2022年5月7日土曜日

 昨日の続きだが、貧困は喉にナイフを突きつけられ、家族まで人質に取られたような状態だ。ただ、惰性でこれまでやってきた一番安全のことを続けるしかない。
 少しでも変えようとすると、そこにリスクが生じる。そのリスクに耐えられないから、今まで通りのことを繰り返すしかない。それが「心の貧しさ」だ。
 貧しい村の中で、ある時たった一人新しいことにチャレンジしようとする者がいたとしても、そのリスクが村全体に降ってかかるかもしれないと思えば全力でそれを阻止する。それが「心の貧しさ」だ。
 飢餓に瀕するほど貧しくなくても、程度の差こそあれこの種の保守性は誰にでもある。飢餓まで行かなくても、今よりもはるかに生活が悪くなると思えば、人は保守的になる。
 終身雇用制のメリットはその安定性にあるが、その安定を脅かしてまで新たな冒険をしないということがデメリットになる。
 終身雇用の安定性は、安定性を脅かさない程度の冒険が逆に解放される。日本のオタク文化はそこから生まれる。本業を持ちながら、その本業を脅かさない範囲でなら、日本人は素晴らしい能力を発揮する。
 日本人の一人一人が素晴らしいアイデアを持っていたとしても、ではそれをビジネスにという段階になると、大抵は尻込みしてしまう。それをうまく開放できる一部の上司や指導者の下では大きな成功もあるが、大抵は埋もれてしまっている。
 本業を別に持ちながらオタクとして活動するメリットは、失敗の許される自由さにある。成功しても得るものがない代わりに、失敗しても失うものがない。
 例えば歴史でも軍事でもでも、筆者のやっているような俳諧研究でも、それを職業にしている人は失敗が許されない。だから保守的にならざるを得ない。オタクはいくらでも失敗していい。成功報酬を得ない代わりに失敗のリスクを負わないという、これは一つの取引だ。
 日本の終身雇用制は、本業の極度な保守性と、本業を離れた所の革新性の両面を持っている。逆に言えば、一人一人を見ればこれだけ優秀な人間がたくさんいるにもかかわらず、それが十分経済に反映されてないということにもなる。
 他所の国ならいいアイデアがあれば起業して商売にしようとするだろう。日本では起業は終身雇用の枠組みからドロップアウトすることになるので、リスクが大きすぎる。起業だけではない。政治の方面で才能があっても、政治家を志すというのは終身雇用からのドロップアウトを意味する。そのリスクをあえて犯そうとする人は稀だ。 だから、日本には実業界でも政界でも突出した人間はいない。本当に実力のある人間は終身雇用の大衆の中に埋没している。トップはたいしたことはないが、大衆のレベルがやたら高い。それが日本だ。
 終身雇用制は日本の今後の発展に暗雲を投げかけているのは確かだ。特に九十年代に本格的なコンピューター時代になり、世界で様々な破壊的イノベーションが生じる中で、日本は取り残されていった。日本の子どもたちは未だに重いランドセルを背負い、スマホは学校に取り上げられている。
 ただ、日本を単純に西洋化させるだけなら、日本は豊かな大衆文化をも失うことになるだろう。常に失業と隣り合わせの不安定な生活は間違いなく心を貧しくし、治安を悪化させ、デモや暴動が多発し、悪い意味でも西洋並みになっていく。両方のメリットを生かす方法が見つかれば、日本は世界に冠たる国になれる。
 あと、鈴呂屋書庫に「偽レル」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「郭公」の巻の続き。

 十三句目。

   嶋原近き吾草の庵
 忍啼キふるきふとんに跡さして  蚊足

 引退した遊女の庵だろうか。
 十四句目。

   忍啼キふるきふとんに跡さして
 前髪惜む月のこよひぞ      其角

 前髪を落とすのは稚児が一人前の僧になる時で、衆道の対象から外れることが惜しまれる。
 十五句目。

   前髪惜む月のこよひぞ
 江は露に亭の蝋燭白くなり    蚊足

 「惜む」を追悼の意味に取り成したか。お通夜の場面であろう。明け方になり、蝋燭がその光を失ってゆく。
 月に露は多くの歌に詠まれている。
 十六句目。

   江は露に亭の蝋燭白くなり
 馬に信する瀬田の秋風      其角

 「信」には「まか」とルビがある。世も白む頃に馬に任せて瀬田へと向かう。旅体で、都落ちを暗示させる。
 露に秋風も多くの歌に詠まれている。
 十七句目。

   馬に信する瀬田の秋風
 花盛梟ならべたる首を見て    蚊足

 梟には「かけ」とルビがある。この字には「さらす」という訓読みもあり、晒し首のことになる。
 前句の秋風を比喩として春に転じたか。宇治川合戦で敗れた木曽方の多くの首が都晒される頃、木曽義仲は勢田へと向かい討ち死にする。違え付けによる季移り。
 十八句目。

   花盛梟ならべたる首を見て
 勇士の土産此梅を折       其角

 梅の花盛りの頃、勇士の持ち帰った首にも梅の枝が折って添えられている。残虐さと風流が共存するのが武士道の本質という所か。
 十九句目。

   勇士の土産此梅を折
 美女の酌日長けれとも暮安し   其角

 勇士が梅の枝を土産に帰還すると、美女がお出迎えして酌をしてくれる。こういう時の時間はあっという間に過ぎ去る。
 二十句目。

   美女の酌日長けれとも暮安し
 契めでたき奥の絵を書      蚊足

 前句を婚礼とする。新居となる奥の間に新たに絵を書かせる。
 二十一句目。

   契めでたき奥の絵を書
 或はしらら住吉須磨に遣され   其角

 奥の間に結婚の目出度い題材の絵ということで、高砂の松を描けと命じられ、住吉と須磨に実物を見に行かされる。
 「しらら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白か」の解説」に、

 「〘形動〙 (「か」は接尾語) 色の白々としたさま。白く、明るいさま。また、はっきりしているさま。しろらか。しらら。
  ※今昔(1120頃か)二九「其に差去(さしのき)て色白らかなる男の小さやかなる立たり」

とある。明け方に出発するということか。
 二十二句目。

   或はしらら住吉須磨に遣され
 乞食に馴て安き世を知      蚊足

 配流で住吉から須磨に渡り、そこで出家して乞食僧となった時、世の中は何とかなるもんだということを知る。
 二十三句目。

   乞食に馴て安き世を知
 町ぐたり二声うらぬ茶筌売    其角

 「ぐたり」はいまの「ぐったり」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぐったり」の解説」に、

 「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある) 弱りきって力がぬけたさま、疲労して力のぬけたさまを表わす語。ぐだり。ぐたり。くたり。
  ※敬斎箴講義(17C後)「外形自惰落なれば、内心もぐったりとして」
  ※爛(1913)〈徳田秋声〉六「団扇を顔に当てながらぐったり死んだやうになってゐた」

とある。
 茶筌売は冬には鉢叩きになるが、茶筌売の時は疲れたように一声しか上げずに町を売り歩く。
 二十四句目。

   町ぐたり二声うらぬ茶筌売
 夜は飛ビ田の狐也けり      蚊足

 飛ビ田はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛田・鴟田・鳶田」の解説」に、

 「大阪市西成区北東隅、山王・天下茶屋東一帯の呼称。天王寺駅の西方になる。江戸時代に墓地・刑場があった。」

とある。近代には赤線が作られ、飛田遊郭と呼ばれたが、この時代にはまだない。
 茶筌売にはいろいろな顔があったのだろう。刑場の仕事もしていたか。

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