2022年3月2日水曜日

 ロシアの誤算はウクライナが平和ボケしてなくて、銃を持って戦う勇気があったことと、あと想像以上に自軍の戦意が低かったことかな。大義名分のない侵略戦争に嫌気がさしたのは、日本も昔経験したからわかる。
 まあ、まだ戦況は予断を許さないが、この調子じゃ少なくともロシア国営通信の言う「我々の目の前で新たな世界が生まれている」は無理だろう。首都制圧したとしてもゲリラ的に戦闘が続けば、泥沼化は避けられない。
 どっちにしても悲惨なことには変わりない。ウクライナがあっさり降伏してロシアの支配が確定すれば、戦線はヨーロッパ全土に拡大する危険がある。今はウクライナの勝利を祈るしかない。ウクライナの切り捨ては、やはり愚策だった。
 はっきり言ってしまえば、我々が悲惨なことにならないために、ウクライナ人にすべての悲惨を押し付けてしまったんだ。
 まあ、世界中の左翼パヨチンに言いたいが、プロレタリア独裁なんて野蛮な考えは捨て、独裁政治は悲惨な結果しかもたらさないと知るべきだ。革命なしで民主主義体制のもとで、共に持続可能資本主義(新しい資本主義)を作ろうではないか。地球環境の問題は待ったなしだ。分断して争っている余裕はない。
 あと、鈴呂屋書庫「宗長『宗祇終焉記』を読む」をアップしたのでよろしく。

 それでは発句はこの辺にして、春の俳諧を読んでみようと思う。芭蕉の参加したものは一通り読んでしまったので、この辺で『談林十百韻(とっぴゃくいん)』に挑戦してみようかと思う。松意編延宝三年刊。宗因が江戸に来た時に巻かれた百韻十巻を収めている。
 延宝三年というと、五月には芭蕉(当時の桃青)の参加した「いと涼しき」の巻も巻かれている。
 その第一百韻の発句は、談林の名を広く江戸に知らしめたとされている。
 なお、テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一)を用いる。

 されば爰に談林の木あり梅の花  宗因

 宗因は「梅翁」とも呼ばれていることを考えれば、ここに談林に同調する俳諧師たちが集まり、宗因流の花を咲かせている、と高らかに宣言した句と見て間違いない。
 脇。

   されば爰に談林の木あり梅の花
 世俗眠をさますうぐひす     雪柴

 談林の俳諧は世俗大衆の目が覚めるような斬新なもので、正月の梅に花に目出度さを添える鶯のように、今新しい年(時代)が始まる。
 第三。

   世俗眠をさますうぐひす
 朝霞たばこの烟よこおれて    在色

 第三は発句のメッセージから離れる。
 世俗の人の眠りから覚める情景とする。「よこおれ」は「横ほる」で横たわることを言う。寝覚めの一服の煙草の煙が春の霞のように部屋に横たわる。
 「横ほる」は用例は少ないが雅語で、

 東路やよこほる山にふせるなり
     さやにも見はや古郷の夢
              正徹(草魂集)
 月まてと雲もよこほるかひかねに
     光さきたつ秋の白雪
              同

など、歌に用いられている。
 四句目。

   朝霞たばこの烟よこおれて
 駕籠かき過るあとの山風     一鉄

 前句を旅宿の朝として、旅発つ人の駕籠が一通り通り過ぎると、後にはただ風が吹いているだけ。静かになる。
 五句目。

   駕籠かき過るあとの山風
 ながむれば供鑓つづく峰の松   正友

 前句の駕籠を大名行列の駕籠として、あとから鑓持ちが続く。山風に峰の松が付く。
 六句目。

   ながむれば供鑓つづく峰の松
 追手にちかきかけはしの月    志計

 「追手」は大手門のこと。鑓持ち達が大手門の前の橋を渡ると、既に宵の月が昇っている。
 七句目。

   追手にちかきかけはしの月
 小男鹿や藁人形におそるらん   一朝

 藁人形と言えば楠正成の有名なはかり事で、千早城を防衛するために城の前に鎧を着せた藁人形を配置し、城を出たと見せかけて、敵が藁人形に群がるとそこに石垣の上から石を落としたという。
 月明りでは藁人形も本物の軍勢に見えてしまう。それを小男鹿どもが恐れたのだろうか。
 秋の季語が必要なので、敵の軍勢を小男鹿に喩える。
 八句目。

   小男鹿や藁人形におそるらん
 五色の紙に萩の下露       松臼

 五色の紙は御幣(ごへい)のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「御幣」の解説」に、

 「金、銀、白色、五色などの紙垂(しで)を幣串(へいぐし)に挿(はさ)んだもの。幣(ぬさ)、幣束を敬っていった語で、神前に用いる。串に挿む紙垂は、もとは四角形の紙を用いたが、のちには、その下方両側に、紙を裁って折った紙垂を付すようになり、さらに後世には紙垂を直接串に挿むようになった。紙垂の様式には、白川家、吉田家その他の諸流がある。また、御幣、幣、幣帛と書いて、いずれも「みてぐら」と読む。語義は、(1)手に持って捧(ささ)げることの御手座(みてくら)、(2)絹織物である御妙座(みたえくら)、(3)どっさりと供えることの充座(みてくら)、などの諸説があるが、いずれも神への奉り物の意である。したがって、御幣(ごへい)ももとは神への奉り物であったが、のちには神が憑依(ひょうい)する依代(よりしろ)として、あるいは神体として祀(まつ)られるようになった。そこで、土地により、歳徳神(としとくじん)、水神(すいじん)、山神(さんじん)、その他それぞれ神によって、紙の裁ち方や折り方など、さまざまの様式がある。なお、五色の場合は、青黄赤白黒の5色だが、黒のかわりに紫が用いられることが多い。[沼部春友]」

とある。
 魔物を追払うための五色の紙だが、庭や畑を荒らしに来た小男鹿がそれを恐れるだろうか。「らん」は反語に取り成される。萩の下露は涙の比喩。談林のお約束。
 初裏、九句目。

   五色の紙に萩の下露
 星合の歌を吟ずる夕の風     卜尺

 ここで芭蕉さんのお世話になった小沢さんの登場。この次は編者の松意で、次が執筆だから事実上の末席と言っていいだろう。
 星合は七夕で、前句の五色の紙を七夕の儀式とし、願い事を和歌にして捧げる。
 十句目。

   星合の歌を吟ずる夕の風
 頭をかたぶけて水銀茶碗     松意

 水銀茶碗は辰砂を釉薬に使った赤みのある茶碗のことであろう。実際に水銀を使うわけではなく、硫化水銀の結晶の色に似ている所からこの名前があるという。
 前句を数寄者の集まりとして、歌を吟じ水銀茶碗で茶を飲む。「頭(づ)をかたぶけて」というところに、茶道のうやうやしさが感じられる。「結構なお点前で」というところだろう。
 十一句目。

   頭をかたぶけて水銀茶碗
 香薷散召上られて御覧ぜよ    執筆

 香薷散(かうじゅさん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「香薷散」の解説」に、

 「〘名〙 陰干しにしたナギナタコウジュの粉末で作る薬。暑気払いの薬。江戸時代には、霍乱(かくらん)の薬として、旅行者の多くがこれを携行した。《季・夏》
  ※言継卿記‐天文一三年(1544)六月一七日「右衛門佐今朝香薷散所望之間聊持向、同麝香丸〈一貝〉遣之」

とある。
 金持ちの偉い人は香薷散を飲むのにも水銀茶碗を使う。あるいは水銀茶碗を売りに来た商人が、薬を飲むのに用いてはいかがですかと勧める場面か。
 十二句目。

   香薷散召上られて御覧ぜよ
 なふなふ旅人三伏の夏      在色

 三伏(さんぷく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三伏」の解説」に、

 「〘名〙 (「さんぶく」とも。「伏」は火気を恐れて金気が伏蔵する日の意)
  ① 一般には、夏至後の第三庚(かのえ)を初伏、第四の庚を中伏、立秋後初めての庚を末伏といい、その初中末の伏の称。五行思想で夏は火に、秋は金に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして夏の火気におさえられ、やむなく伏蔵しているとするが、庚日にはその状態が特に著しいとして三伏日とした。この日は種まきに悪いという。《季・夏》
  ※翰林葫蘆集(1518頃)三・便面「紅塵三伏汗如レ湯、不レ及三鷺鸞栖二柳塘一」 〔梁簡文帝‐謝賚扇啓〕
  ② (①から転じて) 時候の挨拶で酷暑の候をいう。」

とある。ここでは②の意味でいいだろう。
 前句を街道の薬売りの口上とする。
 十三句目。

   なふなふ旅人三伏の夏
 なみ松の声高ふして馬やらふ   雪柴

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『源太夫』の、

 「時は三伏の夏の日の、熱田の宮路浦伝ひ、近く鳴海の磯の波、松風の声寝覚の里、聞くにも心涼しく老の身も夏や忘るらん老の身も夏や忘るらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.10347-10352). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の場面を引いている。
 なみ松はここでは「なみ」と「松」で「磯の波、松風」を略していて、熱田神宮に近い海辺の景色として、馬やらふを謡曲に登場する勅使とする。
 十四句目。

   なみ松の声高ふして馬やらふ
 礒うつ波のさはぐ舟着      正友

 前句の「なみ」がわざと平仮名にしてあるのは、「並松」と取り成すためで、街道の松並木として船着き場を付ける。
 十五句目。

   礒うつ波のさはぐ舟着
 傾城をあらそひかねてまくり切  志計

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『兼平』の、

 「兼平と、名乗りかけて、大勢に割つて入れば、もとより、一騎当千の、秘術を現し大勢を、粟津の、汀に追つつめて磯打つ波の、まくり切り、蜘蛛手十文字に、打ち破り・かけ通つて、その後、自害の手本よとて・太刀を銜へつつ逆様に落ちて、貫ぬかれ失せにけり。兼平が最期の仕儀目を驚かす有様かな目を驚かす有様かな。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18676-18687). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の場面としている。
 「まくり切り」は「切りまくり」と同じ。
 ただ、ここでは遊女を争っての喧嘩の場面に換骨奪胎する。舟着は吉原の日本堤であろう。
 十六句目。

   傾城をあらそひかねてまくり切
 泪の淵をくぐるさいの目     一朝

 豆腐の賽の目切りか。汁に入れるのも悲しく、泪の淵に見立てる。傾城に夫を取られた女房の気持ちであろう。
 十七句目。

   泪の淵をくぐるさいの目
 勘当や夢もむすばぬ袖枕     松臼

 賽の目を普通にサイコロの目として、夫の博奕が過ぎて親から勘当されたとする。明日からどうやって生活してゆこうかと思うと、涙が止まらない。
 十八句目。

   勘当や夢もむすばぬ袖枕
 つよくいさめし分別の月     卜尺

 勘当は何度も強く諫めたが、それでも直らなかった結果だった。「分別の月」は真如の月に倣った言い回しか。
 十九句目。

   つよくいさめし分別の月
 お盃存じの外の露しぐれ     松意

 「お盃(さかづき)」は御盃(ぎょはい)のことか。
 忠臣が主君を強く諫めて、その分別に感謝のしるしとして御杯を賜る。注がれた酒はさながら月のきらめく露時雨のようだ。
 二十句目。

   お盃存じの外の露しぐれ
 ふらるるうらみ山の端の色    雪柴

 「山の端の色」は紅葉の色で秋になる。紅葉は時雨の染めるもので、

 白露も時雨もいたくもる山は
     下葉のこらず色づきにけり
              紀貫之(古今集)

のように、古くから和歌に詠まれている。
 前句の「お盃」を離別の盃とし、「ふられる」というのはここでは恋の意味ではなく、割り振られる、という意味で、今日だと芸人が言うような「ネタを振る」「無茶振りする」のような「振り」に近いのではないかと思う。
 離別の宴の盃が自分の方に回って来て、その悲しい涙の盃に顔を赤くする。
 二十一句目。

   ふらるるうらみ山の端の色
 一分は男自慢の花ざかり     一鉄

 一分(いちぶん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一分」の解説」に、

 「① 一〇に分けたものの一つ。十分の一。転じて、ごくわずかの意にも用いる。
  ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「おのが一分とくぶんなし。なにによりてか、なんぢ一分あたらむ」
  ※読本・昔話稲妻表紙(1806)五「さもあらば我身の罪の一分(イチブン)を減じ」
  ② 一身。自身。自分ひとり。
  ※仮名草子・竹斎(1621‐23)上「是を知らぬかと人に思はれん事を悲しみ、一ぶん済まひたる顔をして」
  ③ 一身の面目、責任。その人、ひとりの分際。→一分が廃(すた)る・一分立(た)つ。
  ※浮世草子・好色敗毒散(1703)五「是皆身より出たる錆刀、一分に瑕がついたる上は」
  ④ 同様。一様。
  ※御伽草子・三人法師(古典文庫所収)(室町末)「十六の年近習一ぶんにて、朝夕召つかはるる間」
  ⑤ そのことに専念すること。一筋。
  ※評判記・けしずみ(1677)「こひをはなれてつとめ一ぶんのあひやうなるべし」

とある。多義な言葉だが、②の今の言葉の「自分」が他人に対しても拡大されて、③の意味になったのだと思う。今でも相手に対し「自分はどうなんだよ」という自分と同じで、この場合も「手前(てめえ)は男自慢の花ざかり」という意味になる。
 そんな話を延々と振られると、せっかくの花の宴も台無しだ。そうやって日も傾き山の端が染まって行く。
 二十二句目。

   一分は男自慢の花ざかり
 小知をすてて帰る雁金      志計

 前句の「一分」をお金の一分(いちぶ)とする。鳥の「かりがね」と借金の「借り金」を掛けるのはお約束。
 小知はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小知」の解説」に、

 「〘名〙 少しの知行。わずかな扶持。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「一分は男自慢の花ざかり〈一鐵〉 小知をすてて帰る雁金〈志計〉」

とある。
 わずかな扶持をもらって生活しても、それだけでは足りず、結局主君から前借を重ねることになる。自分で一分を稼ぎ出して、借金を返し独立する。

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