ロシアの誤算はウクライナが平和ボケしてなくて、銃を持って戦う勇気があったことと、あと想像以上に自軍の戦意が低かったことかな。大義名分のない侵略戦争に嫌気がさしたのは、日本も昔経験したからわかる。
まあ、まだ戦況は予断を許さないが、この調子じゃ少なくともロシア国営通信の言う「我々の目の前で新たな世界が生まれている」は無理だろう。首都制圧したとしてもゲリラ的に戦闘が続けば、泥沼化は避けられない。
どっちにしても悲惨なことには変わりない。ウクライナがあっさり降伏してロシアの支配が確定すれば、戦線はヨーロッパ全土に拡大する危険がある。今はウクライナの勝利を祈るしかない。ウクライナの切り捨ては、やはり愚策だった。
はっきり言ってしまえば、我々が悲惨なことにならないために、ウクライナ人にすべての悲惨を押し付けてしまったんだ。
まあ、世界中の左翼パヨチンに言いたいが、プロレタリア独裁なんて野蛮な考えは捨て、独裁政治は悲惨な結果しかもたらさないと知るべきだ。革命なしで民主主義体制のもとで、共に持続可能資本主義(新しい資本主義)を作ろうではないか。地球環境の問題は待ったなしだ。分断して争っている余裕はない。
あと、鈴呂屋書庫に「宗長『宗祇終焉記』を読む」をアップしたのでよろしく。
それでは発句はこの辺にして、春の俳諧を読んでみようと思う。芭蕉の参加したものは一通り読んでしまったので、この辺で『談林十百韻(とっぴゃくいん)』に挑戦してみようかと思う。松意編延宝三年刊。宗因が江戸に来た時に巻かれた百韻十巻を収めている。
延宝三年というと、五月には芭蕉(当時の桃青)の参加した「いと涼しき」の巻も巻かれている。
その第一百韻の発句は、談林の名を広く江戸に知らしめたとされている。
なお、テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一)を用いる。
されば爰に談林の木あり梅の花 宗因
宗因は「梅翁」とも呼ばれていることを考えれば、ここに談林に同調する俳諧師たちが集まり、宗因流の花を咲かせている、と高らかに宣言した句と見て間違いない。
脇。
されば爰に談林の木あり梅の花
世俗眠をさますうぐひす 雪柴
談林の俳諧は世俗大衆の目が覚めるような斬新なもので、正月の梅に花に目出度さを添える鶯のように、今新しい年(時代)が始まる。
第三。
世俗眠をさますうぐひす
朝霞たばこの烟よこおれて 在色
第三は発句のメッセージから離れる。
世俗の人の眠りから覚める情景とする。「よこおれ」は「横ほる」で横たわることを言う。寝覚めの一服の煙草の煙が春の霞のように部屋に横たわる。
「横ほる」は用例は少ないが雅語で、
東路やよこほる山にふせるなり
さやにも見はや古郷の夢
正徹(草魂集)
月まてと雲もよこほるかひかねに
光さきたつ秋の白雪
同
など、歌に用いられている。
四句目。
朝霞たばこの烟よこおれて
駕籠かき過るあとの山風 一鉄
前句を旅宿の朝として、旅発つ人の駕籠が一通り通り過ぎると、後にはただ風が吹いているだけ。静かになる。
五句目。
駕籠かき過るあとの山風
ながむれば供鑓つづく峰の松 正友
前句の駕籠を大名行列の駕籠として、あとから鑓持ちが続く。山風に峰の松が付く。
六句目。
ながむれば供鑓つづく峰の松
追手にちかきかけはしの月 志計
「追手」は大手門のこと。鑓持ち達が大手門の前の橋を渡ると、既に宵の月が昇っている。
七句目。
追手にちかきかけはしの月
小男鹿や藁人形におそるらん 一朝
藁人形と言えば楠正成の有名なはかり事で、千早城を防衛するために城の前に鎧を着せた藁人形を配置し、城を出たと見せかけて、敵が藁人形に群がるとそこに石垣の上から石を落としたという。
月明りでは藁人形も本物の軍勢に見えてしまう。それを小男鹿どもが恐れたのだろうか。
秋の季語が必要なので、敵の軍勢を小男鹿に喩える。
八句目。
小男鹿や藁人形におそるらん
五色の紙に萩の下露 松臼
五色の紙は御幣(ごへい)のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「御幣」の解説」に、
「金、銀、白色、五色などの紙垂(しで)を幣串(へいぐし)に挿(はさ)んだもの。幣(ぬさ)、幣束を敬っていった語で、神前に用いる。串に挿む紙垂は、もとは四角形の紙を用いたが、のちには、その下方両側に、紙を裁って折った紙垂を付すようになり、さらに後世には紙垂を直接串に挿むようになった。紙垂の様式には、白川家、吉田家その他の諸流がある。また、御幣、幣、幣帛と書いて、いずれも「みてぐら」と読む。語義は、(1)手に持って捧(ささ)げることの御手座(みてくら)、(2)絹織物である御妙座(みたえくら)、(3)どっさりと供えることの充座(みてくら)、などの諸説があるが、いずれも神への奉り物の意である。したがって、御幣(ごへい)ももとは神への奉り物であったが、のちには神が憑依(ひょうい)する依代(よりしろ)として、あるいは神体として祀(まつ)られるようになった。そこで、土地により、歳徳神(としとくじん)、水神(すいじん)、山神(さんじん)、その他それぞれ神によって、紙の裁ち方や折り方など、さまざまの様式がある。なお、五色の場合は、青黄赤白黒の5色だが、黒のかわりに紫が用いられることが多い。[沼部春友]」
とある。
魔物を追払うための五色の紙だが、庭や畑を荒らしに来た小男鹿がそれを恐れるだろうか。「らん」は反語に取り成される。萩の下露は涙の比喩。談林のお約束。
初裏、九句目。
五色の紙に萩の下露
星合の歌を吟ずる夕の風 卜尺
ここで芭蕉さんのお世話になった小沢さんの登場。この次は編者の松意で、次が執筆だから事実上の末席と言っていいだろう。
星合は七夕で、前句の五色の紙を七夕の儀式とし、願い事を和歌にして捧げる。
十句目。
星合の歌を吟ずる夕の風
頭をかたぶけて水銀茶碗 松意
水銀茶碗は辰砂を釉薬に使った赤みのある茶碗のことであろう。実際に水銀を使うわけではなく、硫化水銀の結晶の色に似ている所からこの名前があるという。
前句を数寄者の集まりとして、歌を吟じ水銀茶碗で茶を飲む。「頭(づ)をかたぶけて」というところに、茶道のうやうやしさが感じられる。「結構なお点前で」というところだろう。
十一句目。
頭をかたぶけて水銀茶碗
香薷散召上られて御覧ぜよ 執筆
香薷散(かうじゅさん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「香薷散」の解説」に、
「〘名〙 陰干しにしたナギナタコウジュの粉末で作る薬。暑気払いの薬。江戸時代には、霍乱(かくらん)の薬として、旅行者の多くがこれを携行した。《季・夏》
※言継卿記‐天文一三年(1544)六月一七日「右衛門佐今朝香薷散所望之間聊持向、同麝香丸〈一貝〉遣之」
とある。
金持ちの偉い人は香薷散を飲むのにも水銀茶碗を使う。あるいは水銀茶碗を売りに来た商人が、薬を飲むのに用いてはいかがですかと勧める場面か。
十二句目。
香薷散召上られて御覧ぜよ
なふなふ旅人三伏の夏 在色
三伏(さんぷく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三伏」の解説」に、
「〘名〙 (「さんぶく」とも。「伏」は火気を恐れて金気が伏蔵する日の意)
① 一般には、夏至後の第三庚(かのえ)を初伏、第四の庚を中伏、立秋後初めての庚を末伏といい、その初中末の伏の称。五行思想で夏は火に、秋は金に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして夏の火気におさえられ、やむなく伏蔵しているとするが、庚日にはその状態が特に著しいとして三伏日とした。この日は種まきに悪いという。《季・夏》
※翰林葫蘆集(1518頃)三・便面「紅塵三伏汗如レ湯、不レ及三鷺鸞栖二柳塘一」 〔梁簡文帝‐謝賚扇啓〕
② (①から転じて) 時候の挨拶で酷暑の候をいう。」
とある。ここでは②の意味でいいだろう。
前句を街道の薬売りの口上とする。
十三句目。
なふなふ旅人三伏の夏
なみ松の声高ふして馬やらふ 雪柴
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『源太夫』の、
「時は三伏の夏の日の、熱田の宮路浦伝ひ、近く鳴海の磯の波、松風の声寝覚の里、聞くにも心涼しく老の身も夏や忘るらん老の身も夏や忘るらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.10347-10352). Yamatouta e books. Kindle 版. )
の場面を引いている。
なみ松はここでは「なみ」と「松」で「磯の波、松風」を略していて、熱田神宮に近い海辺の景色として、馬やらふを謡曲に登場する勅使とする。
十四句目。
なみ松の声高ふして馬やらふ
礒うつ波のさはぐ舟着 正友
前句の「なみ」がわざと平仮名にしてあるのは、「並松」と取り成すためで、街道の松並木として船着き場を付ける。
十五句目。
礒うつ波のさはぐ舟着
傾城をあらそひかねてまくり切 志計
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『兼平』の、
「兼平と、名乗りかけて、大勢に割つて入れば、もとより、一騎当千の、秘術を現し大勢を、粟津の、汀に追つつめて磯打つ波の、まくり切り、蜘蛛手十文字に、打ち破り・かけ通つて、その後、自害の手本よとて・太刀を銜へつつ逆様に落ちて、貫ぬかれ失せにけり。兼平が最期の仕儀目を驚かす有様かな目を驚かす有様かな。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18676-18687). Yamatouta e books. Kindle 版. )
の場面としている。
「まくり切り」は「切りまくり」と同じ。
ただ、ここでは遊女を争っての喧嘩の場面に換骨奪胎する。舟着は吉原の日本堤であろう。
十六句目。
傾城をあらそひかねてまくり切
泪の淵をくぐるさいの目 一朝
豆腐の賽の目切りか。汁に入れるのも悲しく、泪の淵に見立てる。傾城に夫を取られた女房の気持ちであろう。
十七句目。
泪の淵をくぐるさいの目
勘当や夢もむすばぬ袖枕 松臼
賽の目を普通にサイコロの目として、夫の博奕が過ぎて親から勘当されたとする。明日からどうやって生活してゆこうかと思うと、涙が止まらない。
十八句目。
勘当や夢もむすばぬ袖枕
つよくいさめし分別の月 卜尺
勘当は何度も強く諫めたが、それでも直らなかった結果だった。「分別の月」は真如の月に倣った言い回しか。
十九句目。
つよくいさめし分別の月
お盃存じの外の露しぐれ 松意
「お盃(さかづき)」は御盃(ぎょはい)のことか。
忠臣が主君を強く諫めて、その分別に感謝のしるしとして御杯を賜る。注がれた酒はさながら月のきらめく露時雨のようだ。
二十句目。
お盃存じの外の露しぐれ
ふらるるうらみ山の端の色 雪柴
「山の端の色」は紅葉の色で秋になる。紅葉は時雨の染めるもので、
白露も時雨もいたくもる山は
下葉のこらず色づきにけり
紀貫之(古今集)
のように、古くから和歌に詠まれている。
前句の「お盃」を離別の盃とし、「ふられる」というのはここでは恋の意味ではなく、割り振られる、という意味で、今日だと芸人が言うような「ネタを振る」「無茶振りする」のような「振り」に近いのではないかと思う。
離別の宴の盃が自分の方に回って来て、その悲しい涙の盃に顔を赤くする。
二十一句目。
ふらるるうらみ山の端の色
一分は男自慢の花ざかり 一鉄
一分(いちぶん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一分」の解説」に、
「① 一〇に分けたものの一つ。十分の一。転じて、ごくわずかの意にも用いる。
※宇津保(970‐999頃)俊蔭「おのが一分とくぶんなし。なにによりてか、なんぢ一分あたらむ」
※読本・昔話稲妻表紙(1806)五「さもあらば我身の罪の一分(イチブン)を減じ」
② 一身。自身。自分ひとり。
※仮名草子・竹斎(1621‐23)上「是を知らぬかと人に思はれん事を悲しみ、一ぶん済まひたる顔をして」
③ 一身の面目、責任。その人、ひとりの分際。→一分が廃(すた)る・一分立(た)つ。
※浮世草子・好色敗毒散(1703)五「是皆身より出たる錆刀、一分に瑕がついたる上は」
④ 同様。一様。
※御伽草子・三人法師(古典文庫所収)(室町末)「十六の年近習一ぶんにて、朝夕召つかはるる間」
⑤ そのことに専念すること。一筋。
※評判記・けしずみ(1677)「こひをはなれてつとめ一ぶんのあひやうなるべし」
とある。多義な言葉だが、②の今の言葉の「自分」が他人に対しても拡大されて、③の意味になったのだと思う。今でも相手に対し「自分はどうなんだよ」という自分と同じで、この場合も「手前(てめえ)は男自慢の花ざかり」という意味になる。
そんな話を延々と振られると、せっかくの花の宴も台無しだ。そうやって日も傾き山の端が染まって行く。
二十二句目。
一分は男自慢の花ざかり
小知をすてて帰る雁金 志計
前句の「一分」をお金の一分(いちぶ)とする。鳥の「かりがね」と借金の「借り金」を掛けるのはお約束。
小知はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小知」の解説」に、
「〘名〙 少しの知行。わずかな扶持。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「一分は男自慢の花ざかり〈一鐵〉 小知をすてて帰る雁金〈志計〉」
とある。
わずかな扶持をもらって生活しても、それだけでは足りず、結局主君から前借を重ねることになる。自分で一分を稼ぎ出して、借金を返し独立する。
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