2021年10月4日月曜日

 今日もいい天気になった。今年は金木犀が二度咲いてあちこちで良い香りがする。一回目は九月の十日過ぎに咲いて、十八日の台風で散った。
 午後からはCat's Meow Booksへ行った。久しぶりの東京だ。
 コロナは収まり新政権が誕生し、好材料がたくさんあるのに、恒大が何もかも台無しにしている。

 では昨日の続き。
 芭蕉と素堂による第二百韻の「梅の風」の巻の第三は、いきなり倹約令へ挑戦しているかのようだ。

   こちとうづれも此時の春
 さやりんず霞のきぬの袖はえて  桃青
 (さやりんず霞のきぬの袖はえてこちとうづれも此時の春)

 「さやりんず」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に紗綾綸子とある。紗綾形綸子(さやがたりんず)のことで、コトバンクの「世界大百科事典内の紗綾形綸子の言及」に、

 「…日本では,桃山時代ころからの染織品の模様に多く用いられている。ことに江戸時代には綸子(りんず)の地文はほとんどが紗綾形で,これに菊,蘭などをあしらったものが,紗綾形綸子として非常に多く行われた。今日でも,染織品の地模様としてひろく用いられている。…」

とある。「紗綾形」は同じくコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「卍(まんじ)つなぎの一種で,卍をななめにつらねた連続模様。紗綾(さや)は4枚綾からなる地合の薄い絹織物。その地紋に用いられたのでこの名があるという。この系統の模様は名物裂(めいぶつぎれ)に多くみられ,おそらく明時代の中国から伝わったものであろう。日本では,桃山時代ころからの染織品の模様に多く用いられている。ことに江戸時代には綸子(りんず)の地文はほとんどが紗綾形で,これに菊,蘭などをあしらったものが,紗綾形綸子として非常に多く行われた。」

とある。
 紗綾形綸子の絹を着て二人ともこの世の春を謳歌している。
 さらに次の四句目では信徳(素堂)が、

   さやりんず霞のきぬの袖はえて
 けんやくしらぬ心のどけき    信章
 (さやりんず霞のきぬの袖はえてけんやくしらぬ心のどけき)

と応じる。
 江戸時代はたびたび倹約令が出て、武士以外は絹は禁止で紬(つむぎ)までだった。そういう意味では「さやりんず」は挑発的な言葉だが、本当に着てたかどうかは知らない。
 まあとにかく、紗綾形綸子を着て倹約令なんて知っちゃこたねえ、心は長閑なもんだ、と突っ張って見せる。
 さらに畳みかけるように素堂(信徳)の挑発は続く。
 五句目。

   けんやくしらぬ心のどけき
 してここに中比公方おはします  信章
 (してここに中比公方おはしますけんやくしらぬ心のどけき)

 公方様、つまり将軍様なら倹約令は関係ない。さぞのどかだろうなと皮肉る。
 ただ、今の公方様と思われてはいけないから、一応「中比(なかごろ)」とことわっておく。「あまり遠くない昔」という意味で、今の公方様ではないというところで言い逃れしている。
 なお、この言い回しは謡曲『安宅』の、

 「ここに中頃・帝おはします。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.63977-63978). Yamatouta e books. Kindle 版. )

から来ているもので、謡曲の言葉の使用は延宝期に盛んに用いられていくことになる。
 芭蕉の六句目はさらにこの挑発に追い打ちをかける。

   してここに中比公方おはします
 かた地の雲のはげてさびしき   桃青
 (してここに中比公方おはしますかた地の雲のはげてさびしき)

 「かた地の雲」は漆塗りの雲形肘木(くもがたひじき)で、中ごろの公方様のいたところも今は漆が剥げてさびしいもんだ、と追い打ちをかける。
 「雲」は「雲居(皇居)」や「雲上人」を連想させる。あるいは天皇を差し置いて政治を行っている武家を風刺していたのかもしれない。
 謡曲の言葉や趣向を用いる句は、九句目にすぐに現れる。

   趣向うかべる船のあさ霧
 いかに漁翁心得たるか秋の風   桃青
 (いかに漁翁心得たるか秋の風趣向うかべる船のあさ霧)

 これは謡曲『白楽天』の、

 「いかに漁翁、さてこの頃日本には何事を翫ぶぞ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.12790-12792). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とそのあと少し離れた所にある、

 「いでさらば目前の景色を詩に作つて聞かせう。青苔衣をおびて巌の肩にかかり、白雲帯に似て山の腰を囲る。 心得たるか漁翁。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.12810-12815). Yamatouta e books. Kindle 版. )

によるものだ。
 白楽天が漁翁に向かってこういうふうに目の前のもので詩を詠むんだ心得たか、と問い、明け方の松浦で「青苔衣をおびて巌の肩にかかり、白雲帯に似て山の腰を囲る」の趣向をうかべる。
 「秋の風」は謡曲『白楽天』とは関係ないが、前句の「あさ霧」にそれを吹き払う「秋の風」と応じたもので、ここでも「朝霧」「秋の風」と「趣向うかべる船」「いかに漁翁心得たるか」との並行が見られる。
 十五句目は、

   糞擔籠きよし村雨の空
 夕陽に牛ひき帰る遠の雲     桃青
 (夕陽に牛ひき帰る遠の雲糞擔籠きよし村雨の空)

の句で、夕陽は「ゆうよう」と読む。
 肥を撒き終わった百姓さんの肥たごも村雨にきれいになり、牛を引いて帰る頃には雨も上がって雲も遠のき、夕陽が射す。後の蕉風を思わせるようなこういう句も、既にこの時代に現れている。
 三十二句目の謡曲のフレーズを用いている。

   世の中よ大名あれば町人あり
 柳は緑かけは取がち       桃青
 (世の中よ大名あれば町人あり柳は緑かけは取がち)

 「柳は緑」は「柳緑花紅真面目」という蘇東坡の詩の一節で禅語になっているが、謡曲『山姥』で、

 「仏あれば衆生あり・衆生あれば山姥もあり。柳は緑、花は紅の色色。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.89910-89912). Yamatouta e books. Kindle 版. )

というふうに用いられている。
 「世の中よ大名あれば町人あり柳は緑」はここでは序詞のようなもので、緑から「かけは取がち」を導き出すわけだが、掛売は取り立てた者が勝ちということだ。
 逆を言えば逃げられれば負けで、実は借りた方の立場の方が強い。貸し手はデフォルトが怖いからそれを利用しない手はない。これは大名でも町人でも、現代の債務国でも変わらない真理だ。
 三十九句目は「貞徳翁十三回忌追善俳諧」の「ならで通へば無性闇世 宗房」の系譜を引くものであろう。

   地ごくのゆふべさうもあらふか
 飛蛍水はかへつてもえあがり   桃青
 (飛蛍水はかへつてもえあがり地ごくのゆふべさうもあらふか)

 夕べと蛍は白楽天『長恨歌』の「夕殿蛍飛思悄然」の縁。
 蛍の光を燃え上がる炎に称えるのは、和歌に見られるもので、

 さつきやみ鵜川にともす篝火の
     數ますものは蛍なりけり
             よみ人しらず(詞花集)
 蘆の屋のひまほのぼのとしらむまで
     燃えあかしてもゆくほたるかな
             源俊頼(千載集)

のように、川の篝火にも喩えられる。
 蛍は水辺にすむところから、普通の火なら水で消えるのに蛍の火は水で燃え上がるとする。水が燃え上がれば地獄のようだ。
 言葉の表には現さないが、蛍には燃え上がる恋の炎を象徴するもので、地獄は愛欲の地獄になる。
 四十五句目は謡曲の言葉を用いている。

   白むくそへて粟五十石
 田舎寺跡とぶらひてたび給へ   桃青
 (田舎寺跡とぶらひてたび給へ白むくそへて粟五十石)

 謡曲『源氏供養』に、

 「わが跡弔ひてたび給へと」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.33825-33826). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という用例があえい、『実盛』の最後にも、

 「影も形もなき跡の、影も形も南無阿弥陀仏、弔ひてたび給へ跡弔ひてたび給へ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18239-18242). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。他にも謡曲のエンディングによく用いられる。
 「たびたまふ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典に、

 「①お与えくださる。
  出典曾我物語 一
  「男子(なんし)にてましませば、わらはにたびたまへ」
  [訳] 男子でいらっしゃいましたならば、私にお与えください。
  ②〔動詞の連用形、または、それに「て」の付いた形に付いて〕…てくださる。▽補助動詞的に用いる。
  出典隅田川 謡曲
  「さりとては乗せてたびたまへ」
  [訳] どうか(舟に)乗せてください。◆「たまふ」は、ほとんど命令形「たまへ」が用いられる。
  なりたち 動詞「たぶ」の連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」

とある。田舎の寺に、後を弔ってくださいと白無垢に粟五十石を寄進する。「たび給えへ」という謡曲の決まり文句が面白くて作ったような句だ。
 九十四句目はシュールな方の芭蕉の句だ。

   上々新蕎麦面もふらず切て出
 大根の情たちかくれけり     桃青
 (上々新蕎麦面もふらず切て出大根の情たちかくれけり)

 そばを切っている脇では、蕎麦の敵を討とうと大根の精が隠れている。多分返り討ちにあって下ろされることになる。
 これは「徒然草六十八段、大根の精が出て敵を追払うた話あり」に元ネタがある。

 「筑紫に、なにがしの押領使(あふりやうし)などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおほね)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ける事、年久しくなりぬ。
 或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵(かたき)襲ひ来りて、囲み攻けるに、館の内に兵(つはもの)二人出で来て、命を惜まず戦ひて、皆追返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼て、朝な朝な召しつる土大根らに候」と言ひて、失(うせ)にけり。
 深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。」

という話だが、大根を食ってる方が大根の敵なのではないか。

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