2022年3月3日木曜日

  


 写真は南相馬の菜の花畑で、二〇一九年五月二日に撮影されたもの。Haspydの「Рідна земля」のジャケットのイメージで張ってみた。
 南相馬も福島第一原発に近い所で、ウクライナのチェルノブイリに重なるものがある。
 今まではテキストのみのブログにこだわってきたけど、これからは日本の風景なんかも紹介していこうかな。焼け野原にならなければね。
 尾田栄一郎さんの『ONE PIECE』で、Dr.くれはがチョッパーに言った言葉をふと思い出した。

 「いいかい 優しいだけじゃ人は救えないんだ!!人の命を救いたきゃそれなりの知識と医術を身につけな!腕がなけりゃ誰一人救えないんだよ!!!」

 同じことで、平和を愛するだけじゃ、戦争を終わらせることはできないどころか、かえってデマを信じたりすると虐殺に加担することになる。難しいものだ。

 それでは「されば爰に」の巻の続き。

 二表、二十三句目。

   小知をすてて帰る雁金
 欠鞍の春やむかしに墨衣     在色

 『荘子』に「大知は閑閑たり、小知は間間たり」の言葉がある。雁を大知の鵬に見立てて、我も小知を捨てて、仏の大知に従い悠々と暮らそうと、馬に鞍を掛けて軍に赴いていたのも昔のこと、今は出家して僧になった、とする。
 「春やむかし」というと、

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ
     わが身ひとつはもとの身にして
              在原業平(古今集)

だが。
 二十四句目。

   欠鞍の春やむかしに墨衣
 いで其時の鉢ひらきにぞ     松臼

 「鉢ひらき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鉢開」の解説」に、

 「① 鉢の使いはじめ。
  ※咄本・醒睡笑(1628)七「今日の振舞は、ただ亭主の鉢びらきにて候」
  ② 鉢を持った僧形の乞食。女の乞食を鉢開婆・鉢婆という。鉢坊主。乞食坊主。」

とある。
 前句を逆にして、今は馬に乗っているが昔ははっち坊主だったとする。
 「いで其」というと、

 有馬山猪名の笹原風吹けば
     いでそよ人を忘れやはする
              大弐三位(後拾遺集)

の歌を連想させる。あの時のはっち坊主をどうして忘れることができよう。
 二十五句目。

   いで其時の鉢ひらきにぞ
 去間衆生済渡の辻談義      正友

 衆生済渡(しゅじゃうさいど)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衆生済度」の解説」に、

 「〘名〙 仏語。衆生を迷いの苦しみから救って悟りの境地へ導くこと。
  ※三国伝記(1407‐46頃か)七「衆生済度の方便は慈悲を以て為レ始」

とある。
 あの時辻説法をして喜捨を集めていたお前か。
 二十六句目。

   去間衆生済渡の辻談義
 三千世界からかさ一本      松意

 三千世界はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「三千世界」の解説」に、

 「仏教の世界観による全宇宙のこと。三千大千世界の略。われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの小世界という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん)(六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。この一小世界を1000集めたのが一つの小千世界であり、この小千世界を1000集めたのが一つの中千世界であり、この中千世界を1000集めたのが一つの大千世界である。その広さ、生成、破壊はすべて第四禅天に同じである。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので三千世界とよばれるのである。先の説明でわかるように、3000の世界の意ではなく、1000の3乗(1000×1000×1000)、すなわち10億の世界を意味する。[高橋 壯]
 『定方晟著『須弥山と極楽』(1973・講談社)』」

とある。とにかくでかい物で、辻談義の僧は大きな話をしているけど、そういう自分はしがない乞食で、住む家もなく、唐傘一本で雨露を凌いでいる。
 二十七句目。

   三千世界からかさ一本
 ふんぎつて樹下石上をめくら飛  一朝

 窮地に追い込まれ、観音助け給えとばかりに唐傘一本を落下傘のようにして飛び降りたのだろう。その後どうなったか。
 二十八句目。

   ふんぎつて樹下石上をめくら飛
 子どもがまなぶ吉野忠信     一鉄

 吉野忠信は源義経の家臣の佐藤忠信のこと。ウィキペディアに、

 「室町時代初期に書かれた『義経記』での忠信は、義経の囮となって吉野から一人都に戻って奮戦し、壮絶な自害をする主要人物の一人となっている。義経記の名場面から、歌舞伎もしくは人形浄瑠璃の演目として名高い『義経千本桜』の「狐忠信」こと「源九郎狐」のモデルになった。
 継信・忠信兄弟の妻たちは、息子2人を失い嘆き悲しむ老母(乙和御前)を慰めんとそれぞれの夫の甲冑を身にまとい、その雄姿を装って見せたという逸話があり、婦女子教育の教材として昭和初期までの国定教科書に掲載された。」

とある。芭蕉が『奥の細道』の旅で佐藤庄司の旧跡を訪れているが、その佐藤庄司の息子。
 子供の教育のために忠信兄弟の妻たちの話をしても、子供の頭の中では忠信というと『義経記』の吉野合戦で奮戦する忠信の、

 「彼処にて死にたらば、自害したりと言はれんと思ひて、草摺掴んで、磐石へ向ひて、えい声を出して跳ねたりけり。二丈許り飛び落ちて、岩の間に足踏み直し、兜の錏押しのけて見れば、覚範も谷を覗きてぞ立ちたりける。「まさなく見えさせ給ふかや。返し合ひ給へや。君の御供とだに思ひ参らせ候はば、西は西海の博多の津、北は北山、佐渡の島、東は蝦夷の千島までも、御供申さんずるぞ」と申しも果てず、えい声を出して跳ねたりけり。」

の場面の方だ。古浄瑠璃でもこの場面は隋一の見せ場になる。庭で真似して飛び回る姿が浮かんでくる。
 二十九句目。

   子どもがまなぶ吉野忠信
 草双紙よりより是を窓の雪    卜尺

 古浄瑠璃をノベライズした浄瑠璃本は寛文・延宝の頃は大人気で、当時の子どもたちも夢中で読んだ。蛍の光窓の雪で熱心に勉強してるかと思ったが、というネタで、昭和の頃のオヤジが漫画を読む子供を見るような感覚だ。
 翌延宝四年春の「梅の風」の巻九十句目に、

   朝より庭訓今川童子教
 さてこなたには二条喜右衛門   桃青

の句があるが、二条喜右衛門は浄瑠璃本を多数出版していた人で、ネタとしては似ているが、浄瑠璃本を揶揄する調子はここにはない。
 新しい文化を肯定するか否定するかで、卜尺と桃青との間にはギャップがあったのだろう。卜尺はいろんな意味でオヤジ臭く、そのあたりの感性の差で其角や杉風のようにはなれなかった。
 三十句目。

   草双紙よりより是を窓の雪
 風腰張をやぶる柴垣       在色

 腰張(こしばり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「腰張」の解説」に、

 「① 壁や襖(ふすま)の下半部に紙や布を張ること。また、その場所やそこに張ったもの。
  ※茶伝集‐一一(古事類苑・遊戯九)「一腰張の事、湊紙ふつくり、其長にて張も吉、〈略〉狭き座敷は腰張高きが能也」
  ② (見終わると壁などに張られたところから) 芝居などの番付表。
  ※雑俳・柳多留‐二一(1786)「こしばりをはかまはおりてくばる也」
  ③ 腰の力。好色であること。
  ④ =こしばりぐら(腰張鞍)〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

とある。元禄二年の『山中三吟評語』によると、九句目の、

   遊女四五人田舎わたらひ
 落書に恋しき君が名もありて   芭蕉

の句には「こしはりに恋しき君が名もありて」の初案があったという。宿では掲示板代わりに用いられていたようだ。
 前句を雪の中の廃墟と化した家として、風が腰張を破るとする。『源氏物語』蓬生の、

 「霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺め給ふ。」
 (十一月になると雪や霰が時折降って、余所では所々融けているのに、朝日や夕日を遮る蓬や葎の陰に深く積ったまま、越中白山を思わせるような雪の中には出入りする下人すらいなくなって、ただぼんやりと眺めていました。)

のイメージもあるのかもしれない。
 三十一句目。

   風腰張をやぶる柴垣
 ゑりうすき衣かたしくす浪人   雪柴

 前句をさもしい牢人の家とする。「衣かたしく」は、

 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
     衣かたしきひとりかも寝む
              藤原良経(新古今集)

の歌を思い起こさせる。
 三十二句目。

   ゑりうすき衣かたしくす浪人
 住持のやつかい小筵の月     正友

 小筵は「さむしろ」で、藤原良経の歌を本歌として寺の居候とする。
 三十三句目。

   住持のやつかい小筵の月
 山門の破損に秋やいたるらん   志計

 山門が破損したので小筵で応急修理をする。
 三十四句目。

   山門の破損に秋やいたるらん
 手代にまかせをけるしら露    一朝

 手代も多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手代」の解説」には、

 「① 人の代理をすること。また、その人。てがわり。
  ※御堂関白記‐寛弘六年(1009)九月一一日「僧正奉仕御修善、手代僧進円不云案内」
  ※満済准后日記‐正長二年(1429)七月一九日「於仙洞理覚院尊順僧正五大尊合行法勤修云々。如意寺准后為二手代一参住云々」
  ② 江戸時代、郡代・代官に属し、その指揮をうけ、年貢徴収、普請、警察、裁判など民政一般をつかさどった小吏。同じ郡代・代官の下僚の手付(てつき)と職務内容は異ならないが、手付が幕臣であったのに対し、農民から採用された。
  ※随筆・折たく柴の記(1716頃)中「御代官所の手代などいふものの、私にせし所あるが故なるべし」
  ③ 江戸幕府の小吏。御蔵奉行、作事奉行、小普請奉行、林奉行、漆奉行、書替奉行、畳奉行、材木石奉行、闕所物奉行、川船改役、大坂破損奉行などに属し、雑役に従ったもの。
  ※御触書寛保集成‐一八・正徳三年(1713)七月「諸組与力、同心、手代等明き有之節」
  ④ 江戸時代、諸藩におかれた小吏。
  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)七月二三日「其切手・てたいの書付、川井嘉兵へに有」
  ⑤ 商家で番頭と丁稚(でっち)との間に位する使用人。奉公して一〇年ぐらいでなった。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「宇治の茶師の手代(テタイ)めきて、かかる見る目は違はじ」
  ⑥ 商業使用人の一つ。番頭とならんで、営業に関するある種類または特定の事項について代理権を有するもの。支配人と異なり営業全般について代理権は及ばない。現在では、ふつう部長、課長、出張所長などと呼ばれる。〔英和記簿法字類(1878)〕
  ⑦ 江戸時代、劇場の仕切場(しきりば)に詰め、帳元の指揮をうけ会計事務をつかさどったもの。〔劇場新話(1804‐09頃)〕」

と、いろいろな手代がいる。下っ端だけどある程度の権限を握っている、という感じがする。いかにも横領とかしてそうな、というイメージがあったのだろう。
 三十五句目。

   手代にまかせをけるしら露
 御祓に伊勢の浜荻声そへて    松意

 「伊勢の浜荻」は「難波の芦」ともいう。
 商売の方は手代に任せて伊勢参りに行くが、その手代がどうも心細い。御祓いをしても荻ならぬ芦の上風の寒々とした声がする。
 三十六句目。

   御祓に伊勢の浜荻声そへて
 上荷をはねる大淀の舟      卜尺

 上荷(うはに)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「上荷」の解説」に、

 「① 馬などの積み荷のうち、上に積み重ねたもの。
  ※万葉(8C後)五・八九七「ますますも 重き馬荷に 表荷(うはに)打つと 云ふ事の如(ごと)」
  ② 車馬または船などの積み荷。上荷物。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「秋の海浅瀬は西に有と申 上荷とるらし彼岸の舟〈素玄〉」
  ③ 「うわにぶね(上荷船)」の略。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)一「上荷(ウハニ)茶船かぎりもなく川浪に浮ひしは」

とある。
 この場合は②でいいと思う。「はねる」は横にはねておくということで、御祓いをするため、一時的に荷物を余所にやる。
 伊勢の浜荻は「難波の芦」ということで、淀川の芦の生えている荷下ろし場の風景とする。
 二裏、三十七句目。

   上荷をはねる大淀の舟
 生肴五分一わけて帰る波     松意

 ここでは③の方の上荷船になる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「上荷船」の解説」に、

 「〘名〙 大型廻船の荷物の積みおろしをするために使われた喫水の浅い荷船。瀬取船、茶船と同じで、二〇石積みから四〇石積みがふつうだが、所により大きさ、船型に多少の相違がある。うわに。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「これ天のあたへと喜びくだきて、上荷舟にて取よせ」

とある。積荷の生魚を五隻に分けて運び出す。
 三十八句目。

   生肴五分一わけて帰る波
 すでに城下の明ぼのの風     雪柴

 城下町で魚を売る魚屋であろう。漁船が付くと、その五分の一を分けてもらって、これから売り歩く。
 三十九句目。

   すでに城下の明ぼのの風
 つき鐘に夢を残して代番     一鉄

 代番(かはりばん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「代番・替番」の解説」に、

 「① 互いにかわりあって事をすること。交替でつとめること。順番。かわりばんこ。
  ※俳諧・生玉万句(1673)「十五日つつ東風(こち)かせ恋風〈正察〉 かはり番余所目の関や霞むらん〈昌忠〉」
  ② 交替で当たる番。また、それに当たっていること。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「すでに城下の明ぼのの風〈雪柴〉 つき鐘に夢を残して代番〈一鉄〉」

とある。
 明け方からシフトに入る人が、まだ半分眠ったような状態で夜明けの鐘の音を聞く。
 つき鐘は撞木 (しゅもく) でついて鳴らす鐘で、お寺の梵鐘をいう。
 四十句目。

   つき鐘に夢を残して代番
 あかぬ別に申万日        志計

 万日(まんにち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「万日」の解説」に、

 「① 万の日数、また、多くの日数。
  ② =まんにちえこう(万日回向)
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「つき鐘に夢を残して代番〈一鉄〉 あかぬ別に申万日〈志計〉」

とある。万日回向はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「万日回向」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、一日参詣すると万日分の功徳に値するとされた特定の日。また、その日の法会。浄土宗の寺院に多く行なわれた。万日。
  ※咄本・軽口露がはなし(1691)三「夫婦づれにて百万辺の万日ゑかうに参るとて」

とある。
 「あかぬ別(わかれ)」は、

 きぬぎぬのあかぬ別れにまたねして
     夢の名残をなげきそへつる
              小倉公雄(新千載集)

が本歌か。後朝の後に二度寝して、その夢に愛しい人が出てきて悲しいという歌だが、ここでは今日は万日回向なので代番を残して行ってしまう、という意味になる。
 四十一句目。

   あかぬ別に申万日
 移り香の袖もか様に葉抹香    在色

 葉抹香(はまつかう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葉抹香」の解説」に、

 「① 安物の香。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「あかぬ別に申万日〈志計〉 移り香の袖もか様に葉抹香〈在色〉」
  ② 葉のついた樒(しきみ)。
  ※俳諧・富士石(1679)「山青し嵐も霞む葉抹香〈等躬〉」

とある。
 万日回向だと言って行ってしまったあの人は、袖に移った香も安っぽい。
 四十二句目。

   移り香の袖もか様に葉抹香
 思ひつもりて瘡頭かく      松臼

 瘡頭(かさあたま)は「かさがしら」と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「瘡頭」の解説」に、

 「〘名〙 おできのできている頭。かさあたま。
  ※御伽草子・高野物語(室町末)「かさがしらそり、此御山にてもはや三十よねんに成候」
  ※譬喩尽(1786)二「瘡頭(カサガシラ)掻乱(かきみだ)したやうな」

とある。葉抹香も瘡頭も貧乏臭い。貧乏人の恋。
 四十三句目。

   思ひつもりて瘡頭かく
 百とせの姥となりたる道の者   正友

 謡曲『卒塔婆小町』であろう。

 「今は民間賤のめにさへきたなまれ、諸人に恥をさらし、嬉しからざる月日身に積もつて、百年の姥となりてさむらふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.43173-43178). Yamatouta e books. Kindle 版.)

とある。道は和歌の道。
 四十四句目。

    百とせの姥となりたる道の者
 むばらからたちすゑのはたご屋  松意

 「むばら」はイバラのこと。
 「むばらからたち」は『伊勢物語』六十三段に、

 「百年に一年たらぬつくも髪
     われを恋ふらしおもかげに見ゆ

とて、いで立つ気色を見て、うばらからたちにかかりて、家にきてうちふせり。」

とある。元ネタは在原業平はたとえ九十九の婆さんでも分け隔てなく相手するというものだが、ここでは旅籠屋の娼婦として、九十九の婆さんが出て来る。
 老いた娼婦でも相手をするのが色道を究めた本当の遊び人というものだ。
 四十五句目。

   むばらからたちすゑのはたご屋
 用心は残る所も候はず      一朝

 イバラもカラタチも棘があるので、人の侵入を防ぐ効果がある。イバラとカラタチに守られた旅籠屋は、防犯意識が高い。
 四十六句目。

   用心は残る所も候はず
 風やふきけす有明の月      一鉄

 火の用心ということか。月まで吹き消すなんて、やり過ぎだしシュールだ。
 四十七句目。

   風やふきけす有明の月
 扨こそな枕をまたく虫の声    卜尺

 前句の「有明」を有明行燈のこととする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「有明行灯」の解説」に、

 「座敷行灯の一種。江戸時代、寝室の枕(まくら)元において終夜ともし続けた。構造は小形立方体の手提げ行灯で、火袋または箱蓋(はこぶた)の側板が三日月形や満月形などに切り抜かれていて、書見、就寝などのとき灯火の明るさを調節できるようになっている。黒や朱で塗り上げた風雅なもの。[宮本瑞夫]」

とある。
 風が行燈の火を吹き消して暗くなると、コオロギなど部屋に入って来て枕の辺りで鳴く。
 四十八句目。

   扨こそな枕をまたく虫の声
 童子が好む秋なすの皮      在色

 虫が寄ってくるのは、子供が秋茄子を勝手に食って、その皮を枕の辺りに捨てたからだ。
 今は茄子の嫌いな子が多いが、昔は茄子も子供にとってのご馳走だったのだろう。この時代の焼きナスは自分の手で向いて、手掴みで食べていたか。
 四十九句目。

   童子が好む秋なすの皮
 花嫁を中につかんでかせ所帯   雪柴

 「花嫁」は無季で非植物だが貞門・談林では正花として扱う。蕉門は基本的に花の定座は春、植物、木類の花に限られ、桜と限定できない譬喩の花でも春、植物、木類として扱う。
 「かせ所帯」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「悴所帯」の解説」に、

 「〘名〙 貧乏所帯。貧乏暮らし。貧しい生活。かせせたい。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「童子が好む秋なすの皮〈在色〉 花娵(はなよめ)を中につかんでかせ所帯〈雪柴〉」
  ※浄瑠璃・双生隅田川(1720)三「あるかなきかのかせ所帯(ショタイ)、妻は手づまの賃仕事(しごと)」

とある。
 子供にはご馳走とはいえ、茄子はやはり貧乏人の食い物で、花嫁も子供と一緒になって茄子を掴んで食べる。
 「秋茄子は嫁に食わすな」とはいうが、悴所帯ではほかに食うものもあるまい。良家では食わすなということか。ひょっとしたら「秋茄子は嫁に食わすな」は、うちではそんな貧乏臭いものは食わないという見栄だったのかもしれない。
 五十句目。

   花嫁を中につかんでかせ所帯
 りんきいさかひ春風ぞふく    正友

 貧乏な家では親や兄弟が狭い部屋に同居していて、そんなところに花嫁がいると、手を出しただの出さないだの、いさかいのもとになる。

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