あちこちで染井吉野がほぼ満開になった。
まあ、民主主義国家においては、声を上げることは無駄ではないので、ウクライナに勝利を、世界に平和を。誰かさんも言ってたけど、今はロシア軍叩き潰すしかない。
自民党から共産党まで揃ってウクライナ支持なら、それにこしたことはない。あとの泡沫政党はどうでもいい。このまま分断の時代が終わらないかな。
ロシアがミャンマー軍事政権にすり寄っているなら、ミャンマーの民主化勢力や少数民族にも対戦車ミサイルを供給できないのかな。
それでは「新撰菟玖波祈念百韻」の続き。
三表、五十一句目。
爪木もとむる里のさびしき
つららゐる垣ねの清水くみ捨てて 玄宣
「つららゐる」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「氷が張る。こおりつく。
出典平家物語 五・文覚荒行
「比(ころ)は十二月十日あまりの事なれば、雪ふりつもりつららゐて、谷の小川も音もせず」
[訳] 季節は十二月十日過ぎのことであったから、雪が降り積もり氷が張って、谷の小川も水音一つしない。」
とあり、今日でいう「つらら(氷柱)」に限定されるものではない。ここでも清水が氷った様をいうもので、まあ、場所によっては氷柱もできているだろう。
和歌でも用例は多く、
照る月の光さえゆく宿なれば
秋の水にもつららゐにけり
皇后宮摂津(金葉集)
つららゐし細谷川のとけゆくは
水上よりや春は立つらん
皇后宮肥後(金葉集)
山里の思ひかけぢにつららゐて
とくる心のかたげなるかな
藤原経忠(金葉集)
枕にも袖にも涙つららゐて
結ばぬ夢を訪ふ嵐かな
藤原良経(新古今集)
などがある。
爪木求むるは山籠もりの僧の質素な暮らしで、西行の「とくとくの泉」のような、わずかな水の流れで生活している。その清水も冬になれば氷、それが解ける時に春が来れば、
岩間とぢし氷も今朝は解け初めて
苔の下水道もとむらむ
西行法師(新古今集)
となる。
五十二句目。
つららゐる垣ねの清水くみ捨てて
霜は下葉にむすぶ呉竹 宗祇
呉竹は中国産のハチクのこと。
おきまよひかさなる霜におどろけば
わがよもふけぬ窓のくれたけ
西園寺公経(道助法親王家五十首)
霜結ふ窓のくれ竹風すぎて
夜ごとにさゆる冬の月かげ
西園寺公相(宝治百首)
など、冬の呉竹も和歌にも多く詠まれている。
粗末な草庵ではなく、立派な庭の風景になる。
五十三句目。
霜は下葉にむすぶ呉竹
風すぐる跡にさやけき夜半の月 兼載
前句の所で掲げた西園寺公相の歌が本歌と言ってもいいような感じだ。
本歌は八代集の時代までのものを良しとはされていたが、実際は中世の和歌も用いられている。はっきり本歌と意識しなくても、感覚的に近いため、似てきてしまうというのもあるかもしれない。
五十四句目。
風すぐる跡にさやけき夜半の月
はつ雁いづら声ぞさきだつ 友興
夜半の月で秋に転じたため、雁の飛来を付ける。
初雁は声を詠むもので、あまり姿は詠まない。
五十五句目。
はつ雁いづら声ぞさきだつ
見ぬ空も思ひやらるる秋の暮 慶卜
「声ぞさきだつ」から姿を見てないということで「見ぬ空」と展開する。
はつかりのなきこそわたれ世中の
人の心の秋しうけれは
紀貫之(古今集)
の歌の心か。
五十六句目。
見ぬ空も思ひやらるる秋の暮
色付きぬらし霧ふかき山 玄清
前句の「見ぬ空」を霧深くて見えない空とする。
五十七句目。
色付きぬらし霧ふかき山
梢のみ旅のたどりを分くる野に 長泰
霧の中で旅の宿を探すにも、近くの梢だけしか見えない。その枝は赤く色づいている。
五十八句目。
梢のみ旅のたどりを分くる野に
ゆくゆくかはるをち近の里 宗祇
「ゆくゆく」は漢詩の「行き行きて」と同様、旅などの淡々とどこまでも行く様を表す。
梢の中の道をひたすら旅すると、その合間に見える遠近の里も変って行く。
この巻の十四句目にも、
そことなく末野のあした鳥鳴きて
ゆくゆくしるき里のかよひ路 宗坡
の句があった。やや遠輪廻という感じがしなくもない。
五十九句目。
ゆくゆくかはるをち近の里
あだ人のをしへし道はそれならで 恵俊
「ゆくゆく」には「やがて」という意味もある。
浮気者の教えてくれた通い路はそれではない。あちこちの里に通い、しょっちゅう道が変わるからだ。
六十句目。
あだ人のをしへし道はそれならで
たがおもかげにうかれきつらん 宗長
浮気者の彼に直接呼びかける体で、あなたが来るべき所はここではないでしょっ、誰の俤を求めてそんなに浮かれてるの、とする。
六十一句目。
たがおもかげにうかれきつらん
風かすむ春の河辺のすて小舟 友興
前句の「うかれきつらん」を、舟が浮かんで流れてきたとして、「誰が俤に浮かれ」を導き出す序詞のように付ける。
六十二句目。
風かすむ春の河辺のすて小舟
たまれる水にかはづ鳴くこゑ 兼載
春の河辺には蛙が鳴く。蛙は井出の玉川など、清流のカジカガエルを読むことが多いが、河辺の蛙も、
かへるべき道も遠きにかはづ鳴く
河辺に日をもくらしつるかな
赤染衛門(弘徽殿女御歌合)
の用例がある。
六十三句目。
たまれる水にかはづ鳴くこゑ
山田さへかへすばかりに雪とけて 宗祇
山田の蛙は、
春雨にかはづ鳴くなりいそのかみ
ふるの山田もときやしるらむ
藤原信実(弘長百首)
など、いくつか用例がある。蛙が鳴くのは稲作の始まりの合図でもあった。
六十四句目。
山田さへかへすばかりに雪とけて
雨夜のあさ日めぐるさとざと 玄宣
雨上がりの朝、里の雪はすっかりなくなり、農作業が始まる。
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