2022年3月24日木曜日

 染井吉野も二分咲きくらいになった。
 昨日のゼレンスキーさんの国会演説は、ニュースでは相変わらず細切れにしてよくわからないものになっているが、全文掲載のサイトもあるので改めて読み返してみた。
 チェルノブイリの話題から入ったのは、単に原発が脅威にさらされたというだけのことではなく、日本でも多くの人たちが故郷を離れて生活していることに思いを馳せて、非難したウクライナ人が無事に故郷に戻れるように、というメッセージに繋がるもので、全体がこのモチーフで構成されていた。

 「またこのウクライナに対する侵略の"津波"を止めるために、ロシアとの貿易禁止を導入し、また各国企業がウクライナ市場から撤退しなければならないです。その闘志がロシア亡命の同志になりますので、ウクライナの復興も考えなければならないです。」

というところに、津波のように襲い掛かってきたロシア軍を食い止め、撤退させ、

 「避難した人たちがそれぞれのふるさとに戻れるようにしなければならないです。日本のみなさんもきっとそういう住み慣れたふるさとに戻りたい気持ちがおわかりだと思います。」

と繋がる。
 ロシア軍を撤退させて、一刻も早く現状を回復させ、更には侵略を一切認めない国際的枠組みを現実的に機能させなくては、この国には平和は訪れない。
 日本にはロシア軍を撤退させる力はないが、その後の国際的枠組みについて、何らかの役割を果たしていかなくてはいけないと思う。国連そのものを作り直す必要があるし、それができないなら、自由主義国だけで国連に代わるものを作るしかない。
 幻に終わった太平洋集団安全保障構想があったが、NATOをウクライナはもとより民主化したロシアにまで拡大し、その一方で日米同盟を含む環太平洋の包括的な共同防衛体制を構築し、それらを統括する機構を作れば、独裁国家を孤立させることができるのではないかと思う。
 太平洋集団安全保障構想の頃は共産主義との戦いだったが、今の時代は独裁体制との戦いだ。

 それでは「新撰菟玖波祈念百韻」の続き。

 初裏。九句目。

   やどりもみえず人ぞわかるる
 むらあしのこなたかなたに舟さして 恵俊

 「むらあし」は『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注には、

 うちそよぐ水のむら蘆下折れて
     浦寂しくぞ雪ふりにける
              (忠度集)

を用例として挙げている。日文研の和歌検索データベースでは、ヒットしたのは、

 ふる雪のみつのむら蘆下折れて
     音も枯ゆく冬の浦風
              未入力(歌枕名寄)
 たた一木山さは水にふす松の
     葉分におふるこすけ村芦
              正徹(草魂集)

の二軒に留まる。そのうち『歌枕名寄』の歌の方は『忠度集』の歌と一致点が多く、これを本歌としたと思われる。
 句の方は、前句の宿りも見えない別れに、蘆の中で船と船が互いに去って行く情景を付けている。
 十句目。

   むらあしのこなたかなたに舟さして
 風わたる江の水のさむけさ    宗仲

 ここで『忠度集』や『歌枕名寄』の歌を本歌として、江の水に風を添えている。
 十一句目。

   風わたる江の水のさむけさ
 山かげや氷もはやくむすぶらん  宗忍

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は、

   元久元年八月十五夜和歌所にて
   田家見月といふことを
 風わたる山田の庵をもる月や
     穂波に結ぶ氷なるらむ
              藤原頼実(新古今集)

を引いている。
 山田の庵は山陰にあるもので、山陰の江の水も平地よりも水が氷るのが早い。
 十二句目。

   山かげや氷もはやくむすぶらん
 雪をもよほすをちかたの雲    慶卜

 雪もまた雲の中で結んだ氷だ。
 十三句目。

   雪をもよほすをちかたの雲
 そことなく末野のあした鳥鳴きて 正佐

 をちかた(遠方)に末野が付く。鳥が鳴くと雪が降るという言い伝えでもあるのか。
 十四句目。

   そことなく末野のあした鳥鳴きて
 ゆくゆくしるき里のかよひ路   宗坡

 「ゆくゆくと」は、

    なかされ侍りてのち
    いひおこせて侍りける
 君が住む宿の梢の行く行くと
     隠るるまでに返り見しはや
             道真 贈太政大臣(拾遺集)

などの用例があるが、漢詩の「行き行きて」を思わせる羇旅の体になる。
 末野の果てへと旅を続けると、朝には鳥が鳴いて、里へと続く道がはっきりと見えてくる。
 十五句目。

   ゆくゆくしるき里のかよひ路
 ながめつつ誰もねぬ夜や月の下  宗宣

 宗宣はこれが四句目に続き二句目になる。ようやく連衆が一順したのだろう。
 里の通い路を夜旅していると、今夜は月夜なので誰もが月を詠め、寝ている人はいない。
 十六句目。

   ながめつつ誰もねぬ夜や月の下
 をぎふく風をいかにうらみむ   宗祇

 宗祇も二句目になる。
 誰も寝てないせいか、あの人も通ってくることができない。ただ荻を吹く風の音の凄まじさを恨む。「うらみむ」は風に葉の裏返るのと掛ける。
 水無瀬三吟、二十句目の、

   いたずらに明す夜多く秋ふけて
 夢に恨むる荻の上風       肖柏

の句を思わせる。
 十七句目。

   をぎふく風をいかにうらみむ
 こころより袖にくだくる秋の露  友興

 袖に砕ける露は心の露で、涙のことになる。前句の「をぎふく風のうらみ」に掛かる。
 十八句目。

   こころより袖にくだくる秋の露
 いつはりになすおもひもぞうき  兼載

 袖を濡らす涙を、男の「いつはり」のせいというふうに展開する。「くだくるーおもひ」と繋がる。
 「おもひくだくる」は、日文研の和歌検索データベースだと、

 よるべなき人の心の荒磯に
     おもひくだくるあまの捨て舟
              未入力(延文百首)
 貴船川瀬々に浪よる白玉や
     おもひくだくる蛍なるらむ
              未入力(延文百首)
 誰によりおもひくたくるこころぞは
     知らぬぞ人のつらさなりける
              未入力(亭子院歌合)

の三件がヒットする。思い乱れるの強い言い回しで、ハートブレイクではない。露の玉の乱れるイメージと重ね合されている。
 十九句目。

   いつはりになすおもひもぞうき
 ありふればすてがたき世のやすらひに 宗長

 恋の悩みを述懐に転じるのはよくあるパターンではある。
 「やすらい」はためらいで、長生きはして死が近づいているとはいえ、世を捨てて出家するのもためらわれて、出家への思いも迷っているうちに嘘になってしまった。
 二十句目。

   ありふればすてがたき世のやすらひに
 はかなき年を身にやかさねん   玄清

 出家をためらっているうちに、今年もまだ無駄に一年過ぎてしまった。
 二十一句目。

   はかなき年を身にやかさねん
 もろくちる花と見ながら待ちなれて 長泰

 脆く散る花のように人の命は儚いもので、どうせもう長くないんだからと何もせずにいたら、何年もずるずると無駄な一年をすごすことになる。それを「待ち慣れて」という所が面白い。
 二十二句目。

   もろくちる花と見ながら待ちなれて
 たたずむかげは春の山風     恵俊

 「待ちなれてーたたずむ」と繋がる。山風の吹く中花の散る中を誰か来るのを待っている人を付ける。

   僧正遍照によみておくりける
 さくら花散らば散らなむ 散らずとて
     ふるさと人のきても見なくに
              惟喬親王 (古今集)

の心であろう。

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