2022年3月4日金曜日

 鈴呂屋はウクライナの勝利を祈り、ウクライナの完全な独立の確保によるウクライナ・ロシア双方の平和に賛成します。



 今日の写真は二〇二〇年一月十三日に、三浦半島のソレイユの丘で撮影したもの。
 ザポリージャ原発の攻撃はたいしたものでなくて良かった。さすがにロシアも放射能で汚染された人の住めない領土なんて欲しくないだろう。それに本当に原発を爆破するつもりなら、近くの兵を撤収して遠距離から攻撃しないと、見方が巻き添えを食ってしまう。
 ただ、西側の危機意識を煽る効果はある。これを機に反戦運動が盛り上がると、それがいつのまにか「ウクライナは早く降伏しろ」の声に変わってしまう可能性もある。多分ネット工作で、あちこちで平和のためならウクライナを止めろという声を拡散してくるだろう。
 なお、ザポロジエ原発という人がいるが、それはロシア側の呼び方だ。ウクライナ語ではЗапорізька АЕС。
 ロイターが、

 「[4日 ロイター] - ロシア軍の攻撃で火災が発生したと伝えられているウクライナ原子力発電所の表記を「ザポリージャ」から「ザポロジエ」に変更します。
 2022年3月4日
 ロイター編集局」

というメッセージを出しているが、これはロシアの所有になったからという意味か。

 それでは「されば爰に」の巻の続き。

 三表、五十一句目。

   りんきいさかひ春風ぞふく
 大泪そこらあたりの雪消て    志計

 春風に雪消えてが付け合いになり、「りんきいさかひ」に「大泪」と展開する。
 まあ、思い切り泣けば気も晴れるというものだ。
 五十二句目。

   大泪そこらあたりの雪消て
 五十二類や野辺の通ひ路     一朝

 五十二類はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「五十二類」の解説」に、

 「〘名〙 仏語。涅槃経(ねはんぎょう)序品における、釈迦入滅の際、集まって嘆き悲しんだという、仏弟子以下鳥、獣、虫、魚から毒蛇にいたる五十二種の生きもの。一切の衆生をさしていう語。五十二衆。
  ※保元(1220頃か)上「釈迦如来〈略〉彼の二月中の五日の入滅には、五十二類愁(うれへ)の色を顕し」

とある。
 涅槃会は旧暦二月十五日で、釈迦入滅を悲しむ頃には春も来て、動物たちも通って来る。
 五十三句目。

   五十二類や野辺の通ひ路
 とめ山は下葉しげりて分もなし  松臼

 とめ山はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「留山」の解説」に、

 「御林(おはやし)などと呼ばれた近世の領主林のうち、入山・伐採を厳格に禁止された山林のこと。近世初期の大建設時代、幕藩領主の囲い込んだ優良森林資源は、搬出可能な地域から大量に伐採され、寛文・延宝期(1661~1681)には資源桔渇状況に陥った。また、この時期は山野を対象とした耕地開発も進み、山野の水土保全機能が低下して、本田畑への災害を招くようになった。以後、享保期(1716~1736)頃までに、領主はこうした状況を解消するため、領主林については広く伐採禁止林(留山)を設定して優良森林資源を保護・育成するとともに、水土保全機能の向上に務めた。その結果、領主林からの伐採量は急減し、山元の村々では百姓の稼ぎの場が縮小した。森林資源は徐々に回復するが、伐採規制だけでは不十分であったため、領主林に百姓や地方給人(じかたきゅうにん)・陪臣(ばいしん)などが植林し、その収益を領主と植林者とが一定割合で分ける部分林(ぶわけばやし)制度の導入で、より積極的な資源育成に着手する藩が多かった。[加藤衛拡]
 『農林省山林局編『徳川時代に於ける林野制度の大要』(1954・林野共済会)』▽『所三男著『近世林業史の研究』(1980・吉川弘文館)』」

とある。
 入山禁止の山は柴刈る人も入れずに放置されていて、下葉は茂り放題で、動物たちの天下だ。
 五十四句目。

   とめ山は下葉しげりて分もなし
 爰にあら神千年の松       卜尺

 とめ山を神社の入山を禁じた森として、荒ぶる神の千年の松がある。
 五十五句目。

   爰にあら神千年の松
 要石なんぼほつてもぬけませぬ  松意

 要石は鹿島・香取両神宮にあり、地震を起こす鯰を抑えつけているという。地上に現れているのは小さな石だが、その下は地下の奥深くつながっていると言われている。
 五十六句目。

   要石なんぼほつてもぬけませぬ
 鯰の骨を足にぐつすり      雪柴

 要石はウィキペディアには、

 「江戸時代初期までは、竜蛇が日本列島を取り巻いており、その頭と尾が位置するのが鹿島神宮と香取神宮にあたり、両神宮が頭と尾をそれぞれ要石で押さえつけ、地震を鎮めている、とされた。しかし時代が下り江戸時代後期になると、民間信仰からこの竜蛇がナマズになり、やがてこれが主流になった。」

とある。延宝の頃には既に鯰になっていたようだ。
 鹿島神宮の武甕槌大神が鯰を踏みつけて退治し、要石で封印したというが。踏んだ時に足に鯰の骨が刺さったという話があったのかどうか。知らんけど。
 五十七句目。

   鯰の骨を足にぐつすり
 はきだめに瓢箪一つ候ひき    一鉄

 鯰は古くは鮎の字を当てていて、「瓢鮎図」は画題になっていた。「瓢箪で鯰を抑える」という禅の公案(禅問答)によるという。
 まあ、真理を言葉で言い表すというのは、鯰を瓢箪で捕まえようというようなものだ、ということか。
 この有難い画題を卑俗なゴミ捨て場の情景にして、食べた後の鯰の骨や、それを肴に酒を飲んだ瓢箪が転がっている。うっかり踏むと鯰の骨が足に刺さる。
 五十八句目。

   はきだめに瓢箪一つ候ひき
 肱をまげたるうら店の秋     志計

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、『論語』述而篇の、

 「子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲。」

と雍也篇の、

 「子曰、賢哉回也、一箪食、一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽、賢哉回也。」

を引いている。
 掃き溜めのような裏通りに住んで、肱を枕にして瓢箪の水を飲む市隠とする。
 五十九句目。

   肱をまげたるうら店の秋
 薮医者も少工夫のさぢの月    在色

 前句の裏店を薮医者の薬売りとする。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『春秋左氏伝』の「三折肱知為良医」の言葉を引用している。これによる付けであろう。
 医者の使う金属製の匙を月に見立てたか。
 六十句目。

   薮医者も少工夫のさぢの月
 諸方のはじめ冷ておどろく    松臼

 薬を処方したら体温が急速に低下して驚く。
 六十一句目。

   諸方のはじめ冷ておどろく
 其形こりかたまりて今朝の露   正友

 諸方はその文字の通りの意味だと、「あちらこちら」という意味になる。朝の寒さにあちこちに露が降りている驚くということだが、それに国生みの天地の凝り固まりてのイメージを重ねる。
 凝り固まるは科学的には万有引力によるもので、露も天体もそれによって丸くなる。賀茂真淵は朝露の丸くなるのを以て地球も丸いとしたが、古来は沈殿のイメージで上下の座標の固定された平らな大地と考えられていた。
 六十二句目。

   其形こりかたまりて今朝の露
 灰かきのけて見たるあだし野   松意

 化野(あだしの)の露は、

 あだし野の露吹き乱る秋風に
     なびきもあへぬ女郎花かな
              藤原公実(金葉集)
 誰とてもとまるべきかはあだし野の
     草の葉ごとにすがる白露
              西行法師(山家集)

など、歌に詠まれている。前者は秋で、後者は哀傷になる。化野はかつては風葬の地で、江戸時代には火葬場があった。
 ここでは近世の火葬場の哀傷になる。灰になった故人に、辺りの草には露が降りる。
 六十三句目。

   灰かきのけて見たるあだし野
 穴蔵の行衛いかにと忘水     一朝

 忘水はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「忘水」の解説」に、

 「① 野中などを、絶え絶えに流れている水。人に知られないで流れている水。
  ※是則集(平安中)「霧ふかき秋のの風にわすれみつたえまがちなるころにもあるかな」
  ② 残り水。
  ※続春夏秋冬(1906‐07)〈河東碧梧桐選〉春「雀子や盥の底の忘れ水〈楽南〉」

とある。
 前句の火葬の場面に「穴蔵」は墓穴を連想させる。埋められた後は次第に忘れ去られていく。「去るものは日々に疎し」とは『文選』の古詩に由来する言葉で、

 去者日以疎 来者日以親
 出郭門直視 但見丘與墳
 古墓犂為田 松柏催為薪
 白楊多悲風 蕭蕭愁殺人
 思還故里閭 欲還道無因

 去って行った者は日毎に疎くなり、来る者だけが日毎に親しくなって行く。
 町はずれの城門を出て見渡してみても、ただ土をもった墓があるばかり。
 古い墓は耕されて田んぼになり、墓に植えてあった真木も伐採されて薪となる。
 境界の柳には悲しげな風ばかりが吹いて、ショウショウと葉を揺らす音が死にたいくらい物悲しい。
 故郷の入り口をくぐって帰ろうと思っても、そこで落ち着く手だてなどありはしない。

から来ている。
 六十四句目。

   穴蔵の行衛いかにと忘水
 宿がへをせし東路の果      一鉄

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注が引用している通り、

   東に侍りける時都の人に遣しける
 東路の道の冬草茂りあひて
     跡だに見えぬ忘れ水かな
              康資王母(新古今集)

を本歌として「忘水」に「東路」が付く。
 穴蔵に籠って修行していたが、今はどこかへ宿替えしたのだろう。その行方も知れず忘れ水となる。
 三裏、六十五句目。

   宿がへをせし東路の果
 借銭は人のこころの敵となり   卜尺

 前句の「東路の果」を借金取りに追われての逃避行とする。
 六十六句目。

   借銭は人のこころの敵となり
 桓武天皇九代の呑ぬけ      在色

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『船弁慶』の、

 「抑もこれは、桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.74874-74878). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 ただ、知盛が大酒飲みだったかどうかはよくわからない。
 『平家物語』には、

 「まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も詞も及ばれね。
 其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王、九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。」

とあるから、「桓武天皇九代の後胤」は平清盛と、その一門全体を表していたか。
 今の時代の酒で借金を拵えて没落する人を、平家の栄華に喩えたと見た方がいいかもしれない。
 六十七句目。

   桓武天皇九代の呑ぬけ
 道外舞塩辛壺とはやされたり   雪柴

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『平家物語』の殿上闇討の、

 「忠盛御前の召に舞はれければ、人々拍子を替へて伊勢瓶子は醯甕(すがめ)なりけりとぞはやされる。」

を引いている。
 一般に平家(へいけ)と呼ばれるのは伊勢平氏で、「へいし」という音から「瓶子(へいじ)」と揶揄される。ここではその瓶子は酒ではなく酢甕だという。
 前句の平家の大酒飲みから、ここでは酢甕ではなく塩辛壺だと囃す。舞も延宝の頃の流行の「道外舞(だうけまひ)」にする。
 桓武平氏はいくつかの流れがあって、平家とよばれるのは伊勢平氏で、頼朝挙兵の時に頼朝を神輿に載せて担ぎ上げていた坂東武者の多くは、源氏ではなく坂東平氏だった。平氏が平家を打倒したといってもいい。
 六十八句目。

   道外舞塩辛壺とはやされたり
 戸棚をゆらりと飛猫の声     正友

 前句の道外舞を戸棚を跳ぶ猫とする。塩辛壺をひっくり返したか。
 六十九句目。

   戸棚をゆらりと飛猫の声
 恋せしは右衛門といひし見世守リ 志計

 『源氏物語』で柏木と呼び習わされている登場人物は、作中では「衛門督(ゑもんのかみ)の君」という官名で呼ばれている。正確には右衛門督だが、それを「右衛門」というと江戸時代の庶民っぽい。
 柏木というと猫の取り持つ縁で、普段他の人に馴れない猫が、なぜかその人にはなつくというパターンは、今でも時折用いられる。
 ここでは右衛門という江戸時代の青年の物語になり、前句の戸棚から男は店主ということになる。
 七十句目。

   恋せしは右衛門といひし見世守リ
 お町におゐて皆きせるやき    一朝

 「きせるやき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「キセル焼」の解説」に、

 「〘名〙 キセルにつめたタバコの火で肌を焼き、入れぼくろのようにすること。元祿(一六八八‐一七〇四)頃、誓約のしるしとして遊女の間などに行なわれた。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「恋せしは右衛門といひし見世守り〈志計〉 お町におゐて皆きせるやき〈一朝〉」

とある。
 当時の遊女は今日のソープランドのような、金さえ払えば誰でもやれるというものではなかった。
 売春施設というよりは、今日の出会い系に近いもので、男はせっせと通い、相手に気に入られるような文を交わしたり、金をつぎ込んでプレゼントなどをし、遊女に気に入られれば逢うことを許されるというプロセスを必要とした。
 遊女の側からすれば基本的には生活のための売春なのだが、通う男の方の意識としては憧れの遊女と恋仲になるという感情が入ってしまうため、ひとたび遊女と擬制の恋仲になると、客の男が遊女に貞節を要求するという、奇妙なことになっていた。
 もちろん、それは商売上の表向きのもので遊女も生活のためには何人もの客を取らなくてはならないのだが、すっかり頭に血がのぼってストーカーまがいになる客も多く、誓文を書かせたり、指を詰めて忠誠を誓うように要求したりしていた。
 こういう輩に憑りつかれた遊女の苦悩というのも並大抵のものではなかっただろう。遊女の側としては、せいぜい金を使い果たして身を持ち崩し、遊郭に来られなくなるのを願うしかない。
 遊び馴れた人間は、遊女の立場というのもよく理解しているから、こういう無理難題を吹っ掛けたりしないし、誓文なんかも、どうせ客のみんなに配ってるんだろうくらいに思い、本気にしたりはしない。
 煙管焼きというのも、その貞操の誓いの一つだったのだろう。見世守リで金はあるもんだから、何人もの遊女を相手にして、みんなに煙管焼きをするなんて、そうとう嫌な客だったのだろう。まあ野暮だから俳諧のネタにもなる。
 今日では煙草の火を肌に押し付ける「根性焼き」というのが、リンチの一つのやり方として残っている。
 七十一句目。

   お町におゐて皆きせるやき
 起請文既に宿老筆取にて     松臼

 起請文は誓文のこと。遊女の起請文も一々自分で書くものではなく、宿老が代筆していたのだろう。
 七十二句目。

   起請文既に宿老筆取にて
 今度の訴訟白洲をまくら     卜尺

 前句の起請文を裁判の時の宣誓の書類とする。宿老に代筆してもらう。
 白洲は「お白洲」で、ウィキペディアに、

 「お白洲(おしらす)は、江戸時代の奉行所など訴訟機関における法廷が置かれた場所。」

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白州・白洲」の解説」には、

 「⑥ (白い砂が敷かれていたところからいう) 江戸時代、奉行所の法廷の一部。当時は身分により出廷者の座席に段階が設けられており、ここは百姓、町人をはじめ町医師、足軽、中間、浪人などが着席した最下等の場所。砂利(じゃり)。
  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)四「夜中同じ事を百たびもおしへて又其朝もいひ聞せて両方御白洲(シラス)に出ける」
  ⑦ (⑥から転じて) 訴訟を裁断したり、罪人を取り調べたりした所。奉行所。裁判所。法廷。
  ※虎明本狂言・昆布柿(室町末‐近世初)「さやうの事は、此奏者はぐどんな者で、申上る事はならぬほどに、汝らが、お白砂(シラス)へまいって直に申上い」

とある。
 「まくら」は頭に敷くものということで、起請文の提出を裁判の初め(枕)とする。
 七十三句目。

   今度の訴訟白洲をまくら
 網引場月の出はには西にあり   松意

 前句の白洲を海岸の白浜とし、網引場の月を添える。海辺で白洲に寝ころびながら、今度の訴訟のことを思う。
 七十四句目。

   網引場月の出はには西にあり
 木仏汚す蠣がらの露       雪柴

 月は西にということで西方浄土の象徴とし、木仏を出す。網引場の木仏だから、蠣(かき)の殻がへばりついている。
 七十五句目。

   木仏汚す蠣がらの露
 秋風をいたむ小寺の方庇     一鉄

 木仏に小寺を付け、前句の「蠣がら」を牡蠣殻葺きの屋根とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「牡蠣殻葺」の解説」に、

 「〘名〙 牡蠣殻を屋根の上に一面に敷き並べること。また、その屋根。飛び火などによる火災を防ぐために行なった。牡蠣殻屋根。〔禁令考‐前集・第四・巻三七・享保一〇年(1725)三月〕」

とある。
 庇に秋風は、

 人住まぬ不破の関屋の板廂
     荒れにし後はただ秋の風
              藤原良経(新古今集)

を本歌として、荒れた小寺の方庇とする。
 七十六句目。

   秋風をいたむ小寺の方庇
 新発心寒く成まさるらん     志計

 新発心(しんぼち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「新発意・新発」の解説」に、

 「〘名〙 仏語。
  ① 新たに発心して仏道にはいること。また、その人。新たに出家した者。特に、武家などの出家した者をさすこともある。初発心。今道心。青道心。しんぼっち。
  ※法華義疏(7C前)一「六地以還、不レ宜レ明二新発一、而其不レ能三体二解如来実智之理一。皆是一種無レ異故。皆称二新発一」
  ※浮世草子・好色五人女(1686)四「跡は七十に余りし庫裏姥ひとり十二三なる新発意(シンボチ)壱人」
  ② 真宗で寺のあとつぎをいう。
  [語誌]シンボチとよむのが一般的であるが、「源氏物語」などには撥音無表記により「しぼち」とあり、また、「文明本節用集」に「シンホツイ」、「明応本節用集」に「シホツイ」、「黒本本節用集」に「シンボチイ」と見える。これに対し、「節用集大全」(一六八〇)に「シンボチ」「シンボチイ」の両形、「広益二行節用集」(一六八六)に「シンボチ」、「書言字考節用集‐四」(一七一七)に「シンボチ」が認められ、元祿に入って刊行された節用集以降は、ほぼシンボチに定着していくようである。」

とある。
 前句の「いたむ」を悼むとして、親しき人の死をきっかけに発心したのであろう。まだ寺での生活に慣れず、心まで寒くなる。
 七十七句目。

   新発心寒く成まさるらん
 久堅の天狗のわるさ花の雪    在色

 山の天狗が桜の花の散るのを本物の雪に変えてしまい、山寺の新発心は寒い思いをする。
 花はよく雪に喩えられ、雪もまた花にたとえられる。
 七十八句目。

   久堅の天狗のわるさ花の雪
 先谷ちかき百千鳥なく      松臼

 百千鳥は古今伝授三鳥の一つとされる謎の鳥で、鶯とも、不特定な沢山の鳥とも言われている。春に詠むことが多い。
 花の雪に百千鳥というと、

 百千鳥木づたひ散らす桜花
     いづれの春か来つつ見ざらむ
              紀貫之(貫之集)

だろうか。桜の花が雪のように散るのを天狗の悪さかと思ったが、実は百千鳥の仕業だった。

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