2022年3月14日月曜日

 アベノミクスは失われた十年を脱して景気を押し上げ、株価を回復させたという意味では成功したが、インフレ目標は達成できず、財政赤字を解消できなかったという意味では失敗に終わった。
 低金利政策がなぜインフレを引き起こさなかったかと言えば、日本の終身雇用制と主婦制が雇用の確保を優先させ、賃金の上昇につながらなかったためだ。
 終身雇用制の元での失業は多くの意味で社会的身分を失うほどの深刻なものになり、再雇用されても以前の給与よりも格段に落ちるのが普通だ。それに加えて専業・兼業主婦のいる家庭で失業は即座に収入を失う。共働き家庭ならどちらか一方が支えることができるが、主婦制のもとでの失業は救いようがない。
 どんなに景気が悪化しても、日本の経済はまず西洋的に見れば完全雇用のレベルを維持しようとする。リーマンショックの時ですら、日本の失業率は4パーセントに留まった。
 そのため失業者を出さない代償に、給与を実質的に下げることになる。それを補うために労働者は残業を増やし、長時間労働で収入を確保しようとする。これは同時に、やってるふり残業を生み出して生産性を低下させる。
 収入が増えない、労働時間が長くなり消費に回す時間すらない。それが需要の低迷を生み、物価を下げることになる。
 通貨供給を増やして企業の資金繰りが良く成れば、普通はそれを新たな投資に回し、経済を拡大させる方向に向かう。ただ、日本は不景気と言え、完全雇用に近い状態は揺らいでなかった。
 経済を拡大させても、新たに雇用できる失業者はどこにもいない。女性の社会進出も進まない。となると、外国人労働者を様々な名目で大量に入れることとなった。日本人の労働時間は短縮されなかったし、低賃金の外国人労働者に合わせるかのように、給与もまた上がらなかった。
 鳴り物入りの金融緩和は外国人労働者を増やしただけで、日本人には還元されなかった。株価の上昇も、主婦ががっちり財布を握っていて投資資金のない日本のビジネスマンを潤すことはなかった。外国人投資家を潤しただけだった。
 日本の金融緩和が潤したのは、外国人労働者と外国人投資家だった。
 やがてコロナの時代が来て、外国人労働者は入ってこなくなった。その分経済活動も抑制され、その穴埋めする必要はなかった。
 コロナ時代が終わろうとすること、世界は急速なインフレに見舞われたが、日本にインフレは起こっていない。輸入品価格の高騰は、人件費の抑制による価格の維持の方に大きな圧力がかかり、デフレは継続している。デフレと物価高が同居するという世にも稀な状態になっている。
 これはいわゆるスタグフレーションとも違う。国内生産物の物価は下落を続けていて、輸入品価格だけが上がっている。わかりやすく言えば、パンは高騰し、米が暴落する状態、「パンが食べられないなら、ご飯を食べたらぁ」という状態だ。
 つまり上がるものと下がるものとが釣り合って、数字の上で物価高が起きてないので、インフレと不景気(スタグネーション)が共存しているのではない。
 アベノミクスが始まった時には、日本経済復活の最後のチャンスだという人も多かった。その最後のチャンスが行き詰まったのだから、誰もそれに代わる代案を持っていない。
 これから代案を考える際に、特に考慮しなくてはならないのは、終身雇用制と主婦制に関して、それを維持する前提なのか壊す前提なのかだ。それによって全く対処の仕方は違って来る。
 壊せばほぼ西洋の経済学理論が適用できる。維持するなら日本独自の理論が必要になる。経済の議論の前に、まずそこを決定する必要があるのではないか。
 ついでに左翼の主張する「富の再分配」を行うとどうなるかもシミュレーションしておこう。
 まず消費税をゼロにして、その不足分を高所得者層の増税とキャピタルゲインの増税で補うとして、あとは赤字国債の増額で国民に金をばら撒くとする。
 確かにばら撒いた分の収入は増加するが、それを思い切った消費に回せる状況にはない。大方貯蓄を増やすことになるだろう。
 主婦制のもとでは旦那の小遣いは増えない。また長時間労働体質がそのままなら使う暇がない。
 こういう状況では個人投資も増えない。個人投資は独身者の特権になる。独身時代に投資に親しんでいる者は結婚したがらないかもしれない。ただ、キャピタルゲイン増税が、そうした投資意欲を大きく抑制することになる。
 個人投資が増えず、貯蓄率だけが膨れ上がる。それは従来と変わらない。流れに棹さすことはあっても現状を変えることはない。
 基本的に富の再分配は今の経済を根本的に変えることはない。需要は低迷し続け、物は売れずにデフレが続き、給与も上がらない。企業も投資を渋り、内部留保を増やし続ける。
 なら「最低賃金の引上げ」はどうだろうか。日本は韓国と違い、最低賃金引上げでも雇用を維持しようとするだろう。そうすると人件費の高騰をどこで調整するかということになる。
 一番手っ取り早いのはサービス残業、サービス出勤だ。「給料は法律だからしょうがない、アップさせる。だがこれからは残業手当カットだ。喜べ、明日からみんな管理職だ。」ってことになる。これも消費を抑制することになり、デフレ脱却にはつながらない。
 ようするに、元を変えないなら、何をやっても結果は同じということだ。

 それではまた『阿羅野』の発句の方を。まあ、発句は研究し尽くされてる分野だから、それほど新しいものはないけどね。

   仲春

 麦の葉に菜のはなかかる嵐哉   不悔

 春になってようやく葉ののびて来た麦の間に、こぼれ種の菜の花が咲く。嵐が吹くと弱々しい菜の花が麦の葉にもたれかかる。
 春は風の強い日が多い。「春一番」という言葉は近代の最近になって広まった言葉で、この頃はなかったが、今なら春一番の句と見てもいいのではないかと思う。

 菜の花や杉菜の土手のあいあいに 長虹

 こぼれた種は土手などでも花を咲かせる。杉菜と言えば土筆だが、土筆が初春になっているので、杉菜が仲春になる。

 なの花の座敷にうつる日影哉   傘下

 春の長い日もようやく傾いてくれも近づくと、菜の花の影が座敷に映し出される。遅日の長閑さを感じさせる。

 菜の花の畦うち残すながめ哉   清洞

 畑を耕し始めるが、畦の菜の花だけは列になって残っている。

 うごくとも見えで畑うつ麓かな  去来

 春で日も長く、畑を耕す農夫もゆっくりとした動きで、まるで静止しているかのようだ。これも遅日の情といえよう。

 万歳を仕舞ふてうてる春田哉   昌碧

 三河万歳など、正月の角付け芸を行う万歳師の多くは百姓で、農閑期の副業だったのだろう。一月の万歳の季節が終わって二月になれば、田んぼの準備に戻る。

 つばきまで折そへらるるさくらかな 越人

 和歌で椿というと玉椿(白玉椿)のことで、花よりも葉の変わらぬ色を詠むことが多かった。戦国時代に茶道が確立されると、茶花として珍重されるようになった。
 椿の花が一般に見直されるようになると、桜に椿の花を添えることもあったのだろう。散り際の良い桜に、ぼとっと落ちる椿の取り合わせは、どちらかというと俳諧ネタだったのだろう。

 広庭に一本植しさくら哉     笑艸

 広い庭に桜がたくさん植えてあると華やかだが、一本だけというのは淋しい。

 ときどきは蓑干さくら咲にけり  除風

 旅に出ることの多い人だろう。放っておいても桜は咲き、たまたま帰ってきた時に桜が咲いていると嬉しい。

 手のとどくほどはおらるる桜哉  一橋

 桜の木は大きく、下の方を折ったくらいではなくならない。まあ、折らない方が良いけど。

 うしろより見られぬ岨の桜哉   冬松

 がけっぷちに咲く山桜は後ろから見ることができない。まあ、横から見るのが一番風情があるかな。崖の上に立てば上から見れるが、後ろからは見えない。

 すごすごと山やくれけむ遅ざくら 一髪

 「すごすご」というのは元気のないさまで、他の桜の散ってしまったあとに咲く遅咲きの桜は、取り残されたような、どこか老の哀れを感じさせる。

 はる風にちからくらぶる雲雀哉  野水

 春の強い風にも負けずに高い空で囀るあげ雲雀は揚げ雲雀は力強い。

 あふのきに寝てみむ野辺の雲雀哉 除風

 「あふのき」は仰向けのこと。揚げ雲雀は寝っ転がってみるのが一番いい。

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