独裁国家に経済封鎖が効かないのは、一つには清貧の哲学がある。清貧の哲学はフロンティア国が貧困から抜け出せない一つの原因にもなっている。豊かになるのは悪いことだ、という意識が貧困に満足させ、豊かな人や豊かな国からの略奪を正当化する。
清貧の哲学は多産多死社会ではうまく機能する。基本的に生産量の限られた社会では、清貧に甘んじることが一人でもその船の定員を増やすことに繋がる。一人前食ってたところを半人前に減らせば、もう一人生きられるという理屈だ。ただ、これが行き過ぎると結局餓死することになる。
特に家督を継げなかった者は、そのまま家を出て放浪生活になれば、何かうまく職が見つかればいいが、産業の未発達な社会では働き口そのものが少なく、治安を悪化させる危険がある。そのため、日本ではお寺がその受け口になる。そこで質素な生活を教え込まれて、寄付によって生き永らえることになる。
こうした中から当然、自分たち坊主の質素な生き方が正しく、武家や貴族の贅沢な暮らしは間違っているという清貧の哲学が生まれてくる。
この考え方は、多産多死の社会の中で、若干の定員を増やす効果はある。ただ、質素な生活も過ぎると、やはり飢餓に繋がって行く。寺社勢力が肥大化すれば、確実にそれは農民の暮らしを圧迫することになる。
中世から近世への変化は、ほとんど緩慢なペースでしか新しい産業を生み出せなかった寺社勢力に代わる、次から次へと新たな産業を生み出す町人の時代への変化だった。新たな技術による新たな産業は、農業の効率化にもつながり、生産量を増やすということで社会の定員を増やすことができた。
近代化は清貧の哲学とは逆で、欲望を開放することで、より生産性を高める手段を競って開発し、生産性の向上によって社会の定員を増やして行く。ただ、これもそのままでは生産性の増加分が人口の増加で食いつぶされてしまう。
ただ、技術革新は医療の進歩をもたらし、乳幼児の死亡率を低下させる。そうなると、人は死亡リスクに備えて多めに子供を作ることをやめて、少産少死の社会へと移行する。
生産性が向上し続け、同時に人口増加圧から解放されれば、生産性が向上した分だけ豊かな生活の出来る社会が生まれる。今の先進諸国はこの好循環によって比類なき豊かさを手に入れた。
問題はこの流れに出遅れた国が多産多死時代の清貧の哲学を利用すれば、豊かな国からの略奪を正当化できるということだ。もちろん国内でもこれは革命の理論となる。
清貧の哲学は豊かになろうとする努力を否定する。豊かさを求めるのは悪だからだ。そして豊かな人間は悪人なのだから、そいつらを懲らしめることは善だという論理になる。この論理があらゆる近代化のための援助を妨害し、近代化された国家の破壊を試み続けることになる。その行き着くところは飢餓と粛清の地獄だ。
今やネットを通じて世界中の不幸な人の情報があふれかえっていて、自分はこんな何不自由のない豊かな生活をしてていいんだろうかと思うかもしれないが、豊かな生活をしているから援助ができるということを忘れてはならない。飢餓と隣り合わせの生活をしていたら人を援助するどころか、略奪してでも生きなければならなくなる。
毎日働いて、豊かな日本経済を支えている人たちは、間接的にでもそうした不幸な人のために役に立っている。直接何もしてないからって卑屈になる必要はない。
芭蕉の句にも、
薬手づから人にほどこす
田を買ふて侘しうもなき桑門 芭蕉
とある。寺領を得て経済的に安定しているからこそ、薬を人に施したりもできる。
それでは『阿羅野』の仲夏の発句の続き。
松笠の緑を見たる夏野哉 卜枝
松笠は松ぼっくりのこと。古い俳諧では「松ふぐり」という別名でネタにされてきた。春の終わりに蕊を立てて、それが夏には青い松ぼっくりになり、秋には茶色くなる。
夏野にぽつんと生えている松の木は、笠松(笠状に枝を張った松)も連想させる。
虹の根をかくす野中の樗哉 鈍可
樗は「あふち」とルビがある。センダン(栴檀)のことで、ウィキペディアに、
「落葉高木で、樹高は5 - 20メートル (m) ほどで、成長が早い。枝は太い方で、四方に広がって伸び、傘状あるいは、エノキに雰囲気が似た丸い樹形の大木になる。成木の幹は目通り径で約25センチメートル (cm) ほどになる。若い樹皮は暗緑色で楕円形の白っぽい皮目が多くよく目立つが、太い幹は黒褐色で樹皮は縦に裂け、顕著な凹凸ができる。」
とある。夏に淡紫色の花を付ける。
虹の根元はなかなか見る機会のないもので、木に隠れてしまうことも多い。
あふち咲く外面の木陰露落ちて
五月雨晴るる風わたるなり
藤原忠良(新古今集)
片岡のあふち波よりふく風に
かつかつそそぐ夕立の雨
後鳥羽院(風雅集)
など、虹の出そうなシチュエーションで詠まれることが多い。あふちの花は雨露に日の当たる様に喩えられるからかもしれない。
藺の花や泥によごるる宵の雨 鈍可
藺の花は藺草(いぐさ)の花で、針状の花茎を伸ばし、この部分が畳や茣蓙などの利用され、また燈芯草とも呼ばれ、茎の芯を燈芯にする。花はこの茎の途中で短い小さな花を咲かせているように見えるが、正確にはウィキペディアに、
「花は花茎の途中から横に出ているように見える。これは花が出る部分までが花茎で、そこから先は花序の下から出る苞にあたる。この植物の場合、苞が花茎の延長であるかのように太さも伸びる方向も連続しているので、花序が横を向いているのである。」
とある。
湿地に生える植物で、水田で栽培される。そのため夕立の激しい雨が降れば泥に汚れる。
撫子や蒔絵書人をうらむらん 越人
『芭蕉七部集』の中村注に『枕草子』一一六段の、
「絵にかきおとりするもの、なでしこ。菖蒲。桜。物語にめでたしといひたる男・女のかたち」
の引用がある。蒔絵に下手に描かれてしまって恨む、というのも一つの解釈だが、江戸時代はかなり精巧な撫子の蒔絵も多く、ちょっと疑問を感じる。ただ、今のところ他に良い解釈は思いつかない。
冷じや灯のこる夏のあさ 藤羅
「すさまじやともしびのこる」と読む。
夏の朝は早く、灯火を消す間もなく明けて、昼行燈のように灯っている。「冷(すさ)まじ」は寒いという意味から比喩で寒々としている、さらにはつまらないという意味になる。ネタの滑った時に「寒い」というのと似ている。
夏の夜やたき火に簾見ゆる里 旦藁
これは、
かやり火は物思ふ人の心かも
夏のよすがらしたにもゆらん
大中臣能宣(拾遺集)
の心か。蚊遣火ではなく単なる焚火だが、そこに同じように恋に身を焦がす俤を見たのだろう。
庵の留主に
すびつさへすごきに夏の炭俵 其角
「すびつ」は炭櫃で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「炭櫃」の解説」に、
「〘名〙 床を切って作った炉。いろり。また、一説に角火鉢ともいう。炭櫃桶。《季・冬》
※宇津保(970‐999頃)蔵開下「御ひをけきよらにておはす。すびつに火などおこしたり」
とある。
長く留守にしている庵を覗いてみると、冬の炭櫃がそのままになっているだけでなく、炭俵に未使用の炭がたくさん残っている。夏なのに寒々しい。
夕がほや秋はいろいろの瓢かな 芭蕉
瓢は「ふくべ」とルビがある。瓢箪の別名。夕顔の花は瓢箪の実になり、干瓢の原料になる。
夕顔というと『源氏物語』では、
「花の名はひとめきて、かうあやしきかきねになむさき侍りけると申す。(花の名前は人に似るといいますか、こういう薄汚い垣根に咲いたりするんですよ。)」
とあり、卑賤の花のイメージがあるが、実は瓢箪にも干瓢にもなり、いろいろ実用的に役に立つ。
ゆふがほのしぼむは人のしらぬ也 野水
夕顔は夕方に咲くのでいつ萎んだかよくわからない。
夕貌は蚊の鳴ほどのくらさ哉 偕雪
夕顔の咲く頃は薄暗くて蚊に刺されやすい頃だ。
山路来て夕がほみたるのなか哉 市柳
夕顔は山賤の家にも詠まれる。
山賤の露のなさけをおくとてや
かきほに見する夕顔の花
源通親(正治初度百首)
などの歌がある。山奥の野の中にも夕顔が咲いている。
名はへちまゆふがほに似て哀也 長虹
ヘチマの花は黄色く、夕顔とはやや趣も違うが、蔓性で実のなる所は似ている。夕顔は和歌にも詠まれるが、ヘチマは俳諧だ。
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