2022年5月30日月曜日

 今日は朝の散歩でホトトギスの声を聞いた。去年は生田緑地だったが、今年は何でこんな所にというような普通の住宅地の道だった。
 今日の人権派の行き過ぎは、主に白紙説に基づく過剰な表現の規制、サピア=ウォーフ仮説による言葉狩りという非科学的なものによるもので、LGBTについてもきちんと科学的に扱うなら、今の日本は人口の増加圧がほとんどないと言ってもいいので人権思想は十分機能する。ただし、移民を無制限に受け入れるようなことをして人口増加圧が生じれば、その限りでない。
 あと、肉親、恋人、親友など特別な人を優先するのは差別ではない。これも間違ってはいけない。差別は個別的な優遇ではなく、人種、性別、宗教などのカテゴリーによる優遇をいう。
 日本人は創造説に拘泥されないし、また創造説の権威と戦わなくても良いというメリットがある。欧米よりも科学的な人権思想を作ることが可能だ。

 それでは「月に柄を」の巻の続き。

 十三句目。

   月の夕に釣瓶縄うつ
 喰ふ柿も又くふかきも皆渋し   傘下

 貧乏くじを引く人は、柿もはずれてばかり。ただ、当時は甘柿は少なかったのかもしれない。干柿にして渋を抜いて食う方が多かったのだろう。
 明治の頃に正岡子規は、

 柿の実の渋きもありぬ柿の実の
     甘きもありぬ渋きぞうまき
              正岡子規

の歌を詠んでいる。
 十四句目。

   喰ふ柿も又くふかきも皆渋し
 秋のけしきの畑みる客      越人

 人里離れた所の草庵を尋ねてきた人か。畑をみながら、こんなところで渋柿を食って暮らしているのかと感慨にふける。

   源清雅、九月はかりにさまかへて
   山てらに侍りけるを、人のとひて侍りける
   返ことせよと申し侍りけれは、よみてつかはしける
 おもひやれならはぬ山にすみ染の
     袖につゆおく秋のけしきを
              源通清(千載集)

の心か。
 十五句目。

   秋のけしきの畑みる客
 わがままにいつか此世を背くべき 越人

 いつかは遁世しようと、その予定の場所を内見に行く。
 十六句目。

   わがままにいつか此世を背くべき
 寝ながら書か文字のゆがむ戸   傘下

 前句の「背く」を文字通り背を向けるとして、うつ伏せに寝そべって戸の下の方に文字を書く様とする。
 壁の下の方の「腰張」は、落書きなどよく物を書き付けたりしたのだろう。元禄二年の山中三吟九句目に、

    遊女四五人田舎わたらひ
 落書に恋しき君が名もありて   芭蕉

の句の初案は「こしはりに恋しき君が名もありて」だったという。
 腰張だけでは足りず、戸の下の方にも書き付けたか。  
 十七句目。

   寝ながら書か文字のゆがむ戸
 花の賀にこらへかねたる涙落つ  傘下

 花の賀というと『伊勢物語』第二十九段に、

 「むかし、春宮の女御の御方の花の賀に召しあづけられたりけるに、

 花にあかぬ嘆きはいつもせしかども
     今日の今宵に似る時はなし」

とある。在原業平との恋を引き裂かれた高子の嘆きとされている。
 泣き伏せてこの歌を書いたということか。
 十八句目。

   花の賀にこらへかねたる涙落つ
 着ものの糊のこはき春かぜ    越人

 花の賀に出席するために、糊の利きすぎた着心地の悪い着物を着せられる。涙。
 二裏、十九句目。

   着ものの糊のこはき春かぜ
 うち群て浦の苫屋の塩干見よ   越人

 浦の苫屋というと、すっかりよれよれになった着物の流人や海女の袖を濡らすのが連想される。いつもパリッと糊を利かせた着物を着ているお偉いさんも、時にはそういう気分になってくれ、ということか。
 二十句目。

   うち群て浦の苫屋の塩干見よ
 内へはいりてなをほゆる犬    傘下

 野犬の群れに吠えたてられて、浦の苫屋に避難するが、そとでずっと吠え続けてなかなか立ち去らない。
 生類憐みの令で、当時野犬の増加が問題になっていたか。
 二十一句目。

   内へはいりてなをほゆる犬
 酔ざめの水の飲たき比なれや   傘下

 酔っ払って喉が渇いて、ちょっと水を飲もうと外に出ようとすると犬に吠えられる。
 二十二句目。

   酔ざめの水の飲たき比なれや
 ただしづかなる雨の降出し    越人

 水を飲みに行こうとしたら雨が降り出す。
 二十三句目。

   ただしづかなる雨の降出し
 歌あはせ独鈷鎌首まいらるる   越人

 独鈷鎌首はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「独鈷鎌首」の解説」に、

 「〘名〙 (六百番歌合のとき、僧顕昭が独鈷を手に持ち、僧寂蓮が首を鎌首のようにもたげて論争したのを、左大将藤原良経家の女房たちが「例の独鈷鎌首」とあだ名したというところから) 議論ずきの歌人をいう。
  ※井蛙抄(1362‐64頃)六「殿中の女房、例の独古かまくびと名付られけりと云々」

とある。
 後に蕪村は、

 独鈷鎌首水かけ論の蛙かな    蕪村

の句を詠んでいる。蛙を歌詠みとする発想は、一見貞門の発句かという感じがする。
 越人の句も、静かな雨夜に歌というと何となく蛙を連想させる。あと一歩で蕪村の発句を先取りできたかも。
 二十四句目。

   歌あはせ独鈷鎌首まいらるる
 また献立のみなちがひけり    傘下

 歌で議論しているのかと思ったら、歌会の席の献立の議論だった。
 今でも目玉焼きは醤油かソースかだとか、唐揚げにレモンを絞るかどうかだとか、酢豚にパイナップルは必要かどうかだとか、料理の事となると熱い議論が交わされる。

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