2022年3月13日日曜日

 地球は一つ。地球は狭い。ロシアの核ミサイルは全地球を射程に入れているから逃げる所なんてない。昔フォーリーブスも言ってたね。地球は一つって。
 ウクライナを盾にして平和を享受している我々は、いつまでもこの平和が続くと思わない方が良い。その時に備えてしっかり肝を据えて、覚悟を決めなくてはならない。勝てなくても最後まであがいて見せよう。
 パラリンピックが終わると、またどういう動きがあるか分かったものではない。まだまだ未来は白紙だ。

 それでは「いざ折て」の巻の続き。挙句まで。

 名残表、七十九句目。

   一座の執筆鳥のさへづり
 遠近の春風まねく勢揃      志計

 前句の執筆はかなりの有力者というか金持ちなんだろうな。一声かければ連衆が集まって来る。

 あしのうて登りかねたる筑波山
     和歌の道には達者なれども
              桜井基佐

 連歌師への報酬、旅費、宿の手配、会場の確保、それに当座の料理や賞品の用意など、とかく連歌は金がかかる。明智光秀の連歌会のために妻が髪の毛を売ったという話もある。
 八十句目。

   遠近の春風まねく勢揃
 山もかすみてたつ番がはり    在色

 「番がはり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「番代・番替」の解説」に、

 「〘名〙 勤務を交代すること。当番をかわること。また、交代で行なわれること。かわりばん。
  ※御伽草子・熊野の本地(室町時代物語集所収)(室町末)「よるひるばんがはりにつかへ申」

とある。早朝の山本の霞の見えてくる頃、当番の人が次々と現れ勢ぞろいする。
 八十一句目。

   山もかすみてたつ番がはり
 大伽藍雲に隔たる朝朗      一朝

 番替りというと大きなお寺というイメージがあったのだろう。朝朗は「あさぼらけ」。
 八十二句目。

   大伽藍雲に隔たる朝朗
 つとめの鐘に仏法僧なく     一鉄

 仏法僧は鳥の名前で、声の仏法僧と姿の仏法僧がいる。声の仏法僧はコノハヅクで、姿の仏法僧の方が今の分類でブッポウソウになっている。大きな瑠璃色の鳥で仏法僧の名にふさわしい外見だが、声の方は今一だという。鳥界のミリ・ヴァニリだが、当時はまだこのことを知らなかった。
 大伽藍の朝にお目出度い仏法僧の声が響く。
 八十三句目。

   つとめの鐘に仏法僧なく
 煩悩の夢はやぶれし古衾     正友

 大いなる野望を持ちながらもかなえられずに没落し、出家した人だろう。古い旧家も荒れ果てて、仏法僧の声を聞く。
 八十四句目。

   煩悩の夢はやぶれし古衾
 小部屋の別れおしむ妻蔵     雪柴

 妻蔵は「つばくら」か。mとbの交替は「けむり=けぶり」「なむる=なぶる」など頻繁に見られる。
 「若い燕」は近代の奥村博史が平塚らいてうに送った手紙に由来すると言われているので、この頃はまだその用法はなかったと思われる。
 ここでは単にツバメが南へ帰って行くように、妻との別れを惜しむという意味だろう。
 八十五句目。

   小部屋の別れおしむ妻蔵
 玉ぶちの笠につらぬく泪しれ   卜尺

 「玉ぶちの笠」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「玉縁笠」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、万治年間(一六五八‐六一)の頃から流行した女のかぶる編み笠。一文字笠のふちを美しい紐・布などでふちどったもの。一説に、白い皮革でふちどったとも。玉縁。
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)三「玉縁笠(タマブチカサ)に浅黄紐の仕出し」

とある。
 玉に「つらぬく」と言えば、

 白露に風の吹きしく秋の野は
     つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
              文屋朝康(後撰集)

の歌が百人一首でも知られている。
 前句の妻の玉縁笠姿に、貫き留めていた玉が散るように涙が溢れているのを知れ。
 八十六句目。

   玉ぶちの笠につらぬく泪しれ
 かたじけなさの恋につらるる   松臼

 「かたじけなさ」と言えば、

 なにごとのおはしますかは知らねども
     かたじけなさに涙こぼるる
              西行法師

の歌が思い浮かぶ。
 女の涙に騙されて恋心を募らすのはよくあること。
 八十七句目。

   かたじけなさの恋につらるる
 かはらじと君が詞のやき鼠    在色

 「やき鼠」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼鼠」の解説」に、

 「〘名〙 鼠をあぶって焼いたもの。狐の好物といわれ、罠(わな)の餌(え)に用いた。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「かたじけなさの恋につらるる〈松臼〉 かはらじと君が詞のやき鼠〈在色〉」

とある。
 女の側に立って、あなたの言葉は焼鼠みたいですわ、となる。ということは女は狐?
 余談だが、最近那須の殺生石が割れたため、妖狐玉藻の封印が解けたと噂されている。
 八十八句目。

   かはらじと君が詞のやき鼠
 鶉ごろものしきせ何ぞも     松意

 鶉衣はボロボロの着物でそれの仕着せって、前句はそこまで没落した主君なのか。
 八十九句目。

   鶉ごろものしきせ何ぞも
 見世守り床の山風夜寒にて    一鉄

 「見世守り」は今で言えば店長。部下に夜風は身に染みるだろうと、ぼろ服ではあるが支給する。
 第一百韻「されば爰に」の巻の六十九句目にも、

   戸棚をゆらりと飛猫の声
 恋せしは右衛門といひし見世守リ 志計

の句がある。
 床の山は近江の彦根付近の歌枕で、

 妻恋ふる鹿ぞなくなるひとり寝の
     床の山風身にやしむらむ
              三宮大進(金葉集)

の歌がある。
 九十句目。

   見世守り床の山風夜寒にて
 秤のさらにあふみ路の月     志計

 見世守りから重さを量る天秤の皿に「さらに逢ふ」を掛けて、「逢ふ」に「床の山」のある「近江(あふみ)」を掛けて「あふみ路の月」と結ぶ。
 夜寒の中で、金銀の重さを量る近江商人とした。
 近江商人はウィキペディアに、

 「江戸時代に入ると近江出身の商人は徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には朱印船貿易を行う者も現れた。鎖国成立後は、京都・大坂・江戸の三都へ進出して大名貸や醸造業を営む者や、蝦夷地で場所請負人となる者もあった。幕末から明治維新にかけての混乱で没落する商人もあったが、西川のように社会の近代化に適応して存続・発展した企業も少なくない。今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く会社は多い。」

とある。
 九十一句目。

   秤のさらにあふみ路の月
 合薬や松原さして匂ふらん    雪柴

 合薬(がふやく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「合薬」の解説」に、

 「① 数種の薬剤を調合した薬。あわせぐすり。
  ※聖徳太子伝暦(917頃か)上「天皇賜二薬千余種一。太子合薬而施二諸病人一」
  ② 火薬。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「合薬や松原さして匂ふらん〈雪柴〉 真砂長じて石火矢の音〈一朝〉」

とある。
 天秤で量るので、この場合は①の意味か。
 近江というと木曽義仲最期の地として知られる粟津の松原がある。この縁から近江には義仲寺があり、後に芭蕉が無名庵を結び、最期にはここに埋葬される。
 この粟津の松原にから「腹さして(腹痛を起こして)」を導き出す。
 匂ふというのは薬ではなく、あっちの方だろう。漏れたから「合薬をーっ」というところか。
 九十二句目。

   合薬や松原さして匂ふらん
 真砂長じて石火矢の音      一朝

 「石火矢」はウィキペディアに、

 「石火矢(いしびや)とは、室町時代末期に伝来した火砲の一種。元来弩の一種を指した語であったが、同様に火薬を用い、石を弾丸とする「stein buchse」の訳語としてこの名が使われた。フランキ(仏朗機・仏郎機・仏狼機)、ハラカン(破羅漢)、国崩ともいう。 但し、江戸時代では棒火矢(ぼうびや)と呼ばれる矢状の飛翔物を大筒で発射する術が登場するにおよび、それと区別する意味で、単に球状の金属弾を打つ砲を石火矢ということが多いため、江戸時代の記録に「石火矢」とあってもフランキを指すとは限らない。」

とある。
 大坂の陣でも用いられたので、前句の松原を住の江の松として、真砂に石火矢の音とする。
 「真砂長じて」は『古今集』真名序の「砂長ジテ巌ト為ル」による。言わずと知れた、

 わが君は千代に八千代に細れ石の
     いはほとなりて苔のむすまで
              よみ人しらず(古今集)

の歌を指しての言葉だ。
 名残裏、九十三句目。

   真砂長じて石火矢の音
 敵味方海山一度にどつさくさ   松臼

 「どつさくさ」は今の「どさくさ」で、ここでは敵味方含めた兵の混乱状態を言う。聞き慣れぬでかい音が響けばそういうことにもなる。
 九十四句目。

   敵味方海山一度にどつさくさ
 浄瑠璃芝居須磨の浦風      正友

 一の谷合戦の場面であろう。
 野郎歌舞伎と同様、人形芝居もこの頃流行し、後の文楽の元となった。
 九十五句目。

   浄瑠璃芝居須磨の浦風
 巾着や三とせは爰にすりからし  松意

 野郎歌舞伎や浄瑠璃芝居は散財のもとでもあった。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『松風』の、

 「行平の中納言、三年はここに須磨の浦」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.31895-31896). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 九十六句目。

   巾着や三とせは爰にすりからし
 傾城あがり新まくらする     在色

 三年間傾城に金をつぎ込んで、ついに身請けして新妻にする。まあ、男の憧れというところか。
 九十七句目。

   傾城あがり新まくらする
 伊達衣今は小夜ぎの袖はへて   志計

 遊郭にいた頃のような立派な伊達衣も今はなく、小夜着の袖だけになる。傾城からすると、ちょっと寂しいかな。
 小夜着はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小夜着」の解説」に、

 「〘名〙 小形の夜着。袖のついた綿入れのかけぶとんの小さいもの。小夜(こよる)。《季・冬》
  ※評判記・色道大鏡(1678)五「うそよごれたる小夜着(コヨギ)ひきかづきてふしぬ」

とある。
 九十八句目。

   伊達衣今は小夜ぎの袖はへて
 旅のり物に眠る老らく      卜尺

 左遷の悲哀というところか。都で伊達衣を着た日々も昔のことで、いまは旅ねの小夜着のみ。
 九十九句目。

   旅のり物に眠る老らく
 道の記やちりかいくもる四方の花 一朝

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、『伊勢物語』九十七段を引いている。

 「むかし、堀河のおほいまうちぎみと申す、いまそかりけり。四十の賀、九条の家にてせられける日、中将なりける翁、

 桜花散り交ひ曇れ老いらくの
     来むといふなる道まがふがに」

を引いている。
 老いらくの道が散る花にかき曇って、道を間違えて若返ればいいのに、という歌だ。
 道の記は道中記で宗祇の『筑紫道記』のようにタイトルになることもある。
 その道の記に四方の花の散ってホワイトアウトするような記述があるが、夢でも見たのだろう、とする。
 挙句。

   道の記やちりかいくもる四方の花
 あふのく山の春雨のそら     一鉄

 「あふのく」は仰向けになることを言う。仰向けになって見ると散って来る桜の花が春雨のように見える。白い花びらも、下から見ると太陽の影で黒く見えるからだろう。

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