2022年3月26日土曜日

 バイデンさんがポーランドのジェシュフを訪問するということで、月刊ムーの編集長の暮の予言を思い出しちゃったな。台湾有事の方は今の所当たってなくて、ウクライナの方は予言されてなかった。
 ウクライナの善戦の理由の一つに、一人でも操作可能な対戦車ミサイルにあるとも言われている。
 FGM-148ジャベリンはウィキペディアに、

 「主な目標は装甲戦闘車両であるが、建築物や野戦築城、さらには低空を飛行するヘリコプターへの攻撃能力も備える。完全な「撃ちっ放し」(ファイア・アンド・フォーゲット)機能、発射前のロックオン・自律誘導能力、バックブラストを抑え室内などからでも発射できる能力などを特長とする。
 ミサイルの弾道は、装甲車両に対して装甲の薄い上部を狙うトップアタックモードと、建築物などに直撃させるためのダイレクトアタックモードの2つを選択できる。最高飛翔高度は、トップアタックモードでは高度150m、ダイレクトアタックモードでは高度50m である。射程は、初期バージョンでは 2,000m で、最新バージョンでは 2,500m である。ミサイルは、赤外線画像追尾と内蔵コンピュータによって、事前に捕捉した目標に向かって自律誘導される。メーカー発表によれば、講習直後のオペレーターでも94%の命中率を持つという。」

とある。価格はUS$175,203US。
 NLAWもウィキ江ペディアに、

 「NLAWの特徴は、PLOSによる弾道補正によって高い命中精度を得ることができる点である。射手は射撃前に目標に対して3秒程度の照準・追尾を行い、射点から目標に対する距離・角速度を計測することで弾体の飛翔経路に関する情報を取得。その後発射された弾体は慣性航法装置でのジャイロや加速度計により算出される飛翔状況と前述で得た飛翔経路を照らし合わせ、誤差を補正しながら飛翔することで目標へ到達する。このため目標が移動している車両であっても、目標の未来予測位置を計算することで発射された弾体との交わる位置を導き出し、その経路に沿うようにして慣性航法によって飛翔することで命中させる。しかし飛翔経路は射撃前の追尾で得た未来予測位置のため、目標が急停止や不規則な動きを行っている場合は高い命中精度は期待できない。また、予期せぬ目標が出現した場合は追尾せずに即座に撃つことも可能である。」

とある。ユニット価格は US$30,000–33,000。
 一人で戦車に立ち向かえる兵器の普及が、地上戦の戦術を大きく変えつつあるのかもしれない。あるいは戦車の時代が終わるのではないかという声すらもある。
 デモ隊がこれを携帯したら、戦車が来ても怖くないかも。これが大量に出回るようになったら、フロンティアの独裁国家には脅威になるのではないか。民衆と軍隊との力のバランスが変わるかもしれない。

 それでは「新撰菟玖波祈念百韻」の続き。

 二裏、三十七句目。

   心あさきを見えんかなしさ
 身こそあれ思ひすつべき花ならで 兼載

 「身こそあれ」は、

 花の香に心はしめり折りてみな
     そのひと枝に身こそあらねと
              和泉式部(和泉式部続集)

の歌に用例がある。身は実にに掛けて花と対比させ、花の香に枝を折って文に添えても、その枝に実がないなら自分もそこにはいない、といったところか。
 前句のあなたの心が浅いのはわかってますよ、ということで、身こそあれ、私は折って捨てられる花ではありません、と付ける。
 三十八句目。

   身こそあれ思ひすつべき花ならで
 たれにとはれん春のふる里    玄宣

 前句を、花を捨てられないように、自分もまた捨てることなく生き永らえようという決意とする。
 生きている限り花のもとのこの故郷を捨てたりはしない、たとえ誰も訪ねて来なくても。
 三十九句目。

   たれにとはれん春のふる里
 つれてこし友にはおくれかへる雁 宗長

 故郷に帰っても待つ人はいないと思うと、もう少し旅を続けようかと思う。
 そんな気持ちを遅れて帰る雁に託す。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は、

 北へゆく雁ぞ鳴くなるつれてこし
     数はたらでぞ帰るべらなる
              よみ人しらす(古今集)
 この歌は、
 「ある人、男女もろともに人の國へまかりけり。
 男まかりいたりて、すなはち身まかりにければ、
 女ひとり京へ歸りける道に、歸る雁の鳴きけるを聞きてよめる」
 となむいふ

の歌を引いている。
 四十句目。

   つれてこし友にはおくれかへる雁
 あはれにくるる雲の行く末    恵俊

 先に帰る雁は雲の行末に消えて、日も暮れて行く。
 四十一句目。

   あはれにくるる雲の行く末
 山ふかくすむ人しるき鐘なりて  友興

 山深い里を旅人視点で眺める。こんな山奥にも人が住んでいて、お寺の鐘も鳴る。それを聞きながら、自分はまだ雲の行末へと旅を続ける。
 四十二句目。

   山ふかくすむ人しるき鐘なりて
 世をおどろけと月ぞかたぶく   盛郷

 盛郷は最初の一巡に顔を出さず、ここに一句のみ付けている。飛び入り参加か。
 入相の鐘を明け方の鐘に取り成すのはお約束とも言える。傾く月、西へ行く月は西方浄土の象徴でもある。
 人は皆西方浄土へ渡るものだと諭すかのように、山奥に明け方の鐘が響きわたる。

 あづま野にけぶりの立てるところ見て
     かへりみすれは月かたぶきぬ
              柿本人麻呂(青葉丹花抄)

の歌を思わせる。
 四十三句目。

   世をおどろけと月ぞかたぶく
 心なき秋のね覚のいかなれや   玄清

 何か悪い夢でも見たのか、思わず意図せずはっと目が覚めると、月が傾いているのが見える。この世はみんな夢だと諭してるかのようだ。
 四十四句目。

   心なき秋のね覚のいかなれや
 たれにしほれと衣うつらん    宗祇

 前句の心なき寝覚めを砧の音に起こされたとする。李白の「長安一片月」のように、誰か愛する人のために衣を打っているのだろうか。

   子夜呉歌       李白
 長安一片月 萬戸擣衣声
 秋風吹不尽 総是玉関情
 何日平胡虜 良人罷遠征

 長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。
 秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関の心。
 いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。

を思い起こしての付けで、恋に転じる。
 四十五句目。

   たれにしほれと衣うつらん
 我が身にやうらみもかぎる露のくれ 玄宣

 前句の「たれにしほれ」を反語として、自分だけのためにとし、我が身のみに恨みの涙とする。
 四十六句目。

   我が身にやうらみもかぎる露のくれ
 いのちもいつのあふ事かまつ   長泰

 前句の「うらみもかぎる」を恨みも今日限りにしようという、思い切る時の句として、「いつのあふ事かかまつ」と、待ってばかりもいられないという反語にする。
 四十七句目。

   いのちもいつのあふ事かまつ
 おろかにもいそがざらめや法の道 恵俊

 前句を命がいつまであるかわからないとし、仏法の道に急がないのは愚かだとする。
 四十八句目。

   おろかにもいそがざらめや法の道
 あつめてたかきいさごとぞなる  兼載

 「いさご」は真砂と同様砂のことで、

 塩釜の磯のいさごをつつみもて
     御代の数とぞ思ふべらなる
              壬生忠峯(玉葉集)

の歌がある。砂の数は齢の数に喩えられお目出度いもので、賀歌に多く詠まれる。
 ここでは早く仏道に入れば、憂き世の争い諍いを遁れ、それだけ長生きできるとする。
 四十九句目。

   あつめてたかきいさごとぞなる
 かげとほき山のをのへのひとつ松 宗祇

 高きいさごは高砂(たかさご)なので、尾上の松を付ける。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は

 かくしつつ世をや尽さむ高砂の
     尾上に立てる松ならなくに
              よみ人しらず(古今集)

の歌を引いている。
 五十句目。

   かげとほき山のをのへのひとつ松
 爪木もとむる里のさびしき    宗長

 爪木は仏道に入る者の山籠もりに詠まれるもので、普通に住むなら柴を刈ることになる。

 爪木とる谷の小松もふりにけり
     法のためにとつかへこしまに
              頓阿法師(草庵集)

の歌もある。

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