普段実写のドラマはほとんど見ないので、dアニメには入っているがネトフリには入っていないので、その方面はよくわからないがイカゲームというのが流行っているらしい。系譜としてはカイジではなく映画の『スラムドッグ$ミリオネア』と似たような雰囲気がある。多分マスメディアや左翼系文化人の反応が似ているのだと思う。
こういう人たちが紹介すると、エンターテイメントではなく政治的プロパガンダの方が前面に出てしまい、結果的に日本ではコケることになる。世界で大ヒットしていても日本で今一つという作品は、このパターンが多い。
エンターテイメントとしてのバトルは基本的にゲームであり、異世界転生して過酷なバトルに巻き込まれたとしても、その世界は神のような開発者によって作られて世界であり、その世界が創造された理由が「娯楽」であることがはっきりしている。それをこれが現実だみたいに言われると笑えない。
現実の世界には創造主もなければ、そこに何らかの意図が働いてるわけでもない。現実を生きる我々にはクリアすべき目標があるわけでもないし、戦うように宿命づけられているわけでもない。競うのはあくまで任意だ。そこを間違えてはいけない。だからこそ、ゲームは「異世界」なんだ。
同じころ熱田で「つくづくと」の巻が興行される。
七句目の、
宿のみやげに撫子を掘る
はな紙に都の連歌書つけて 芭蕉
(はな紙に都の連歌書つけて宿のみやげに撫子を掘る)
は連歌を持ち出すことで、この時代のリアルでなく、やや古い設定になる。
中世の連歌は寺社で興行され、境内に張り出されたりしたのだろう。それを鼻紙にメモして撫子とともにお土産に持ち帰る。まあ、懐紙という言葉もコトバンクに「精選版 日本国語大辞典「懐紙・会紙」の解説」に、
「① たたんで懐中に携帯する紙。詩歌の草稿や、その他書きつけ、あるいは包み紙、拭い紙などとして使用した。ふところがみ。たとう。たとうがみ。
※小右記‐寛弘二年(1005)正月一日「今日次第若注懐紙歟」
② 詩歌、連歌、俳諧を正式に記録、詠進する時に用いる料紙。檀紙、奉書紙、杉原紙など。寸法、折り方、書き方などにおのおの規定がある。→懐紙式(かいししき)。
※吾妻鏡‐延応元年(1239)九月三〇日「於二御所一有二和歌御会一、〈略〉佐渡判官各献二懐紙一」
とあるように多用途の紙で、鼻紙だと言われれば鼻紙なのだが。
十四句目。
烏羽玉の髪切ル女夢に来て
恋をみやぶる朝顔の月 芭蕉
(烏羽玉の髪切ル女夢に来て恋をみやぶる朝顔の月)
世を捨てたと思ってみても、あの女が髪を切る夢を見る。ふと見ると明け方の月に照らされる朝顔が見える。
『源氏物語』の朝顔の出家をほのめかしているのかもしれない。
天和調は漢詩や王朝時代などの古典から突飛な空想を生み出すことが多かったが、貞享に入ると古典の情をそのまま生かそうするようになる。現在のことを描いても、どこか古典に通じるものを求めるあたりが蕉風確立期の風で、これが不易流行説に結実してゆく。
十九句目の、
陰干す於期のかづら這ふ道
笠持て霞に立る痩男 芭蕉
(笠持て霞に立る痩男陰干す於期のかづら這ふ道)
の句も、海辺を行く痩せた旅人は古代の流刑人を連想させる。
三十五句目の、
入日の跡の星二ッ三ッ
宮守が油さげつも花の奥 芭蕉
(宮守が油さげつも花の奥入日の跡の星二ッ三ッ)
の句も。「宮守(みやもり)」という言葉でやはり謡曲の時代の連想を誘う。
宮守はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 宮の番をすること。神社の番をすること。また、その人。神社の番人。神官。〔延喜式(927)〕
※謡曲・蟻通(1430頃)「神は宜禰が慣らはしとこそ申すに、宮守りひとりもなきことよ」
とある。神主とは限らない。
花の奥にある社の灯篭に火を灯すために油を下げて行く。
謡曲『蟻通』には、
「社頭を見れば燈火もなく、すずしめの声も聞こえず。神は宜禰がならはしとこそ申すに、宮守一人もなき事よ。よしよし御燈は暗くとも、和光の影はよも曇ら じ。あら無沙汰の宮守どもや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.47728-47735). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とあり、御燈を灯すのが宮守の仕事だった。
『冬の日』で、リアルなあるあるネタの面白さを思い出したものの、再び芭蕉は古典趣味に引き寄せられ、それが蕉風確立期の一つの風となってゆく。
貞享二年四月四日の「杜若」の巻も、古典回帰が見られる。
十句目の、
道野辺の松に一喝しめし置
長者の輿に沓を投込ム 芭蕉
(道野辺の松に一喝しめし置長者の輿に沓を投込ム)
の句も謡曲『張良(ちょうりょう)』の本説になる。そこには、
「これは漢の高祖の臣下張良とはわが事なり。われ公庭に隙なき身なれども、 或る夜不思議の夢 を見る。これより下邳といふ所に土橋あり。かの土橋に何となく休らふ処に、一人の老翁馬上にて行き逢ふ。かの者左の沓を落し、某に取つて履かせよといふ。何者なればわれに向ひ、かくいふん と思ひつれども、かれが気色ただものならず。その上老いたるを貴み親と思ひ、沓を取つて履かせて候。その時かの者申すやう、汝誠の志あり。今日より五日に当らん日ここに来たれ。兵法の大事を伝ふべき由申して夢さめぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.86792-86816). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。
張良はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「能の曲名。四・五番目物。観世信光(のぶみつ)作。シテは黄石公(こうせきこう)。漢の高祖に仕える張良(ワキ)は,夢の中で不思議な老人に出会い,5日後に下邳(かひ)の土橋で兵法を伝授してもらう約束をする。下邳に出向くと,老人(前ジテ)はすでに来ていて遅参を咎(とが)め,さらに5日後に来いといって消え失せる。張良が今度は早暁に行くと,威儀を正した老人が馬でやって来て黄石公(後ジテ)と名のり,履いていた沓(くつ)を川へ蹴落とす。」
とある。このあとのことは、「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「漢の高祖の軍師となった張良が黄石公の川に落とした沓(くつ)を取って、その人柄を認められ、ついに兵法の奥義を授かる。」
とある。「松に一喝」を遅参を咎める場面とし、沓を返す場面を「輿に沓を投込ム」と元ネタと少し違えて付ける。
そんな芭蕉でも想像力を発揮する場面はある。二十句目の、
燕に短冊つけて放チやり
亀盞を背負さざなみ 芭蕉
(燕に短冊つけて放チやり亀盞を背負さざなみ)
は特に何か故事があるわけではなさそうだ。
前句に燕に短冊をつけて放つという空想に応じたもので、曲水の宴の発想をさらに進めて、お目出度い亀の背中に盞(さかずき)を背負わせて酒をふるまうという、実際にはこれはないだろうという粋な趣向を付ける。
実際には亀は思ったとおりに歩いてくれないし、揺れて酒がこぼれたりするから、難しい。
燕に亀と対句のように付ける相対付け(向え付け)になる。連歌の頃からある付け筋で、芭蕉はこれを得意としていた。
四月の熱田での「ほととぎす」の巻でも、基本的に古典に添っている。
十三句目。
蜘でのはしのかけつはづしつ
恋ぐさを其中将とおもひわび 芭蕉
(恋ぐさを其中将とおもひわび蜘でのはしのかけつはづしつ)
前句の「蜘(くも)でのはし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」にある、
「橋の梁(はり)、桁(けた)を支えるために、橋脚から斜めに渡した筋交いの支柱。
※詞花(1151頃)雑上・二七四「並み立てる松のしづ枝をくもでにてかすみ渡れる天の橋立〈源俊頼〉」
のことで、街道などで橋が禁止されているところでも、禁令が出るとそのときだけ橋をはずし、しばらくするとまた架けるということを繰り返していたのだろう。
そこに芭蕉は「中将」を登場させる。中将というと在五中将(在原業平)か『源氏物語』の頭中将が有名だが、前句の「蜘でのはし」は『伊勢物語』第九段に、
「三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋とはいひける。」
とあるので在五中将の方であろう。
前句の「蜘でのはし」を業平ゆかりの八つ橋に掛けて、「くもでに思ひ乱るる」の意味も含ませる。
二十二句目。
挟みては有かと腰の汗ぬぐひ
非人もみやこそだちなりけり 芭蕉
(挟みては有かと腰の汗ぬぐひ非人もみやこそだちなりけり)
の句だが、手拭や汗拭いは江戸時代に綿花の栽培が広まることで急速に普及した。ウィキペディアには、
「綿はおもに中国大陸などから輸入され絹より高価であったが、江戸時代初頭の前後に、日本でも大々的に栽培されるようになり普及した。また、用途においても神仏の清掃以外では、神事などの装身具や、儀礼や日除けなどにおいての被り物(簡易の帽子や頭巾)であったとされ、普及するにつれ手拭きとしての前掛けなどの役割を帯びていったと考えられている。」
とある。
貞享の頃はまだ地方にまでは広まってなかったか、汗拭いを腰に下げるのは京都人というイメージがあったのだろう。
都人なら非人でも汗拭いを使っている。もっとも、歌舞伎役者も身分的には非人だから、非人もピンからキリまでだが。
芭蕉の俳諧にはしばしば穢多非人やそれに含まれない雑種賤民が登場し、その姿がリアルに描かれる。まあ、当時の人にとって、それはどこにでもいる身近な存在だったということもあるのだろう。
二十七句目。
やかましい日はかねも覚えず
又しても忘れた物を月あかり 芭蕉
(又しても忘れた物を月あかりやかましい日はかねも覚えず)
前句の「かね」は鐘の意味だったが、ここでは金に取り成す。「かね」とわざわざ平仮名にしているといる場合は、次が取り成し句になっていると思った方が良い。
ここではお金を忘れたになる。大体貸した方は覚えていても借りた方は忘れているものだ。これはあるあるネタになる。
三十二句目。
お十二に過た何かの御きようさ
不浄をよける金襴の糸 芭蕉
(お十二に過た何かの御きようさ不浄をよける金襴の糸)
不浄には女性の生理の意味もある。前句の「お十二」から良家の娘の初潮とし、金襴の糸を使った丁字帯(ふんどし状のナプキン)を御教唆する。
当時、丁字帯まではあるあるだっとと思うが、さすがに金襴のナプキンは芭蕉の空想だろうな。
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