遊女屋の主人の居間や帳場で雑用に使われる女をもいった。一般には江戸時代に武家方の奥向きに仕える女中と同義に解釈しているが、三田村鳶魚(えんぎょ)は、武家方の女奉公人のうちには腰元の称はなく、おそらくそれは京・大坂の上流の商家にあったと思われるものを、いつのまにか芝居のほうで武家方へ持ち込んだものではなかろうか、といっている。[北原章男]」
とある。
謡曲の『二人静』は吉野の菜摘女に静御前の霊が取り付いて二人で舞う話だが、この場合は腰元が何らかの理由で殺されて、その腰元の飼っていた猫が踊り出すということか。
花の夢胡蝶に似たり辰之助 其角
辰之助は歌舞伎役者の水木辰之助のことであろう。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「水木辰之助(初代)」の解説」に、
「没年:延享2.9.23(1745.10.18)
生年:延宝1(1673)
元禄期の若女形の歌舞伎役者。初代大和屋甚兵衛の甥で女婿。子役大和屋牛松,若衆形鶴川辰之助の時代を経て,元禄初年より若女形となる。元禄4(1691)年「娘親の 敵討」での有馬のお藤役が好評で,同8年,江戸へ下るお名残狂言の近松門左衛門作「水木辰之助餞振舞」(彼の得意芸を盛り込んだお家騒動物)でも同役を演じた。歌舞伎の華である所作事(舞踊)を得意とし,地芸(演技)を得意とした初代芳沢あやめとは好対照であった。元禄11年の「金子吉左衛門日記(元禄11年日記)」には,稽古で得意の踊りの振付を担当する姿がある。宝永1(1704)年,伯父の甚兵衛の死を契機に舞台を退いた。3代まであるが初代が最も有名。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,「元禄11年日記」(鳥越文蔵『歌舞伎の狂言』)(北川博子)」
とある。
美人の雌猫がいたと思ったら雄だったということか。花の夢は胡蝶の夢のように儚く消えて行く。
寄琴恋
花の夜や猫の管弦は琴の役 野径
猫は膝の上に乗るので、さながら七弦琴のようだということか。陶淵明も弦のない琴を膝に乗せて撫でていたという。
寄鞠恋
蹴らるるやゑもん流しの猫の曲 里東
「ゑもん流し」はコトバンクの「デジタル大辞泉「衣紋流し」の解説」に、
「蹴鞠(けまり)の余興の一。立ちながらからだをかがめて、一方の腕にのせた鞠を転がして後ろ襟から他方の腕に渡らせるもの。」
とある。猫はいきなり肩に駆け上ったりする。それを衣紋流しの曲芸に例える。
里東は「『焦尾琴』に載る作家」に、「膳所藩主」とある。
寄窓恋
深窓の頬をねぶるや秘蔵猫 闇指
深窓の令嬢という言葉がこの頃あったかどうかは知らないが、深窓はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「深窓」の解説」に、
「〘名〙 奥深い窓の内。家の中の奥深い部屋。多く、身分の高い家柄、大切に扱うことなどの意を含んで用いられる。深閨。
※経国集(827)一〇・夏日同美三郎遇雨過菩提寺作〈小野年永〉「深窓欲レ曙憑レ松暗。絶巘初明衘レ雲蘿」 〔翁巻‐宿寺詩〕」
とあるように、古い言葉だ。日本の家屋では窓はだいたい家の奥にあるものだったのだろう。
寄几帳恋
手几帳は三毛とさだめぬ恋路哉 適三
几帳はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「几帳」の解説」に、
「平安時代に起った障屏具の一つ。貴人の座側に立て,あるいは簾 (すだれ) の面に沿って置いて,室内の仕切りや装飾に用いた。方形の台 (土居〈つちい〉) に2本の柱 (足) を立て,その上に横木 (手) を載せて帳 (帷〈とばり,かたびら〉) を垂らす。台,柱,横木などには黒漆や蒔絵などを施す。帳の長さは普通 2mほどで五幅 (いつの) を綴じ合せてある。帳は冬は練り絹,夏は生絹 (すずし) や綾織などを用い,特に錦,綾などを用いたものを美麗の几帳という。各幅ごとに風帯 (野筋ともいう長い紐) をつけ,幅の中間には物見があけられている。幅の上端には木端 (こはし) を縫いくるんで,横木に結びつけてある。現在では,宮中や神社の祭祀行事の際などにみられる。」
とある。横木を手とも言うので「手几帳」ということもあったのだろう。あの几帳の向こうには愛しの三毛がいると定めて、牡猫が通ってくる。
寄屏風恋
掻き破る屏風かたしや妻の影 楊葉
屏風は爪を砥ぐのにちょうど良い。この屏風の向こうに妻がいるというのにとイライラしているときほど爪が砥ぎたくなる。
寄帯恋
男猫とて七巻半や君が帯 甫盛
昔の帯は今より短めで四メートルくらいだったという。それで七巻半というとウエスト五十センチくらいか。昔は低身長だったから細身の体だとこれくらいか。
帯が置いてあると猫がじゃれて遊んだりしたんだろうな。
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