今日は午前中雨が降って午後は晴れた。五日の月が金星の傍に見える。
それでは「八人や」の巻の続き。
二表、二十三句目。
盃甲梅かざす月
春なれや太平楽の大さはぎ 政定
前句を宴会で乱れた様とし、「太平楽の大さはぎ」とする。
太平楽はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「太平楽」の解説」に、
「雅楽の曲名。別名を「武将破陣楽」「武昌太平楽」「頂荘鴻曲」「五方獅子舞」「城舞」ともいう。唐楽、太食(たいしき)調。四人舞で、道行(みちゆき)・破・急にそれぞれ『朝小子(ちょうこし)』『武昌楽』『合歓塩(がっかえん)』という曲をあて、組曲形式をとる。代表的な武の舞で、漢の高祖が項羽を討ち天下を統一したさまを描く。太食調調子ののち、序にあたる『朝小子』では4人が一列縦隊でゆっくりと登台、『武昌楽』では鉾(ほこ)を手に勇壮に舞う。『合歓塩』では軽快に曲を繰り返すうちに金の太刀(たち)を抜く。降台は「重吹(しげぶき)」と称して当曲の『合歓塩』をふたたび奏し、また一列縦隊で行う。装束は別装束で、鎧(よろい)、兜(かぶと)、肩喰(かたくい)、各種の武具など約16種、15キログラムにも及ぶ。胡籙(やなぐい)の矢は矢尻(やじり)を上に向けて平和の象徴とする。番舞(つがいまい)は『陪臚(ばいろ)』。[橋本曜子]」
とある。
この句と前句の間の上の所に「満」という文字がある。賦し物だろうか。前句の頭の「盃」と合わせると「盃を満たす」となる。三十九句目と四十句目の間にも「足」の文字があり、合わせると「満足」になる。
二十四句目。
春なれや太平楽の大さはぎ
上気の皇子いにしへの夢 正長
「上気」は「うはき」と読む。上気の皇子というと光源氏のことか。正確には源氏姓を賜って臣下になったので、皇子ではない。まあ、浮気な皇子は他にもたくさんいそうだが。
二十五句目。
上気の皇子いにしへの夢
浅茅原琉璃の礎のみ也けり 常之
王都は荒れ果てて、浅茅が原に瑠璃の基礎のみが残る。
二十六句目。
浅茅原琉璃の礎のみ也けり
狐が里の穴のしののめ 如泉
琉璃の宮殿は化けた狐の見せた幻想だった。
二十七句目。
狐が里の穴のしののめ
隠れ笠かくれ羽織を詠めやる 信徳
隠れ蓑という言葉はあるが、狐だから隠れ笠や隠れ羽織も持っていて完全に身を隠す。
二十八句目。
隠れ笠かくれ羽織を詠めやる
はしり女の行衛しられず 如風
「はしり女」は走り使いの女のことか。今の言葉だと「ぱしり女」か。隠れ笠に隠れ羽織でどこに行ったか分からない。案外すぐ近くにいたりして。
二十九句目。
はしり女の行衛しられず
あそこ小督さがすや月のもなかくに 春澄
小督と仲国といえば謡曲『小督』で、前句の「はしり女」を小督とし、月の中を仲国が探しに行く。「もなかくに」は最中(もなか)の月と仲国(なかくに)との合成。最中の月は十五夜のこと。
三十句目。
あそこ小督さがすや月のもなかくに
口真似草の口真似の露 政定
口真似草は梅盛の撰集の名前で 明暦二年(一六五六年)刊。信徳の句も入集している。
明暦の頃の古い貞門の撰集の口真似をして涙、というところか。
三十一句目。
口真似草の口真似の露
彌高き伽藍のひびき野分風 仙菴
「彌高き」は「イヤタカき」と読む。
伽藍はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「伽藍」の解説」に、
「普通は僧侶(そうりょ)の住む寺院などの建築物をいう。サンスクリット語のサンガーラーマsaghārāmaの音写語「僧伽藍摩(そうぎゃらんま/そうがらんま)」の略で、衆園(しゅうおん)、僧園(そうおん)、僧院などと漢訳される。修行僧が集まって仏道を修する閑寂な場所をいったが、のちには転じて寺院の建造物を意味する語となった。
寺院の主要な七つの建物を具備しているのを「七堂伽藍」という。その内容や名称は宗派などによって異なるが、禅宗では、仏殿、法堂(はっとう)、三門、庫院(くいん)、僧堂、浴室、東司(とうす)(御手洗)をいう。なお、禅宗の僧侶が寺院に住職するときに、弟子と師匠の関係で相承(そうじょう)されるのを「人法(にんぽう)」というのに対し、伽藍のみの関係は「伽藍法(がらんぽう)」といわれる。[阿部慈園]」
とある。
前句を御経を読む声とする。教わった通りの読み方で教わった通りの節をつけてみんなで経を詠みあげて、そうやって教を覚えていくのだから、口真似と言えば口真似だ。
大きな伽藍だと大勢の読経の声が響きわたって、さながら野分のようだ。
三十二句目。
彌高き伽藍のひびき野分風
浮たつ雲に龍がぬけゆく 常之
伽藍に突如龍の声が響きわたり、竜巻が巻き起こる。雲の彼方へと龍が飛び去って行く。
三十三句目。
浮たつ雲に龍がぬけゆく
七面そのかみ爰の山がくれ 正長
七面には「ナナツモテ」とルビがある。身延山の七面山(しちめんざん)のことか。日蓮宗のホームページに、
「日蓮聖人がこの石(高座石)の上で説法をしていると、聴衆のひとりに妙齢の女性がいた。彼女は説法を聞き終えると、龍の姿となり『私は、これから法華経を信仰する人々を守護します』と言い残し、七面山の方角へ飛んでいった。この龍女は、法華経の守護神『七面山大明神』といわれています。」
とある。
三十四句目。
七面そのかみ爰の山がくれ
柴積車千里一時 信徳
漢字ばっかりで一見漢詩っぽいが「しばつみぐるませんりをいちじ」となる。千里一時はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「千里を一時」の解説」に、
「千里の道をいっときの間に行くの意で、非常な速さで行くことにいう。
※浄瑠璃・弘法大師誕生記(1684頃)一「千里を一じとかけゆきしは」
とある。そんなスピードの出る柴積車っていったい何だろうか。
三十五句目。
柴積車千里一時
稗団子或は松の葉を喰ひ 如泉
松の葉は食べられるという。稗団子も貧しい感じがするが、松の葉はもっと貧しい感じがする。
三十六句目。
稗団子或は松の葉を喰ひ
ベウタレ青き苔の小筵 春澄
ベウタレはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「米滴」の解説」に、
「〘名〙 雑炊(ぞうすい)。
※続無名抄(1680)下「世話字尽〈略〉米滴(ベウタレ)」
とある。
青い苔の生えているのを筵として、稗団子や松の葉の雑炊を食べる。
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