今日は朝から雨で午後から台風の接近で風もやや強くなってきた。だがどうやらここはたいしたことなく通り過ぎそうだ。
元禄六年冬の「いさみたつ(霰)」の巻と「いさみたつ(嵐)」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
さて、角川書店の『校本芭蕉全集』の第三巻、第四巻、第五巻の中で、短いものを除いて半歌仙以上のものをこれまで読んできた。
順番は飛び飛びだったが、このあたりで時系列順にもう一度辿ってみようかと思う。全部ではなく、芭蕉の付け句の変遷が分かる程度に。
そういうわけで、今日は第一回目というとこで、まずは寛文五年霜月十三日興行の「貞徳翁十三回忌追善俳諧」を振り返ってみようと思う。
この巻は芭蕉がまだ伊賀にいて、宗房という名乗りをそのまま俳号としていた頃の唯一現存している俳諧一巻だ。
他にも幾つもの興行に参加していた可能性は高い。現存しているのがこれだけという意味だ。だから、これが芭蕉の最初の俳諧興行の席へのデビューなのかどうかはわからない。
この巻は寛文五年(一六六五)十一月十三日の興行で、発句は芭蕉(当時は宗房)の主人だった藤堂良忠(俳号は蝉吟)、脇は京の季吟だが脇だけの参加なので、書簡による参加であろう。それに正好、一笑、一以、それに執筆が一句参加している。まあ、芭蕉の全句ではなく、かいつまんで見て行くことにする。
あと、そもそも連歌だとか俳諧だとかいうのが何かという点に関しては、鈴呂屋書庫の「水無瀬三吟」の世界の最初の部分を参考にするといい。随分前に書いた文章(多分二〇〇四年頃)ではあるが。もう少し短いものとしては鈴呂屋書庫の「蕉門俳諧集 上」の頭の所の文がある。
まずは六句目
けうあるともてはやしけり雛迄
月のくれまで汲むももの酒 宗房
(けうあるともてはやしけり雛迄月のくれまで汲むももの酒)
次が執筆だから末席といっていいだろう。春の句になったところでためらわずに定座を引き上げて月を出すところは堂々としている。ただ、「まで」を重ねてしまったところは若さか。
ひな祭りは旧暦三月三日なので、夕暮れに出る月は三日月になる。三日月はすぐに沈んでしまい、夜になると真っ暗なので、この日の宴は夕暮れで終了になる。そういうわけで「月のくれまで汲む」となる。
雛(ひひな)に「ももの酒」を付ける物付けで、「桃の酒」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』に、
「[蘇頌図経]太清本草本方に云、酒に桃花を漬してこれを飲は、百病を除き、顔色を益す。[千金方]三月三日、桃花一斗一升をとり、井花水三升、麹六升、これを以て好く炊て酒に漬し、これを飲めば太(はなはだ)よろし。○御酒古草、御酒に入るる桃也。」
とある。
次に十一句目を見てみよう。
案内しりつつ責る山城
あれこそは鬼の崖と目を付て 宗房
(あれこそは鬼の崖と目を付て案内しりつつ責る山城)
「崖」は「いわや」と読む。前句の「山城」を鬼の城に見立てるわけだが、これは物付けではなく心付けになる。「こころ」は今では心情だとか、精神的のものをイメージするが、この頃は「意味」の意味でも用いる。
物付けが前句にある一つの単語と相性の良い単語(「付け合い」だとか「付き物」だとかいう)を選んで、後から一首の和歌になるように辻褄を合わせる付け方で、素早く機械的に付けられる利点がある。
連歌でも俳諧でも付け句には素早さが要求される。考え込んで場が滞ることを嫌う。遠くから人を呼んだりしての興行は時間的に限りがある。その時間内で一巻を仕上げる必要があったために、物付けのような素早く付けられる付け方が重宝された。
心付けはそれに対し、何か面白い展開を思いついた時の付け方になる。意味が通っていて面白ければ、付き物があるかないかにかかわらず付けて行く。
それにしても「鬼の岩屋」とは御伽草子のような空想趣味で、後の次韻調に繋がるものかもしれない。
次は十六句目。
まどはれな実の道や恋の道
ならで通へば無性闇世 宗房
(まどはれな実の道や恋の道ならで通へば無性闇世)
これも意付けで、前句の「まどはれな」を受けて、惑えば「無性闇世」と展開する。ちなみに「まどはれな」のような人を咎める言葉の入った句を「咎めてには」と呼び、連歌には頻繁に見られる。
「無性(むしょう)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「[名]仏語。
1 《「無自性」の略》実体のないこと。
2 《「無仏性」の略》仏性のないもの。悟りを開く素質のないもの。⇔有性(うしょう)。
[名・形動ナリ]分別のないこと。理性のないこと。また、そのさま。
「朝精進をして、昼からは―になって」〈浮・三所世帯〉」
とある。今日では「無性に」という形以外はほとんど用いられない。激しい衝動に突き動かされるという意味で、「無性にラーメンが食べたくなる」とかいうふうに使う。
相手がその気がないのに一方的に衝動に突き動かされて通い続ければ、それこそ今でいうストーカーだ。まさに「闇の世」、惑うなかれとなる。
次はちょっと飛んで三十一句目。
秋によしのの山のとんせい
在明の影法師のみ友として 宗房
(在明の影法師のみ友として秋によしのの山のとんせい)
前句の吉野と有明の月は付け合いで、この二つの言葉の関連は古歌に由来する。
朝ぼらけ有明の月とみるまでに
吉野の里にふれる白雪
坂上是則(古今集)
の歌は百人一首でもよく知られている。この歌が「吉野」と「有明」が付け合いになる證歌となっている。
「影法師」は李白の「月下独酌」に、
挙杯邀明月 対影成三人
盃を挙げて月を客として迎え、影と対座して三人となる。
の句があり、月の光によって生じる自分の影を友として夜を明かすという趣向は、この詩から来ていると思われる。
芭蕉の後に『冬の日』の「狂句こがらし」の巻でも、
きえぬそとばにすごすごとなく
影法のあかつきさむく火を燒て 芭蕉
の句を詠んでいる。吉野の遁世に有明の影法師が出典にべったりと付いているのに対し、「消えぬ卒塔婆」の「暁」に火を焚いた「影法(影法師)」は蕉風確立期の古典回帰とはいえ、出典とは違う独立した趣向を生み出している。
続いて大分飛ぶが、七十五句目を見てみよう。
久しぶりにて訪妹が許
奉公の隙も余所目の隙とみつ 宗房
(奉公の隙も余所目の隙とみつ久しぶりにて訪妹が許)
当時は芭蕉も蝉吟のところの奉公人だったが、今みたいな休暇はほとんどなくても仕事の合い間合い間に暇ができたりすることはあっただろう。そういう時には俳諧を楽しんだりもしたか。
もっともたいていの奉公人は、そんな渋い趣味を楽しむよりは、女の許にせっせと通っていたのではないかと思う。「余所目」は「よそ見(浮気)」の意味もあり、妹というのは浮気の相手。これは今風に言うと「奉公人あるある」だ。
山城を鬼の住む所に取り成した突飛な空想も芭蕉ならではのものだが、こういうリアルなあるあるネタを持ち出すのも芭蕉の持ち味で、豊かな想像力とリアルな感覚の同居が生涯に渡って芭蕉の作品に幅を持たせているといっても良いと思う。
豊かな想像力と現実感覚、それに無性闇世の道徳心、影法師を友にするという古典への造詣、それが芭蕉だと言ってもいい。
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