ドイツの水害のニュース映像を見ていると、まるで日本のようだ。迷彩服の一団がゴムボートで移動する映像や、ねこで泥を運び出している様子も日本ではお馴染みのものだ。
小山田圭吾ははっきりいて興味なかったし、フリッパーズ・ギターもCorneliusもちゃんと聞いたことがないので音楽的には何とも言えない。固定ファンはいるんだと思うけど、そんなメジャーな人ではなかったと思う。オリンピックの音楽を担当していることも今になって知った。どういう理由で選ばれたんだろうか。もっと世界的に有名なアーチストはたくさんいるのに。
まあ多分若気の至りで、ロック雑誌のインタビューで悪ぶって言ったことなんだろう。ただオリンピックに反対していた左翼連中が必死になってかばっているのが笑える。
ロッキング・オンという雑誌はツェッペリンファンの渋谷陽一の作った雑誌で、昔は売れない頃の大友克洋が「栄養満点」という二ページの漫画を載せていた。
一般的に言ってロックは左翼系の若者に支持される傾向が強く、これに対しメタルが右翼系に支持されるというのは日本だけではないと思う。ロッキング・オンはその左の方を行く雑誌だった。毎年行われるROCK IN JAPAN FESTIVALも最近はアイドルを出演させたりしてるが、筆者の好きなビジュアル系やメタル系は排除されている。
そのROCK IN JAPAN FESTIVALが茨城医師会の圧力で中止になったあたりで、ロックファンの左翼は微妙な立場に立たされている。本来オリンピック反対を言うなら、医師会に同調してフェスを中止して、それでオリンピックも中止しろと迫るべき所だろう。でもフェスはやりたい、オリンピックは潰したい、そこでジレンマに陥っている。
そこに追い打ちをかけたのが小山田圭吾だった。今もオリンピックは潰したいが小山田圭吾は守りたいと悩んでいるんだろう。
まあ、前にも言ったが、オリパラは開会式を捨ててもいいから、競技だけはきっちりやってほしい。
あと、これは勘だが小山田クンもいじめにあってたんじゃないかな。「弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く」ってやつだ。
それでは「夏の夜や」の巻の続き。
十三句目。
持佛のかほに夕日さし込
平畦に菜を蒔立したばこ跡 支考
平畦(ひらうね)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「平畝」の解説」に、
「〘名〙 種をまいたり苗を植える折、小高くしないで平らなままにした畝。
※俳諧・続猿蓑(1698)上「平畦に菜を蒔立したばこ跡〈支考〉 秋風わたる門の居風呂〈惟然〉」
とある。
タバコは夏に収穫が終わるので、連作で秋に菜の種を蒔く。
『炭俵』の「早苗舟」の巻三十句目に、
切蜣の喰倒したる植たばこ
くばり納豆を仕込広庭 孤屋
の句があるように、タバコはお寺で栽培されることが多かったのだろう。ここではお寺ではないが、田舎に庵を構える僧の畑で、持仏にタバコを付けている。
十四句目。
平畦に菜を蒔立したばこ跡
秋風わたる門の居風呂 維然
お寺には風呂がある場合が多い。「居風呂(すゑふろ)」はサウナではなく、浴槽に湯を入れる風呂で「水風呂」とも言う。
十五句目。
秋風わたる門の居風呂
馬引て賑ひ初る月の影 臥高
宿屋の風呂であろう。日が暮れる頃は宿場に乗り掛け馬が次々に到着して賑やかになる。
十六句目。
馬引て賑ひ初る月の影
尾張でつきしもとの名になる 芭蕉
昔は戸籍がなかったのでいわゆる本名の概念がない。名前は分不相応でなければ勝手に名乗ってよかった。
わけあって余所に行かねばならず、そこでは別の名前を名乗っていたが、尾張に帰ってきてその賑わう街を眺めながら、これで元の名前に戻れる。
あるいは伊勢で「の人」を名乗っていた杜国の俤があったのかもしれない。杜国はついに尾張に帰ることはなかったが。
十七句目。
尾張でつきしもとの名になる
餅好のことしの花にあらはれて 曲翠
前句の「つきし」を餅つきに掛ける「かけてには」になる。尾張の花見の席に現れて、昔ながらに餅を搗く。
十八句目。
餅好のことしの花にあらはれて
正月ものの襟もよごさず 臥高
正月に着てきた服をそのまま花見にも着てきたか。
二表、十九句目。
正月ものの襟もよごさず
春風に普請のつもりいたす也 維然
「つもり」は見積もりのことか。普請の相談には足元を見られてはいけないから、パリッとした服装で、如何にも金を持っているように見せる。
二十句目。
春風に普請のつもりいたす也
藪から村へぬけるうら道 支考
庭が藪から村へ抜ける抜け道になってしまっているから、そこを塞ぐように何かを建てたい。
二十一句目。
藪から村へぬけるうら道
喰かねぬ聟も舅も口きいて 芭蕉
聟や舅が「喰かねぬ」というのは食いかねてない、食うに困ってはいない、という意味か。本人は食うに困っているのだろう。裏道で相談して村に何か口きいてもらって職を得ようということか。
薮は荒れ果てた家、賤を連想させる。
二十二句目。
喰かねぬ聟も舅も口きいて
何ぞの時は山伏になる 曲翠
食いつめて、山伏になれば飯を食えるのではないかと相談する。
二十三句目。
何ぞの時は山伏になる
笹づとを棒に付たるはさみ箱 臥高
「はさみ箱」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「挟み箱」の解説」に、
「江戸時代の携行用の担い箱。主として武家が大名行列、登城など道中や外出をするとき、着替え用の衣類や具足を中に入れて、従者に担がせた黒塗り定紋付きの木箱。上部に鐶(かん)がついていて、これに担い棒を通して肩に担ぐ。古くは挟み竹といって、二つに割った竹の間に衣類を畳んで挟み、肩に担いで持ち歩いたが、安土(あづち)桃山時代になると、箱に担い棒を通した形に改良された。江戸時代には、武家調度の必需品とされ、一方、民間でも商家の主人が年始回りなどに、年玉の扇を挟み箱に入れ、鳶(とび)人足に持たせたり、町飛脚などが飛脚箱として用いた。また明治初年には、郵便集配や新聞配達もこれを用いた。[宮本瑞夫]」
とある。
この場合は棒に笹包を付けた似せ物で、物真似芸か何かか。山伏の真似もレパートリーに入っている。
二十四句目。
笹づとを棒に付たるはさみ箱
蕨こはばる卯月野の末 芭蕉
「こはばる」は柔らかい蕨の芽ではなく、育ちすぎて固くなるということだろう。前句を子供の遊びとして、蕨取りのできなくなった四月の野原を付ける。
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