2021年7月8日木曜日

 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021の中止が昨日発表された。感染拡大を受けて茨城県医師会の要請を受けてのことのようだ。
 無念に思う気持ちはわかるが、「音楽を止めるな、フェスを止めるな」という気持ちはアスリートだって一緒で、彼らだって「スポーツを止めるな、オリパラを止めるな」と言いたいんだと思う。どうして分断されちゃったのか、どうして一緒に戦えなかったのか。
 オリンピックも派手さを求めず、ただ競技が無事に進行できるようにすることだけに集中した方が良い。この状況下ではとにかく開催することに意義があると思った方が良い。それ以上欲を出さないことだ。質素で慎み深いオリンピックが後になれば日本の誇りになる。
 左翼の連中は短絡的だから医師会がオリンピック推進派だと思って、今回の件もオリンピックをやるために潰されたと騒いでいる。
 日本医師会は基本的に開業医を中心とした圧力団体で、政府の力を利用するために自民党を支持しているにすぎない。コロナ下での彼らの望んでいるのは、コロナとは関わりたくないということだ。感染爆発を起こして医療崩壊が起きれば、彼らもコロナ治療の方に駆り出される。それを防ぐのが彼らの狙いだ。
 だから日本医師会としてはオリンピックについて明確な言明を避けてはいるが、都の医師会ははっきりと中止を要請している。政府の力を利用している手前、あいまいな態度はとっていても、基本的にはオリンピックはやめて欲しいと思っている。
 だから、今回のフェスの中止はオリンピック中止に向けての「外堀を埋める」作業ではないかと思っている。だからこそ、ミュージシャンとアスリートがここで仲間割れしている場合ではない。
 余談だが、大坂なおみさんに「早くアメリカ人になれ」と言っている連中は、どこか昔の北朝鮮帰還運動の匂いがする。アメリカが黒人差別のない理想の国だとでも思っているのかな。

 それでは古麻恋句合の続き。

   進恋
 君や来し面はうつつの出合ねこ   春船

 夢ではなく本物のあなたが通ってきた。これで恋も進む。
 「面」には「ツラ」というルビがある。


   寄風俗恋
 立すがた今も祇園の娘ねこ     白獅

 祇園は牛頭天王を祀った祇園社(近代には八坂神社になった)を中心とした当時の京の随一の繁華街で、最新の風俗で賑わった。
 祇園の娘ねこというとさぞかし綺麗な首輪を着けた娘猫なのだろう。


   忍切恋
 忍ぶ夜を水鉄砲や光ねこ      潘川

 猫を追っ払うのに水を掛けるのはよくあるが、水鉄砲まで用意したか。「光ねこ」は光源氏のようにしつこい猫なのか。


   人傳恋
 蒲公や明た袋へよめりねこ     波麦

 蒲公英(たんぽぽ)は一応『本朝食鑑』に菜類とされているようだが、好んで食べられてたとは思われない。西洋や韓国には蒲公英のサラダがあるが、おそらく日本では菜類を生食する習慣がなかったからだろう。
 むしろ蒲公英は観賞用とされ、ここでは猫を袋に入れて蒲公英を添えて運ばれてきたということか。


   寄雪恋
 姥がよぶ伏見常盤かやどる猫    紫紅

 伏見常盤はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「伏見常盤」の解説」に、

 「幸若舞の曲名。盤は槃,磐と書く場合もある。作者不明。室町時代の成立。《平治物語》に材を得た作品で,平治物に分類され,常盤物と分類されることもある。常盤御前は院に仕える女房であったが,たいへんな美女で,院で行われた美人競べに選ばれるほどであった。17歳のとき,院から源義朝に与えられ,3人の子どもを生む。義朝が平治の乱に敗走し,殺されたのを知った常盤は清水寺に詣でて子どもの行末を祈願し,坊の聖の忠告に従って大和国に落ちることにする。」

とある。
 雪の中を牛若丸を連れて苦労して都を脱出する「されど母は強し」といった話がメインになっている。
 雪の中を行く猫を常盤御前に見立てて、姥が情けをかけ、雪宿りを促す。


   寄雲恋
 逢はぬ夜は高間の雲か頭痛ねこ   紫紅

 「高間(たかま)の雲」は和歌では葛城の神の物語に結び付けれて用いられている。

 葛城や高間の雲のいかにして
     よそなるなかの名にはたつらむ
              二条為世(新続古今集)

などの歌がある。
 葛城の神はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葛城の神」の解説」に、

 「奈良県葛城山の山神。特に、一言主神(ひとことぬしのかみ)。また、昔、役行者(えんのぎょうじゃ)の命で葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に岩橋をかけようとした一言主神が、容貌の醜いのを恥じて、夜間だけ仕事をしたため、完成しなかったという伝説から、恋愛や物事が成就しないことのたとえや、醜い顔を恥じたり、昼間や明るい所を恥じたりするたとえなどにも用いられる。
  ※清正集(10C中)「かづらきやくめのつぎはしつぎつぎもわたしもはてじかづらきのかみ」
  ※枕(10C終)一六一「あまりあかうなりしかば、『かづらきの神、いまぞずちなき』とて、逃げおはしにしを」

 高間の雲を完成しなかった葛城山と金峰山との岩橋に見立て、あの橋ができなかったから通ってこないのかと思う。
 頭痛猫は新味を狙った取り囃しと思われるが、猫はあまり痛みを表現しないので、どういう状態を「頭痛」と呼んだのか、よくわからない。


   寄松恋
 爪かきや松に見かはすまろがたけ  序令

 松の木で爪を砥ぐ猫を見ての句であろう。
 「まろがたけ」は有名な『伊勢物語』第二十三段の筒井筒で、

 筒井つの井筒にかけしまろがたけ
     過ぎにけらしな妹見ざる間に

の歌から来ている。
 猫の爪とぎのあとを見て、麻呂の背丈を思い出す。


   寄竹恋
 埋られたおのが泪やまだら竹    其角

 まだら竹は湘竹のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「湘竹」の解説」に、

 「〘名〙 (古代中国の帝舜の妃湘夫人が舜の死を悲しんで泣いた涙が竹にかかったところ、その竹が斑(まだら)になったという「博物志‐史補」に見える伝説から) 竹。特に斑竹。斑文のある竹。
  ※仮名草子・伽婢子(1666)一「碧玉の硯に、湘竹の管に文犀の毛さしたる筆とりそへ」

とある。通ってくる猫は様々な受難にあう。


   寄烟恋
 胸にたく尻尾の灸や浅間山     午寂

 お灸の火に尻尾を突っ込んでしまい、尻尾の先を胸の所に抱え込んで、「あぢー」となる。
 お灸のもぐさの山から昇る烟は、さながら浅間山のようだ。


 錦木のもえて虎毛のけぶりかな   乍之

 奥州錦木伝説の錦木は謡曲『錦木』にもなっている。ウィキペディアには、

 「昔、鹿角が狭布(きょう)の里と呼ばれていた頃、大海(おおみ)という人に政子姫というたいへん美しい娘がいた。東に2里ほど離れた大湯草木集落(三湖伝説の八郎太郎もこの地が出身だと言われている)の里長の子に錦木を売り買いしている黒沢万寿(まんじゅ)という若者がいて、娘の姿に心を動かされた。若者は、錦木を1束娘の家の門に立てた。錦木は5種の木の枝を1尺あまりに切って1束にしたもので、5色の彩りの美しいものであった。この土地では、求婚の為に女性の住む家の門に錦木を立て、女性がそれを受け取ると、男の思いがかなった印になるという風習があった。若者は来る日も来る日も錦木を立てて、3年3か月ほどたったところ、錦木は千束にもなった。
 政子姫は若者を愛するようになった。政子姫は五の宮岳に住む子どもをさらうという大鷲よけに、鳥の羽を混ぜた布を織っていた。これができあがって、喜びにふるえながら錦木を取ろうとすると、父はゆるさぬの一言で取ることを禁じた。若者は落胆のあまり死亡し、まもなく、政子姫も若者の後を追った。父の大海は嘆き悲しみ、2人を千本の錦木と共に手厚く葬ったという。」

とある。
 句の方は、家に前に置かれた薪の束を錦木に見立てて、それが竈にくべられたのを見て、通ってきたトラ猫の恋も煙のようにくすぶって消えていった。


   名立恋
 首玉に我名や立ちしやみの聲    秋航

 首玉は首輪のこと。闇の中で姿がよく見えなくても、首輪でどこの猫だかわかってしまう。


 大梁に名は立つ君か夕げさう    到李

 夕化粧はオシロイバナのことで、高度成長期には公園や団地の花壇などいろいろなところに植えられていたが、最近はあまり見ない。代わりに外来植物の「ユウゲショウ」という名のピンクの小さな花を付ける雑草が咲いてたりする。これは江戸時代にはなかった。
 大梁は歌舞伎の舞台の虹梁のことだろうか。舞台の上の部分を彩る。だとすると夕化粧の君は女形であろう。


   艶粧恋
 くらべこし猿は前髪帽子ねこ    新眞

 頭のてっぺんのところに斑のある猫を、今でも帽子猫という。
 「くらべこし」というと『伊勢物語』二三段の有名の「筒井筒」に、

 くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ
     君ならずしてたれかあぐべき

の歌がある。
 ここでは猿引きの猫なのか、猿と仲が良いのだろう。猿には前髪がある。
 今の猿回しの猿は烏帽子を被ってたりするが、昔の絵だと特に猿に被り物はない。


   久契恋
 菜箸をくはへて猫の連理かな    午寂

 連理は連理比翼で白楽天の『長恨歌』に、

 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
 (願わくば天にあっては二羽で一羽の比翼鳥になり、地にあっては二本の枝が交わって一つになる連理の木になりたい。)

とある。
 菜箸を咥えた猫は連理の枝になりたいのだろうか。

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