2022年3月7日月曜日



 今日の写真は二〇二一年、つまり去年の八月十日、川崎市麻生区の早野ひまわり畑で撮影。そろそろこの黄色と青の写真のネタが尽きてきた。
 不思議と麦秋はもとより、稲穂と青空のような写真も今まで取ってなかったんだなと思った。
 ウクライナの方は、短期で制圧されるというシナリオが遠くなってゆくことで、他の独裁国家も同調をためらい、日和見に入っているのではないかと思う。これだけでも第三次世界大戦が少し遠のいたかな。
 独裁を支持していた人たちも同じなんだろうな。戦争反対を言う以外は言葉少なで、静かなものだ。これもロシアの誤算だろう。
 今回アメリカとNATOが動かなかったことで、自分の国は自分で守らなくてはという意識が高まっているのは、日本も例外ではない。これも、アメリカが世界の警察をやめる以上、必然といえよう。もっと早く議論すべきだった。
 ソロポリアモリーという言葉は日本ではまだ滅多に聞くこともない言葉だが、LGBTの次はこれなのかな。
 日本には「独身主義者」という言葉はあるが、結婚という形態をとらないなら、不特定多数の性関係は別に珍しくもない。本人の同意がなく、騙して二股三股かけていたら問題だけどね。
 多分今問題になるのは、ゲイやBTの中のペニスを持つ者が昔から不特定多数のパートナーを求める傾向にあったのが、最近になって同性婚が認められるようになって、改めて複数の相手との法的権利を要求するようになったとか、そういうことだろう。
 基本的に雄はばら撒く性で雌は選ぶ性だから、雄同士だと乱婚になりやすい。
 ゲイやバイの多人数による婚姻が認められるなら、それが「平等」に名のもとに異性愛にも拡大される可能性もある。そうなると一夫多妻の復活だ。
 まあ、歴史的にも人類は近代以前には一夫多妻を行っていた地域が多く、一夫多妻の解禁は生物学的にそれほど不自然なものではない。

 それでは「青がらし」の巻の続き。

 二表、二十三句目。

   中腰かけにかすむどらの音
 山寺の乗物下馬に雪消て     雪柴

 銅鑼はお寺でも使うことがあるようだ。多分茶室と同様、食事などの連絡用であろう。ここだとお客さんの到着の連絡用に用いるということか。
 山寺に到着した御一行が駕籠や馬から降り、腰掛で門の飽くのを待つ。「雪消えて」と季節を添える。
 二十四句目。

   山寺の乗物下馬に雪消て
 禅尼の分る苔の細道       一朝

 駕籠に乗ってやってきたのを尼僧とする。
 「苔の細道」は『徒然草』十一段に、

 「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。」

とある。
 駕籠を降りた尼僧が苔の細道をたどって寺に戻る。
 二十五句目。

   禅尼の分る苔の細道
 ぬり笠に松のあらしやめぐるらん 一鉄

 「松のあらし」は、

 山ふかき松のあらしを身にしめて
     たれかねさめに月をみるらん
              藤原家隆(千載集)

など、和歌に詠まれている。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『松山天狗』の、

 「苔の下道たどり来て、風の音さへすさまじき松山に早く着きにけり松山に早く着きにけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.89280-89281). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の一節を引いている。
 ぬり笠はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗笠」の解説」に、

 「〘名〙 薄い板に紙を張り、漆塗りにした笠。多く女がかぶる。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Nurigasa(ヌリガサ)」
  ※天理本狂言・千鳥(室町末‐近世初)「其上さむらひじゃによって、はかまかたぎぬ、ぬりがさで、かほをかくいておじゃる」

とある。女性用の笠。
 二十六句目。

   ぬり笠に松のあらしやめぐるらん
 手拍子ならす庭の夕暮      松意

 塗笠を舞に用いる笠として、夕暮れの庭で舞う。さながら嵐の如し。
 二十七句目。

   手拍子ならす庭の夕暮
 だうづきも月にはみだるる心あり 志計

 「だうづき」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は胴突(どうづき)のこととしている。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「胴突」の解説」に、

 「① (「どつき(土突)」の変化した語という) 地盤を突き固めたり、杭(くい)を打ったりすること。また、それに用いる具。やぐらを組んで、その中に太い丸太をたて(あるいは重い石を置き)数本の綱を丸太の根本に結び、その綱で引き上げては落として突き固めるもの。また、丸太に数本の足をつけ、その足を持って突く具にもいう。
  ※ロザリオの経(一六二二年版)(1622)ビルゼン・サンタ・マリア、ロザリオに現し給ふ御奇特の事「ツチヲ ヲヲイ、dôzzuqinite(ドウヅキニテ) ツキ カタメテ」
  ② 丸太や長い棒を武具として用いたもの。
  ※幸若・烏帽子折(室町末‐近世初)「熊坂の太郎はどうづきをおっとってどうどうとあてた」
  ③ 江戸時代、年末の煤払(すすはら)いに祝儀として、主人以下一同の胴上げをしたこと。胴上げ。
  ※大和耕作絵抄(1688‐1704頃)煤払「胴築(ドウヅキ)や栄さら栄よ煤払」
  ④ 釣りの仕掛けの一つ。最下端におもりをつけ、先糸に数本の枝針をつけたもの。
  ⑤ 城壁の上などに備えておいて、攻め寄せる敵の上に落とす太い丸太。胴木。
  ※中尾落草子(16C後)「壁につけたるだうつきども、ばらりばらりと切りおとす」

とある。
 庭で杭打ちの作業を行っているが、月も登る夕暮れになるとみんな疲れてきて、杭打ちの規則正しいリズムも乱れて来る。手拍子でリズムを取る。
 「月にはみだるる」の言葉は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 「かほどの聖人なりしかども、月には乱るる心あり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.40065-40066). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。狂女の撞く三井寺の鐘の乱れ打ちをいう。
 二十八句目。

   だうづきも月にはみだるる心あり
 五人張よりわたる鴈また     在色

 五人張はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「五人張」の解説」に、

 「① (五人がかりで張る弓の意) 四人で弓をまげ、残るひとりがようやく弦をかけるほどの強い弓。強弓。
  ※保元(1220頃か)上「三尺五寸の太刀に、熊の皮の尻ざや入れ、五人張の弓、長さ八尺五寸にて、つく打ったるに」
  ② 家屋の棟上げのときに縁起をかついで飾る弓。
  ※雑俳・柳筥(1783‐86)一「五人ばりをぶっつがひ餠を投げる」

とある。「鴈また」は「精選版 日本国語大辞典「雁股」の解説」に、

 「① 鏃(やじり)の一種。鏃の先端を二股にし、その内側に刃をつけたもの。飛ぶ鳥や走っている獣の足を射切るのに用いる。
  ※名語記(1275)「かりまた如何。鴈俣也。かりのとびたる称にて、さきのひろごれる故になづくる歟」
  ② ①をつけた矢。かぶら矢のなりかぶらにつけるが、ふつうの矢につけるものもある。羽は旋回して飛ばないように四立てとする。主として狩猟用。雁股箆(かりまたがら)。雁股矢。
  ※今昔(1120頃か)一九「箭を放つ、鹿の右の腹より彼方に鷹胯(かりまた)を射通しつ」
  ※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「かりまたをひっくはへ、ねらひすましてはなちければ」

とある。ここでは「雁も亦(また)」の意と掛けて用いる。
 ここでは前句の「だうづき」を「② 丸太や長い棒を武具として用いたもの。」の意味に取り成し。真っすぐの棒のように一列に並んで飛んでいた雁も、月には乱れるのか弓の形になり、銅突、五人張の縁で雁又を雁亦と掛けて結ぶ。
 二十九句目。

   五人張よりわたる鴈また
 わだつ海みさごがあぐる素波の露 卜尺

 素波はコトバンクの「普及版 字通「素波」の解説」に、

 「白波。漢・武帝〔秋風の辞〕詩 樓を泛(うか)べて汾河を濟(わた)り 中にたはりて素波を揚ぐ」

とある。
 漢武帝の『秋風辞』は、

   秋風辞 漢武帝
 秋風起兮白雲飛 草木黄落兮雁南帰
 蘭有秀兮菊有芳 懐佳人兮不能忘
 泛楼舡兮済汾河 横中流兮揚素波
 簫鼓鳴兮発棹歌 歓楽極兮哀情多
 少壮幾時兮奈老何

 秋風が立つ、ヘイ!白雲が飛ぶ
 草木は黄葉して落ちる、ヘイ!雁も南へ帰る
 蘭は咲き誇つ、ヘイ!菊も薫る
 佳人を懐かしむ、ヘイ!忘れることもできず
 楼を乗せた船を浮かぶ、ヘイ!汾河を渡る
 中流で止める、ヘイ!素波が揚がる
 簫鼓を鳴らす、ヘイ!棹さし歌が始まる
 歓楽極まる、ヘイ!いと哀れなる
 若い盛りも幾時ある、ヘイ!一体何で年を取る

 棹さし歌の雰囲気で、漕ぎ手に客が合いの手を入れるように歌うと、なかなか酒宴も盛り上がりそうだ。
 中国の汾河山西省で北にあるから、日本とは逆に秋に雁が南へ行く。日本では北から飛来する。
 「草木黄落兮雁南帰」の句のあとに「横中流兮揚素波」の句がある。川遊びを述べた辞だが、若き日もやがて衰えると思うと哀愁も漂い、それを秋風に託す。
 ここではこの『秋風辞』を踏まえつつ、雁が弓のように列をなして渡ってくるという前句に、海ではミサゴが波を立てると対句的に付ける。向え付けになる。
 ミサゴは英語でオスプレーという。ホバリングの後、急降下して獲物を捕らえる。雁の弓が乱れるように、ミサゴは波を乱す。
 三十句目。

   わだつ海みさごがあぐる素波の露
 須佐の入舟さす棹の歌      松臼

 愛知県の南知多町豊浜にあったという須佐の入江は歌枕になっている。

 夜をさむみ須佐の入江にたつ千鳥
     空さへこほる月になくなり
              公猷法師(続拾遺集)
 うかれ立つすさの入江の夕なみは
     あとまてさわくあちの村鳥
              正徹(草魂集)

など、鳥とともに詠まれることが多い。
 前句の漢武帝の船を須佐に入船の舟歌に変える。
 三十一句目。

   須佐の入舟さす棹の歌
 汐風に袖ひるかへす伽やらふ   一朝

 「伽やらふ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「伽遣」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、停泊中の船に小舟でこぎ寄り、船人などを相手に売春した下級の娼婦。船上に向かって「とぎやろう、とぎやろう」と呼びかけたところからいう。舟惣嫁(ふなそうか)。舟饅頭(ふなまんじゅう)。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「汐風に袖ひるがへす伽やらふ〈一朝〉 烟はそらにすい付たばこ〈正友〉」

とある。舟饅頭は元禄六年の「帷子は」の巻二十六句目にも、

   夜あそびのふけて床とる坊主共
 百里そのまま船のきぬぎぬ    芭蕉

の句がある。
 須佐の入江に舟が帰ってくると、伽遣が迎えが客引きに来る。
 三十二句目。

   汐風に袖ひるかへす伽やらふ
 烟はそらにすひ付たばこ     正友

 「すひ付たばこ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「吸付煙草」の解説」に、

 「〘名〙 (タバコはtabaco) 火を吸いつけて相手にさし出すタバコ。すいつけ。遊女など、女性が男性に対して示す情愛の表現。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「汐風に袖ひるがへす伽やらふ〈一朝〉 烟はそらにすい付たはこ〈正友〉」

とある。伽遣の遊女を買うと「すひ付たばこ」のサービスがある。
 三十三句目。

   烟はそらにすひ付たばこ
 朝ぼらけへだての雲にさらばさらば 松意

 普通に後朝だが、「へだての雲」は、

 春の夜の夢の浮橋とだえして
     峰にわかるる横雲の空
              藤原定家(新古今集)

の趣向を借りて、それを「さらばさらば」と俗語で落とす。
 三十四句目。

   朝ぼらけへだての雲にさらばさらば
 よしのの里のすゑのはたご屋   雪柴

 本歌は、

 急ぎたてここはかりねの草枕
     なほ奥深しみ吉野の里
              八条院高倉(続後撰集)

か。帰る雁の音と仮寝を掛けている。江戸時代だから「仮寝の草枕」はは旅籠屋になる。
 三十五句目。

   よしのの里のすゑのはたご屋
 水風呂の滝の流をせき入て    松臼

 湯船に水を張る、これまでの蒸し風呂とは違う今風の風呂は、お寺を中心にこの時代急速に普及していった。吉野金峯山寺の宿坊にもあったのだろう。吉野の滝の清流の水で風呂を沸かす。
 三十六句目。

   水風呂の滝の流をせき入て
 ちろりの酒に老をやしなふ    一鉄

 「ちろり」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「ちろり」の解説」に、

 「酒を燗(かん)するための容器で、酒器の一種。注(つ)ぎ口、取っ手のついた筒形で、下方がやや細くなっている。銀、銅、黄銅、錫(すず)などの金属でつくられているが、一般には錫製が多い。容量は0.18リットル(一合)内外入るものが普通である。酒をちろりに入れて、湯で燗をする。ちろりの語源は不明だが、中国に、ちろりに似た酒器があるところから、中国から渡来したと考えられている。江戸時代によく使用されたが、現在も小料理屋などで用いているところもある。[河野友美]」

とある。天和二年刊千春編『武蔵曲』の「酒の衛士」の巻発句の前書きにも、

 「尻掲(しりからげ)を下ろさず、敷物を設けず、堂の陰に群れゐて、珍露利(ちろり)を打ち敲き、以て滑歌(なめりうた)を撼(かん)するまことに餘念無きなり。」

とある。
 滝の流れを水風呂にして、ちろりの酒で一杯。はあーーー極楽極楽。
 二裏、三十七句目。

   ちろりの酒に老をやしなふ
 腰もとは隠居の夢をおどろかし  在色

 腰もとはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「腰元・腰本」の解説」に、

 「① 腰のあたり。腰つき。〔運歩色葉(1548)〕
  ※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)中「足本・こしもと・身のまはりすっきり奇麗に」
  ② 身のまわり。身辺。
  ※玉塵抄(1563)一六「唾(だ)壺はかすはきをはき入るつぼなり。こしもとにちゃうどをくぞ」
  ③ 貴人、大家の主人のそば近く仕えて身辺の雑用をする女。侍女。
  ※波形本狂言・人を馬(室町末‐近世初)「某はわかいくせして独寝がきらいじゃ。奥様申上てみめのよいお腰本かおはしたを馬になして某のいる側につないて」
  ④ 遊女屋で、主人の居間や帳場で雑用に使われる女。遊女の罰として、これに従事させることがあった。
  ※洒落本・通言総籬(1787)二「あんまり引込と腰元(コシモト)にするとおっせへすから、けふもむりにみせへでへした」
  ⑤ 刀の鞘(さや)の外側の鯉口に近い所にとりつけた半円状のもの。栗形。
  ⑥ 「こしもとがね(腰元金)」の略。
  ※長祿二年以来申次記(1509)「正月御服事〈略〉然御作りの様は御つかさや梨子地にこじりつか頭御腰本、何もしゃくどう」

とある。この場合は③であろう。夢に出てきたので、酒飲みながら、もしかしてだけど、と勝手に妄想する。まだまだ若い。
 三十八句目。

   腰もとは隠居の夢をおどろかし
 かはす手枕数珠御免あれ     志計

 隠居は既に出家の身であった。
 三十九句目。

   かはす手枕数珠御免あれ
 思ひの色赤地のにしき袈裟衣   正友

 「赤地のにしき」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『実盛』で、

 「老後の思出これに過ぎじ御免あれと望みしかば、赤地の錦の直垂を下し賜はりぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18193-18198). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。この注にある通り、「おもひのいろ」は「緋の色」に掛かり、赤地の錦を導き出す。
 まあ、真っ赤な袈裟を着るなんて、派手好きのお坊さんなのだろう。
 赤袈裟はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤袈裟」の解説」には、

 「〘名〙 赤地の布帛(ふはく)で仕立てた袈裟。奈良、平安時代、勅許を得た威儀師が着用した。
  ※枕(10C終)一五六「季の御読経の威儀師、あかげさ着て」

とあり、王朝時代にはあったようだ。
 四十句目。

   思ひの色赤地のにしき袈裟衣
 あつぱれ和尚児性ずき也     卜尺

 「和尚(をしゃう)」「児性(こしゃう)」で韻を踏んでいる。前句の赤い袈裟の人物を、お寺だから男色だとする。
 四十一句目。

   あつぱれ和尚児性ずき也
 万石を茶の具にかへて身しりぞき 雪柴

 一万石の大名の地位も捨てて茶の道に走るのは、小姓が好きだからだとする。
 西鶴の『男色大鑑』にも、武士の衆道が発覚しても、閉門で済むケースが描かれている。女性関係の不倫よりも寛大だったようだ。
 衆道好きで殿様辞めても、茶の道で食ってゆくことはできたのだろう。
 四十二句目。

   万石を茶の具にかへて身しりぞき
 遠嶋をたのしむ雪のあけぼの   一朝

 「罪なくして配所の月を見る」の心だろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「(「古事談‐一」などによると、源中納言顕基(あきもと)がいったといわれることば) 罪を得て遠くわびしい土地に流されるのではなくて、罪のない身でそうした閑寂な片田舎へ行き、そこの月をながめる。すなわち、俗世をはなれて風雅な思いをするということ。わびしさの中にも風流な趣(おもむき)のあること。物のあわれに対する一つの理想を表明したことばであるが、無実の罪により流罪地に流され、そこで悲嘆にくれるとの意に誤って用いられている場合もある。
  ※平家(13C前)三「もとよりつみなくして配所の月をみむといふ事は、心あるきはの人の願ふ事なれば、おとどあへて事共し給はず」

とある。
 雪のあけぼのは、

 淋しきはいつもながめのものなれど
     雲間の峰の雪のあけほの
              藤原良経(新勅撰集)

など、歌に詠まれている。
 四十三句目。

   遠嶋をたのしむ雪のあけぼの
 そなれ松七言四句や吟ずらん   一鉄

 「そなれ松」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「磯馴松」の解説」に、

 「① 海の強い潮風のために枝や幹が低くなびき傾いて生えている松。いそなれまつ。そなれ。
  ※古今六帖(976‐987頃)六「風ふけば波こすいそのそなれまつ根にあらはれてなきぬべら也〈柿本人麻呂〉」
  ② 植物「はいびゃくしん(這柏槇)」の異名。」

とある。

 そなれ松こずゑくたくる雪折れに
     いはうちやまぬ波のさびしさ
              藤原定家(夫木抄)

の歌もある。
 ここでは歌ではなく七言絶句の詩に作る。「遠嶋」を流刑の意味にではなく、中国から日本にやってきた謡曲『白楽天』の白楽天とする。
 四十四句目。

   そなれ松七言四句や吟ずらん
 蔵主の名残見する古塚      松意

 蔵主(ざうす)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蔵司・蔵主」の解説」に、

 「① 禅寺で、経蔵をつかさどる僧。のちに知蔵と称せられたもので、禅院六頭首中、第三に位する職。また、一般に僧をいう。
  ※太平記(14C後)一六「小弐が最末(いとすゑ)の子に、宗応蔵主(サウス)と云僧」 〔勅修百丈清規‐下・両序〕
  ② (蔵司) 禅宗で、①の居室をいう。蔵司寮。

とある。
 どこの蔵主だったか、磯馴松の古塚に眠っている。ここで七言四句の偈を吟じていたのだろうか。
 四十五句目。

   蔵主の名残見する古塚
 すみ染の夕の月に化狐      志計

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注には狂言『釣狐』だという。ウィキペディアに、

 「猟師に一族をみな釣り取られた老狐が、猟師の伯父の白蔵主という僧に化けて猟師のもとへ行く。白蔵主は妖狐玉藻前の伝説を用いて狐の祟りの恐ろしさを説き、猟師に狐釣りをやめさせる。その帰路、猟師が捨てた狐釣りの罠の餌である鼠の油揚げを見つけ、遂にその誘惑に負けてしまい、化け衣装を脱ぎ身軽になって出直そうとする。それに気付いた猟師は罠を仕掛けて待ち受ける。本性を現して戻って来た狐が罠にかかるが、最後はなんとか罠を外して逃げていく。」

とある。ここでは狐は殺されて塚になったのだろう。
 四十六句目。

   すみ染の夕の月に化狐
 深草の露ちる馬の骨       松臼

 墨染と深草の縁は、

   ほりかはのおほきおほいまうち君身まかりにける時に、
   深草の山にをさめてけるのちによみける
 ふかくさののへの桜し心あらば
     ことしばかりはすみそめにさけ
              上野岑雄(古今集)

の歌による。深草も草葉の陰の連想からか、哀傷に詠まれる。
 キツネの化けた墨染僧の哀傷だから、弔うのも馬の骨となる。
 四十七句目。

   深草の露ちる馬の骨
 秋は金たのめしすゑの秤ざほ   卜尺

 秋は五行説では金になる。春=木、夏=火、土用=土、秋=金、冬=水。金生水で秋は露を生じる。
 ここでは金が大事だとばかり、深草の馬の骨を金の重さを量る天秤の棹にする。
 コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「さお秤」の解説」には、

 「中国および日本では、古くはさおに金属を使わず、木、角(つの)、骨などを用いた。」

とある。馬の骨から秤棹の連想は自然だったのだろう。
 四十八句目。

   秋は金たのめしすゑの秤ざほ
 水冷にくむくすり鍋       在色

 水冷は「みづひややか」と読む。前句の天秤を薬の調合に用いるものとする。
 四十九句目。

   水冷にくむくすり鍋
 湯の山や花の下枝のかけ作リ   一朝

 「かけ作り」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「懸造」の解説」に、

 「傾斜地や段状の敷地,あるいは池などへ張り出して建てることを〈懸け造る〉といい,その建物形式を懸造と称する。崖造(がけづくり)ともいう。敷地の低い側では床下の柱や束が下から高く立ち,これに鎌倉時代以降では貫を何段にも通して固めている。平安時代以降,山地に寺院が造られるようになってからのもので,観音霊場に多く,三仏寺投入堂(国宝,鳥取,12世紀)や清水寺本堂(国宝,京都,1633)などがよく知られている。」

とある。湯の山と呼ばれた有馬温泉にも、こうした建物が多かったのだろう。
 前句の「くすり鍋」から温泉療養ということで、花の有馬温泉へ転じる。
 花の有馬温泉といえば、『春の日』の「なら坂や」の巻十八句目に、

   ころびたる木の根に花の鮎とらん
 諷尽せる春の湯の山       旦藁

の句もある。桜の季節の有馬温泉を舞台としたものに、今は廃曲となっている謡曲『鼓瀧』があったという。
 五十句目。

   湯の山や花の下枝のかけ作リ
 宗祇その外うぐひすの声     正友

 湯の山と言えば宗祇、肖柏、宗長による『湯山三吟(ゆのやまさんぎん)』が知られている。延徳三年(一四九ニ年)十月二十日の興行で、発句は、

 うす雪に木葉色こき山路哉    肖柏

 ここでは特にこの三吟ということではなく、大勢の連衆を集めた興行をイメージしたものであろう。宗祇以下の連衆を鶯に喩えるのは、『古今集』仮名序の、

 「花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。」

による。

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