侵略は駄目、絶対。ロシア軍はすぐに撤退。
今日の写真は今年の一月十二日、町田忠生公園での撮影。蝋梅はいつものように咲いたのに、今年は梅の咲くのが遅かった。
世界銀行の男女格差調査とか聞くと、またかという感じだが。いつもながら、何で実感とかけ離れた統計がいつも発表されるのだろうか。
日本の女性の社会進出がなかなか進まないのは、専業主婦の居心地が良いというのも、一つにはあると思う。
まず、妻が家計の管理をほぼ全面的に任されていて、夫が小遣いを貰っているというのは、他所の国ではほとんどないのではないかと思う。
パート労働の兼業主婦でも、財布を妻が握るというのは大体一緒だと思う。こうした習慣は高収入の家庭で基本的に変わらない。
実質的に妻が権利を持っていても、法的には夫名義の財産なため、妻はまったく財産を持たず、経済的地位が低いと判定されてしまうのだろう。
また、管理職の数だとか経営者の数だとかを、女性就労者数で割らずに全女性の数で割れば、専業・兼業主婦率の高い日本では、それだけ低く評価されることになる。
多くの国では専業主婦というと、稼いだ金を夫がすべて管理していて妻は僅かな小遣いを貰うだけだから、働かなければ自由にできる金はない。だから、働いて独立しようとする。
日本のジェンダー解放が急務なら、まず妻が「大蔵大臣」という古い習慣を改める必要がある。夫の給料は夫が自由に使うべきだ。
あと、日本のウクライナ支援が防弾チョッキって、ヘルメットを送ったドイツと一緒じゃないか。恥ずかしい。「人権」のない国だから、武器輸出もできない。
自分の国を守る権利は立派な「基本的人権」だと思う。
それでは「青がらし」の巻の続き。
三表、五十一句目。
宗祇その外うぐひすの声
手鑑に文字をのこして帰鴈 松意
手鑑はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手鑑」の解説」に、
「① 代表的な古人の筆跡を集めて帖としたもの。もと古筆鑑定のために作られたが、後には愛好家が能筆家の筆跡や写経などを集めて作るようにもなった。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※浮世草子・好色一代男(1682)六「了佐極(きはめ)の手鑑(テカカミ)、定家の歌切」
② 手本。規範。
※評判記・役者胎内捜(1709)坂東彦三郎「刀のすんちがいしとふしんの時、〈略〉手かがみにあふた刀は近江に有とだんだんに云」
とある。
連歌師は能筆家でもあり、その書は高い値で取り引きされるから、宗祇とをの連衆も手鑑に文字を残しているのだろう。
帰る雁は放り込み気味だが、雁が一列になって飛ぶ姿は文字列に喩えられる。
五十二句目。
手鑑に文字をのこして帰鴈
刀わきざし朧夜の月 雪柴
手鑑を②の意味に取り成し、刀の手鑑とする。帰る雁に朧月を添える。
五十三句目。
刀わきざし朧夜の月
難波潟質屋の見せの暮過て 松臼
刀脇差と言えば、生活に困った牢人が質草に入れるもので、商人の町大阪は特に質屋が多かったのだろう。刀を失った牢人に今日も日が暮れて行く。
五十四句目。
難波潟質屋の見せの暮過て
出格子の前海わたる舟 一鉄
出格子(でがうし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出格子」の解説」に、
「① 外部へ張り出して作った窓の格子。
※俳諧・桜川(1674)秋一「出格子のひまゆくこまちをどり哉〈季吟〉」
② (多く①を構えた家に住んだところから) 囲われ者、踊り子などの住居。
※雑俳・柳多留‐二(1767)「出格子で鰹買日は旦那が来」
とある。
親は質屋通いで娘は遊女として売られてゆく、という話だろうか。
五十五句目。
出格子の前海わたる舟
あだ波のながれの女小うなづき 在色
あだ波は風もないのに立つ波で、転じてたいしたこともないのに大騒ぎすることを言う。
そこひなき淵やは騒ぐ山川の
淺き瀬にとそ徒波はたて
素性法師(古今集)
の歌によるという。
音に聞く高師の浦のあだ波は
かけじや袖のぬれもこそすれ
一宮紀伊(金葉集)
の歌も、根も葉もない噂という含みで言っている。歌合の席で、
人しれぬ思ひありその浦風に
波のよるこそ言はまほしけれ
藤原俊忠(金葉集)
の返しとして詠まれたもので、「人しれぬ思ひあり」との風の噂に、を受けて「高師の浦のあだ波」と返している。
句の方はいろいろ得体のしれない噂で賑わっている、海を渡ってきた遊女小さくうなづいて、出格子の家に連れて来られてこれからよろしく、というところか。「ながれ」が「あだ波(噂)の流れ」と「流れの女」の両方の意味を持っている。
五十六句目。
あだ波のながれの女小うなづき
すすりなきには袖のぬれもの 志計
前句を悪い噂を流された女として、「そんなの嘘なんだろ」とか言われると小さくうなずいてすすり泣く。
五十七句目。
すすりなきには袖のぬれもの
敷たえのふとんの上の恋の道 正友
布団は当時は着るものだったが、敷布団はあった。掛け布団の代わりに着る布団があった。
敷布団を和歌の枕詞を借りて「敷たえのふとん」とし、すすり泣き、袖が濡れるのも恋の道、と結ぶ。
五十八句目。
敷たえのふとんの上の恋の道
あはでうかりし文枕して 卜尺
文枕(ふみまくら)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「文枕」の解説」に、
「① 文がらを芯に入れて作った枕。
※浮世草子・好色一代男(1682)跋「月にはきかしても余所には漏ぬむかしの文枕とかいやり捨られし中に」
② 夢に見ようとして枕の下に恋文などを入れておくこと。また、そのふみ。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「あはでうかりし文枕して〈卜尺〉 むば玉の夢は在所の伝となり〈雪柴〉」
③ 枕元において見る草子類。」
とある。
「あはで」は「あは」という感嘆詞に「逢はで」を掛けたもので、「あはれ」にも通じる。
難波潟みじかき芦のふしの間も
あはでこの世を過ぐしてよとや
伊勢(新古今集)
の歌は百人一首でもよく知られている。
文枕の夢で愛しい人を見て浮かれる、一人寝の布団の上での恋とする。
五十九句目
あはでうかりし文枕して
むば玉の夢は在所の伝となり 雪柴
夢に愛しい人が出てきて、それが巷の噂になり、でも良さそうだが、打越の「ふとんの上の恋」と被ってしまうのが難しい。
恋ひ死ねとするわざならしむばたまの
夜はすがらに夢に見えつつ
よみ人しらず(古今集)
の句の情として、前句の「うかりし」を浮かりから憂かりしへ取り成したと見た方が良いのか。
去っていった人の夢に毎晩のようにうなされて、ついに死んでしまったことが地元の伝説となった、ということなら打越と違った展開にできる。
六十句目。
むば玉の夢は在所の伝となり
道心堅固ああ南無阿弥陀 一朝
仏教説話などには夢のお告げや、夢に仏さまが現れたなど、夢にまつわるものが多い。道心堅固だとそういう夢も見て、伝説にもなる。
六十一句目。
道心堅固ああ南無阿弥陀
斎米やあるかなきかの草の庵 一鉄
斎米(ときまい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「斎米」の解説」に、
「〘名〙 僧の食事に供する米。斎(とき)の料として僧や寺に施す米。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「斎米をひらける法の花衣 願以至功徳あけぼのの春〈三昌〉」
とある。その斎米があるかないかもわからないくらいの貧しい暮らしに耐えている。道心堅固というものだが、それで餓死すれば南無阿弥陀仏。
六十二句目。
斎米やあるかなきかの草の庵
筧のしづくにごる水棚 松意
水棚(みづだな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水棚」の解説」に、
「① 仏に供える水や花、また、仏具などをおく棚。閼伽棚(あかだな)。
※康富記‐嘉吉三年(1443)六月一日「先面々、自荷レ桶向二閼伽井許一汲レ之、連歩納二置水棚一了」
② 盆に、無縁仏のためにつくる祭壇。先祖をまつる精霊棚とは別に設ける。餓鬼棚。
③ 台所で洗った皿などをおく棚。〔羅葡日辞書(1595)〕」
とある。ここでは③の意味だろうか。
米が僅かであっても、それを食えば台所は濁る。この世に全く濁りのない人はいない、ということか。
六十三句目。
筧のしづくにごる水棚
縄たぶら峰の浮雲引はへたり 志計
「縄たぶら」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、
「束ねて太くした縄。「水棚」を洗うためのもの。」
とある。「引はふ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引延」の解説」に、
「〘他ハ下二〙 長くのばす。ひきのばす。
※能因本枕(10C終)六二「をのこごの十ばかりなるが、髪をかしげなるがひきはへても」
とある。
濁った水棚を縄たぶらで洗うと、水に映った峰の浮雲の形が引き延ばしたようになる、ということか。
六十四句目。
縄たぶら峰の浮雲引はへたり
山陰にして馬のすそする 松臼
「すそする」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「裾をする」の解説」に、
「馬の足を洗う。裾を遣う。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山陰にして馬のすそする〈松臼〉 明日はかまくら入と聞えけり〈卜尺〉」
とある。
山陰で馬を洗っていると、峰の浮雲も姿を変えて行く。
三裏、六十五句目。
山陰にして馬のすそする
明日はかまくら入と聞えけり 卜尺
いざ鎌倉というので鎌倉に参上することになったが、鎌倉殿に印象良くしようと、鎌倉に入る直前に汚れた馬を洗う。
六十六句目。
明日はかまくら入と聞えけり
うきかぎりぞと夫すて行 在色
鎌倉東慶寺は縁切寺と呼ばれている。辛いことにこれ以上耐えられないと、夫との縁を切りに行く。
六十七句目。
うきかぎりぞと夫すて行
所帯くづし契を余所に身を売て 一朝
縁切寺ではなく、自ら志願して遊女になる。西鶴の『本朝二十不孝』の「大節季にない袖の雨」という話は、親の暴力や経済的困窮から、娘が自ら遊郭に身を売り、そのお金を両親への孝行とする話がある。結果的にこのお金も無駄になり、遊女になった娘だけが生き残ることになる。
このまま餓死するか親の暴力で殺されるか、となった時、究極の選択で自ら遊女になるということは、実際にあったことなのだろう。
家庭崩壊で夫に愛想尽かし、自ら遊女になるということも、さもありなんだったのだろう。
六十八句目。
所帯くづし契を余所に身を売て
大くべのはてむねの火とこそ 正友
大くべはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「大焚」の解説」に、
「〘名〙 薪(たきぎ)などの燃料をどんどん燃やすこと。また、その燃料。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「所帯くづし契を余所に身を売て〈一朝〉 大くべのはてむねの火とこそ〈正友〉」
※滑稽本・世中貧福論(1812‐22)上「振舞振舞が打つづき、無益の釜の下へ大くべすれど」
とある。
恋の炎が薪の大焚のように燃え上がって胸を焦がし、その挙句の果てに所帯を壊し、遊女に身を落とす。
六十九句目。
大くべのはてむねの火とこそ
扨も此野辺の土とは仕なしたり 松意
前句を火葬に取り成す。
七十句目。
扨も此野辺の土とは仕なしたり
城山すかれてそよぐ粟稗 一鉄
かつてお城だったところも今は荒れ果てて、鋤で耕されて粟稗の畑になる。
七十一句目。
城山すかれてそよぐ粟稗
わたり来る小鳥たがへぬ時の声 松臼
時の声は鬨の声と同じ。場所が城山だけに、畑を占領した小鳥たちが城を落としたとばかり、「えい、えい、おー」と言ってるかのようだ。
七十二句目。
わたり来る小鳥たがへぬ時の声
月落すでにおひ出しの鐘 雪柴
「おひ出しの鐘」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追出の鐘」の解説」に、
「夜明けをつげる鐘。遊里などで、明け六つ(今の午前六時ごろ)の鐘をいう語。泊まり客が帰る時刻に鳴ることからいう。追い出し。起こし鐘。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※俳諧・鷹筑波(1638)二「耳かしましきをひ出しの鐘(カネ)一季をり限になればきう乞て〈正好〉」
とある。
前句の小鳥の声も朝を告げるもので、そこに遊郭の帰る時刻を告げる鐘が鳴る。
「月落(つきおち)」は、
楓橋夜泊 張継
月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船
月は落ちて鳥は啼き満点の空から霜が降りて、
河の楓の漁火は悲しい眠りを覚ます。
姑蘇の街の城外の寒山寺。
夜半の鐘の声が旅人を乗せた船にまで到る。
の詩によるもので、月落ち小鳥が鳴いて、遊郭の客に帰る時間を知らせると換骨奪胎する。
七十三句目。
月落すでにおひ出しの鐘
置銭や袖と袖との露なみだ 在色
遊郭の後朝は銭を置いて立ち去る。
七十四句目。
置銭や袖と袖との露なみだ
おもひをつみてゆく舟問屋 志計
「おもひをつみて」は、
水鳥のうき寝たえにし波の上に
思ひをつみてもゆる夏虫
藤原家隆(壬二集)
の歌に用例がある。「つむ」は集むということか。
舟問屋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「船問屋」の解説」に、
「〘名〙 全国各港にあって、廻船と荷主とのあいだに入り荷物の積込み・水揚げおよび廻船の手配などの業務を周旋する業。船宿。廻船問屋。ふなどんや。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「仕出しては浪にはなるる舟問屋〈卜尺〉 秤(はかり)の棹(さを)に見る鴎尻(かもめじり)〈一鐵〉」
とある。
この場合は船宿での別れであろう。銭を積むと掛ける。
七十五句目。
おもひをつみてゆく舟問屋
浦手形此もの壱人前髪あり 正友
浦手形が浦証文(うらじょうもん)のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浦証文」の解説」に、
「〘名〙 江戸時代、廻船が遭難してもっとも近い浦へ着いた場合、難船前後の状況、捨て荷、残り荷、船体、諸道具の状態などにつき、その浦の役人が取り調べてつくる海難証明書。浦手形。浦切手。浦証。浦状。
※財政経済史料‐一・財政・輸米・漕米規則・享保二〇年(1735)六月一一日「右破船大坂船割御代官にて吟味之訳添書致し、浦証文相添可レ被二差出一候」
とある。遭難した時に舟に一人前髪のある若衆が乗っていたのが発覚する。舟問屋にもその趣味があったのだろう。
七十六句目。
浦手形此もの壱人前髪あり
詮議におよぶしら波の音 卜尺
前髪のある男が怪しいというので、詮議に及ぶ。海だから白波の音はするが、白波には盗賊の意味もある。
兼載独吟俳諧百韻の九十三句目に、
杖を頼てこゆる山みち
白波の太刀をも持ず弓もなし 兼載
の句があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「② (後漢の末、西河の白波谷にこもった黄巾の賊を白波賊と呼んだという「後漢書‐霊帝紀」の故事から) 盗賊。しらなみ。
※本朝文粋(1060頃)四・貞信公辞摂政准三宮等表〈大江朝綱〉「隴頭秋水白波之音間聞、辺城暁雲緑林之陳不レ定」
とある。「沖つ白波」という場合には海賊の意味になる。
七十七句目。
詮議におよぶしら波の音
山類の言葉をかりて花の滝 一鉄
前句の詮議を連歌の式目に反するかどうかを判定する詮議とする。
山類(さんるい)は「山、岡、峯、洞、尾上、麓、坂、そば、谷、山の関、梯、瀧、杣木、炭竈」などが『応安新式』で挙げられている。
滝は山類に含まれるが『応安新式』には「水辺にも嫌之」とあるだけで水辺とはしていない。ただ俳諧では、松永貞徳の『俳諧御傘』には「惣別瀧は山類也、水辺也。」とあり、立圃編『増補はなひ草』にも、山類、水辺両方に「瀧」が記されている。
山類と山類、水辺と水辺は連歌では可隔五句物になるが、立圃編『増補はなひ草』では可隔三句物で、俳諧ということで緩くしている。
たとえば打越に「波の音」とあった場合に、「滝」は出せない。連歌の場合は山類だが水にも嫌うためで、俳諧の場合は瀧は山類でかつ水辺になる。ただ、「花の滝」は落花の比喩なので微妙なところだ。
松永貞徳の『俳諧御傘』には、
「花の瀧は落花を云。但、依句体水辺山類也。新式に両方に嫌と云々。」
とある。『応安新式』には、
「花の浪 花の瀧 花の雲 松風雨 木葉の雨 水音雨 月雪 月の霜 桜戸 木葉衣 落葉衣(如此類は両方嫌之)」
とある。
もちろん前句に「しら波の音」がある分には問題にならない。ただ「舟問屋」「浦手形」が水辺になるとすると、水辺四句でこの句自体もアウトだが、おそらく「依句体」が決め手で、ここではあくまで言葉としての「花の滝」だから、水辺とは言い難いということで、詮議の果てにセーフということか。
七十八句目。
山類の言葉をかりて花の滝
いかに老翁かすむ岩橋 一朝
老翁は梅翁(宗因)のことであろう。なら、ここに更に「岩橋」と付けるのはどうか、というわけだ。岩橋は水辺で打越に「波の音」があるが、これも同様の理由でセーフ。談林はそこの所を厳密にはやらない、というところだろう。
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