2022年3月6日日曜日

 ウクライナに勝利を。世界に平和を。



 今日の写真は二〇一一年八月十一日撮影の、栃木県下都賀郡野木町のひまわり畑。あの日は確か三十五度くらいの暑さで、とにかく暑かった。
 有馬の梅林公園の梅は満開の見ごろになっていた。帰る途中、満開になっている河津桜を見た。沈丁花、コブシなども咲き初め、これから一斉に花が咲きそろいそうだ。
 日本にはいつものように春が来ている。今更の雪にあらずや梅の白。麦秋の空を思えよ春埃。

 それでは引き続き『談林十百韻』から、第二百韻を読んでみようと思う。
 発句は、

 青がらし目をおどろかす有様也  松臼

で、「青がらし」は曲亭馬琴編『増補俳諧歳時記栞草』に、

 「[本朝食鑑]菘(すずな)に似て柔毛あり。葉深青なるものを青芥(あをからし)と云。これ常に用るところの芥(からし)なり、云々。」

とある。カラシナのこと。種を和がらしにする他、葉も食べられる。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『兼平』の、

 「汀に追つつめて磯打つ波の、まくり切り、蜘蛛手十文字に、打ち破り・かけ通つて、その後、自害の手本よとて・太刀を銜へつつ逆様に落ちて、貫ぬかれ失せにけり。兼平 が最期の仕儀目を驚かす有様かな目を驚かす有様かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18679-18687). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。第一百韻に「まくり切り」が出てきたように、有名な場面だったのだろう。
 ここでは青がらしの葉であろう。その辛さに目から涙が出て、それが目を驚かす有様になる。
 脇。

   青がらし目をおどろかす有様也
 礒うつなみのその鮒鱠      卜尺

 前句の兼平のまくり切りの「礒打つ波」で受けて、青がらしに鮒鱠を付ける。
 フナの膾に青がらしの葉を混ぜて、ピリッと辛い酒のつまみの出来上がり。
 第三。

   礒うつなみのその鮒鱠
 客帆の台所ぶねかすみ来て    一鉄

 客帆(かくはん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「客帆」の解説」に、

 「〘名〙 客船の帆。転じて、旅客を乗せる舟。客舟。
  ※本朝無題詩(1162‐64頃)二・詠画障詩〈藤原周光〉「群鶴頻鳴露濃夜、客帆緩過浪閑時」

とある。台所船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「台所船」の解説」に、

 「〘名〙 船遊びなどの屋形船に付随して料理を作りまかなう小船。厨船(くりやぶね)とも称し、江戸や大坂の川筋での船遊びに多く使われた。また、近世大名の川御座船にも台所御座船と呼ぶ同じ目的のものがあり、これはかなり大型船であった。賄舟(まかないぶね)。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)「磯うつなみのその鮒鱠〈卜尺〉 客帆の台所ふねかすみ来て〈一鉄〉」

とある。礒打つ波に屋形船で鮒鱠を食う。
 四句目。

   客帆の台所ぶねかすみ来て
 小づかひのかねひびく夕暮    一朝

 小使船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小使船」の解説」に、

 「〘名〙 安宅(あたけ)、関船(せきぶね)などの大型の船に従って走り使いをする小舟。」

とある。安宅も関船も元は軍船だが、「精選版 日本国語大辞典「関船」の解説」には、

 「〘名〙 室町時代、瀬戸内海の主要航路上の港湾を中心に設けられた海関所属の船から転じて、戦国時代から江戸時代にかけて使われた軍船の船型の呼称。安宅船(あたけぶね)より小型で軽快な行動力をもつ快速船で、周囲に防御装甲をもつ矢倉を設け、適宜、弓・鉄砲の狭間(はざま)をあける。安宅船とともに水軍の中心勢力を形成し、慶長一四年(一六〇九)安宅船が禁止されてからは諸藩の水軍の基幹勢力となった。一般に櫓四〇挺立内外のものを中関(なかぜき)と称し、大型のものは八〇挺立前後におよび、諸大名の御座船に使用された。徳川家光が建造した天地丸七六挺立はその代表的なもの。早船ともいい、小型のものを小関船または小早という。〔大内氏掟書‐一〇八~一一五条後書・文明一九年(1487)四月二〇日〕」

とある。この時代なら御座船の使い走りをする小使船であろう。
 前句の台所ぶねを御座船とし、そこに小使船がやって来て夕暮れの鐘を叩く。
 五句目。

   小づかひのかねひびく夕暮
 巾着の尾上に出し月の影     正友

 尾上(をのへ)は山の頂で、前句の小づかひを小遣い銭として、夕暮れの尾上に月が出ると、巾着の小遣い銭の金の音が響く。
 「かねひびく」に尾上は、

 たかさこのをのへのかねのおとすなり
     暁かけて霜やおくらん
              大江匡房(千載集)

などの和歌に詠まれている尾上の鐘の縁になる。
 六句目。

   巾着の尾上に出し月の影
 瑚珀のむかし松の下露      松意

 瑚珀は琥珀と同じ。天然樹脂の化石で、ウィキペディアに「200℃以上に加熱すると、油状の琥珀油に分解され」とあるから、松脂との類似は知られていたのだろう。琥珀が太古の松脂のようなものが化石化したものだという知識が、当時あったかどうかはわからないが、加熱した油脂と松脂の類似で、そういう推測は成り立ったであろう。
 尾上と謡曲『高砂』にも登場する尾上の松が有名で、その松を照らす琥珀のような月を見て、琥珀は元々松の下露に融けた樹脂が固まったものだとする。
 七句目。

   瑚珀のむかし松の下露
 きのふこそ稲葉と見しか塵と変じ 雪柴

 松と言えば、

 立ち別れいなばの山の峰に生ふる
     まつとしきかば今かへり来む
              在原行平(古今集)

の歌で、稲葉と縁がある。
 前句の琥珀に変じた松は稲葉山の峰に生うる松だった。稲葉の松は、昨日は帰るつもりでいたが、そのまま琥珀になってしまった。
 八句目。

   きのふこそ稲葉と見しか塵と変じ
 ねこだをくみしあとの秋風    在色

 「ねこだ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ねこだ」の解説」に、

 「〘名〙 わらやなわで編んだ大形のむしろ。また、背負袋。ねこ。
  ※俳諧・玉海集(1656)四「ねこたといふ物をとり出てしかせ侍し程に」

 塵となった稲葉を筵袋に詰めて運ぶ。災害の後片付けであろう。悲しい秋風が吹く。
 初裏、九句目。

   ねこだをくみしあとの秋風
 火影立へついの外に飛蛍     志計

 火影というと、

 篝火の火影に見ればますらをは
     たももいとなくこひこくむらし
              源俊頼(夫木抄)

の歌がある。この歌は、

 篝火の火影に見ればますらをは
     たもといとなくあゆこくむらし
              源俊頼(永久百首)

の別バージョンがある。
 前句の「ねこだをくみし」を漁師の魚を詰める姿としたか。火影に蛍をあしらって、夏に転じる。
 十句目。

   火影立へついの外に飛蛍
 でんがくでんがく宇治の川舟   執筆

 宇治の瀬田川の蛍船とする。酒のつまみにと田楽を売りに来る。
 芭蕉は元禄三年の幻住庵滞在の頃、瀬田川の蛍船に乗って、

 蛍見や船頭酔うておぼつかな   芭蕉

の句を詠んでいる。蛍船は川下りの舟で、近江瀬田と宇治を結んでいたのだろう。
 十一句目。

   でんがくでんがく宇治の川舟
 日傭取ともに印をなびかせて   卜尺

 日傭取(ひようとり)はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「日傭取り」の解説」に、

 「日傭、日用、日雇(ひやとい)ともいい、日決めの賃稼ぎをいう。江戸時代、主要都市に借屋住いの貧民層として存在し、17世紀後半には在郷町、農村に広がっていった。初期には都市で城郭建築・都市建設のため多数の労働力が必要であり、とくに大名は城郭普請(ふしん)に膨大な日傭を使った。かつて豊臣(とよとみ)秀吉は農民が都市へ賃仕事に出ることを禁じたが、前期にはこうした禁令は各藩でみられる。しかし都市には相当数の日傭が住んでおり、雑多な仕事に従事していた。鳶口(とびぐち)、車力(しゃりき)、米搗(つ)きなども日傭的な性格として把握された。幕府は都市貧民対策として、17世紀中葉には江戸・大坂などで日用頭(かしら)を置いたり、日用座(ざ)を設け、日用札(ふだ)を発行して、彼らを統制した。[脇田 修]」

とある。
 日傭取の田楽売りの立てた幟を、その昔宇治河合戦の時の源氏の白旗に見立てたか。
 十二句目。

   日傭取ともに印をなびかせて
 材木出す山おろしふく      松臼

 材木の出荷の時も日傭取がたくさん集められたのだろう。
 十三句目。

   材木出す山おろしふく
 こもりくの泊瀬の寺の奉加帳   一朝

 奉加帳(ほうがちゃう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奉加帳」の解説」に、

 「① 神仏に奉加する金品の目録や寄進者の氏名などを記した帳簿。
  ※高野山文書‐承安四年(1174)一二月日・高野山住僧等愁状案「仍捧二奉加帳一」
  ※御湯殿上日記‐文明一五年(1483)二月九日「ひてん院のくわんしんほうかちやうつかわさるる」
  ② 転じて、一般の寄付金名簿。
  ※大乗院寺社雑事記‐文正元年(1466)五月一日「河口庄金津道場作事奉伽帳加判了」

とある。奈良の長谷寺の増改築など、寄付を集めて材木を切り出す。
 山おろしと言えば、

 憂かりける人を初瀬の山おろしよ
     はげしかれとは祈らぬものを
              源俊頼(千載集)

の歌で初瀬との縁がある。
 十四句目。

   こもりくの泊瀬の寺の奉加帳
 檜原を分し僧にて候       一鉄

 初瀬山の檜原というと、

   長月のころ初瀬に詣でける道にてよみ侍りける
 初瀬山夕越え暮れて宿問へば
     三輪の檜原に秋風ぞ吹く
              禅性法師(新古今集)

の歌がある。この歌を本歌とする。「檜原を分し僧」は禅性法師。
 十五句目。

   檜原を分し僧にて候
 淡雪の夕さびしき宿からふ    松意

 檜原に淡雪は、

 まきもくの檜原のいまだ曇らねば
     小松が原に淡雪ぞ降る
              大伴家持(新古今集)

の縁がある。
 これを本歌にした付けで、前句の旅体に「宿からふ」と結ぶ。
 十六句目。

   淡雪の夕さびしき宿からふ
 駒牽とめてたたく柴門      正友

 これも、

 駒とめて袖うちはらふ陰もなし
     佐野のわたりの雪の夕暮
              藤原定家(新古今集)

の縁になる。
 袖うちはらう陰もなしではなく、柴門があって宿が借りられる。有難い話だ。
 十七句目。

   駒牽とめてたたく柴門
 さればこそ琴かきならす遊び者  在色

 王朝時代の雰囲気で、源氏の君のような遊び者が門の向こうから箏の音が聞こえてくるのを聞き止めて、駒を止めて訪ねて行く。「
 「さればこそ琴かきならす」で一度切って「遊び者駒牽とめてたたく柴門」と読んだ方がいい。
 『源氏物語』末摘花巻の源氏の君であろう。「あやしき馬に、かりぎぬすがたのないがしろにてきければ(あやしげな馬に狩衣を無造作に羽織って出かけて)」とあり、末摘花の七弦琴の演奏を聞きに行く。
 十八句目。

   さればこそ琴かきならす遊び者
 膝をまくらに付ざし三盃     雪柴

 まあ、遊郭に行ったらやってみたいことの一つなんだろうね。
 付(つけ)ざしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「付差」の解説」に、

 「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。
  ※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」

とある。
 十九句目。

   膝をまくらに付ざし三盃
 腕を引漸こころを取直し     松臼

 腕には「かひな」とルビがある。腕引(かひなひき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「腕引」の解説」に、

 「〘名〙 衆道(しゅどう)または男女の間で、その愛情の深さや誓いの固さを示すために腕に刀を引いて血を出すこと。
  ※浄瑠璃・曾我虎が磨(1711頃)傾城十番斬「心中見たい、指切か、かひな引か、入ぼくろか、此きせるのやきがねかと、一もんじにもってかかる」

とある。
 まあ、刀なんて物騒なことだ。お互いの貞節の誓いを確認して、ようやく悋気に高ぶった気持ちも収まり、膝枕で付ざし三杯をもらう。
 遊郭も当時はお金で割り切った関係ではなく、頭に血の昇ってストーカーになった男が、遊女に無理な貞節を要求することも多かった。起請文くらいではすまず、指詰や腕引を要求されることもあった。
 衆道の方も、お寺の方はともかく、血の気の多い武士の衆道は、三角関係で斬り合いになったりすることもあったようだ。西鶴の『男色大鑑』にそういった話がいくつもある。
 二十句目。

   腕を引漸こころを取直し
 口説ののちに見る笑ひ㒵     志計

 打越の膝枕が遊女相手の和解なのに対し、前句を衆道として男っぽく口説の後の笑顔とする。
 昔の女性は笑う時は手を当てて隠したりしたから、笑顔は男という連想ではないかと思う。
 二十一句目。

   口説ののちに見る笑ひ㒵
 さく花の床入いそぐ暮の月    正友

 さく花は桜の花であると同時に「花嫁」の比喩であろう。新婚初夜で「床入(とこいり)を急ぐ。
 口説は過去の罪を告白したりしてもめたのだろう。
 二十二句目。

   さく花の床入いそぐ暮の月
 中腰かけにかすむどらの音    卜尺

 銅鑼は茶室で準備が整ったことを知らせるのに用いる。腰掛も客を待たすのに用いる。コトバンクの「世界大百科事典内の内腰掛の言及」に、

 「…中門を境に外露地と内露地とに分かれる二重露地が整うのは千利休からとも古田織部からともいわれるが,利休時代にはほぼ整っていたとみられる。露地の発展に伴い,外露地には外腰掛,下腹雪隠(したばらせつちん)が,内露地には内腰掛が設けられるようになった。客は外腰掛で連客を待ち合わせて亭主の迎付(むかえつけ)を待ち,内腰掛では中立ちをして再び席入りの合図を待つ。…」

とある。中腰掛はよくわからないが、中門より中の内腰掛のことか。
 茶道ネタの句ということになると、前句の「床入」は、咲く花を床の間に入れて飾るという意味になる。

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