2021年7月3日土曜日

 雨が随分と続いているけど、水害とかなければいいが。
 あと、もうここまできたら左翼の妨害に打ち勝った記念の大会にするしかないね。まあ、勢い余ってテロだけはしないでくれよ。
 ワクチンがないというニュースだけで何でないか言わないから、続きはデマ情報でって感じになっている。
 まあ、何でワクチンがないかより、日本はワクチンを作ってないのに何でこんなにたくさんワクチンがあるかを考えた方が良い。七月一日の時点で既に四千六百万回を越えている。それに台湾やベトナムやインドネシアに配った分もある。
 すべては政治的なものだ。だから今の日本の政策を変えたら何が起きるかはわからない。

 それでは古麻恋句合の続き。

   老恋
 玉藻とや名のらで出る古老猫    紫紅

 老いた猫は妖狐玉藻のような老獪さを感じさせる。化け猫は尻尾が二本になり猫又と言ったりするが、玉藻も古い絵だと尻尾が二股に描かれている。
 紫紅はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「田代紫紅」の解説」に、

 「?-1731 江戸時代前期-中期の俳人。
江戸の人。榎本其角(えのもと-きかく)の門人。出羽(でわ)久保田藩家老梅津其雫(きか)が帰藩する際,其角にかわってともに秋田にいき,蕉風(しょうふう)俳諧(はいかい)をひろめた。晩年は江戸にもどった。享保(きょうほう)16年8月10日死去。別号に紫孔,紫好,止子山人,通元。編著に「そのはちす」など。」

とある。


 己が背をみつはくむなりかしけ猫  秋色

 「みつはぐむ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「瑞歯ぐむ」の解説」に、

 「〘自マ四〙 (「みずわく(ぐ)む」「みつわく(ぐ)む」とも) (老人に「瑞歯②」がはえる意か) きわめて年をとる。はなはだしく年老いる。
※大和(947‐957頃)一二六「むばたまのわが黒髪はしらかはのみつはくむまでなりにけるかな」
[補注]語義については、「瑞歯(みづは)ぐむ」のほか、歯が上下三本だけ抜け残る「三歯組む」とする説、足腰の三重に折れかがまる形容「三輪(みつわ)組む」とする説、関節のがたがたになる形容「支離(みつわくむ)」とする説、また、「大和物語」の檜垣嫗の歌が「水は汲む」の意だけであったのが老人のさまをいうと誤解されて、さまざまの語源説が付会されたとする説などがあり、表記についても「みつはくむ」「みつわくむ」のふたつが入りまじっている。」

とある。「かしけ猫」は悴(かじ)けた猫。衰えた猫。
 猫が背中を毛づくろいしようとして首を曲げた時に、自分の背中を「見る」と「みつはぐみ」に掛けて、つくづく我が身の衰えを感じる。
 秋色はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「秋色」の解説」に、

 「江戸中期の女流俳人。姓は小川か。名はあき。別号菊后亭(きくごてい)。江戸の人。生家は老舗(しにせ)の菓子屋。結婚して古手屋(古着・古物商)、けんどん屋(一膳飯屋(いちぜんめしや))を営み、晩年には俳諧(はいかい)の点者(作品に評点を加えて謝礼をとる人)として生活をたてた。夫も俳諧をたしなみ、夫婦ともに其角(きかく)に学んだ。13歳のとき上野清水堂(きよみずどう)裏の桜を見て、「井戸端の桜あぶなし酒の酔」と詠んだといわれ、その桜は秋色桜とよばれている。長男、次男もそれぞれ林鳥(りんちょう)、紫万(しまん)と号して俳諧をたしなんだ。享保(きょうほう)10年4月15日没。
 雉子(きじ)の尾のやさしくさはる菫(すみれ)かな
[山下一海]」

とある。


   幼恋
 帚木の百目なき子にわかれかな   其角

 百目は百文目(百匁、百文)のことか。幼い恋は金がなくて破れるのはよくあることだ。
 帚木は「あれあれて」の巻二十七句目の、

   鼬の声の棚本の先
 箒木は蒔ぬにはへて茂る也     芭蕉

のように、貧しい家に自生するイメージがあった。


 新参あかぬ別れの尿仕かな     酉花

 新参は四文字だと「しんざん」だが五文字なら「にひまゐり」になる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「新参」の解説」に、

 「〘名〙 あらたに仕えること。また、その人。いままいり。しんざん。
  ※後撰(951‐953頃)春上・四・詞書「ある人のもとに、にひまゐりの女の侍りけるが」

とある。新入りのことを新米というのも、元は「しんまゐり」から来たのかもしれない。
 沢山通ってくる猫に混じって新参者が行くと、恐い参拝猫に脅されてちびって逃げ出す。


   寄枕恋
 俤や糸目にたてるまくら神     其雫

 枕神はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「枕神」の解説」に、

 「〘名〙 夢枕に立つ神。
  ※俳諧・小町踊(1665)春「年徳や春をしらするまくら神〈信定〉」

とある。
 糸目は昼の猫の瞳孔が糸のように細くなった状態であろう。

 ひるがほや猫の糸目になるおもひ  其角(続虚栗)

の句もある。
 昼寝していると猫が枕元に立ってじっとしていたりする。その細い目が枕神みたいだ。
 其雫は「『焦尾琴』に載る作家」に、「秋田藩家老.梅津忠昭」とある。


 よれ枕ねこの爪にもこひ衣     秋航

 猫の愛用の枕なのだろう、すっかりよれよれになり、爪を砥いだ跡が無数についていても大事な大事な枕。
 恋衣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恋衣」の解説」に、

 「① (常に心から離れない恋を、常に身を離れない衣に見立てた語) 恋。
  ※万葉(8C後)一二・三〇八八「恋衣(こひごろも)着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし吾が恋ふらくは」
  ② 恋する人の衣服。
  ※風雅(1346‐49頃)恋二・一〇六五「妹待つと山のしづくに立ちぬれてそぼちにけらし我がこひ衣〈土御門院〉」

とある。この場合は①の意味。


   寄鏡恋
 うつつなや四ッ乳に成します鏡   専仰

 「四ッ乳(よつぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「四乳」の解説に、

 「〘名〙 乳房の痕の四つある猫の皮。三味線の皮に用いて珍重する。また、その三味線。
  ※俳諧・焦尾琴(1701)頌「うつつなや四つ乳に成します鏡〈専仰〉」

とある。「ます鏡」は鏡を褒めていう言い方だが、『万葉集』巻十一・二六三四に、

 里遠み恋ひわびにけりまそ鏡
     面影去らず夢に見えこそ
   右の一首は、上に柿本朝臣人麻呂の歌の中に見えたり。
   但、句句相換れるを以ちて、故ここに載す。

の歌があり、面影に掛かる枕詞にもなっている。
 三味線の胴体の皮になって、おもかげに在りし日の猫の姿を見る。


 舟猫やおのが口すふ水かがみ    利合

 舟に乗った猫が水を飲む姿が水に映るもう一匹の猫と口吸いをしているように見える。

   寄簾恋
 玉たれの手影ゆかしき坊主猫    楓子

 玉たれはお寺の簾くらいの意味か。南京玉すだれではないだろう。夜の行燈の灯りで簾に猫の手の影が映る。お寺だから坊主猫だろう。


   寄薫恋
 おもかげや咽もならさず瓦猫    十流

 猫は薫物の煙が苦手なのだろう。喉も鳴らさずに屋根に避難する。薫物の中にはただ俤だけが残る。咽(のど)という字に暗に烟(けむり)という字を含ませているのか。


   寄占恋
 爪とぐやおもひあまりて畳占    適三

 「畳占」は畳算であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「畳算」の解説」に、

 「〘名〙 婦女子などが畳で行なう占い。特に遊里で行なわれたもので、簪(かんざし)などを畳の上に投げ、その落ちた所から畳の編み目を端の所まで数え、丁(偶数)は待ち人来る、半(奇数)は来ないなど、その他の是非・吉凶を占う。また、簪の脚の方向によっても占った。たたみうら。
※俳諧・大坂檀林桜千句(1678)第八「恋かつもってなんもくの勝〈本秋〉 無仕合暮まつ床の畳算〈由平〉」

とある。
 猫の畳で爪砥ぐ姿が、畳の眼の数を数えているように見える、ということだろう。


 灰うらに問るるねこや七不思議   残杏

 灰占いはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「灰占」の解説」に、

 「〘名〙 埋火(うずみび)や火桶などの灰をかいて、その画が奇数か偶数かによって吉凶を占うこと。また、その占い。灰御鬮(はいみくじ)。
  ※林葉集(1178)恋「睦ことのわがてすさびのはいうらをよそけに妹が思ひ顔なる」

とある。
 昔の猫は暖を求めて火燵や火鉢や竈で灰まみれになることが多かった。「結構毛だらけ猫灰だらけ」もそこから来た言葉だろう。
 七不思議は当時いろいろな地域やお寺などの七不思議が噂にはなっていたが、この場合何を指すのかは不明。


   経年恋
 いつ君に鼻はじかれて猫の年    銀杏

 十二支に猫年がないのは後付けで鼠に騙されたとか言われているが、恋のためともなれば鼠の鼻など弾き飛ばして真っ先に駆けつける。

   迷恋
 ふり揚る刀はあだなり主寮猫    馬黒

 刀は(ナタ)というルビがある。寮は寺の寄宿舎のことだろうか。
 これは『無門関』の「南泉斬猫」であろう。迷猫というタイトルは猫が迷子になるのでもなければ恋に迷うのでもなく、人間が迷って答を出せないでいると猫が斬られてしまう、という意味になる。
 南泉が禅の一語を言えないならこの猫を斬ると言って、誰も答えられずに猫が斬られてしまったという話だが、おそらくこれは「何でもいいから答えを出せ」という教えであろう。
 世の中には一刻も早く決断を下さないと多くの人の命が失われるような事態がいつでも起こりうる。そのときに思考停止に陥ることが結局最悪の事態を招く。何でもいいから答を出して行動せよ、そうすればたとえ結果が悪くても何かしら得るものはある。
 禅問答というのも、そういうとにかく答を出すという訓練だったのではないかと思う。大体禅問答の答というのはあまり合理的ではなく、ほとんどその場の連想で自動記述的に導かれたようなシュールな答が多い。ただ、そういう答は「つっこみ」を入れにくい。一瞬何を言ってるんだと考え込んでしまうからだ。ある意味で煙に巻くわけだが、答あぐねて思考停止に陥るよりは、とにかく何らかの答を出すという訓練なのだと思う。


   寄絵恋
 貌彩る猫の尻目や絵具皿      川支

 猫が絵具を入れた絵皿に顔を突っ込んだのだろう。顔には絵の具がべったり。「彩」は「ヱト」というルビがある。

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