2022年5月18日水曜日

  久しぶりに晴れた。ちょっと早いけど気分は五月雨だね。
 タケノコの季節はそろそろ終わりかな。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 二表、二十三句目。

   孤雲の外に鳥はさえづる
 打かすむ山ふかうして谷の庵   正友

 山奥の隠棲とする。

 山深み霞みこめたる柴の庵に
     こととふものは谷のうぐひす
              西行法師(玉葉集)

によるものか。
 二十四句目。

   打かすむ山ふかうして谷の庵
 わらびよぢ折る苔の衣手     松臼

 山に隠棲する者は、春には苔の上の早蕨を取って食っている。
 春と言えば早蕨で、

 岩そそぐ垂水の上のさわらびの
     萌え出づる春になりにけるかな
              志貴皇子(新古今集)

の歌は百人一首でもよく知られている。
 二十五句目。

   わらびよぢ折る苔の衣手
 これも又王土をめぐる鉢ひらき  一鉄

 王土は王の支配する土地という意味で、ここでは天皇の支配の及ぶ日本中どこでもということか。
 鉢開きはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鉢開」の解説」に、

 「① 鉢の使いはじめ。
  ※咄本・醒睡笑(1628)七「今日の振舞は、ただ亭主の鉢びらきにて候」
  ② 鉢を持った僧形の乞食。女の乞食を鉢開婆・鉢婆という。鉢坊主。乞食坊主。」

で②の意味であろう。鉢坊主とも言う。後の『炭俵』の「空豆の花」の巻二十句目に、

   不届な隣と中のわるうなり
 はっち坊主を上へあがらす    利牛

の句がある。
 乞食坊主なので、道端の食べられそうなものはみんな取って食う。
 二十六句目。

   これも又王土をめぐる鉢ひらき
 慈悲はこころの鬼をほろぼす   雪柴

 鉢坊主の功徳を述べる。
 一般論として、こうした乞食坊主であっても、仏の慈悲が人の心の邪悪なものを滅ぼすことを説いて回る所に、その存在理由がある。
 二十七句目。

   慈悲はこころの鬼をほろぼす
 わつさりと一たび咄せなふ女郎  卜尺

 「わっさり」は今のさっぱりする、というのに近い。
 「心の鬼」の最たるものは恋の嫉妬の心。
 江戸時代の遊郭は出会い系に近く、単純に金で一時の快楽を買うわりきった関係ではなかった。そのため、客の男は遊女に他の客を取らないように貞操を求めることも多かった。
 客の男の嫉妬心は遊女からすれば悩みの種で、それをなだめるために起請文を配ったりもした。貞享二年の「涼しさの」の巻七十一句目に、

   小女郎小まんが大根引ころ
 血をそそぐ起請もふけば翻り   コ齋

の句がある。血判を押した起請文も実際は形だけのものだった。
 『ひさご』の「疇道やの巻」九句目の、

   片足片足の木履たづぬる
 誓文を百もたてたる別路に    正秀

の誓文も起請文のこと。
 だいたいは遊女の立場を理解して、起請文はそういうもんだと腹を立てないのが粋な遊び人なのだが、中にはそれで逆上して、爪を剝いでよこせ、さらには指を詰めろとか言う男も結構いたようだ。
 卜尺の句は、嘘の起請文ではなく、正直に話せ、と迫る。それで本当のことを知っても許してやる慈悲の心があれば、男の心の鬼も滅びるのだが、なかなかそうもいかない。
 二十八句目。

   わつさりと一たび咄せなふ女郎
 うき名は何のそれからそれ迄   一朝

 「それからそれ迄」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「其からそれまで」の解説」に、

 「限られたそれだけのこと。それまでのことだ。やむを得ない。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「うき名は何のそれからそれ迄〈一朝〉 御仕置ややぶれかぶれの衆道事〈松意〉」

とある。
 遊郭の浮名は遊郭の中だけのことだ。とはいえ、奥さんは何と思うことか。
 二十九句目。

   うき名は何のそれからそれ迄
 御仕置ややぶれかぶれの衆道事  松意

 男色が発覚すると、武家の場合は処分を受けることもあったが、西鶴の『男色大鏡』では、わりと穏便に済まされることが多かったようだ。男女の不倫が死罪になる時代にしては緩かったと言えよう。
 まあそういうことで、御仕置きなど恐れずやっちまえ、ということになる。
 三十句目。

   御仕置ややぶれかぶれの衆道事
 家老をはじめすでに付ざし    在色

 付けざしは口を付けた煙草や盃を回す、一種の間接キスで、宗因独吟の「花で候」第三にも、

   夢の間よただわか衆の春
 付ざしの霞底からしゆんできて  宗因

の句がある。
 家老を初め、多くの男たちが付けざしをしたというから、相当な美少年だったのだろう。まあ、家老まで巻き込んでしまえば御仕置きもできないという所か。
 三十一句目。

   家老をはじめすでに付ざし
 城の内あすをかぎりの八九人   松臼

 ここでは衆道を離れて、籠城戦にも敗れ、切腹を覚悟した武将たちの最後の盃とする。
 三十二句目。

   城の内あすをかぎりの八九人
 しまひ普請のから堀の月     志計

 前句の「あすをかぎり」を城内の工事の終わりとする。お堀の補修だったか。
 三十三句目。

   しまひ普請のから堀の月
 金山の秋をしらする雁鳴て    雪柴

 金山(かなやま)は鉱山のことで、しまい普請は閉山のことか。月に雁の声が心の秋を知らせる。
 「秋をしらする」は

 風吹くに靡く浅茅は我なれや
     人の心の秋を知らする
              斎宮女御(後拾遺集)

の用例がある。
 月に雁は、

 さ夜なかと夜はふけぬらし雁金の
     きこゆるそらに月わたる見ゆ
              よみ人しらず(古今集)
 大江山かたぶく月の影冴えて
     とはたのおもに落つる雁金
              慈円(新古今集)

など多くの歌に詠まれている。
 三十四句目。

   金山の秋をしらする雁鳴て
 訴訟のことは菊の花咲      正友

 江戸時代の訴訟というと境界争いが多かったようだが、鉱山の権利などでももめることがあったのだろう。「訴訟のことは聞く」に「菊」を掛ける。
 三十五句目。

   訴訟のことは菊の花咲
 我宿の組中名ぬし罷出      一朝

 組中はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「組中」の解説」に、

 「① 組にはいっている人全部。
  ② 組の仲間。同業者。また、江戸時代の五人組の仲間。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「訴訟のことは菊の花咲〈正友〉 我宿の組中名ぬし罷出〈一朝〉」

とあり、名主は「精選版 日本国語大辞典「名主」の解説」に、

 「③ 江戸時代、江戸の各町にあり、町年寄の支配を受け、町政一般を行なったもの。町名主。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「訴訟のことは菊の花咲〈正友〉 我宿の組中名ぬし罷出〈一朝〉」

とある。ちなみにこの興行に参加している卜尺も日本橋大舟町の名主だった。
 訴訟というと名主の出番だったか。
 三十六句目。

   我宿の組中名ぬし罷出
 売渡し申軒の下風        一鉄

 名主が何しに出てきたと思ったら、この家を売るという話だった。
 下風という言葉は和歌では、「花の下風」「森の下風」「松の下風」「葛の下風」など、大体は植物の下を吹く風を言う。「軒の下風」の用例もあるが、植物と合わせて用いる。

 皆人の袖に匂ひぞあまりぬる
     花橘の軒の下風
              藤原家隆(壬二集)
 かたしきの小夜の枕にかよふなり
     あやめに薫る軒の下風
              藤原実房(新続古今集)

などの例がある。

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