2022年3月17日木曜日

 これは昨日の写真。


 あと、『談林十百韻』の「されば爰に」の巻「青がらし」の巻「いざ折て」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「宗伊宗祇湯山両吟」の続き。

 初裏、九句目。

   やどりや出づる人さわぐなり
 ふす鳥をかり声ちかき山のかげ   宗祇

 ここで宗祇が二句続けて上句下句を交代する。
 ふす鳥はうつ伏している鳥で、足を畳んで休んでいる鳥もこう表現するのであろう。前句の宿を出た人たちは狩りのために外に出て行った。
 騒ぐと逃げちゃいそうだけ、鷹狩の場合は逃げようとして飛び立ったところを鷹に襲わせる。犬を使って飛び立たせる。
 十句目。

   ふす鳥をかり声ちかき山のかげ
 わけくる雪ぞ跡をあらはす     宗伊

 狩りというと雪で、

   罪の報いもさもあらばあれ
 月残る狩り場の雪の朝ぼらけ    救済

の句は当時はよく知られていたのだろう。
 冬の雪を踏む分けて行く旅をしていると、辺りから狩りの声が聞こえてくる。
 十一句目。

   わけくる雪ぞ跡をあらはす
 くろかみの中半うつろふ年々に   宗祇

 前句の雪を白髪の比喩とする。
 黒髪も歳とともに白髪混じりになり、頭髪をかき分けると白髪があらわになる。
 十二句目。

   くろかみの中半うつろふ年々に
 恋しさまさるたらちねのかげ    宗伊

 白髪の増えた母(たらちね)が、余計に恋しくなる。
 十三句目。

   恋しさまさるたらちねのかげ
 身のいかにならむもしらず世に住みて 宗祇

 前句の母は既に亡くなり、思い出の中でますます恋しくなる、とする。
 そして我もまた年老いて後世のことが気にはなるものの、出家することもなく、未だに俗世にしがみついている。述懐の見本のような句だ。
 十四句目。

   身のいかにならむもしらず世に住みて
 とすれば涙袖にかかれる      宗伊

 「とすれば」という言葉は、

 袖の上にとすれはかかる涙かな
     あないひしらす秋の夕暮れ
               宗尊親王(続古今集)

など和歌に用例がある。
 前句を、この先どうなるかわからないこの世間で、として、ふいに涙が溢れて来る、とする。述懐とも恋ともつかない曖昧な句で、やや展開にあぐねた遣り句気味の句になっている。
 十五句目。

   とすれば涙袖にかかれる
 たのめただ待たぬもつらき夜半の空 宗祇

 ここは恋に転じるしかないだろう。男の通って来るのを待つ夜も辛いが、待たなくてもよくなって、つまり完全に切れてしまうと、それもまた辛い。
 十六句目。

   たのめただ待たぬもつらき夜半の空
 おきゐる戸ぐちあけやしなまし   宗伊

 憎しみ合って別れた後、あの男が未練たらたらで、ストーカーみたいにまた訪ねて来ないかと思うと、それも辛い。
 十七句目。

   おきゐる戸ぐちあけやしなまし
 月みればいづくともなき鐘なりて  宗祇

 前句を自分の意志で戸を開けよう、と取り成し、月を見ているうちの夜が明けて戸を開ける、とする。
 十八句目。

   月みればいづくともなき鐘なりて
 秋のとまりにおくる舟人      宗伊

 明け方ということで秋の港に船で旅立つ人を見送る。
 「舟人」は、

 誰としも知らぬ別れのかなしきは
     松浦の沖を出づる舟人
               藤原隆信(新古今集)

のように、離別の歌に用いられる。松浦は中国へ渡る舟の出る所だった。
 十九句目。

   秋のとまりにおくる舟人
 行く雁の旅の誰をか友ならむ    宗祇

 舟に乗って遠ざかる旅人を雁の渡りに喩えて、雁が列を組んで飛ぶように誰か友がいればいいのだが、とする。
 ニ十句目。

   行く雁の旅の誰をか友ならむ
 ひとりのみねをこゆる夕暮     宗伊

 一人で峰を越える旅人の、友のないことの嘆きとする。
 二十一句目。

   ひとりのみねをこゆる夕暮
 古寺は花のかげだにかすかにて   宗祇

 一人峰を越える旅人を出家して寺に入る者とする。峰を越えると目指す古寺とそれを囲む桜が幽かに見えて来る。
 二十二句目。

   古寺は花のかげだにかすかにて
 春のはつせは奥もしられず     宗伊

 前句の古寺を長谷寺とする。名所の花とする。

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