2022年3月20日日曜日

 今日は染井吉野が咲いているのを見た。河津桜もまだ散りきらぬうちの開花で、いろんな花が圧縮されて咲いている。
 アメリカやNATOがウクライナを見捨てたが、ロシアも今の所中国から見捨てられた状態で、思ったよりロシア軍が弱かったせいか、力が拮抗してしまった感じもする。
 やれ生物兵器だ化学兵器だ核開発だとわめいているのも、ネオナチ呼ばわりしているのも、負けた時の言い訳で、侵略ではなくテロとの戦いだったで逃げるつもりなんだろう。デマなので絶対に真に受けるな。
 マス護美の言葉だが、「一方的に主張」はデマを本当かもしれないと誤解させるための言葉で、「一方的に主張=デマ」でOK。
 NATOの東進説も「米帝」の存在を信じない人間には何の説得力もない。今はまだ世界中のパヨチンもだんまりを決め込むしかないだろうな。昨日のあれも基本的には同志に対しての、「まだもう少し黙っていろ」という合図だとも言える。
 ゼレンスキーさんのアメリカでの演説だが、真珠湾のくだりは、

 Remember Pearl Harbor, terrible morning of Dec. 7, 1941, when your sky was black from the planes attacking you. Just remember it.

 このあとに、911に関してこう続く。

 Remember September the 11th, a terrible day in 2001 when evil tried to turn your cities, independent territories, in battlefields, when innocent people were attacked, attacked from air, yes. 

 真珠湾に関しては「your sky was black」という詩的な表現と「attacking you」という単純な事実に留めているのに対し、911については「a terrible day」「evil tried」「innocent people were attacked」といった無垢な市民に向けた邪悪なという価値判断が入っている。
 多分これを読解力のない三文作家が読めば、この二つがごっちゃになっちゃうんだろうな。
 古谷経衡の「ゼレンスキー演説「真珠湾攻撃」言及でウクライナの支持やめる人の勘違い」という記事は特にひどい。
 何が駄目かって、まずゼレンスキー演説の文脈を無視してゼレンスキーが、あたかも真珠湾攻撃と911を同列に論じたかのように印象操作をしていることだ。これで右翼をいきりたたせ、ウクライナ支持層の分断を図る作戦なんだろう。
 ゼレンスキーさんのドイツでの演説はNATO加盟を拒絶した張本人相手だから、かなり厳しいことを言ってたね。エーベルバッハ少佐がこぐまのミーシャと戦ってた時代が懐かしい。結局この壁を壊すことは難しいんだって、それはピンクフロイドだっけ。

 After all it's not easy,
 Banging your heart against some mad bugger's wall.
    ('Outside The Wall'Pink Floyd)

 まさか西側の人間が壁を作る側に回るとは、あの頃は思わなかった。
 まあ、でも東西の壁をなくすのに一ついい方法がある。それはプーチンを排除してロシアが民主主義を回復したなら、ロシアをNATOに加盟させることだ。全部NATOになっちゃえば東西の壁はなくなる。

 あと、十六日の日記の延徳三年(一四九二年)は(一四九一年)の間違いでした。気をつけます。

 それでは「宗伊宗祇湯山両吟」の続き。

 三表、五十一句目。

   みちくるしほの山ぞくもれる
 朝ごとの梢をそむつ秋の霜     宗伊

 毎朝降りる霜を満ち来る潮に喩えたか。秋の霜が毎日のように降りれば、梢の紅葉も色を増し、潮が満ちて来るかのように地面や下草を白く染めて行く。
 「霜曇り」という言葉があり、「精選版 日本国語大辞典「霜曇」の解説」に、

 「〘名〙 霜の降るような寒い夜、空の曇ること。霜が雪、雨などと同じく、空から降るものと考えられていたところからの語。霜折れ。
  ※万葉(8C後)七・一〇八三「霜雲入(しもくもり)すとにかあらむひさかたの夜わたる月の見えなく思へば」

とある。
 霜が降りるのは山が曇るからだとする。
 五十二句目。

   朝ごとの梢をそむつ秋の霜
 いく夕露の野をからすらむ     宗祇

 朝の霜に夕露と違えて付けて、霜は梢を染めて露は野を枯らす。対句的なので相対付けと言った方が良いか。
 五十三句目。

   いく夕露の野をからすらむ
 哀なり床に鳴きよるきりぎりす   宗伊

 古語の「きりぎりす」はコオロギのこと。
 野の草が枯れればコオロギも棲家をなくし、床にやってくる。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は、

 秋ふかくなりにけらしなきりぎりす
     ゆかのあたりにこゑ聞ゆなり
               花山院(千載集)

の歌を引いている。
 五十四句目。

   哀なり床に鳴きよるきりぎりす
 夜寒の宿のいねがての空      宗祇

 床に鳴くコオロギを聞いたのを、旅の宿での眠れない一夜とする。
 五十五句目。

   夜寒の宿のいねがての空
 とひくべき夢は月をやうらむらん  宗伊

 あの人がやって来るのをせめて夢にでも見たいというのに、夜寒の上に月は空に煌々と照って眠れない。
 五十六句目

   とひくべき夢は月をやうらむらん
 みゆるとすればかへる面かげ    宗祇

 見る夢は来てくれる夢ではなく、帰って行く夢ばかりだ。
 五十七句目。

   みゆるとすればかへる面かげ
 なき跡にたくかのけぶり又立てて  宗伊

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注に「反魂香の心なるべし」という西順注(江戸時代の注)を挙げている。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「反魂香・返魂香」の解説」に、

 「[1] 〘名〙 (中国の漢の武帝が李夫人の死後、香をたいてその面影を見たという故事による) 焚けば死人の魂を呼び返してその姿を煙の中に現わすことができるという、想像上の香。武帝の依頼により方術士が精製した香で、西海聚窟州にある楓に似た香木反魂樹の木の根をとり、これを釜で煮た汁をとろ火にかけて漆のように練り固めたものという。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
  ※宴曲・宴曲集(1296頃)三「いかなる思ひなりけん、反魂香に咽びし、煙の末の面影」 〔白居易‐李夫人詩〕
  [2] 謡曲。
  [一] 鎌倉の商人何某の娘は、去年都へのぼったままの父を慕って都へいそぐ途中、尾張の宿で旅の疲れのために死ぬ。折しも同じ宿のとなりの部屋に泊まり合わせていた父がこれを知り、森の御僧と呼ばれる高僧のもとに娘の死体を運んで回向を頼む。父が僧から譲られた反魂香を焚くと娘の亡霊が現われる。廃曲。不逢森(あわでのもり)。
  [二] 闌曲の一つ。観世流。(一)のクセの部分を謡物として独立させたもの。漢王が李夫人の死をいたみ反魂香を九華帳の中に焚くと、夫人の姿が現われる。
  [語誌]白居易「李夫人詩」を通して日本の文学も早くから影響を受け、「源氏物語‐総角」の「人の国にありけむ香の煙ぞいと得まほしく思さるる」をはじめ、「唐物語」、謡曲の「花筐」や「あはでの森」などに見られる。さらに近世には反魂香の趣向をいれた歌舞伎「けいせい浅間嶽」が大当たりをとったところから、浅間物と称される同趣向の浄瑠璃、歌舞伎などが数多く作られた。」

とある。
 この本説を取らなくても、仏前に香を焚いて故人の俤を見るという追善の句になる。
 五十八句目。

   なき跡にたくかのけぶり又立てて
 仏やたのむ声をしるらむ      宗祇

 同じく追善の句で、仏様に祈る声を亡き人は聞いてくれるだろうか、とする。
 五十九句目。

   仏やたのむ声をしるらむ
 老いてなほくる玉のをのかずかずに 宗伊

 年とってもやはり死にたくないもので、魂を繋ぎとめている緒を手繰り寄せて生に執着する。そんな衆生の声を仏様は知っているのだろうか。
 いくら仏さまに祈っても、やはり死は逃れられない。
 六十句目。

   老いてなほくる玉のをのかずかずに
 落つるもいく瀬滝のみなかみ    宗祇

 滝の落ちる水は、雫の玉を糸が貫き留めている様に喩えられる。

 なつひきの滝の白糸繰りはへて
     たまのを長く貫けるしらたま
               藤原家隆(壬二集)

 老いてなお生に執着する気持ちは、滝の上の水のようなもので、いつかは落ちて行くものだ。

 玉のをの長かりけるも春の日の
     暮れかたきこそ思ひしらるる
               正徹(草魂集)

の歌もある。春の日の長いと言ってもいずれは落ちて行く。
 六十一句目。

   落つるもいく瀬滝のみなかみ
 龍のぼるながれに桃の花浮きて   宗伊

 鯉は瀧を登り龍となる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鯉の滝登り」の解説」に、

 「① (「後漢書‐党錮伝・李膺」の「以二声名一自高、士有レ被二其容接一者、名為二登龍門一」、およびその注の「三秦記曰、河津一名龍門、水険不レ通、魚鼈之属、莫レ能レ上、江海大魚薄二集龍門下一数千、不レ得レ上、上則為レ龍也」による語。黄河の急流にある龍門という滝を登ろうと、多くの魚が試みたが、わずかなものだけが登り、龍に化すことができたという故事から) 鯉が滝を登ること。
  ※虎寛本狂言・鬮罪人(室町末‐近世初)「山をこしらへまして、夫へ滝を落しまして、鯉の滝上りを致す所を致しませう」
  ② 人の栄達、立身出世のたとえ。→登龍門。
  ※評判記・吉原人たばね(1680頃)ながと「なかとの君を、こいのたきのほりと出ぬれ共」

とある。
 登った先にはきっと不老不死の桃の咲く仙境があるのだろう。
 六十二句目。

   龍のぼるながれに桃の花浮きて
 うつるみの日のはらへをぞする   宗祇

 「みの日のはらへ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「巳の日の祓」の解説」に、

 「中国の故事にならって三月の最初の巳の日に行なった祓。人形(ひとがた)に、身についた罪・けがれ・わざわいなどを移して川や海に流し捨てたもの。上巳の祓。《季・春》
  ※大鏡(12C前)五「三月巳日のはらへに、やがて逍遙し給とて」

とある。今日のひな祭りの元となっている。
 干支では辰の次が巳。龍が昇っていた後は巳の日となり、桃の花を飾って巳の日の祓をする。
 六十三句目。

   うつるみの日のはらへをぞする
 ひぢかさの雨うちかすむかへるさに 宗伊

 「ひぢかさの雨」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「肘笠雨」の解説」に、

 「〘名〙 (後に「ひじがさあめ」とも。肘を頭の上にかざして笠のかわりとする以外にしのぎようがない雨の意) にわか雨。ひじかさのあめ。ひじあめ。
  ※宇津保(970‐999頃)菊の宴「ひぢかさあめふり、神なりひらめきて」

とある。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は『源氏物語』須磨巻を引いている。須磨滞在中の巳の日の祓で陰陽師を呼んで御祓いをさせる場面があり、

 「うみのおもてはうらうらとなぎわたりて、行へもしらぬに、こしかたゆくさきおぼしつづけられて、

 やほよろづ神も哀と思ふらん
  おかせる罪のそれとなければ」

 (海面は光りに溢れ波風もおだやかで、この先どこへ行くとも知れず、過去や未来をずっと思っては、

 やおよろずの神も哀れに思うはず
     何一つ罪を犯してないので)

という状態だったところ、

 「とのたまふに、にはかに風ふき出でて、空もかき暮れぬ。
 御はらへもしはてず、たちさわぎたり。
 ひぢがさ雨とかふりきて、いとあわたたしければ、みな返り給はんとするに、笠もとりあへず、さるこころもなきに、よろづ吹きちらし、又なき風なり。」
 (なんて言っていたら、急に風が吹き出して空も黒い雲に覆われました。
 御祓いも中断して大騒ぎです。
 「肘笠雨」とかいうにわか雨が降り出し、みんな大慌てになれば、帰ろうにも笠を被る暇もなく、これまでにない予想もしなかったような強風が吹き荒れました。)

ということになった。
 この場面を想起させる『源氏物語』の本説付けになる。
 六十四句目。

   ひぢかさの雨うちかすむかへるさに
 行き過ぎかねついもが住かた    宗祇

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注には催馬楽による付けだという。

 「婦(いも)が門夫(せな)が門 行き過ぎかねてや我が行かば 肱笠の肱笠の雨もや降らなむ 郭公(しでたをさ)雨やどり笠やどり 舍りてまからむ郭公(しでたをさ)」

というもので、妹が家の門の前に来て、通り過ぎたくない、寄って行きたい、肱笠雨でも降らないかな、という歌だ。
 ここでは、肱笠雨が降ったのだから妹が住む方に寄っていこう、となる。

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