昨日はよく晴れて暑い日になった。夜には雷が鳴った。このまま梅雨が明けてくれればいいのにな。
昨日のBBC.comの日本版にはこう書いてあった。
「一方で、日本では2月にワクチン接種が始まったばかりで、他の先進国から後れを取っている。
日本の人口は1億2600万人近いが、9日時点で接種が完了しているのはわずか15%強に留まる。」
一方、BBC.comの英語版のgoogle翻訳はこうだ。
「しかし、これまでに、国の人口の26%強が少なくとも1回の接種を受けており、約15%が完全に予防接種を受けています。
米国とドイツのほとんどの人は1回の服用をしました。そして英国では、60%以上が持っています。
日本は他のほとんどの先進国よりも遅い2月に人々に予防接種を始めただけです。
ファイザージャブは、数ヶ月間、日本で唯一承認されたワクチンでした。
日本は国際的に行われた試験と並行して独自の試験を行うことを主張したため、このプロセスには時間がかかりました。」
情報そのものに間違いはないが、この差は一体何なんだろうか。
左翼のオリンピック潰しはこれからもあの手この手で行われ、おそらく日本が永久にオリンピックを呼べなくなるまで続くのではないかと思われる。そういうわけで、今回のオリパラは開会式を犠牲にしてでも、試合が安全に開催されることに全力を注ぐべきだと思う。
一応傾向と対策だが、奴らは反安倍闘争や沖縄の基地反対闘争をやっているのと同じ連中だから、行動パターンはそれを参考にすれば大体読める。注意すべきなのは、カメラの廻ってるところで大声を上げるのと、公道を封鎖するという二つの作戦だ。ただ、ネットで煽られて単独で行動する奴も現れる可能性が高いので、それを防ぐのは難しい。ツールドフランスを参考にするかもしれない。
それでは『西華集』の続き。
福岡
一寐入して面白し秋の蚊帳 東背
南に月のさし廻る窓 酉水
竹伐によし野の嵐吹あれて 支考
さびしき人の見えわたりけり 桂舟
膳組はひしほの煎物柿鱠 稱求
いつの用にか手鑓かけ置 雲鈴
照あかる里ははたはた麥ほこり 野芋
ちいさい宮の松二三本 元水
第一 不易の眞也日暮の酒によひなして帯だにとかであ
りしをそばなる人はねずやありけむと物うちいひ
たるといろよし
第二 其場也宵の間は藪にかくれたる月影のくまなく南
にさしまはりたる蚊屋のそひ寐もひやひやとしみ
わたりていかなる人にかと心にくし
第三 時節也竹きる比の嵐ならば夜半の気色も洗ひたる
やうにあらんによし野の里のかくれ家こそ殊更に
いふまじけれ
発句は、
一寐入して面白し秋の蚊帳 東背
で、これも大橋での「かりの世の住ゐや蚊屋に顔ばかり 柳浦」の句と同様、何人か友と一緒の蚊帳で寝た時の句のようだ。
一寝入りして起きたあと、同じ眠ってない友と語らったりする面白さということなのだろう。
不易の眞とあるように、特に目新しさはない。
東背は『西華集』坤巻に、
盆三日冥途はちかし馬の鈴 東背
の句がある。
脇。
一寐入して面白し秋の蚊帳
南に月のさし廻る窓 酉水
其場也で、蚊帳を吊った秋の部屋には南に月の光の射す窓がある。
酉水は『西華集』坤巻に、
糸ゆふに見送る果や帰雁 酉水
の句がある。
第三。
南に月のさし廻る窓
竹伐によし野の嵐吹あれて 支考
竹伐る頃は時節になる。竹は旧暦八月に伐るのが良しとされている。名月の頃に重なる。
時節だけでなく、場所も吉野とする。西行庵の俤であろう。
四句目。
竹伐によし野の嵐吹あれて
さびしき人の見えわたりけり 桂舟
「さびし」は「うし」と対で用いられるもので、隠棲生活にまだ慣れず、世俗の嫌なことがまだ思い起こされる間は「うし」で、隠棲生活が長くなり、浮世の嫌なことも忘れてくると「さびし」になる。「さびしき人」は長く吉野で暮らしている隠遁者ということになる。
五句目。
さびしき人の見えわたりけり
膳組はひしほの煎物柿鱠 稱求
膳の上にはひしほ味噌の煎ったものと柿の膾があるだけで、これは淋しい。
六句目。
膳組はひしほの煎物柿鱠
いつの用にか手鑓かけ置 雲鈴
手鑓は柄が九尺以下の短めの槍。コトバンクの「世界大百科事典内の手鑓の言及」に、
「…江戸時代の柄は太刀打(たちうち)といって,茎のはいる部分を千段巻にしたり,青貝叩(あおがいたたき)に塗って,その下部を麻糸で鏑(かぶら)巻に巻いて血どめとしている。長さは6尺または9尺の〈手鑓(てやり)〉から一丈(約3m)ないし2間(1間は約1.8m),3間に及ぶ〈長柄(ながえ)〉があり,アカガシを材として,江戸時代以前には素地(きじ)の柄が多く,長柄には狂わぬように割竹をあわせて魚膠(にべ)で練りつけた打柄が用いられた。塗柄としては,黒漆塗や青貝叩があり,皆朱(かいしゆ)の柄は武辺者に限られた。…」
とある。
謡曲『鉢木』の佐野源左衛門尉常世のような、「いざ鎌倉」に備えている貧乏武士の俤か。
七句目。
いつの用にか手鑓かけ置
照あかる里ははたはた麥ほこり 野芋
これは其場也時候也であろう。いつの日にか役立てんと手鑓を持っている者の住んでいるのは麦畑の里で、麦刈が行われ、麦埃が立つ。麦埃はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「麦埃」の解説」に、
「〘名〙 麦刈りの頃、麦打ちなどのためにたつほこり。《季・夏》
※俳諧・七柏集(1781)俳関興行「秋来ぬと目にも妻にも麦埃〈沙羅〉 風をいたみし物思ひ顔〈蓼太〉」
とある。
八句目。
照あかる里ははたはた麥ほこり
ちいさい宮の松二三本 元水
麦の里に小さな神社と松の木を配し、神祇に転じる。
元水は『西華集』坤巻に、
茸狩や戻りは常の小芝原 元水
の句がある。
仝
三日月もとぼしたらずや道一里 素計
風吹すかす早稲の畔刈 連山
盆に出る村の乞食か綾をりて 支考
果ては泣あふ子どもいさかひ 雲鈴
鶏の追あけらるる屋根のうへ 江立
道具に雪のかかる煤はき 梅川
何時かしれぬ日和の終暮て 不及
鹽した魚に猫の気づかひ 唐春
第一 流行の眞也たのみ出たる三ヶ月の影も河越す時は
くらかりしをとぼすといひなしたる一時の流行也
第二 其場也わせのくろかりといへば里ちかきあたり也
風吹すかすといひて闇のけしきをさだめたる也
第三 其一の一轉也里は畔かりの米にとりつきてかかる
物もらひも門にたたせたる盆の心のさしめきなら
ん
発句は、
三日月もとぼしたらずや道一里 素計
三日月は夕暮れの空に現れてすぐに沈んでしまうので、道を明るくする効果はほとんどない。名月が明るさを本意とするのに対し、三日月の暗さに目を付けたところでは一応これも流行になるのだろう。「眞」というのは、結局そんなに面白くはないということか。
脇。
三日月もとぼしたらずや道一里
風吹すかす早稲の畔刈 連山
その場の景色を付ける。其場也。早稲の畔(くろ)刈は里近き辺りだという。
連山は『西華集』坤巻に、
鶉より先明て見む一夜酒 連山
の句がある。
第三。
風吹すかす早稲の畔刈
盆に出る村の乞食か綾をりて 支考
第三は転じるもので、前句の早稲が収穫されて米があるということから、乞食坊主が
「綾をりて」はよくわからない。綾を織るわけではないだろう。綾居るという言葉があったのか。
四句目。
盆に出る村の乞食か綾をりて
果ては泣あふ子どもいさかひ 雲鈴
お盆の賑わいで、乞食もいれば喧嘩する子供もいる。
五句目。
果ては泣あふ子どもいさかひ
鶏の追あけらるる屋根のうへ 江立
鶏が逃げたので誰が逃がしたの責任を擦り付け合ったか。
江立は『西華集』坤巻に、
菜の花に葺萱かかる嵐哉 江立
夜食にははづれてねむき碪哉 同
の句がある。
六句目。
鶏の追あけらるる屋根のうへ
道具に雪のかかる煤はき 梅川
年末の煤払いで邪魔扱いされた鶏が屋根の上に逃げる。
七句目。
道具に雪のかかる煤はき
何時かしれぬ日和の終暮て 不及
何時になるのだろうか、煤掃きをしていたら雪が降り出し、日も暮れて行く。
不及は『西華集』坤巻に、
又来ては嵐のなぶる小萩哉 不及
の句がある。
八句目。
何時かしれぬ日和の終暮て
鹽した魚に猫の気づかひ 唐春
日暮どきで魚に塩を振って焼いて食べようとするが、猫に取られないように気を付けなくてはならない。
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