2022年3月29日火曜日

 まあ、プーちんもアメリカの権威失墜に成功したという意味では、目的の半分は達成したかな。あとは勝負で負けて試合に勝つってところなんだろう。欧米の建前だけの平和主義でロシアに有利な戦後処理をしたら、もう何か次の手を企んでいるんだろうな。
 自由主義と独裁国家の対立図式さえ残っていれば、ロシアにも中国にもやれることはたくさんある。まして、この対立図式で自由主義国家の世論を分断しているんだから、なおさらだ。
 戦いは終わらない。終わらせたくても向こうからやって来る。その都度譲歩して仮初の平和があっても、それはまたすぐに向こうから脅かしてくる。
 自由主義経済の繁栄を最初から捨てる気なら、奴らは何も恐れるものはないし、恐れる理由もない。庶民が飢餓に苦しんでいても、独裁者と指導者層が旨い物食えてれば、独裁国家は成立する。庶民が反乱を起こそうが、圧倒的な軍事力があれば却ってちょうどいい人口調整になる。
 どこで間違ってしまったんだろうか。近代資本主義は生産性を飛躍的に向上させ、いつでも物が溢れかえっていて、足りないもののない世界を作るはずだった。
 飢餓がなくなれば生きるために無理に争うこともなく、平和で自由で豊かな世界があるはずだった。
 結局自分が飢えているわけではなくても、自分より豊かな奴らがいるのは気に食わない。引きずり降ろしてやりたい。そうやって、後は適当な理屈をつけて、人の足を引っ張りたがる奴らが群れになる。
 絶対的貧困がなくなっても、人は相対的貧困に不満を持ち、妬み嫉みがいつしか世界を飢餓と戦乱の支配する世に引き戻して行く。
 それでも戦国時代にも連歌があったように、風流の道は終わらない。
 西鶴の『好色一代女』にこんな一節があった。

 「町人の末々まで、脇指といふ物差しけるによりて、言分・喧嘩もなくて治まりぬ。世に武士の外、刃物差す事ならずば、小兵なる者は大男の力の強さに、いつとても嬲られものになるべき。一腰恐ろしく、人に心を置くによりて、いかなる闇の夜も独りは通るぞとかし。」

 江戸時代が平和だったとはいえ、みんな丸腰で歩いていたわけではなかった。それからすると、今の日本の平和はやはり奇跡なんだ。これを守り切りたい。

 それでは「新撰菟玖波祈念百韻」の続き、挙句まで。

 名残表、七十九句目。

   われも薄の穂に出づるころ
 朝露のおくての門田かたよりて  友興

 晩稲がようやく穂が出る頃、すすきの穂も出る。「かたよる」は穂が垂れて片方に寄ること。
 門田はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「門田」の解説」に、

 「〘名〙 門の近くにある田。家の前にある田。もんでん。かんどだ。
  ※万葉(8C後)八・一五九六「妹が家の門田(かどた)を見むと打ち出来し情(こころ)もしるく照る月夜かも」
  ※源氏(1001‐14頃)手習「門田の稲刈るとて、所につけたる、物まねびしつつ」
  [語誌]班田収授法の令制下で、「かきつた(垣内田)」と「かどた(門田)」には私有が認められた。垣をめぐらすことによって屋敷内の私有田と見なされるという、法の盲点をついた私有田確保の方策として生まれたもの。」

とある。
 八十句目。

   朝露のおくての門田かたよりて
 とこあらはなり鴫のなく声    玄清

 日本にいる鴫はタシギが多く、地面を掘って作った窪みに草を敷いた簡単な巣を作るという。門田の晩稲の片寄る頃には、門の外の普通の稲は刈られてしまい、巣があらわになる。

 夕されば門田の稲葉おとづれて
     芦のまろやに秋風ぞ吹く
              大納言経信(金葉集)

の歌は、百人一首でもよく知られている。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は

 わが門の刈田のおもに臥す鴫の
     床あらはなる冬の夜の月
              殷富門院大輔(新古今集)

の歌を引いて、本歌としている。
 八十一句目。

   とこあらはなり鴫のなく声
 かすかなる水をも月や尋ぬらん  恵俊

 冬枯れで水量が減って、鴫の巣があらわになったとする。ただ、川が干上がるだけでなく、それによって月も水に澄む(棲む)所がない、と洒落る。
 八十二句目。

   かすかなる水をも月や尋ぬらん
 すむをたよりと思ふ山かげ    長泰

 干上がった川ではなく、小さな池の幽かなるとして、月も映る。
 月も水に棲む(澄む)ように、我もまたこの池の水に頼って山陰で隠棲する。
 八十三句目。

   すむをたよりと思ふ山かげ
 松風にいまは心のならびきて   宗長

 松風の音の淋しさにもすっかり今は慣れてしまって、この山陰に長く住んでいるからだとする。
 「すむをたよりと思ふ山かげ」で「松風にいまは心のならびきて」と読んだ方がわかりやすい。「て留」の場合は、こういう後付けが許される。
 八十四句目。

   松風にいまは心のならびきて
 うつろふ花の残るあはれさ    宗祇

 前句を「いまはの心」、つまり「さよならの心」として、松風に散る花を付ける。
 八十五句目。

   うつろふ花の残るあはれさ
 はるばるとふるき宮このかすむ野に 兼載

 「ふるき宮こ」は近江京であろう。
 『平家物語』で平忠度の歌として知られる、

 さざ浪や志賀のみやこはあれにしを
     むかしながらの山ざくらかな
              よみ人しらず(千載集)

の心といえよう。この時代だと、応仁の乱後の京のことも思い浮かんだのだろう。
 八十六句目。

   はるばるとふるき宮このかすむ野に
 すさめしたれを春もこふらん   友興

 「春も」の「も」は力もで「春をこふらん」の強調。
 応仁の乱後の京だろうか、人の心も荒んで、誰が春を乞うだろうか、とする。
 八十七句目。

   すさめしたれを春もこふらん
 ほどもなく人に年こえ年くれて  宗祇

 前句の「すさめし」を疎遠になるという意味に取り成し、「去るものは日々に疎く」の心にする。
 人がなくなってから、何事もなく年月が過ぎて、また年が暮れ、悲しかった春もいつの間にかみんなが待ち望んでいる。
 八十八句目。

   ほどもなく人に年こえ年くれて
 ただ一夜のみかぎりとぞなる   宗忍

 今年も大晦日を残すのみとなる。今年も無事に一年過ぎてという何てこともない句だが、恋への転換を促す恋呼出しでもある。
 八十九句目。

   ただ一夜のみかぎりとぞなる
 おもはずもほのかたらひし旅枕  兼載

 「かたらふ」は恋の文脈では別の意味もある。旅の一夜の行きずりの遊びの恋とする。
 九十句目。

   おもはずもほのかたらひし旅枕
 夢をはかなみえやはわすれん   恵俊

 前句を夢で愛し合ったとし、儚く目覚める。
 九十一句目。

   夢をはかなみえやはわすれん
 露分くる秋は末野の草の原    宗長

 草の原の露は草葉の陰で、死を暗示させる。前句の「夢をはかなみ」を故人を偲ぶ句とする。
 九十二句目。

   露分くる秋は末野の草の原
 雪に見よとぞ松は紅葉ぬ     友興

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は、

 雪ふりて年の暮れぬる時にこそ
     つひにもみぢぬ松も見えけれ
              よみ人しらず(古今集)

を本歌とする、としている。
 常緑の松は紅葉することはないが、雪で白くなればそれが松の紅葉だ、という意味。
 名残裏、九十三句目。

   雪に見よとぞ松は紅葉ぬ
 すさまじき日数をはやくつくさばや 慶卜

 「すさまじ」は秋の季語で、晩秋の吹きすさぶ冷たい風は、早く秋の残りの日数を終わらせようとばかり、雪まで降らせてくる。
 九十四句目。

   すさまじき日数をはやくつくさばや
 ながらへはてむわが身ともなし  宗坡

 いつまでも生きているわけではないから、すさんだ暮しを終わらせて、仏道に出も専念すべき時だが、それでも思い切れないというのが述懐の本意だ。
 九十五句目。

   ながらへはてむわが身ともなし
 君いのる人はとほくとたのむ世に 長泰

 君を単に主君とすると、臣下の私は長生きできないがという嘆きと賀歌の趣旨が合わない。
 ここの君は天皇の治世、君が代のことで、この国が永遠に続いてくれと祈るばかりで、わが残りの命は少なくても、と読んだ方が良いだろう。
 「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」七十六句目にも、

   身を安くかくし置くべき方もなし
 治れとのみいのる君が代     心敬

の句がある。同様の心であろう。
 九十六句目。

   君いのる人はとほくとたのむ世に
 しまのほかまで浪よをさまれ   宗祇

 同様に、乱世がはやくおさまることを日本列島だけではなく、世界にまでも目を向ける。永楽帝亡きあとの明の情報もある程度日本に入ってきていたか。朝鮮半島も世宗(セジョン)の最盛期は終わっていた。
 九十七句目。

   しまのほかまで浪よをさまれ
 行く舟にあかでぞむかふ明石方  兼載

 前句の「しまのほか」を、明石の先は「やまとしま」ではないという古代人の見方として用いる。

 天さかる鄙の長路を漕ぎ来れば
     明石のとより大和島見ゆ
              柿本人麻呂(新古今集)

による。
 九十八句目。

   行く舟にあかでぞむかふ明石方
 夜ふくるままにきよき灯     宗長

 「灯」は「ともしび」。
 『伊勢物語』八十七段の芦屋へ行った在原業平の、

 「帰り来る道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前来るに、日暮れぬ。宿りの方を見やれば、海人の漁火多く見ゆるに、かのあるじの男、よむ、

 晴るる夜の星か河辺の蛍かも
     わが住む方の海人のたく火か

とよみて、家に帰り来ぬ。」

による。明石へ向かえば芦屋も通る。そこで芦屋の漁火を見る。
 九十九句目。

   夜ふくるままにきよき灯
 天津星梅咲く窓に匂ひ来て    友興

 前句の「きよき灯」を天津星とする。
 街の灯りのなかった時代の星月夜は真っ暗闇で、窓に咲く梅も姿は見えず、匂いだけが漂って来る。
 挙句。

   天津星梅咲く窓に匂ひ来て
 鶯なきぬあかつきの宿      玄清

 梅に鶯と言えばお約束の春の訪れ。月のない夜明けは元旦であろう。正月の訪れを以て、一巻は目出度く終わる。

0 件のコメント:

コメントを投稿