2021年7月24日土曜日

 風流の方はオリンピック休みということで、しばらくは今までのような何か本を読んでいくというではなく、軽い話題だけで行こうと思う。風流の基本は談笑だし。
 オリンピックの方だが、昨日の午前中はボートの予選をやっていた。千葉へ行く時にいつも通っていたゲートブリッジが写り込むと、本当に東京でやってるんだという実感がわいてきて感無量だ。
 男子では荒川さんが予選通過、女子ではイランのナザニーン・マラエイさんが予選通過。楽しみだ。
 あとは昨日の韓国・ニュージーランド戦の動画を見た。VAR判定で一転してゴールが認められてしまった。撫子はVARに救われたが、VARに泣く国もある。まあ、結果のわかっている試合でも眠くならなかったから、よく戦ったと思う。
 開会式の方はというと、ごめんなさい。私が間違ってました。入場行進は削ってはいけなかった。危うくあの沢山の素晴らしい衣装が台無しになるところだった。とにかくあの民族性に溢れる沢山の衣装、多様性、オリンピックはあたかも二百もの種族の共存する異世界だ。あれを見れただけで十分だった。あとは何だかコマーシャル映像を延々と見せられたみたいでスキップしたかった。長嶋さんが痛々しかった。
 まあ、日本にとってこれが最後のオリンピックになると思うから、せいぜい目に焼き付けておくことにしよう。
 噺は変わるが、ラノベの徳は一つは今の言葉が学べるということで、もう一つはありえない状況をシミュレーションできるということだ。
 戦後の文部省の作った昭和の標準語は、さすがに古いし、もはや文語といった方が良い。昭和に育った世代としては、言葉の勉強にもなる。
 もう一つ、物語というのは基本的にはシミュレーションなんだと思う。人間は言語を獲得することで、記憶にインデックスを付け、いつでも引き出せるようになったことで、目の前にない状況の物をシミュレーションし、眼前にない問題に何らかの答えを用意できるようになった。
 例えば目の前に熊がいなくても、山の中で熊と遭遇したらどうすればいいかということを、あらかじめ考えておくことができる。
 物語というのは思考実験なんではないかと思う。ありえないと思っていたこともひょっとしたら起きるかもしれないし、こうなったらこうなるのではという思考のモデルを幾つも記憶しておけば、それと類似することが起きた時に対処がしやすくなる。
 文学というのはそういった思考のモデルを言語という形で保存する手段なんだと思う。それは今は何の役に立たなくも、想定をはるかに超えるような出来事が起きた時にひょっとしたら役に立つかもしれない。
 SFはあくまで歌学に限定されるが、ラノベは仮に魔法が存在してたらという想定も可能だ。今は荒唐無稽でも、歌学が大きく進歩した時に、かつては魔法でなければできないと思われていたことができるようになるかもしれない。
 たとえば目の前にある物を鑑定スキルで即座に目の前にその名前、特徴、効用などを調べるなんてことも、近い将来スマホでできるようになると思うし、それを目の前の仮想スクリーンに投影することできるようになるかもしれない。
 様々な可能性を事前にシミュレーションしておけば、それが実際に起きた時に対処がしやすい。それを多くの人が好奇心を刺激するようなものを用いて、楽しみなが学ぶことができれば、それが最高の文学なんではないかと思う。
 おそらく神話というのも、基本的にそういう所から生まれてきたのではなかったかと思う。
 あともう一つラノベの徳を言うなら、ラノベは人々の願望が表れているということだ。人々が心の底で何を望んでいるのか、それを知らずして理想の社会を語ることなんてできるはずもない。
 以上、ラノベの三徳、心に留め置くべし。

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