今日は晴れたが気温が急に下がった。「やや寒」というところか。
雲はほとんどないんだけど、丹沢の上に若干雲がかかっていて、富士山は見えなかった。雪がほんの少し積もってたらしい。
今日は十三夜。夕方に雲が出てきたが、月が登って少しすると晴れた。
それでは「狂句こがらし」の巻のやりなおしの続き。
十三句目。
あるじはひんにたえし虚家
田中なるこまんが柳落るころ 荷兮
「こまん」は「関のこまん」で丹波与作との恋物語が寛文の頃から俗謡に歌われ、浄瑠璃や歌舞伎にも脚色されてゆくことになった。貞享二年六月二日の「涼しさの」の巻七十句目にも、
はつ雪の石凸凹に凸凹に
小女郎小まんが大根引ころ 才丸
の句がある。
前句の貧しい暮らしに悲恋の柳を添える。
十四句目。
田中なるこまんが柳落るころ
霧にふね引人はちんばか 野水
柳というのは川べりに植えられていることが多い。その意味では柳に船は付き物と言えよう。単に霧に船を引く人では連歌の趣向になってしまうが、そこを「ちんばか」とすることで俳諧にしている。人の身体の障害を笑うというのではなく、足が悪いながら一生懸命船を引く姿には、何か壮絶なその人間の生き様が感じられる。
この場合の「か」は「かな」と同じ。
十五句目。
霧にふね引人はちんばか
たそがれを横にながむる月ほそし 杜国
秋三句目で、この辺で月の欲しいところだ。船をゆっくりと引きながら次第に日が暮れていくと、地平線近くに細い月が見える。
「横にながむる」は見上げるような高さでなく、横を向くだけで見える、という意味。
十六句目。
たそがれを横にながむる月ほそし
となりさかしき町に下り居る 重五
前句の「横にながむる」を横になって眺める、とする。
「さかし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「賢」の解説」に、
「[二] なまいきな才知、分別があって、すきがない。
① 才知、分別だけあって、人間味が欠けている。かしこぶって、さしでがましい。こざかしい。
※落窪(10C後)一「まさにさかしき事せんや」
※枕(10C終)二五九「さかしきもの、今様の三歳児(みとせご)。〈略〉下衆の家の女あるじ」
② 他人のことについて、あれこれと口ぎたなくいうさまである。小うるさいさまである。
※俳諧・冬の日(1685)「たそがれを横にながむる月ほそし〈杜国〉 となりさかしき町に下り居る〈重五〉」
とある。
隣にうるさい奴がいる街に下りてきて、横になって細い月を眺める。細い月に何か世知辛さのようなものが感じられる。
十七句目。
となりさかしき町に下り居る
二の尼の近衛の花のさかりきく 野水
前句の「下り居る」を牛車から降りるの意味に取り成す。
天皇が崩御した時には、その妻達は尼となり、「二の尼」というのは二番目の尼、つまり本妻ではなく、かつての側室ということだろう。
「近衛の桜」というのは、謡曲『西行桜』に、
シテ「然るに花の名高きは。」
地「まづ初花を急ぐなる。近衛殿の糸桜。」
とある。西行法師が、
花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜のとがにはありける
という歌を詠んだことで、花の精が現れて、桜には罪はないとばかりに、様々な桜の徳を並べる話だが、その中でも近衛の糸桜は有名だったようだ。
二の尼が近衛の桜が今盛りだと聞き、京の都の下町に牛車から降り立つ。
十八句目。
二の尼の近衛の花のさかりきく
蝶はむぐらにとばかり鼻かむ 芭蕉
前句の王朝ネタはこの時代によくあるものだったので、芭蕉としてもややほっとした感じがしたのではないか。
かつての宮廷で蝶のように華やかに舞っていた身も、今や近衛の糸桜どころか、こんな雑草にとまる蝶になってしまったと涙ぐむ。「鼻かむ」というのは泣くことを間接的に言う言いまわして、風雅なようだが、何か鼻水でぐしゅぐしゅになった顔が浮かんできそうで、俳味がある。
二表、十九句目。
蝶はむぐらにとばかり鼻かむ
のり物に簾透顔おぼろなる 重五
舞台を現代に戻して、駕籠の簾の向こうに鼻をかむ人が朧に見える、とする。愛しき人の姿を見て、蝶のような浮気なあの人は野卑なむぐらの所に行ってしまったと涙する。
二十句目。
のり物に簾透顔おぼろなる
いまぞ恨の矢をはなつ声 荷兮
一転して仇討の句となる。
顔もおぼろなのに大丈夫だろうか。人違いでないだろうか。
二十一句目。
いまぞ恨の矢をはなつ声
ぬす人の記念の松の吹おれて 芭蕉
熊坂長範(くまさかちょうはん)は謡曲『熊坂』でもって多くの人に知られるようになり、江戸時代の歌舞伎、浄瑠璃などの題材にもなっている。十二世紀の大盗賊ということで、義経伝説に結び付けられ、謡曲のほうも、綾戸古墳の松の木の下で、熊坂の十三人の手下をばったばったと切り捨てた牛若丸に、ついに熊坂が薙刀で切りかかり、一騎打ちとなるが、そこで牛若丸は今日の五条での弁慶のときのように、ひらりひらりとあの八艘飛びを見せ、ついには熊坂もこの松の木の下で息絶える。
この形見の松は謡曲『熊坂』に、
「あれに見えたる一木の松の、茂りて小高き茅原こそ、唯今申しし者の古墳なれ。往復ならねば申すなり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.85623-85626). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。
その熊坂の形見の松も、やがて年月を経て、老木となり、今では吹き折れている。しかし、その木の下にたたずむと、今でも熊坂の霊が現れて、恨みの矢の声が聞こえてくるようだ。本説付になる。
謡曲では熊坂の武器は薙刀で、弓ではなが、出典で付ける時は、そのものではなく多少変えるのが普通なので、熊坂が弓で牛若丸を狙ったとしても悪いことはではない。
二十二句目。
ぬす人の記念の松の吹おれて
しばし宗祇の名を付し水 杜国
岐阜県の郡上八幡は、かつって連歌師の宗祇が古今伝授を受けた東常縁の支配下にあり、ここでも古今伝授を受けるために宗祇が滞在したという伝承がある。
その宗祇の庵は長良川に流れ込む吉田川のほとりにあったと言われ、そこにある泉が、やがて「宗祇水」と呼ばれるようになった。(参考;『宗祇』奥田勲、1998、吉川弘文館)
ともに美濃国の名所で相対付けになる。
二十三句目。
しばし宗祇の名を付し水
笠ぬぎて無理にもぬるる北時雨 荷兮
宗祇というと、
世にふるもさらに時雨の宿り哉 宗祇
の発句が有名で、前句の「宗祇の名を付し水」を宗祇水ではなく、時雨にも宗祇の名があるという意味に取り成す。
宗祇ゆかりの時雨であれば、無理にでも濡れて宗祇法師の「世にふるも」の気持ちになって見たいものだ。
二十四句目。
笠ぬぎて無理にもぬるる北時雨
冬がれわけてひとり唐苣 野水
唐苣(たうちさ)はフダンソウとも言い、葉を食用とするビーツの仲間で、江戸時代の初め頃に中国から入ってきて、よく栽培されていたらしい。レタスのような味だという。今ではスイスチャードとも呼ばれる。冬でも収穫できないことはない。
ウィキペディアに
「ホウレンソウに似ているが比較的季節に関係なく利用できるので「不断草」とよばれる。「恭菜」という表記もある。 葉はホウレンソウとおなじように、おひたしや和物に利用される。太い葉柄は煮たり炒めたりして食べられる。 茎は色彩鮮やかで、赤、オレンジ、白などの種類があり、これらはポリフェノールの一種であるベタレイン色素によるもの。
欧米ではレッドチャードの若葉がラムズレタスなどといっしょにサラダとしてよく使われる。
沖縄県では「ンスナバー」と呼ばれ、「スーネー」または「ウサチ」という和え物や「ンブシー」という味噌煮に仕立てる。沖縄では冬野菜として利用される。他にも様々な地域名があり、岡山県ではアマナ、長野県ではトキシラズやキシャナ、兵庫県ではシロナ、京都府ではタウヂサ、大阪府ではウマイナ、島根県ではオホバコヂサと呼ばれる。」
とある。
時雨に濡れてでも収穫したいものだ。
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