左翼をよりよく理解するには、まず彼らのアイデンティーを理解するのが大事だ。和辻哲郎の戦後間もない頃にかかれた『倫理学』の下巻に、
「われわれの同胞のうちの或人たちが、『自分はフランスに生るべきであった』とか、『自分はイギリス人として生れたかった』とか、といふ如き嘆聲を、心の底から洩らしてゐるとしても、さういふ嘆聲そのものがすでに顕著に日本である。生粋のフランス人やイギリス人は決してさういふ嘆聲を發しはしないのである。」
と書いている、この人たちの末裔が今の左翼だ。
これは必ずしも戦前の共産主義者だとか無産主義者だとか言われた人たちとは連続していない。敗戦のショックと占領下でこのまま日本がなくなるという不安の中から、日本を捨てたいという気持ちから出てきたものだ。日本がなくなるなら早めに先手を打って、自分から西洋人になりたいという願望だ。日本が滅んでも西洋人に成り切れば生き残れるという発想だ。
スタジオジブリのアニメ映画の『思い出のマーニー』は舞台を日本にして、自分の出生の秘密を一種の貴種流離譚の様に描き出している。あるいは「醜いアヒルの子」のパターンで。
今日でも有名なパヨチン女性が、日本はもうすぐ中国になるから今から中国語を勉強している、と言っていたのも同じ感覚だ。
別にフランスやイギリスや中国の文化を深く知って、愛しているわけではない。ただ、日本という国がなくなった時に日本人が辿るであろう運命に恐怖を覚え、はやく勝ち馬に乗りたいというだけのことだ。だから軽々しく自分は「〇〇人だ」だとか言える。
そういうわけで戦後の左翼は自分を欧米人だと思い込もうとして、ほとんど欧米の白人に同化するようなアイデンティティーを持っている。だから日本を容赦なく罵倒する。自分がその日本人の一人だということを完全に忘れている。
欧米でアジア人が差別されていると聞いても、奴らは何とも思わない。奴らは心の中では白人だからだ。BLMデモの時も奴らはデモをしているリベラルの白人に完全に同化している。そして一般の日本人を白人レイシストと同等に扱っている。
そのパヨチンの反オリンピック闘争だが、奴らは基本的に数が少ないので、大規模な行動を同時多発的に行うことができないから、一番目立つ場所に絞り込んでくる可能性が高い。
最近の傾向だと香港やミャンマーの影響から通行人を装って突然集まるフラッシュモブデモをやってくるかもしれない。
あと、右翼を装うというのも最近の傾向だ。
まあ、世間話はこれくらいにして、本題の風流の方に戻ろう。
元禄三年春の「日を負て」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
それでは『西華集』の最終回。
黒崎
松虫の啼夜は松のにほひ哉 沙明
何やら稲の白き月影 琴吹
此秋を良暹法師こまられて 支考
机の上に状の書さし 雲鈴
風さはぐ日和あがりの小鳥ども 帆柱
夜着見せかけるはたご屋の春 水颯
石部ほど兀た所も華盛り 一保
どちらむきても青麦の中 柳生
第一 不易の眞也風情のいさぎよきものをただ松のにほ
ひといひなせり無為所着の所は風雅の本情といふ
べきか
第二 其場也稲の穂づらの白きも黒きもあるは何やら稲
といふいねならんと月影になほめかしたる句也
第三 其人の一轉也ただ田中の草庵の秋の夕部と見るべ
し
百人一首 良暹法師
さびしさに宿をたち出てながむれば
いづこもおなじ秋の夕ぐれ
発句は、
松虫の啼夜は松のにほひ哉 沙明
で、松虫の声に松の匂いを取り合わせる。不易の眞ということで、視覚的なものなしに表現する切り詰めた表現が支考の気に入ったところか。
沙明は元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』に、
山出しの庭へはねたる榾の尻 沙明
寒し座は縁とらぬ萱畳 同
の句がある。
また、元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、
早物に残るあつさやてらてら穂 沙明
雪雲のとり放したる月夜かな 同
などの句がある。
脇。
松虫の啼夜は松のにほひ哉
何やら稲の白き月影 琴吹
前句の切り詰められた表現に、ここでも月そのものを出さずに稲を照らす光のみに留める。其場也。
琴吹は『西華集』坤巻には少年とあり、
山寺やたばこ盆出す梅の花 琴吹
垣越やそこかここかと瓜に花 同
山川に疲たる聲や秋の鹿 同
の句がある。
第三。
何やら稲の白き月影
此秋を良暹法師こまられて 支考
「其人の一轉也」ということで良暹法師を登場させる。
百人一首 良暹法師
さびしさに宿をたち出てながむれば
いづこもおなじ秋の夕ぐれ
と、この有名な歌を引用しているが、「いづこもおなじ」を田んぼの真っただ中でどっちを向いても同じ景色、ということにしたか。
四句目。
此秋を良暹法師こまられて
机の上に状の書さし 雲鈴
良暹法師が何かに困って手紙を書こうとした。多分「金よこせ」だろう。
五句目。
机の上に状の書さし
風さはぐ日和あがりの小鳥ども 帆柱
手紙を書きかけて寝てしまったか、朝起きると風は残るが天気は回復して小鳥たちが鳴いている。 こうやって朝起きて改めて書きかけの手紙を見ると、結構恥ずかしかったりする。
帆柱は元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』に、
あたまから雪一へんの山家哉 帆桂
の句がある。
また、元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』には、
朝鷹の挑燈で出るたんぼかな 帆柱
の句がある。
六句目。
風さはぐ日和あがりの小鳥ども
夜着見せかけるはたご屋の春 水颯
場面を旅籠屋の朝とし、旅体に転じる。
水颯は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、
草あつし蚓のおよぐ馬の尿 水颯
早起や花またくらき雉子の聲 同
の句がある。
また元禄十一年刊浪化編『続有磯海』の、
五六軒蔦のもみぢや松ののし 水札
は水颯のことと思われる。元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』にも、
年の夜の豆腐も焼て鳴ちどり 水札
鶯や朝は朧に放し飼 同
の句がある。当時の人は音があっていれば字にはそれほどこだわらなかった。
七句目。
夜着見せかけるはたご屋の春
石部ほど兀た所も華盛り 一保
旅籠屋のある所を東海道の石部宿とする。近江国で草津と水口の間。石灰岩の産地になるのはもう少しあとのことと思われるが、山が石灰岩質で禿げた所もあったのだろう。
一保は元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』に、
春風や寐てゐる鹿に磯の波 一保
あのやうに泣るるものか涅槃像 同
の句がある。
また、宝永元年刊去来・卯七編の『渡鳥集』に、
一日の息つきながす青田哉 一保
の句がある。
八句目。
石部ほど兀た所も華盛り
どちらむきても青麦の中 柳生
石部宿を離れて石の多い禿げた土地として、稲作に適さず、麦の産地とする。
柳生は『西華集』坤巻に、
蔦紅葉先からさきの木末哉 柳生
の句がある。
豊前
小倉
松笠や背中にひとつ菊の花 有觜
ススキに月のそよぐ雪隠 松深
野屋敷に米つく秋の夜は更て 支考
金で寐られぬ僧の下帯 雲鈴
洗濯に淀の男のいにたがり 不繋
蕗にかりきをうりありく朝 玉龍
卯の花にほの字もきかす郭公 松深
いつもさびしき猿丸のかほ 有觜
第一 流行の草也園の菊など詠め居たらんに松笠のばた
りと背中にあたりたるをそほと見むきたるさま也
此策は手をはなちてあやふき所なればいかでかは
第二 其場也家をはなれて遠き雪隠と見るべし萩薄の月
にそよぎたるを薄に月のといひなせる錯綜の句法
ならん
第三 其場の一轉也雪隠の遠きはいづこならんとかさね
て場をさしたる也隣もまれに淋しきありさま句中
すべておもむきを得たり
発句は、
松笠や背中にひとつ菊の花 有觜
で、松笠が背中に落ちたので振り向くと菊の花があるという句。
特に菊の本意によるものではなく、菊の頃は季節的に松笠が落ちやすいということだろう。
この頃の新味に含まれるものだったのか、支考は「流行の草」としている。
「此策は手をはなちてあやふき所なれば」は同巣の句がいくらでも作れそうということか。
有觜は『西華集』坤巻に、
ちらちらと桜散込入湯かな 有觜
あらそひははてずや雨のきりぎりす 同
などの句がある。
脇。
松笠や背中にひとつ菊の花
ススキに月のそよぐ雪隠 松深
薄に月はその季節のもので「雪隠」が其場也になる。それにしてもここで雪隠ネタか。松笠は古俳諧では「松ふぐり」でネタにしていたので、その縁か。
第三。
ススキに月のそよぐ雪隠
野屋敷に米つく秋の夜は更て 支考
野屋敷は其場也になる。薄に月の季節で獲れたばかりの米を精米する米搗きを付ける。
四句目。
野屋敷に米つく秋の夜は更て
金で寐られぬ僧の下帯 雲鈴
野屋敷は米を搗き、僧坊では金に困っているという違え付けか。「金」の取り方によってはチンポジネタともとれなくはないが。
五句目。
金で寐られぬ僧の下帯
洗濯に淀の男のいにたがり 不繋
淀は伏見の南。今は競馬場がある。やはり洗濯だと言いながら伏見の歓楽街の方へ行くのか。
六句目。
洗濯に淀の男のいにたがり
蕗にかりきをうりありく朝 玉龍
かりきは刈り取った木のことか。燃料にはなるけど小銭程度にしかならないだろう。
洗濯屋は卑賤視されていたから、河原者と見たか。
七句目。
蕗にかりきをうりありく朝
卯の花にほの字もきかす郭公 松深
「ほの字」というと今日では惚れるということだが、この時代からある言い回しで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ほの字」の解説」に、
「〘名〙 (形動) (「ほ」は「ほれる(惚)」の語頭の一字) ほれること。また、そのさま。
※評判記・寝物語(1656)二〇「けいせいの、ほの字成知音に、すり切有。此品は是如何」
※浄瑠璃・平家女護島(1719)三「そもじにたんとほのじじゃと」
とある。
ただ残念ながら卯の花に鳴くホトトギスには恋の情もなく、ただ生活のために蕗とかりきを売り歩く。
八句目。
卯の花にほの字もきかす郭公
いつもさびしき猿丸のかほ 有觜
猿丸大夫というのは謎の歌人だが、ここでは、
時鳥なが鳴く里のあまたあれば
なほ疎うとまれぬ思ふものから
猿丸大夫(古今集)
の歌であろう。この歌から恋の情を抜いてしまうと、確かに猿丸大夫が疎まれているように読める。
下関
新敷笠は案山子の参宮哉 流枝
松に日のさす磯の朝月 柳江
此秋の名残を下の關に居て 支考
抱て通れば余所の子を見る 蘆畦
そよめかす菖蒲の風の一しきり 龍水
畳かへにてさつと吸物 嘯雲
うつすりと鷹場の雲に成にけり 琴口
遠寺の鐘に帰る市人 捨砂
第一 流行の草也案山子のたまたまあたらしき笠きたる
は物まゐりの出立ならん物の情を動して比興した
る句也
第二 其場也海道の松の磯につづきて朝日のさしのぼる
比は旅人もかく見まかひぬべき朝日のあしらひい
とよし
第三 行脚の観相也時宜也今宵此所にありて比秋の名残
も長月ばかりの三千里の雲水も此下の關に行かへ
りて第三の名残までもおしまば是おしむべし
発句は、
新敷笠は案山子の参宮哉 流枝
で、「新敷」は「あたらしき」。
案山子がなぜか新しい笠を被っていたので、さてはお伊勢参りにでも行くのか、という句。
案山子の本意ではないが、ますます盛んになるお伊勢参りに、時代の流れに乗ったようなネタで、神祇の目出度さも備えている。こういうのは「流行の草」になる。
流枝は『西華集』坤巻に、
身を捨る薮もなければ秋の暮 流枝
大雪は松に音なき寐覚哉 同
の句がある。
脇。
新敷笠は案山子の参宮哉
松に日のさす磯の朝月 柳江
参宮という所で夜明けの磯の松に伊勢の景色を感じさせる。
第三。
松に日のさす磯の朝月
此秋の名残を下の關に居て 支考
これは支考自身の今の旅の感想であろう。この秋を名残にして、下関まで戻ってきて、前句をその下関の景色とする。
四句目。
此秋の名残を下の關に居て
抱て通れば余所の子を見る 蘆畦
「下の關に居て余所の子を抱て通れば此秋の名残を見る」の倒置であろう。余所の子は何らかの理由で親が育てられなくなったのだろう。捨子に秋の風いかに。
蘆畦は『西華集』坤巻に、
ちる花や今年の欲も是ばかり 蘆畦
名月や物音もせずそこな船 同
の句がある。
五句目。
抱て通れば余所の子を見る
そよめかす菖蒲の風の一しきり 龍水
端午の節句で我が子の元気にと祈れば、余所の子も同様に思う。
龍水は『西華集』坤巻に、
玉祭り馳走に逢て禮うれし 龍水
の句がある。
六句目。
そよめかす菖蒲の風の一しきり
畳かへにてさつと吸物 嘯雲
菖蒲の風も爽やかだが、新しい畳の薫りにお吸物と、さわやかな香りに満ち溢れている。
七句目。
畳かへにてさつと吸物
うつすりと鷹場の雲に成にけり 琴口
「うっすり」はうっすら。将軍や大名などの鷹狩りをする場所は薄っすら雲がかかってきたので、鷹狩は一休みして吸物を召し上がるということか。
琴口は『西華集』坤巻に、
此凉み船に屏風のなきばかり 琴口
借宅
我宿は明日刈粟の雀哉 同
の句がある。
八句目。
うつすりと鷹場の雲に成にけり
遠寺の鐘に帰る市人 捨砂
前句を夕暮れの景色として遠くの寺で入相の鐘が鳴り、市人は帰って行く。瀟湘八景の「烟寺晩鐘」であろう。
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