フィンランド人にもスウェーデン人にもウクライナ人と同様、バイキングの血が流れている。まあ、それを言ったらロシア人も同じだけどね。
メタルに目覚めたのは、フィンランドのLORDIをたまたま配達中にヒルトンホテルで目撃して、その異様な姿に何だこれはと思ってからか。
その後北欧のメタル文化に興味を持っていくうちに、なぜがずるずるはまっていったのがバイキングメタルで、そこからフォークメタルへという流れだった。
九十年代にはワールドミュージックの洗礼を受けていたから、フォークメタルはそれのメタル版みたいで面白い。メタルという一つのプラットフォームをいろんな民族がそこに独自の音楽を乗っけていて、フォークメタルはワールドメタルと言ってもいい。
メタルは白人の音楽みたいなところもあるが、黒人でも白人でもない日本人はその両方から等しく影響を受ける。メタルも好きだが、九十年代の終わりからゼロ年代にかけてはヒップホップも随分と聞いた。その時の影響か、ついつい韻を踏んでみたくなる。
話は変わるが、ネット上に「でんでんコンバーター」というのがあった。これを使うとEPUB3の電子書籍が作れるようだ。以前PDFで作ったことがあったが、さすがにファイルが重すぎた。
それでは「ほととぎす(待)」の巻の続き。「ほととぎす」の巻は貞享二年熱田での八吟歌仙にもあったので、(待)を付け加えることにする。
初裏、七句目。
一荷になひし露のきくらげ
初あらしはつせの寮の坊主共 野水
木耳はお坊さんの好物だったのか、長谷寺の寮に寝泊まりすっる坊主たちも木耳を背負って寺に戻る。
寮はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寮」の解説」に、
「① 役所。官司。特に、令制で、多く省に属し、職(しき)より下位、司(し)より上位に位置する官司。四等官として、頭(かみ)・助(すけ)・允(じょう)・属(さかん)を置く。允に大・少のあるものとないものによって、さらに二種に分けられる。この名称は明治以後の官制にも使用されたが、明治一八年(一八八五)の内閣制度実施以後は、宮内省の部局名としてのみ用いられ、昭和二四年(一九四九)に廃止された。
※続日本紀‐大宝元年(701)七月戊戌「太政官処分、造レ宮官准レ職、造二大安薬師二寺一官准レ寮、造二塔丈六一二官准レ司焉」 〔爾雅‐釈詁〕
② おもに禅宗で、僧の住む寺内の建物。また、その部屋。修行する堂とは区別された。寮舎。
※正法眼蔵随聞記(1235‐38)四「寺の寮々に各々塗籠をし」 〔陸游‐貧居詩〕
③ 僧が寄宿して自宗の学業を修学する道場。室町時代末から江戸時代にかけて、多く一宗一派の宗徒を集めて入寮させたもの。談所(だんしょ)。談林。学林。学寮。
※俳諧・曠野(1689)員外「ややはつ秋のやみあがりなる〈野水〉 つばくらもおほかた帰る寮の窓〈舟泉〉」
④ 部屋。居室。〔日葡辞書(1603‐04)〕
⑤ 江戸時代、幕府の学問所、藩の学校、私塾などで、学生が寄宿して学問する所。寄宿寮。居寮(きょりょう)。学問寮。学寮。
※肥後物語(1781)「居寮の事〈略〉其内一廉才学成就すれば、直に役儀を申付らるることもあり、〈略〉もし案外に進まぬ人は、一年にても寮を出さる」
とある。この場合は③の意味になる。
長谷寺のはる初瀬は、
うかりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼(千載集)
の歌が百人一首でも有名なように、嵐に縁がある。
初瀬の嵐を詠んだ歌には、
初瀬山嵐の道の遠ければ
至り至らぬ鐘の音かな
道助入道親王(新勅撰集)
初瀬山尾上の雪げ雲晴れて
嵐にちかき暁の鐘
藤原景綱(玉葉集)
などの歌がある。
八句目。
初あらしはつせの寮の坊主共
菜畑ふむなとよばりかけたり 荷兮
この時代の初瀬の辺りは菜の花畑が多かったのだろう。春の嵐に転じる。
春の初瀬の嵐を詠んだ歌に、
山とかは桜乱れて流れきぬ
初瀬の方に嵐ふくらし
衣笠家良(夫木抄)
の歌がある。
九句目。
菜畑ふむなとよばりかけたり
土肥を夕々にかきよせて 荷兮
踏むなというのは糞を踏むからだった。
十句目。
土肥を夕々にかきよせて
印判おとす袖ぞ物うき 野水
印判を肥溜めに落とす。とほほ。
十一句目。
印判おとす袖ぞ物うき
通路のついはりこけて逃かへり 野水
「ついはり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「突張」の解説」に、
「〘名〙 (「つい」は「つき(突)」の変化した語) ものをつっぱるために立てる柱や棒。つっぱり。つっかい。
※虎明本狂言・腰祈(室町末‐近世初)「よひとおもふ時分に、うしろからつひはりをめされひ」
とある。突っ張り棒のことで、これに足を引っかけると自分も転ぶし、立てかけてあったものも倒れてくる。慌てて逃げかえると判子を落としている。その判子から犯人がバレてしまう。
十二句目。
通路のついはりこけて逃かへり
六位にありし恋のうはきさ 荷兮
昇殿は五位以上だが、蔵人なら六位でもぎりぎり昇殿が許される。下っ端ではあるが殿上人で、下っ端の気楽さから恋の浮名を振りまく。
十三句目。
六位にありし恋のうはきさ
代まいりただやすやすと請おひて 荷兮
身分が低い分フットワークも軽く、代わりにお参りに行ってくれと言われれば、安請け合いする。
まあ、体よくパシリにされているというか。でもそういう所でこそ出会いがあったりもする。
十四句目。
代まいりただやすやすと請おひて
銭一巻に鰹一節 野水
代参りの駄賃が銭一巻と鰹節一本。名古屋からだとこれで何とか伊勢までたどり着けるか。
十五句目。
銭一巻に鰹一節
月の朝鶯つけにいそぐらむ 野水
江戸時代になっても鶯の鳴き声を競わせる鶯合せは盛んで、ここは鶯の買い付けのことか。
十六句目。
月の朝鶯つけにいそぐらむ
花咲けりと心まめなり 荷兮
前句を鶯告げにとして、鶯が鳴いたらその報告に来て、花が咲いたらその報告にと、豆ではある。
十七句目。
花咲けりと心まめなり
天仙蓼に冷飯あさし春の暮 荷兮
天仙蓼は「またたび」とルビがある。マタタビはキウイの近縁種で実がなるが、辛いので塩漬けや味噌漬けにしたり、マタタビ酒にしたりするが、酒好きにはその辛さも心地良いのかもしれない。
食べると「又旅ができる」と言われ、元気になる。暮春の頃から冷飯をマタタビで食べる。
十八句目。
天仙蓼に冷飯あさし春の暮
かけがねかけよ看経の中 野水
看経(かんきん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「看経」の解説」に、
「〘名〙 (「きん」は唐宋音)
① 経文を黙読すること。もと、禅家で行なわれた。
※参天台五台山記(1072‐73)二「候二看経一百日一、設二羅漢斎僧一方畢」
② 声を出して経文を読むこと。読経。誦経。
※栂尾明恵上人伝記(1232‐50頃)上「僧俗群集して、或は看経し或は礼拝す」
とある。
「かけがね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「掛金」の解説」に、
「① 戸や障子などに付けて置き鎖した時、もう一方の金物の穴に掛けて、締りとする鐶(かん)または鉤(かぎ)。かきがね。
※枕(10C終)八「北の障子に、かけがねもなかりけるを」
② 顎(あご)の骨の顳顬(こめかみ)につながる部分。
※日葡辞書(1603‐04)「Caqegane(カケガネ)〈訳〉顎の継ぎ目。関節」
とある。この場合は両方に掛けて、看経の間につまみ食いしないように口に鍵をかけておけということか。
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