jimdoの方の障害で鈴呂屋書庫の更新も閲覧も出来なくなった。あっちの方には特にウクライナのことは書いてないのにね。
でも前にdionのホームページが契約切れで消えたことがあったから、何か心配だ。
そう思ってたら今しがた復旧した。
それでは『阿羅野』仲春の発句の続き。
高声につらをあかむる雉子かな 一雪
大きな声でケーンとなく雉は顔を赤くして、何を怒ってるのだろうか。「喧々囂々」という言葉もある。
雉はウィキペディアに、
「繁殖期のオスは赤い肉腫が肥大し、縄張り争いのために赤いものに対して攻撃的になり、「ケーン」と大声で鳴き縄張り宣言をする」
とある。
行かかり輪縄解てやる雉子哉 塩車
輪縄はくくり罠か。通りがかりにくくり罠に掛かった雉を見つけたので、可哀想なので解いてやる。
雉は食用にされていた。ウィキペディアに、
「キジは、鶏肉料理として焼いたり煮たりする料理の食材として古くから使用されており、四条流包丁書には「鳥といえば雉のこと也」と記されている。少なくとも平安時代頃から食されており、雉鍋、すき焼き、釜飯、雉そば、雉飯などが伝統的な調理法である。」
とある。『徒然草』一一八段にも「鳥には雉、さうなきものなり」とある。
手をついて歌申あぐる蛙かな 宗鑑
俳諧の祖山崎宗鑑の発句。『古今集』仮名序に、
「花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。」
とあるが、実際和歌の道は中世には二条家・冷泉家の権威がはびこり、堅苦しいものになっていた。水に住む蛙も手をついてうやうやしく歌を詠みあげる。
鳴立ていりあひ聞ぬかはづかな 落梧
今の田んぼでは聞かれなくなったが、昔の田んぼは蛙の大合唱で、日が暮れるのも知らずに夜まで鳴いている。
あかつきをむつかしさうに鳴蛙 越人
夜通し鳴いて疲れたのか、暁にはかったるそうに鳴いている。
いくすべり骨おる岸のかはづ哉 去来
まだ冬眠から覚めたばかりの蛙は、水から上がるのも不器用に何度も滑り落ちながら苦労している。
小野道風の柳の下の蛙を思わせるが、ウィキペディアによると、道風の蛙のエピソードの初出が浄瑠璃『小野道風青柳硯』(おののとうふうあおやぎすずり : 宝暦4年〈1754年〉初演)なので、逆に去来の句が影響を与えた可能性がある。
飛入てしばし水ゆく蛙かな 落梧
蛙というと貞享三年刊『春の日』に、あの有名な、
古池や蛙飛びこむ水のをと 芭蕉
の句がある。それを踏まえてのものであろう。
蛙は水に飛び込むだけでなく、飛び込んだ後さらにしばらく泳ぐ。
荒れ果てた古池で急に蛙が飛び込むと、はっとさせられ、春なのに荒れた古池に、在原業平の「月やあらぬ」のような悲し気な情を喚起させられるが、飛んだあと、しばし泳いでくれると、適度なシリアス破壊になる。
蛙を歌詠みの象徴として捉えると、古池に飛び込んだ蛙は芭蕉庵に隠棲した芭蕉の象徴のようでもあり、それでいくと「しばし水ゆく」はその後芭蕉が旅に出たことをいう、という解釈も成り立つ。
不図飛て後に居なをる蛙かな 松下
畦道を行くと、蛙は慌てて飛んで逃げるが、その後水の向こうで悠々としている。「ここまで来れないだろう」と言ってるかのようだ。
ゆふやみの唐網にいる蛙かな 一井
唐網は投網のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「投網・唐網」の解説」に、
「〘名〙 被網(かぶせあみ)の一種。円錐形で、網の裾を折り返して袋状にし、そこに鉛の重りを付けたもの。上端部に手綱が付いている。この手綱をにぎって水面に広げて投げ、綱を徐々にたぐって、網口を閉ざし、中にはいった魚を網地にからませて引きあげる。淡水魚のコイ・フナ・アユ、浅海魚のタナゴ・スズキ・アジなどを捕るのに用いる。うちあみ。とうあみ。《季・夏》
※雑俳・手鼓(1707)「うしろから・前へ投出す唐網(トアミ)うち」
とある。
魚を捕る網に蛙が掛かるのはよくあることなのか。蛙は古代にはヒキガエルを食べたという記録はあるが、一般に蛙を食べる習慣はなかったので、蛙は網にかかっても放されたのだろう。荘子の『無用の用』ではないが、役に立たないが故に自由でいられる。
鹿児島にいた頃、向こうの居酒屋では蛙のメニューがあるが、それはウシガエルで、アメリカザリガニ同様、近代に食用としてアメリカから持ち込まれたもので、日本の固有種ではない。
はつ蝶を兒の見出す笑ひ哉 柳風
この場合の兒は小さな子供の意味で、蝶を見つけて笑うという、文字通り微笑ましい句だ。とはいうが、子供って残虐な所もあるが。
棕櫚の葉にとまらで過る胡蝶哉 梅餌
蝶は背の低い草花に止まるもので、背の高い、下の方に葉がない棕櫚には止まりそうもない。
胡蝶は蝶一般をさす言葉だが、絵に描かれるのはもっぱら黄蝶だった。
ばうたんやしろがねの猫こがねの蝶 蕪村
の句もある。
かやはらの中を出かぬるこてふかな 炊玉
春の茅原は、まだ去年の枯れたススキなどがそのまま残っていて、下の方から新しい草が生えて来る。その小さな花にやってきた胡蝶は、あたかも枯れすすきの籠の中にいるみたいだ。
かれ芝や若葉たづねて行胡蝶 百歳
枯芝の中を飛ぶ胡蝶は、あたかも若葉を探して彷徨っているかのようだ。人生は旅、夢で胡蝶になっても、胡蝶もまた旅というところか。
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