2022年5月5日木曜日

 それでは「偽レル」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   囘火消の霜さやぐ松
 経よはる御魂屋のきりぎりす   其角

 「御」には「おおん」とルビがあり、王朝時代の「おほん」みたいな言い回しだが、「おたまや」のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御霊屋」の解説」に、

 「〘名〙 (「お」は接頭語) 先祖の霊や貴人の霊をまつっておく殿堂。霊廟(れいびょう)。みたまや。
  ※俳諧・三日月日記(1730)「ふるき都に残るお魂屋 くろからぬ首かきたる柘の〈芭蕉〉」

とある。例文にあるのは「破風口に」の巻十句目の

   挈帚驅倫鼡
 ふるき都に残るお魂屋      芭蕉

の句だ。元禄五年夏の素堂との和漢両吟。ここでは火事で死んだ人の遺体安置所であろう。経読む声が夜も更けて弱まってくると、霜置く野原のコオロギの声が弱ってゆくみたいだ。
 霜に弱る虫の音は、

 虫の音もほのかになりぬ花薄
     秋の末葉に霜やおくらむ
              源実朝(続古今集)
 風寒み幾夜もへぬに虫の音の
     霜より先に枯れにけるかな
              具平親王(玉葉集)

などの歌に詠まれている。
 二十六句目。

   経よはる御魂屋のきりぎりす
 夕べは秋の後鳥羽さびしき    千之

 「夕べは秋」といえば、

 見渡せば山もとかすむ水無瀬川
     夕べは秋となに思ひけむ
              後鳥羽院(新古今集)

の歌で、元は春の歌だが、コオロギの声の衰えてゆけば後鳥羽院もやはり寂しいと思うことには変わりない。秋の夕暮れも寂しいが、春の水無瀬の夕暮れも寂しい。

 秋もまだ浅きは雪の夕べかな   心敬

の連歌発句もある。
 二十七句目。

   夕べは秋の後鳥羽さびしき
 秬の葉に涙をあまる夷衣     其角

 秬は「きび」、夷は「ひな」とルビがある。夷衣は特に蝦夷とは関係なさそうだ。陸奥のしのぶもぢ摺りのことか。染料を石の上で擦りつけるだけの原始的な摺り初めの衣で、その不規則な模様が「乱染め」と呼ばれたのだろう。

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
     乱れそめにしわれならなくに
              河原左大臣(古今集)

の歌は百人一首でもよく知られている。
 辺りは米もなく黍が実るだけで淋しい。王朝時代の陸奥に流された人の情であろう。
 二十八句目。

   秬の葉に涙をあまる夷衣
 まま子烏の寐に迷ふ月      千之

 烏はしばしば僧の意味で用いられる。継子故にお寺に預けられるというのも、よくあることだったのだろう。遠く旅をして、泊る所も定まらない。

 ことの葉はつゐに色なきわが身かな
     むかしはまま子いまはみなし子
              心敬

の歌もある。心敬もまた応仁の乱の頃に東国に下っている。
 二十九句目。

   まま子烏の寐に迷ふ月
 盗人をとがむる鎗の音ふけて   其角

 泊めてもらおうと館に行くと、槍を持った衛兵がいて、泥棒と間違えられる。中世の連歌師の旅ならありそうだ。
 三十句目。

   盗人をとがむる鎗の音ふけて
 胴の間寒き波の夜嵐       千之

 足軽などの身に付けている胸から腹にかけて覆うだけの胴鎧であろう。槍を以て夜の番をしていると、海から吹いてくる嵐の風が寒い。
 二裏、三十一句目。

   胴の間寒き波の夜嵐
 年と日と賤のつま薪よみ尽ス   千之

 薪は「まき」とルビがある。
 山奥の貧しい家庭の妻が必要な量の薪をきちんと振り分けて、一年でこれだけだから、一日で使う薪はここまでと決めている。寒いからって最初にがんがん使ってしまうと夜が寒い。
 三十二句目。

   年と日と賤のつま薪よみ尽ス
 うさきを荷ふ越の山業      其角

 業に「わざ」とルビがある。
 夫はウサギ狩りに行き、妻は薪の管理をする。
 越にウサギは越後兎の縁がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「越後兎」の解説」に、

 「〘名〙 東北地方、日本海側地方にすむノウサギの一亜種。季節により体色を変え、夏は灰褐色で黒みを帯び、冬は白色で耳の先だけ黒い。保護色の好例。とうほくのうさぎ。しろうさぎ。
  ※俳諧・犬子集(1633)一七「白き物こそ黒くなりけれ 古筆は越後兎の毛でゆひて〈貞徳〉」

とある。
 三十三句目。

   うさきを荷ふ越の山業
 剣術を虚谷に習ふ時は      千之

 虚谷は「こだま」、時は「よりより」とルビがある。折々という意味。
 越後兎から「名人越後」と呼ばれた冨田重政への展開か。冨田重政は越前朝倉氏の家臣だったが、越後の守だったため越後と呼ばれている。
 ここでは本人の逸話というわけではなく、越後のように剣を極めるために山に籠って修行をすれば、ということだろう。
 「よりより」は『古今集』仮名序に、

 「この人々(人麿赤人)をおきて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける。」

の用例があり、和歌では、

 妹がくる糸井の里のたまき山
     よりよりここに宿りぬるかな
              藤原為家(夫木抄)
 あはれなりよりより知らぬ野の末に
     かせぎを友になるる棲家は
              西行法師(山家集)

の用例がある。糸をよるに掛けて用いる。
 三十四句目。

   剣術を虚谷に習ふ時は
 有朋自遠方来          千之

 返り点がふってあって「朋(とも)遠方より来れること有」と読む。
 論語の有名な言葉で、「不亦楽乎」と続くき、普通は「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」と読む。下句の形にあわせて、返り点を振り直したのだろう。
 和歌の形にすると、

 剣術を虚谷に習ふ時は
     朋遠方より来れること有

と二句一章になる。
 三十五句目。

   有朋自遠方来 
 花に粮空嚢に銭をはたくらん   其角

 粮は「かて」。
 遠方より友は花見にやってきた。空嚢はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空嚢」の解説」に、

 「① 物が入っていない袋。からの袋。
  ※露団々(1889)〈幸田露伴〉一七「風は空嚢(クウノウ)を揚げ、説は愚人を動かすだ」 〔劉駕‐送友下第遊鴈門詩〕
  ② 財布に金銭の入っていないこと。また、その財布。〔広益熟字典(1874)〕
  ※怪化百物語(1875)〈高畠藍泉〉下「今朝は忽ち空嚢となって」

とある。②の意味で、なけなしの金をはたいて旅の食料を買ったということか。
 三十六句目。

   花に粮空嚢に銭をはたくらん
 蛤處々のやまぶきヲ焼      其角

 大した金も持ってないので、花見の酒の肴に蛤を拾い、山で取れた蕗と一緒に焼く。

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