それでは『阿羅野』の仲夏の発句の続き。
五月雨に柳きはまる汀かな 一龍
「きはまる」は語源的には際(きわ)まで来るということで、そこから極限に達する、決定するという意味になる。
君が春蚊屋はもよぎに極りぬ 越人
の句の場合は「蚊帳はもよぎ色と決まっている」くらいの意味になる。
ここでは、元の意味に近く、五月雨に水位が上がり、岸の柳の根元ぎりぎりまで来ているという意味に、五月雨の風情が極まると両方の意味を持たせているのだろう。
五月雨の柳は、
五月雨の六田の淀の川柳
うれこす波や滝の白糸
藤原実定(新勅撰集)
五月雨は川添い柳みかくれて
底の玉藻となりにけるかな
源俊頼(散木奇歌集)
などの歌に詠まれている。この二首は五月雨に柳が沈んでしまって、滝になったり玉藻になったりしている。
川柳、川添い柳はまだ堤防などの整備される前の河川敷に自生する柳であろう。これに対して、江戸時代の柳は堤防を固めるための柳ではなかったかと思われる。そのため、沈むのではなく、「きはまる」に留まるところが新しい。
この比は小粒になりぬ五月雨 尚白
何の小粒?と思わせて五月雨で落ちにするパターンか。関東では五月雨はしとしと降るが、西へ行く程大雨になる。中京地区でも五月雨は大粒の雨が普通なのだろう。
おそらく日常的な挨拶などでも、「この頃は小粒になりましたなあ」って使ってたのかもしれない。五月雨は時として大きな災害を引き起こすから、小粒になると安心する。
五月雨は傘に音なきを雨間哉 亀洞
五月雨は唐傘にばらばらと音を立てて降る。その音がしなくなると「雨間」になる。
満つ汐のからかの島に玉藻刈る
あま間もみえぬ五月雨の頃
飛鳥井雅経(続後撰集)
とけぬらむまかねなりとも五月雨の
雨間もみえぬ雲の景色に
源国信(堀河百首)
など、和歌では「雨間もみえぬ」と否定形で用いることが多い。雨間が見えなくても聞こえるという所が新しい。
岐阜にて
おもしろうさうしさばくる鵜縄哉 貞室
「さうし」は三四で長良川の鵜飼いは十二羽の鵜を捌くところから、三×四=十二で「さうしさばく」という。岩波文庫の『芭蕉七部集』の中村注は『標註七部集稿本』(夏目成美著、文化十三年以前成立)の「或説にさうしは三四にて鵜をつかふ縄の数をいふ也と云へり」を引用している。
土芳の『三冊子』にも、
「師一とせ岐阜鵜飼見の時、鵜尉一人に十二羽宛、舟に篝して其ひかりにこれを遣ふ。十二筋の繩、たて横にもぢれて、さばきむづかしき事を、事やすく是をなす。鵜尉に此事を尋ね侍れば、先もぢれぬよりさばきて、なまもぢれ成るものを又さばく。むづかしくもぢれたるもの、ひとりほどけさばくるといへり。万に此心はあるべし、となり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.144~145)
とある。縄が絡まらないように注意を払い、絡みそうになったら早めに処理する、先を読んでの素早い対処は何においても基本だという話だ。
鵜匠の十二本の縄の裁きの妙は、鵜飼見物の最大の見所といえよう。
おなじ所にて
おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉 芭蕉
鵜飼船は面白いが、殺生の罪のことを思うと次第に悲しくなる。
中世の連歌に、
罪のむくいもさもあらばあれ
月のこる狩場の雪の朝ぼらけ 救済
の句がある。狩りで獲物を必死に追っていた人が、雪の夜明けのこの世のものとも思えぬような美しい気色に、ふと狩られる動物の気持ちがわかったような気がして殺生せっしょうの罪のことを気にかけるといったものだが、この句も系譜にある。
これ以前にも芭蕉は『野ざらし紀行』の旅の途中、
明ぼのや白魚白きこと一寸 芭蕉
の句を詠んでいる。桑名の冬の白魚漁を見ていると、一寸の儚い命が気になるというものだ。
鵜飼船は和歌にも詠まれている。
早瀬川みをさかのぼる鵜飼舟
まづこの世にもいかゞくるしき
崇徳院(千載集)
鵜飼舟あはれとぞみるもののふの
八十氏川の夕闇の空
慈円(新古今集)
などの歌があり、川を遡る苦しさの歌は他にもある。慈円の歌は「もののふ」「夕闇」でそれとは言わないが、暗示的に殺生の罪を詠んでいるとも取れる。
おなじく
鵜のつらに篝こぼれて憐也 荷兮
篝火の火の粉が鵜の方に落ちる様であろう。鵜舟の哀れを殺生の罪ではなく、鵜が熱そうだという方に持っていく。配列からすると、シリアス破壊の意図があったのかもしれない。
鵜飼船の篝火は、
鵜飼舟棹さしつづきのぼるらし
あまた見えゆくかがり火のかげ
藤原俊言(玉葉集)
などの歌がある。
同
聲あらば鮎も鳴らん鵜飼舟 越人
鵜飼は鵜の立場に立ってみれば、せっかく捕った魚を吐き出させられて奪われるから、その鳴き声も悲しげだ。ただ、鵜はまだ生きていられるが、結局喰われて死んでしまう鮎の方はもっと悲しくて泣きたいところだろう。
人は殺生の罪で悲しく、働かされる鮎も悲しく、食われる鮎も悲しい。と言いながら笑って鵜飼を楽しんでるんだけどね。
先ふねの親もかまはぬ鵜舟哉 淳兒
「先ふね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「先船」の解説」に、
「① 同じ方向に航行中の船の先行するもの。
※船行要術(1505)「何の国成とも先船・類船あらは其船の跡に付て乗こと第一也」
② 「さきてふね(先手船)」の略。
※水法(18C前)「大将本陣の船立は、先船二艘」
③ 歌舞伎劇場の二階正面桟敷(さじき)の前面へ張り出して作られた席の最前列をいう。まえふね。」
とある。
実際見た事がないからよくわからないが、整然と隊列を組んで漁を行うのではなく、夢中で鵜を捌いている間にいつの間にか流されたりして隊列の乱れたまま、自由にやっているように見えるのかもしれない。
まあ、網を引くのだと舟と舟との連携が大事だが、鵜飼は個人技だから「親もかまはぬ」なのだろう。
曲江に篝の見えぬうぶねかな 梅餌
曲江というと唐の長安にあった池で杜甫の詩にも詠まれている。ここでは長良川をその曲江に見立てながらも、字義どおりの曲がった川の意味を生かして、曲がり角で向こうの船の篝火が見えなくなる、とする。
鴨の巣の見えたりあるはかくれたり 路通
鴨は水辺の草の中に巣を作る。カルガモの引っ越しが話題になったりするように、頻繁に巣を変えるようだ。そこに路通は一所不住の心を見たのかもしれない。
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