コロナの時にも私権を制限できないということで憲法改正が問題になったが、今度のロシアのことでも憲法改正が問題になるのは当然なことだ。
これを「かこつけて」だとか「乗じて」などという人がいるが、そういう人は「震災に乗じて防災対策を強化しようとしている」だとか「津波の危機にかこつけて堤防を作ろうとしている」だとか言うのだろうか。
まあ、何か独裁国家の暴走を抑える実行力のある方法が他に見つかればいいんだけどね。考えてくれ。
一方的に侵略戦争を始めて国際法を無視して、核使用までちらつかせて脅している国に対して「中立」って何だろうか。やくざとかたぎとの間に中立なんてあるのかいな。あるとしたら半グレだ。
社会主義者もこれ以上独裁国家を甘やかすべきではない。あんたたちの理想とは全くかけ離れたものだというのがよくわかっただろう。
それでは『阿羅野』の発句の続き。
蘭亭の主人池に鵝を愛せられしは筆意有故也
池に鵝なし仮名書習ふ柳陰 素堂
鵝はガチョウのこと。
蘭亭というと、王羲之が蘭亭で「曲水の宴」を催したことがよく知られている。その紹興の蘭亭には鵝池という池がある。「王羲之愛鵝」と言われていた。王羲之の鵝はしばしば画題にもなっている。
ウィキペディアには、
「王羲之は幼い頃から鵞鳥が大好きであった。ある日のこと、一軒の家の前を通ると、鵞鳥の鳴き声が聞こえてきたので、譲って欲しいと頼んだところ、一人の老婆が出て来てこれを断った。翌日、鳴き声だけでも聞かせてもらおうと、友人の一人を伴って、老婆の家に赴いた。この姿を家の窓から見つけた老婆は、すぐさま鵞鳥を焼いて食ってしまった。そして、老婆は彼に「鵞鳥は今食ってしまったところだよ」と答え、羲之は大変がっかりし、一日中溜め息をついていた。それから数日後、鵞鳥をたくさん飼っている所を教えてくれる人がおり、その人に山の向こうの道観に案内され、道士に「一羽でもいいから譲って欲しい」と頼んだところ、道士はこの人が王羲之と知って、「老子の道徳経を書いて下さるなら、これらの鵞鳥を何羽でもあなたに差し上げます」と申した。彼は鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ、それを持参して行って鵞鳥を貰い、ずっと可愛がったという。」
とある。
一方、素堂は不忍池の畔に住んでいたが、残念ながら不忍池にガチョウはいない。柳ならあるので、そこで仮名書きを習ってます、と詠む。
風の吹方を後のやなぎ哉 野水
風の吹く方を見れば、柳の枝が一斉にこっちに向かって靡いてくる。これが柳の後ろ姿だ。
柳の枝を髪の毛に喩えるのはよくあることで、それにまえうしろがあるとするところが作者の着眼になる。
何事もなしと過行柳哉 越人
柳と桜はしばしば並べて評され、素性法師の歌には「柳桜をこきまぜて」とも歌われるが、桜の下ではいつも賑やかに宴が催されるのに対し、柳の下はいつも静かなものだ。
似たような句に、
柳には鼓もうたず歌もなし 其角
の句が、貞享四年刊其角編の『続虚栗』にある。
さし柳ただ直なるもおもしろし 一笑
柳はたくさんの枝が枝垂れている様も面白いが、枝一本挿すだけでも面白い。
千利休の一輪の朝顔の心にも通うものがある。
一笑という俳号の人は何人かいるが、『阿羅野』の一笑は加賀の一笑だという。夭折して『奥の細道』の旅で芭蕉を悲しませた。
俳諧は笑いの文学なので、「一笑」というのはわりかし誰もが思いつきそうな俳号なのだろう。一般名詞としてはスマイルの意味で、破顔一笑だと大笑いの意味になる。
尺ばかりはやたはみぬる柳哉 小春
短く折ると真っすぐな柳も、一尺ほど折ると軽く撓む。
すがれすがれ柳は風にとりつかむ 一笑
柳は長い髪の毛で女の連想を誘う。まるで逃げて行く風に、必死に取りすがろうとしているみたいだ。
とりつきて筏をとむる柳哉 昌碧
筏を岸に留める時に、川に向かって枝垂れている柳を掴んで筏を引き寄せる。
さはれども髪のゆがまぬ柳哉 杏雨
昔の人は髪をきちんと結い上げていて、これが結構時間のかかるものだ。そのため木の枝に当って髪が乱れるのを嫌がる。その点柳の枝なら安心。
みじかくて垣にのがるる柳哉 此橋
『源氏物語』蓬生巻に、源氏の君が長いこと忘れていた末摘花の家の前を通った時の描写に、
「柳もいたうしだりて、築地もさはらねば、乱れ伏したり」
(柳も枝も枝垂れ放題に、筑地は崩れて邪魔されることもなく乱れ臥してました)
とある。
普通だと長い柳の枝は垣に引っかかるもんだが、柳の枝が短いか、垣が崩れてたりすると、柳の枝も自由に靡くことができる。
ふくかぜに牛のわきむく柳哉 杏雨
風が吹くと柳の枝が枝垂れてきて、牛がうざったそうに横を向く。
吹風に鷹かたよするやなぎ哉 松芳
春の鷹は佐保姫鷹とも言う。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「佐保姫鷹」の解説」に、
「〘名〙 前年に生まれ、春になって捕えられた狩猟用の若鷹。一説には春の雉狩に用いる鷹のこと。さおだか。さおひめ。《季・春》 〔俳諧・誹諧初学抄(1641)〕」
とある。
柳の枝が風に流れてくると、若鷹も位置を変える。
かぜふかぬ日はわがなりの柳哉 挍遊
風が吹くたびにその姿を変える柳。さてその真の姿は風のない時の柳。
比喩としていろいろ使えそうな句で、忙しい時は我を忘れていて、閑になると本当の自分に戻れるという意味にも取れるし、もっと哲学的に言うなら、朱子学の「未発の性、已発の気」に結び付けられるかもしれない。
『去来抄』修行教には、
「あらまし人体にたとへていはば、先不易は無為の時、流行は座臥行住屈伸伏仰の形同じからざるが如し。一時一時の変風是也。」
とあるが、この無為と座臥行住屈伸伏仰の喩えは、本来は朱子学の「未発の性、已発の気」を説明するためのものだった。
まあ、それで言えば、「かぜふかぬ日」の柳は不易、風に靡く柳は流行ということか。このころまだ芭蕉は不易流行を説いてなかったが。
いそがしき野鍛冶をしらぬ柳哉 荷兮
野鍛冶は主に農具を作ったり修理したりする鍛冶屋で、柳の季節はそろそろ苗代や畑打ちの季節ということで、農具を新調したり修理したりする人も多かったのだろう。
こうした春に忙しい人たちは、ゆっくり柳を眺める余裕もない。
岩波文庫の『芭蕉七部集』の中村注に、
「『通旨』に、「此句世の中の金銭に遣はるる野かぢがごときはしらず、稽叔夜が高致はしるべしと、柳の恬静無為なるを称するなるべし」
とある。
『通旨』は『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)のこと。幕末の注釈書。稽叔夜は竹林の七賢の嵆康のこと。
嵆康が大樹の下で鍛冶をしたという故事があるようだが、この句との関係はよくわからない。
蝙蝠にみだるる月の柳哉 荷兮
今だと月に蝙蝠は吸血鬼が出て来そうだが、この頃は別にそういう連想はなかった。蝙蝠は福に通じる縁起の良いものとされていた。ここでは「かはほり」から川堀→柳の連想もあったか。
柳に蝙蝠の取り合わせは、後に七代目市川團十郎によって定番の図案になって行った。
出典があるのかないのかよくわからないが、取り合わせの妙と言っていい句だ。
青柳に蝙蝠つたふ夕はへや 其角
の句が『五元集』にあるが、どちらが先か。
青柳にもたれて通す車哉 素秋
道を大八車が行き来すると、それをよけるために柳の木にもたれかかる。何気ないようだが、
大道曲 謝尚
青陽二三月 柳青桃復紅
車馬不相識 音落黃埃中
(春の二月三月の柳は青く桃もまた赤い
車も馬もお互いを知らないまま音だけが黃埃の中に)
を思わせる。
引いきに後へころぶ柳かな 鷗歩
「引(ひく)いき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「息を引く」の解説」に、
「いき【息】 を 引(ひ)く
① 息を吸う。息をする。
※申楽談儀(1430)音曲の心根「『津の』の『の』と、『国の』の『の』との間に、いきを引やうに云」
② 息を引き取る。死ぬ。
※雑嚢(1914)〈桜井忠温〉一三「今に息(イキ)を引(ヒ)きさうになってゐても、まさかに銃を手にして彼を撃殺するだけの残忍な気にはなれぬ」
とある。②は近代の用法であろう。
よくわからないが、柳の枝が風で急に自分の方に来たので、思わずのけぞって転んだ、ということか。向かい風を息を吸うのに喩えたか、それくらいしか思いつかない。
菊の名は忘れたれども植にけり 生林
曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』の「菊若葉」のところに、
「[本草]初春、地に布(しき)て細苗を生ず。是みな宿根(ふるね)より生ずるもの也。又種子(たね)は立春に下す。二月啓蟄の節、種(たねまき)て始て芽を出す。二候を経て葉始て分る、云々。」
とある。
初春の最後にこの句を据えてあるのは、「細苗を生ず」を見て、そういえばここに菊が植えてあったかと思い出すという句だからであろう。
菊を植える句ではない。去年の菊の宿根から出た芽を見つけた句になる。
0 件のコメント:
コメントを投稿