2022年6月1日水曜日

 さて、旧暦の五月に入ったという所で、『阿羅野』の発句の「仲夏」を読んでいこうと思う。

 宵の間は笹にみだるる蛍かな   元輔

 元輔は室町時代の連歌師桜井基佐(さくらいもとすけ)だという。
 宗祇の時代の人で、『新撰菟玖波集』に一句も入集しなかったことから、

 足のうて登りかねたる筑波山
     和歌の道には達者なれども

の狂歌を詠んだことで知られている。
 連歌会(れんがえ)は会場の確保から料理や賞品の準備、そして遠くから連歌師を呼ぶその旅費や宿泊費など、かなり金のかかるイベントだったのは確かだろう。
 また、島津忠夫さんのネット上の「あしなうてのぼりかねたる筑波山─基佐・宗祇確執をめぐって─」によると、この狂歌の初出が『新撰菟玖波集』から百年後の文禄(一五九二年~一五九六年)の頃の『遠近草』だというから、本当に元輔の歌だったかどうかは疑わしい。
 長享元年(一四八七年)の『人鏡論』に、近江守の

 あしなくて登りかねたる位山
     弓矢の道は達者なれども

の歌があるという。
 句の方は特に俳諧的な要素はなく、連歌発句と見ていいだろう。笹に乱れる蛍は、

 小笹原篠に乱れて飛ぶ蛍
     今幾夜とか秋を待つらむ
              土御門院(続拾遺集)

の歌がある。
 「宵の間」も、

 宵の間もはかなく見ゆる夏虫に
     迷ひまされる恋もするかな
              紀友則(古今集)

の用例がある。この二つを合わせて宵の間に乱れ飛ぶ蛍に恋の情を添えている。

 刈草の馬屋に光るほたるかな   一髪

 刈草の蛍は、

 刈りて干す浅香の沼の草の上に
     かつみたるるは蛍なりけり
              二条為氏(続千載集)
 秋風をみつのみまきの真菰草
     刈りにもつけて行く蛍かな
              藤原知家(建保名所百首)

などの歌がある。名所の歌ではなく、どこにでもある馬屋の刈草の蛍とするところに俳諧がある。

 窓くらき障子をのぼる蛍哉    不交

 「蛍の光窓の雪」という近代の唱歌もあるが、いわゆる蛍雪の功ということで、蛍に窓は縁がある。和歌にも、

 草深き窓の蛍はかけきえて
     明くる色ある野辺のしらつゆ
              飛鳥井雅有(玉葉集)
 心あらば窓の蛍も身を照らせ
     あつむる人の数ならずとも
              惟宗光吉(風雅集)

などの歌がある。
 窓に集まる蛍は学問にいそしむ者の窓を連想させるものだが、ここでは暗い障子の一点の蛍の光とする。

 闇きよりくらき人呼蛍かな    風笛

 「闇きよりくらき」は、

   性空上人のもとに、よみてつかはしける
 暗きより暗き道にぞ入りぬべき
     遥に照せ山のはの月
              和泉式部(拾遺集)
 暗きより暗きになほや迷はまし
     衣のうらの玉なかりせば
              権大僧都源信(続後撰集)

などの歌があり、無明の闇の心として釈教歌に詠まれる。
 ここでは蛍船など、蛍見物の船に人が集まるのを見て、無明の闇に彷徨う人がこんなにいるのか、といったところか。
 まあ、実際悟った人なんて滅多にいるもんではない。普通の人は少なからず無明の闇に彷徨うものだ。

 道細く追はれぬ沢の蛍かな    青江

 蛍は和歌には道に光を灯すものとしても詠まれている。

 道の辺の蛍ばかりをしるべにて
     一人ぞいづる夕闇の空
              寂然(新古今集)
 灯し欠つ光を見るはあはれなり
     荒れにし道の蛍なれども
              藤原俊成(夫木抄)

などの歌がある。
 蛍が導いてくれるというのに、沢の蛍の灯す道は細すぎて辿ることができない。

 あめの夜は下ばかり行蛍かな   含呫

 雨の夜の蛍は高く飛ぶこともなく、草の陰にじっとしてたりする。
 雨の蛍は、

 降る雨の篠に露散る草叢に
     いかに燃ゆれば消えぬ蛍火
              貞成親王(沙玉集)

などの歌がある。

 くさかりの袖より出るほたる哉  卜枝

 蛍は草に棲むものなので、草を刈ると袖に蛍が入る。

 水汲て濡たる袖のほたるかな   鷗歩

 蛍は恋の燃える思いで、悲恋に袖を濡らすものだが、別に悲しいのではなく水を汲んだ時に袖が濡れただけ、という落ちになる。

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