今日は震災から十一年。長い時間が立つと、これは経済すべてにおいて言えるんだけど、ちょうど長距離走をやっているようなもので、最初は横一線でも時間がたてばたつほどトップとビリとの間は離れて行く。復興もまた同じ。
同じように援助を受けたとしても、その援助をどう生かすかという問題、そしてあとは運の良し悪し、メンタルな問題などいろんな事情があって、いち早く立ち直る人もいれば、いつまでも取り残される人もいる。
制度は少なからず一律にならざるを得ない。その後の取り残された人の救済に関しては、基本的には個別に対応するべき事だ。一律なのは立法の宿命、個別の救済は行政の問題だ。
ロシアとウクライナの勢力図はここ何日もそう変わっていない。そろそろロシアも負ける準備を始めたかな。侵略は無理だとわかって、これは戦争ではなくテロとの戦いだという所でごまかそうとしている。
「ウクライナはネオナチ」「病院も原発もテロリストがやった」「アメリカが生物兵器を作っていた」この種のデマは無視しよう。
今回のロシアの侵略戦争に対して多くの国が正常な防衛反応を示し、ロシア包囲網を築きくなり、自国の防衛を見直すなりしているのはよくわかる。中国やインドが日和見を決め込むのも、まあ理解できる。韓国はロシア寄りの候補を落選させた。今一番異常なのはアメリカではないか。そして次に異常なのはフランス。
彼らが中立に立つメリットって一体何なのか。最近はウクライナのニュースばかりで、アメリカの情報があまり入ってこないせいかもしれないが、何を企んでいるのかさっぱり読めない。やはり何も考えてないのかな。
人は誰しもいろいろ悪いことを考える。自分が独裁者だったらだとか、世界征服だとか、チートな能力を持っていたらだとか。ポルノなんかもそうだね。ありとあらゆる犯罪を想像して楽しむ空間がそこにある。
これは無駄なことではない。悪いことを考えるから、他人が悪いことをしようとしたときに、その手口を理解し、対処することができる。ロシアの意図も、もし自分が独裁者で世界征服を企んでいるとしたらどうするか、と思うと自ずと見えてくるものだ。
今必死になってロシアをかばっている人たちって、多分それができない人たちなんだろう。想像力の欠如は大きな問題だ。
プーチンは病気だなんて言う人がいるが、病気だったらどうしようというのか。まさか心神耗弱で無罪にするつもりじゃないだろうな。
どっちかというと、バイデンさんが病気なんじゃないかと、そっちの方が心配だ。
それでは「いざ折て」の巻の続き。
二表、二十三句目。
世間をよそに春の山風
抹香の煙をぬすめ薄霞 松意
抹香(まつかう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「抹香・末香」の解説」に、
「① 沈香(じんこう)・栴檀(せんだん)などをついて粉末にした香。今は、樒(しきみ)の葉と皮とを乾燥し、細末にして製する。仏前で焼香のときに用いる。古くは仏塔・仏像などに散布した。
※往生要集(984‐985)大文二「復如意妙香。塗香抹香無量香。芬馥遍二満於世界一」 〔法華経‐提婆達多品〕
② =まっこうくじら(抹香鯨)〔本朝食鑑(1697)〕」
とある。第一百韻「されば爰に」の巻四十句目に「葉抹香」が出てきたが、
あかぬ別に申万日
移り香の袖もか様に葉抹香 在色
の句も万日回向で用いられていた香だから、大勢の参拝者のために大量に用いる抹香が葉抹香なのか。沈香・栴檀などを用いない樒で作った安価な抹香と考えていいのだろう。
風が強いと霞もかかりにくいので、抹香の煙で春の霞としたい、ということで、「世間をよそに」はお寺か墓所など亡くなった人を供養する場所の意味になる。
二十四句目。
抹香の煙をぬすめ薄霞
卒塔婆の文字に帰る雁金 卜尺
卒塔婆の一行に書かれた文字列を雁の列に見立てる。
二十五句目。
卒塔婆の文字に帰る雁金
破損舟名こそおしけれ薩摩潟 志計
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にもあるように、『平家物語』の「卒塔婆流し」とする。
「康頼入道、故郷の恋しきままに、せめての謀に千本の卒塔婆を作り、阿の梵字、年号月日、仮名実名、二首の歌をぞ書いたりける。
薩摩潟沖の小島に我ありと
親には告げよ八重の潮風
思ひやれしばしと思ふ旅だにも
なほ故郷は恋しきものを
これを浦に持って出でて、『南無帰命頂礼、梵天帝釈、四大天王、堅牢地神、王城の鎮守諸大明神、殊には熊野権現、厳島大明神、せめては一本なりとも、都へ伝へてたべ』とて、沖津白波の、寄せては返るたびごとに、卒塔婆を海にぞ浮かべける。‥‥略‥‥千本の卒塔婆の中に、一本、安芸国厳島の大明神の御前の渚に打ち上げたり。」(『平家物語』巻二、卒塔婆流)
流罪の身を「破損船」で遭難したことに変える。
なお、薩摩潟は「薩摩方」で薩摩の南方の海一帯を指す。
二十六句目。
破損舟名こそおしけれ薩摩潟
かくなり果て肩に棒の津 在色
舟を壊したことで六尺棒で取り押さえられたか。棒に薩摩の坊津(ぼうのつ)の地名を掛ける。
二十七句目。
かくなり果て肩に棒の津
玉章に腸を断なま肴 一朝
傾城に金を使い果たして魚屋に身を落とし、天秤棒を担ぐ。
生魚は昔は鮮度を保つのが難しい上、アニサキスによる食中毒も多く、文字通り腸(はらわた)を断つ。
二十八句目。
玉章に腸を断なま肴
ああ鳶ならば君がかたにぞ 一鉄
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『伊勢物語』十段の、
みよしののたのむの雁もひたぶるに
君が方にぞよると鳴くなる
の歌を引いている。
前句が「なま肴」なので、生魚を食う鳶ならば、とする。
二十九句目。
ああ鳶ならば君がかたにぞ
すて詞こはよせじとの縄ばりか 正友
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『徒然草』十段の、
「後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、
「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」
とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします小坂殿の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの例思ひ出でられ侍りしに、
「まことや、烏の群ゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」
と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。」
を引いている。鳶はカラスの天敵なので、鳶を追払うとカラスが増えるという話だ。
句の方は、鳶になって逢いに行きたいのに、遊郭を出禁になってしまい、「これは鳶除けの繩張りか」と捨て台詞を言う。
三十句目。
すて詞こはよせじとの縄ばりか
おもひは色に出し葉たばこ 雪柴
煙草は注連縄のような縄に葉の軸の部分編み込んで乾燥させる。
干されて顔色を変えて行き、捨て台詞を吐く。
三十一句目。
おもひは色に出し葉たばこ
若後家や油ひかずの髪の露 卜尺
若後家となって、髪を油で整えることもなくなり、髪の色も葉煙草のように茶色くなってゆく。悲しい思いは傍目にもわかる。
三十二句目。
若後家や油ひかずの髪の露
おりやうのしめしすむ胸の月 松臼
「おりやう」は御寮で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御寮」の解説」に、
「① 比丘尼(びくに)、尼、特にその長として取り締まりに当たる者。→御庵(おあん)。
※天正本狂言・比丘貞(室町末‐近世初)「うとくなるおりゃうをゑぼしおやにせんとゆふ」
② 狂言面の一つ。「比丘貞(びくさだ)」「庵の梅(いおりのうめ)」など、老尼の登場するものに用いる。
③ 江戸時代、売春婦の一種であった歌比丘尼、勧進比丘尼の称。特にその元締め。
※仮名草子・都風俗鑑(1681)四「比丘尼の住所は〈略〉功齢(こうれう)へては御寮(オレウ)と号す」
とある。
比丘尼に諭されて、胸の曇りも取れてゆく。
三十三句目。
おりやうのしめしすむ胸の月
鹿の角きのふは今日のびんざさら 在色
「びんざさら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「編木・拍板」の解説」に、
「① 民俗芸能の打楽器の一つ。短冊形の薄い板を数十枚連ねて上方を紐で綴じ合わせたもの。両端を握って振り合わせて音を出す。ささら。
※洛陽田楽記(1096)「永長元年之夏、洛陽大有二田楽之事一〈略〉高足一足、腰鼓、振鼓、銅鈸子、編木(びんざさら)、殖女養女之類、日夜無レ絶」
② ①を持ってする踊り。田楽踊(でんがくおどり)。びくざさら。
※文安田楽能記(1446)「次田楽。先中門口。びんざさら。菊阿彌。笛。玉阿彌 着二花笠一。高足駄をはく」
とある。
弥生時代の遺跡からは鹿の角のササラが出土したというが、この時代にも鹿の角のササラがあったか。
三十四句目。
鹿の角きのふは今日のびんざさら
をどりはありやありや山のおくにも 松意
前句を鹿踊りとする。ウィキペディアに、
「シカの頭部を模した鹿頭とそれより垂らした布により上半身を隠し、ささらを背負った踊り手が、シカの動きを表現するように上体を大きく前後に揺らし、激しく跳びはねて踊る。」
とある。
「山のおくにも」は言わずと知れた、
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
藤原俊成(千載集)
による。山の奥にも鹿踊りがある。
三十五句目。
をどりはありやありや山のおくにも
今ぞ引宮木にみねの松丸太 一鉄
諏訪大社の御柱祭の木落としであろう。今は樅の木を用いるが、かつてはカラマツや杉なども用いていたという。松を用いることもあったのかもしれない。
三十六句目。
今ぞ引宮木にみねの松丸太
禰宜も算盤三一六二 志計
神社の造営にも金がかかるので、材木の価格など、算盤をはじく。「三一六二」の数字の意味はよくわからない。
二裏、三十七句目。
禰宜も算盤三一六二
注連にきるあまりを以帳にとぢ 雪柴
禰宜のつける帳簿だから、綴じるのに注連縄の余りを使う。
三十八句目。
注連にきるあまりを以帳にとぢ
かざりの竹をうぐひすの声 一朝
「かざりの竹」は門松に用いる竹。二句去りで「松丸太」があるため竹にしたか。
正月の注連飾りをし、賭け乞いも終わると帳簿も閉じる。
三十九句目。
かざりの竹をうぐひすの声
袴腰山もかすみて門の前 松臼
袴腰はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袴腰」の解説」に、
「① 袴の後ろの腰にあたる部分。男子用のは、中に長方形で上のそげた厚紙、または薄い板を入れて仕立てる。袴の腰。袴の山。
※俳諧・毛吹草(1638)三「山〈略〉袴腰」
② (①の形から) 四辺形の一種。台形。梯形。また、その形をした土手、または女の額の剃りようなど。
※評判記・色道大鏡(1678)三「顔(ひたい)の取りやうは、〈略〉瓦燈がた、袴(ハカマ)ごし、かたく是を制す」
③ 袴の腰の形をした香炉のこと。中国宋代の青磁器に多い。
④ 弁才船のやぐらの一部材。やぐら控(梁)と矢倉板の間にあって、矢倉根太と歩桁(あゆみ)とをささえる①の形状の材。〔新造精帳書(1863)〕」
とある。元は①の意味で、あとは台形をしたものを呼ぶのに転用したものだろう。ここでは台形の山も霞んで、ということか。
四十句目。
袴腰山もかすみて門の前
八丁鉦もさへかへるそら 正友
八丁鉦はコトバンクの「世界大百科事典内の八丁鉦の言及」に、
「…鉦をたたいて経文を唱え,門付などをして喜捨を乞う僧形の下級宗教芸能者。近世初期には〈八丁鉦(はつちようがね)〉とか〈やつからかね〉と称して,若衆が鉦を八つ円形に並べたものを打ち分ける芸能があったが,のちには鉦八つを首に掛け,曲打ちを見せ,僧形の連れが喜捨を求めた。なお首に掛けた鉦を打つ門付芸能者としては,僧形の歌念仏,頭に水を入れた手桶を載せ即席の流れ灌頂(かんぢよう)をした行人鳥足(ぎようにんとりあし)などもいた。…」
とある。正月の角付け芸の一つだったのだろう。
四十一句目。
八丁鉦もさへかへるそら
莚なら一枚敷ほど雪消て 松意
八丁鉦の芸で敷いた莚一枚分だけが一時的に雪が見えなくなる。つまり一面真っ白の雪が積もっている、ということだが、言葉としては「雪消て」で春になる。
四十二句目。
莚なら一枚敷ほど雪消て
飼付による雉子鳴也 卜尺
雉子はここでは「きぎす」。筵の上で篭に入った雉が鳴く。
四十三句目。
飼付による雉子鳴也
山城の岩田の小野の地侍 志計
きゞすなく岩田の小野のつぼすみれ
しめさすばかりなりにけるかな
藤原顕季(千載集)
の縁で、「きぎす」に岩田の小野が付く。今の京都市伏見区石田の辺りになる。
地侍はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「地侍」の解説」に、
「〘名〙 南北朝から戦国時代にかけて、荘園、郷村に勢力をもち、戦乱や一揆の際に現地の動向を指導した有力名主層出身の侍。広範な所領をもって一部を手作りし、一部を小作させた。戦国時代には諸大名の家臣となった。また、幕府や諸大名家に属する武士に対して、在野の武士、土豪をもいう。じざぶらい。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山城の岩田の小野の地侍〈志計〉 そうがう額尾花波よる〈在色〉」
とある。食用として雉の飼育も行っていたか。
四十四句目。
山城の岩田の小野の地侍
そうがう額尾花波よる 在色
そうがう額は総髪額で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「総髪額」の解説」に、
「〘名〙 生え際の髪を抜いて広く作った額。→十河額(そごうびたい)。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山城の岩田の小野の地侍〈志計〉 そうがう額尾花波よる〈在色〉」
とある。「精選版 日本国語大辞典「十河額」の解説」には、
「〘名〙 江戸前期、正保・慶安(一六四四‐五二)ごろに流行した深く剃り込んだ額。形は円くなく四角でなく、撫角(なでかく)のもので、鬢髪(びんぱつ)の薄い人などが、生えぎわの毛を深く剃り込んで作った額。十河某なる人の月代(さかやき)の形を模したものとも、総髪(そうごう)びたいの意ともいう。唐犬額。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※浄瑠璃・通俗傾城三国志(1708)二「大なでつけのすみびたい、男じまんにはいくはいし、そがうびたいと世にたかく」
とある。前句の小野の地侍というと、こういう髪型のイメージだったのだろう。
薄が原が風で波打つ中に佇んでそうだ。
四十五句目。
そうがう額尾花波よる
夕間暮なく虫薬虫ぐすり 一朝
前句を薬売りとする。
鶉鳴く真野の入江の浜風に
尾花なみよる秋の夕暮れ
源俊頼(金葉集)
の縁で「夕間暮」とする。
四十六句目。
夕間暮なく虫薬虫ぐすり
あれ有明のののさまを見よ 一鉄
「のの」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「のの」の解説」に、
「〘名〙 幼児語。神・仏や日・月など、すべて尊ぶべきものをいう語。のんのん。
※狂歌・堀河百首題狂歌集(1671)秋「みどり子のののとゆびさし見る月や教へのままの仏成らん」
※浄瑠璃・小野道風青柳硯(1754)三「仏(ノノ)参ろ、と仏(ほとけ)頼むも」
とある。ここでは「月」の語をあえて隠して、前句が子供の癇の虫の薬なので、幼児言葉を用いる。
夕暮れには虫が鳴いているが、やがて有明には虫の声も止んでゆくことを思え、と違え付けになる。
四十七句目
あれ有明のののさまを見よ
山颪の風うちまねくぬり団 正友
「ぬり団(うちは)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗団扇」の解説」に、
「〘名〙 両面を漆で塗った網代団扇(あじろうちわ)。
※金沢文庫古文書‐正安二年(1300)七月二四日・極楽寺布施注文(五九七八)「塗打輪、三本、檀紙、十帖」
とある。
有明に山颪は、
ほのぼのと有明の月の月影に
紅葉吹きおろす山颪の風
源信明(新古今集)
の歌の縁になる。
四十八句目。
山颪の風うちまねくぬり団
麓のまつりねるせうぎ持チ 雪柴
前句の団扇を祭りの団扇とする。「せうぎ持チ」は腰掛を持ち歩く人で、草履持ち同様に小姓か。あるいは神輿を載せる台も床几というが、神輿が練り歩くと一緒に持ち歩く人がいたのか。
四十九句目。
麓のまつりねるせうぎ持チ
神木の余花は袂に色をかし 卜尺
余花は遅咲きの夏になって咲いた桜の花で、夏の季語になる。祭の頃に袂に桜が散って、その色が面白い。
五十句目。
神木の余花は袂に色をかし
垢離かく水の影をにごすな 松臼
垢離(こり)は水で身を清めることで、神道の禊に対して仏道では垢離という。
余花の花びらで水を濁すな。
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