2022年5月25日水曜日

 選挙が近づくと相変わらず投票率が上がらないなんて、メディアがわあわあ言っているけど、こうした連中は「選挙に行こう」と言いながら、特定勢力に投票するように誘導しているのが見え見えだから、全然信用されてないんだと思う。
 女性候補者が少ないといいながら、こういう連中は保守系の女性政治家を集中攻撃したがる。高市さんがその良い例だ。まあ、女同士で足を引っ張り合ってるってところもあるかな。女性の敵は女性。これは永遠の真理なのかもしれない。
 隣の国があんなことを始めちゃったから、今の日本も平和だなんて言ってられなくなった。今は平和そのものでも、いつウクライナみたいにならないとも限らない。今度の選挙はその意味では水面下で密かに盛り上がってくれるといいと思う。
 大声を上げると、奴らは必ず叩きに来るからね。選挙に関心ないふりをしながら、あとでショックを与えてやろう。
 芭蕉自筆の「野ざらし紀行」図巻の発見というニュースが昨日の昼頃のラジオで流れて、「えっ?」っと思ったが、その後ネットのニュースを読んで、なるほど「半世紀ぶり」というのはそういうことだったのかと納得した。
 この画巻は『甲子吟行画巻』と同じもので、筆者は『芭蕉の書と画』(岡田利兵衛、一九九七、八木書店)と『図説日本の古典14 芭蕉・蕪村』(一九七八、集英社)で知ってて、後者はその画巻全部が掲載されている。解説文は岡田利兵衛さんが書いている。
 『芭蕉の書と画』には、

 「昭和十七年十月の「芭蕉翁生誕三百年記念展覧会」に出品された。爾來終戦後、杳としてゆくえがわからなくなった。ところが昭和四十一年に突如として発見され、本書(「別冊太陽」No.16)に掲載することができたのである。」(p.60~61)

とあるだけだったから、てっきりその後もどこかにあるものだと思っていたが、また行方不明になっていたというのを初めて知った次第だった。
 昭和四十一年は一九六六年。確かにそれから半世紀たっている。ニュースには「1970年代半ばから半世紀近く所在が確認できていなかった」とあるから、再発見されてからまた十年も経たずに行方不明になっていたようだ。
 まあ、この画巻も芭蕉さんの魂が乗り移ったかのように、放浪癖があるのだろう。

 マルクス主義者がマルサスの『人口論』を軽視してきたのは、ひとえに「ブルジョワイデオロギー」だという理由からだった。
 確かに生存権に優先順位を付けると、どこの国でも上流階級を優先させる。だから、人口論は階級の理論だ、ということになった。
 ただ、階級をなくしても人口問題は解決しない。多産多死の国で革命が起きると、中国でも北朝鮮でもカンボジアでも、大規模な粛清が行われた。彼らは生存権の優先順位を経済から思想に切り替えただけだった。
 厳密に言えばこの時の勝者は思想的に優れたわけでも何でもない。密告と讒言のゲームの勝者にすぎなかった。ただ、やられる前にやれというだけの単純なゲームだった。このゲームなら、ただかつての盟友であっても冷酷になれる人間だけが勝つ。情にほだされて躊躇したら負ける。
 かつての共産圏の多くの国が多産多死から脱却する前に、飢餓と粛清によって行き詰っていった。なのに冷戦後の左翼はこのことを反省するどころか、全部アメリカのせいにしてきた。
 この時植え付けられた反米感情が、今のロシアを突き動かしているのは間違いない。そして、他の国のマルクス主義者も、ロシヤや中国の侵略に表向き反戦平和を口にしていても、心の中では頑張れと言っている。
 それだけではない。フロンティアの余剰人口を先進国が受け入れるのが当然のように主張し、先進国の経済を破壊しようとしている。
 この地球のもたらす生産力は有限であり、それを越えて人口が増えれば何らかの形で命の選別を行わざるを得なくなる。その選別が一部の経済的に成功した国に押し付けられてしまうと、二つのどちらかが必要になる。
 一つは経済を犠牲にして他国の余剰人口に富を配分すること。もう一つの道は移民に対して元からいる国民の生存を優先させること。つまり、定員オーバーの船に全員乗っけて共に沈むか、泣く泣くも後から来た人を船から降ろすか、という選択になる。
 多分この問題は時が解決する。フロンティアがそこそこ経済的な発展を遂げれば、必ず少子化が起る。その時まで我慢できれば逃げ切れる。
 ただ、フロンティアの独裁者はそれを歓迎しない。なぜなら、命の選択権、いわば生殺与奪権を握ることで彼らは独裁者でいられるだけだからだ。それを手放したら、独裁者は駆逐され、民主化されることになる。
 中国がなぜ経済を犠牲してまでゼロコロナにこだわるかも、そこに理由があるのではないかと思う。コロナを武器に、中国共産党が国民の生殺与奪権を握っていることを示す必要があるからだ。
 経済が発展し、少子化が定着した国から順次民主化し、独裁を終わらせるというのが一つの理想になる。ロシアと中国はそのタイミングを逃した。それが今の世界の危機の原因となっている。
 独裁は中国の経済の足かせとなり、この国は天安門の亡霊に呪われ続けることになる。ロシアは戦後処理を誤れば巨大な北朝鮮となり、飢餓と粛清の大地に逆行する危険がある。
 問題をややこしくしている原因の一つは、先進国に住む我々がすっかり少産少死の常識に慣れてしまい、多産多死がどういう時代だったか、若い世代には再現することが困難になっているからではないかと思う。
 古い時代を記憶を受け継ぐためにも、文学の果たす役割は大きと思う。古典を現代化するのではなく、古い時代の記憶を今に伝えるという機能を重視しなくてはない。俳諧も源氏物語も「現代的に」改釈するのではなく、当時を再現することに心血を注いでいきたい。こやん源氏(超訳『源氏物語』─とある女房のうわさ話─)は基本的には『湖月抄』に戻れ、という所で訳している。
 言葉は新しく、心は古く、基本です。

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