今日は朝から雨。
そういえば昔、いざや便出さん(山本七平)が全員一致の時は必ず何らかの圧力が働いていると言っていたが、ネット上でも多くの人が同じ意見を言っている時は組織の関与があると見ていい。
前は一人でたくさんアカウントを作ってやってるいわゆるネトウヨがいたりもしたが、今のネットでは一人工作では数が追い付かない。一人工作ができる人を数多く組織しているところが勝つ。だから、筆者も2チャンネルを読むときも、できる限り一人しかいないような固有の意見を拾うようにしている。多数意見は組織の意見と考えて、読み飛ばした方が良い。
ツイッターのトレンド入りも、政治的議題に関して言えば、まず組織的なものとして無視した方が良い。そんなもの振り回されている政治家は早いところ辞任した方が良い。岸田さんもそこが不安だ。
ツイッターのトレンドを無視しても票は減らない。最初から左翼にしか投票しない連中だからだ。そこでぶれると保守票を失うことになる。安倍さんが驚異的な支持率を長く維持できたのは、ぶれなかったからだ。それでも最後は黒川前検事長をめぐる組織的なチートに屈して、それが辞任につながった。
未だにあれほど大規模な組織的なツイットは見ない。まあ、あそこまでの露骨なやり方は何度もは使えないし、やれば足がつく。ただ、選挙が近いし警戒は必要だ。革命のためなら手段を選ばない連中がいる。
とにかくまあ、ネット上の多数意見は組織の関与を疑うべし。
さて、風流の方だが、『俳諧次韻』最後の「世に有て」の巻になると、かなり穏やかな展開になる。
まず発句が、
世に有て家立は秋の野中哉 才丸
で、「家立(やだち)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「家の建て具合」とある。
これは市隠ということで、江戸の市中に住み、世俗にあっても心の中では本当の家は秋の野の中に建っている、という意味だろう。
破調もなく、奇想もなく、隠士の志の高さを感じさせる句で、後の蕉風確立期の句の中に混じっても遜色がない。
脇も、
世に有て家立は秋の野中哉
詠置月にかぶ萩を買 揚水
(世に有て家立は秋の野中哉詠置月にかぶ萩を買)
で、月を眺めながら心を秋の野にするために、萩の株を買ってきて、庭に植えるか鉢植えにして、狭いながらも秋の野を思い浮かべる。
前句の心に応じて、同意するように付けている。
そして芭蕉の第三も、
詠置月にかぶ萩を買
哀とも茄子は菊にうら枯て 桃青
(哀とも茄子は菊にうら枯て詠置月にかぶ萩を買)
前句の「かぶ萩」を「蕪」と「萩」として、「蕪」に茄子を、「萩」に菊を付ける。
季節を晩秋として茄子や菊が末枯れて、代わりに蕪と萩を植える。
前の二巻が延宝の頃の奇想を極限にまで突き詰めた感じがするのに対し、この巻は全く違った調子で始まる。これこそ蕉風の確立と言っても良いのではないか。
十九句目。
米とぐ音の耳に露けき
扨もかびて簀子折たく秋しもぞ 桃青
(扨もかびて簀子折たく秋しもぞ米とぐ音の耳に露けき)
「折(をり)たく」というと、
思ひ出づる折りたく柴の夕煙
むせぶもうれし忘れ形見に
後鳥羽院(新古今集)
の歌が思い浮かぶ。
黴の生えた簀子を薪にくべながら一人飯を炊くと、今は亡き人のことも思い出されるのだろう。
このしみじみとした調子も、前の二巻の浮かれた調子と異なり、やはり後の蕉風に遜色がない。
三十二句目の、
俗のいふ鹿嶋の海の底なるや
朝の日の東本地赤螺 桃青
(俗のいふ鹿嶋の海の底なるや朝の日の東本地赤螺)
は、前句の「俗のいふ」を生かして、鹿島の海の底の仏教譚の俗説を付ける。
赤螺(あかにし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① アクキガイ科の巻き貝。殻高約一〇センチメートル。殻の口は大きく、内面は美しい赤色。本州・四国・九州沿岸の砂底にすみ、カキその他の二枚貝を食べるので養殖貝の害敵となることもある。殻は貝細工に、肉は食用にする。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
② (①の蓋(ふた)を堅く閉じたさまが、金銀を握って放さない様子に似ているところから) けちな人をあざけっていう語。
※雑俳・柳多留‐一〇七(1829)「赤にしの客雨落でしゃれてゐる」
とある。結構大きな貝だ。
鹿島灘は東の海なので、朝の日の昇る東の海に住む神を垂迹とし、その本地、つまり正体は赤螺(あかにし)だという。あくまで俗説だが、となる。
三十五句目は貧家の吟で、
ひそかひそかと雨蓑をもる
月を葺夕芋の葉の片軒端 桃青
(月を葺夕芋の葉の片軒端ひそかひそかと雨蓑をもる)
の「月を葺(ふく)」というのは、要するに屋根がないということ。
名月に芋は付き物で、芋名月とも呼ばれているが、ここでは芋の葉しかないところも貧しさがにじみ出ている。
夕べには雨が降り、びしょ濡れになる。
趣向的には、天和二年刊千春編の『武蔵曲』に収録された、
茅舎ノ感
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉 芭蕉
に通じるものがある。杜甫の『茅屋為秋風所破歌』の心に通じる。
五十一句目の、
木玉にかなで風を舞柳
飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ 桃青
(飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ木玉にかなで風を舞柳)
の句は、前の二巻のような注釈付けで、漢詩の注釈書を意識している。
ただ、内容は前句の柳が風に舞い、風が柳を吹く音を木魂が奏でるという前句の心に、激しい雨が臺の跡を打ち付け、霞に空しくなる情景を付けている。単なる表記法の遊びに留まっていない。
そして挙句。
行くれて花に夜着かる芝筵
狐は酔て酴醿に入ル 桃青
(行くれて花に夜着かる芝筵狐は酔て酴醿に入ル)
「酴醿」はここでは山吹と読む。賈至の「春思二首 其二」に、「金花臘酒解酴醿(金花の臘酒、酴醿を解く)」の詩句がある。
単なる山吹ではなく山吹の酒に酔って山吹の黄金の世界に入って行くという、まさに貧しくても花に夜着を借りて芝の筵の上に横たわれば、俳諧の夢幻郷にいざなわれる、我々は世俗を化かすそんな狐たちだ、ということで一巻は目出度く終わる。
『俳諧次韻』の刊行された延宝九年はその年のうちに天和に元号が変わり、翌天和二年春には「錦どる」の巻が巻かれ、同年刊千春編の『武蔵曲』に収録された。
京から江戸に来た撰者の千春に、甲州谷村藩家老の麋塒(びじ)、それに深川芭蕉庵に居を移した桃青はここで初めて「芭蕉」の名で参加し、素堂、其角、嵐蘭といったこれからまさに蕉門をしょって立つメンバーに旧知の卜尺、似春、それに言水も参加している。
発句は、
錦どる都にうらん百つつじ 麋塒
で、それに千春が脇を付ける。
錦どる都にうらん百つつじ
壱 花ざくら 二番 山吹 千春
(錦どる都にうらん百つつじ壱 花ざくら 二番 山吹)
桃青の『俳諧次韻』で様々なテキストの遊びがなされていたことを受けて、ここでは目録か番付のような脇を付ける。
ここで百韻を巻いて江戸の百のツツジを錦どる都に売りつけてやろうではないか、と気勢を上げる麋塒の発句に、花ざくらと山吹を加える。
芭蕉は六句目に登場する。
宵うつり盞の陣を退リける
せんじ所の茶に月を汲 芭蕉
(宵うつり盞の陣を退リけるせんじ所の茶に月を汲)
『俳諧次韻』ではまだ「桃青」だったが、その前年延宝八年冬に桃青は日本橋小田原町の卜尺のもとを離れて深川に隠居し、春には李下から芭蕉一株を貰い、庭に植えた。その秋、『俳諧次韻』の興行を行い、翌春、この巻の興行になる。深川芭蕉庵(第一次)に住んで一年以上が経過していた。
『武蔵曲』には前年の秋に詠んだ、
茅舎ノ感
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 芭蕉
の句も掲載されている。世に桃青からより進化した「芭蕉」の名を広めるきっかけになった集だった。
盃の陣を突破したら茶を飲む。まあ、酒に強くない芭蕉さんのことだから、さっさと宴席を抜けて、酔い覚ましにお茶の欲しいところだろう。
せんじ所だから隠元禅師の持ち込んだ唐茶であろう。今の煎茶の原型となった飲み方だ。茶の水には月が写っている。
十七句目は、
捨杭の精かいどり立リ
行脚坊卒塔婆を夢の草まくら 芭蕉
(行脚坊卒塔婆を夢の草まくら捨杭の精かいどり立リ)
で、「捨杭の精」というわけのわからないものの登場を、いわゆる「夢落ち」にして逃げる。
行脚の僧が卒塔婆の下で寝ていたら、捨杭の精が現れる夢を見た。
二十六句目。
秦の代は隣の町と戦ひし
ねり物高く五歩に一樓 芭蕉
(秦の代は隣の町と戦ひしねり物高く五歩に一樓)
杜牧の『阿房宮賦』に、
「五步一樓 十步一閣 廊腰縵回 檐牙高啄 各抱地勢 鉤心鬥角。」
(五歩で一樓、十歩で一閣、回廊は緩く曲がり長い庇は嘴のようで、どんな地形でも建物の高さを競い合っている。)
とある。
前句の「隣の町と戦ひし」から戦乱で物価が高騰し、一楼(料理屋)での練り物の価格が金五歩(小判一枚、一分判一枚)もする。あるいは「一樓」は「一両」に掛けたか。それだと小判二枚プラス一分判一枚になる。
延宝七年秋の「須磨ぞ秋」の巻十八句目の、
又や来る酒屋門前の物もらいひ
南朝四百八十目米 桃青
と発想は同じ。
五十六句目は、
夢に入ル玉落の瀧雲の洞
日を額にうつ富士の棟上ゲ 芭蕉
(夢に入ル玉落の瀧雲の洞日を額にうつ富士の棟上ゲ)
と、前句を白糸の瀧や風穴とし、昇る朝日を門に掛ける額とし、富士山の棟上げ式が始まる。
この辺りは談林時代の空想とそれほど変わらない。
六十七句目は、
月は筑地の古キにやどる
遁世のよ所に妻子をのぞき見て 芭蕉
(遁世のよ所に妻子をのぞき見て月は筑地の古キにやどる)
は、遁世したはずの男はこっそりと妻子の様子を覗きに来たが、崩れた塀の向こうにあるのは月だけだったという人情句になる。
筑地(ついぢ)は泥土で作った塀で、古くなると崩れてたりして中が見える。
九十句目も突飛な空想だ。
肩を踏で短尺とりに立躁グ
奥にての御遊隔塀恋 芭蕉
(肩を踏で短尺とりに立躁グ奥にての御遊隔塀恋)
「御遊(ぎょゆう)」は本来は宮中の遊びをいうが、ここでは江戸城大奥のことにする。
「隔塀恋(へいをへだつるこひ)」という題なので、その題で歌を詠むかと思ったら、人の肩に乗って塀を乗り越えて短冊をゲットするというゲームになっている。
「錦どる」の巻は「世に有て」の巻で見せた後の蕉風に通じる展開からすると、談林調に逆戻りしているという印象を受ける。他のメンバーに釣られてしまったか。
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