2022年5月24日火曜日

 今日の散歩で、カルガモの子を見た。まだムクドリくらいに小さいけど水の上を走り回っていた。今年も子連れのカルガモが見られる季節になった。

 ちょっとまとめてみると、前近代社会というのは基本的に多産多死で、常に人口増加の圧力にさらされ、その土地の生産力に対して定員オーバーになる。
 そのため、生まれてくる子供たちに生き残れる優先順位を明確な「掟」とする傾向が生じる。
 この掟が破られると、生き残りをかけて親子兄弟とはいえ熾烈な生存競争が生じる。
 そのため、この掟はどんな不条理なものであっても神や天の名において絶対化される傾向にある。
 社会の定員が限られているなら、生存権に優先順位を付けなくてはならない。この順位が混乱すれば世の中は乱れ、下克上の乱世の時代になる。これは日本に限らず、前近代社会の共通認識と言って良いだろう。
 (現代社会はこれとは逆に、少産少死であるために人口増加の圧力から解放され、むしろ「少子化問題」という定員割れが問題になる。
 そのため生まれてくる子供たちが皆平等に生きる権利があることを疑う者もいない。すべての社会ルールは万人平等を原則として形成される。
 ただ、近代化の過渡期においては、多産多死のまま万人平等の意識が目覚めたため、人口の爆発を止める手立てがなく、それが地球規模での植民地争奪戦を生み、二度の世界大戦となった。)
 さて、そういう時代の中で『源氏物語』の源氏の君は一体何だったのか。
 皇室は確実に御世継をもうけ、皇統を継続させなくてはならない。
 そのため一夫多妻が容認される。
 そのため、今日の皇室のような皇子の不足で悩むことはなく、逆に悩みの種になるのは皇子の過剰だった。
 そのため、皇位継承権を剥奪し、臣下に降格させるシステムが存在し、それによって臣下に下り「源」の姓を賜る、それが「源氏」だった。皇族に姓はなく、姓を持つ者は臣下だった。
 通常の臣下であれば、たとえ最大勢力の藤原氏であっても、天皇の義父にしかなれない。しかし、臣下であっても入内した女御更衣に密かに子を産ませれば、天皇の実の父になれる可能性が生じる。これこそが皇室の最大のタブーだったと見ていいだろう。
 これはいわば最大のスキャンダルであり、下克上になる。
 多分『源氏物語』が世に出た時に誰もが思い描いたのは、清和天皇の女御の藤原高子に手を出した在原業平だったはずだ。在原業平の恋は悲劇に終わり、その噂は『伊勢物語』に残されることとなった。
 多産多死社会の掟の中心は定員オーバーの中で誰が優先的に生き残るべきかという所にある。このことは同時に、誰が子孫を残す権利を持つかということでもある。その優先順位が乱されれば下克上が起る。
 たかが恋の問題とはいえ、されど恋。本当は生まれてきた子供たちがすべて幸福に生きられるならそれに越したことはないし、誰もが好きになった人と結ばれるならそれにこしたことはない。それを阻む壁はひとえに人口問題にあった。
 自由に恋をしたい。でもそれが生存権の優先順位を混乱させ、親子兄弟の血みどろの争いに発展しかねない。貴族だけでなくあらゆる階層でそういう葛藤があったのではないかと思う。
 さすがに弱小家系の下克上は無理があった。そこで天皇の子でありながら臣下である「源氏」という特別な存在がそれをやったらどうなるのか、そのシミュレーションが、その思考実験が『源氏物語』だったのではないかと思う。
 源氏の場合、元は王家なので、冷泉帝が即位しても桐壺帝ー源氏の君ー冷泉帝と皇族の父系は繋がっている。基本的に皇統を揺るがすことにはならない。ただ、臣下の不倫によって、臣下の分際で天皇の実の父となったということは、明らかにイレギュラーでスキャンダルになる。
 この源氏の微妙な立ち位置が、この物語を面白くしていると言って良いだろう。
 万世一系の天皇制のもとでは、不倫によって天皇の父となる可能性というのが常に大きなテーマとなっていた。
 古くは道鏡事件。そして、この後に起きる西行法師の出家もまた皇族の女との恋が噂されている。今の眞子様と小室家もその延長なのかもしれない。
 多分イギリスの薔薇戦争を廻るシェークスピアの戯曲も、自由な恋愛が国を乱して血みどろの争いに発展するというテーマで読み解けるのではないかと思う。
 逆に『源氏物語』はそうならない、あまりにも平和的に解決される物語なので、それがドナルド=キーンさんを引き付けたのかもしれない。

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