岩波の『古浄瑠璃 説教集』の「かるかや」を読む。
同じフレーズを何度も反復するのは、本だと前のページを読み返すことができるが、ライブパフォーマンスだと読み返せないので、大事なことは二度でも三度でも言うのだろう。
京の新黒谷が出てきたが、黒谷と言うと、
花のあるうちは野山をぶらつきて
藤くれかかる黒谷のみち 芭蕉
よつて揃ゆる弁当の椀
糺より黒谷かけて暮かかり 游刀
といった句があったな。
地名でも単語でも、それがあるから何か関係あるのかというと、一つの単語だけでは決められない。「お前は人間失格だ」と言われたからといって、別に太宰治の小説を思い起こす必要はないのと同じだ。本説は単語よりも文脈の一致で判断しなくてはならない。
この物語も、多分に女性の視点での仏教の不条理、女人禁制の不条理を告発しているように感じられる。仏教の不条理は女性が仏になれないことよりも、男が仏になると言って勝手に出て行く方にあった。
それはそうと、眞子様の結婚反対デモって、人数的にはたいしたことないが、背後団体が見えないのが不気味だ。一般的な右翼の意見でもなければ、いわゆるネトウヨの意見でもない。
憲法第一条違反だとか、説明責任を果たせだというのは、どちらかというと左翼の人が使いそうな言葉だ。
プラカードやビラに#が多用されているから、ツイッターで集まった人たちなのか。それにビラは週刊誌日刊紙のデジタル記事の引用ばかり。
ネットができない旧世代の情弱ではなく、ツイッターとネットニュースばかり見ている情弱というのもいるのだろう。
ちなみに日本国憲法第一条は、
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
というもので、まさかと思うが、皇族の結婚に国民の総意がいるなんて考えてるんじゃないだろうな。第二十四条には、
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
とある。「両性の合意のみ」という所が大事。
さて風流の方を行ってみよう。
翌貞享四年の春の「久かたや」の巻では、京の去来を迎えて、芭蕉、其角、嵐雪などの江戸蕉門を代表するメンバーと四吟歌仙興行を行う。去来は前年の『蛙合』にも参加している。
その去来の発句は、
南窓一片春と云題に
久かたやこなれこなれと初雲雀 去来
だった。
前書きの「南窓一片春」の句の出典はよくわからない。「南窓」は陶淵明『帰去来辞』の「倚南窗以寄傲、審容膝之易安」によるものか。去来の名前も「帰去来」から取ったものと思われる。隠士の窓に小さな春が、ということでいいのだろう。
「久方や」は枕詞だが、「久方の空」ということでここでは空の意味。
「こなれ」は「こ・に・あれ」で、「ここに有れ」という意味ではないかと思う。天高く空を飛ぶ雲雀が「来てみろよ」と誘っているのではないかと思う。
寓意としては芭蕉さんを雲雀に喩え、遥かなる高みからここまで来てみろと言われているような気持ちです、といったところか。
九句目の去来の付け句をみてみようか。
官位あたへて美女召具せり
烑灯に大らうそくの高けぶり 去来
(烑灯に大らうそくの高けぶり官位あたへて美女召具せり)
烑灯は提灯
蝋燭は当時はかなり高価で貴重なものだった。ウィキペディアに、
「江戸時代におけるろうそくは、常に貴重でぜいたくな品物だった。『明良洪範』には慶長年間の出来事として、徳川家康が鷹狩に赴いた際、ろうそくを長時間灯したままにした家臣がきつく叱責された逸話が記載されている。また、井原西鶴の『好色二代男』にはぜいたくの例えとして「毎日濃茶一服、伽羅三焼、蝋燭一挺宛を燈して」の語があることから、ろうそくを灯すことは濃茶を点て、高価な香を焚くのと同様の散財と見なされていたことが解る。しかし行灯に比べて光力に勝ることは衆人が認知するところで、『世間胸算用』には「娘子はらふそくの火にてはみせにくい顔」との一文がある。」
とある。
宮廷に入る女性であれば贅沢な大蝋燭も用いられたのだろう。当時は蝋の質が悪かったのか高けぶりになる。
これに芭蕉が応じる十句目。
烑灯に大らうそくの高けぶり
出水にくだる谷の材木 芭蕉
(烑灯に大らうそくの高けぶり出水にくだる谷の材木)
昔は材木を筏にして川に流して運んだ。大雨で増水した出水(でみず)の時はそのチャンスで、洪水で流された家の復興需要もあり、材木屋は大儲け。大蝋燭で高けぶりといったところか。久々の経済ネタになる。
十三句目。
つつむにあまり腹気押へし
仇人のためにかく迄氏を捨 芭蕉
(仇人のためにかく迄氏を捨つつむにあまり腹気押へし)
かたき討ちのために家まで捨てて旅に出たが、おなかがゴロゴロ鳴る。つまり腹が減った。
芝居ではもてはやされる仇討で、周囲からも急き立てられて仇討に行かざるを得なくなるが、現実はこんなもんで結構迷惑なものだったという。風刺ネタといえよう。
十八句目も経済ネタになる。
去ほどに心にそまぬ月も花も
弥生へかけて蝦夷の帳合 芭蕉
(去ほどに心にそまぬ月も花も弥生へかけて蝦夷の帳合)
「帳合」は帳合取引のことで、ウィキペディアには、
「帳合取引(ちょうあいとりひき)とは、江戸時代に広く行われた相場投機の空物取引のこと。帳合商などと呼ばれ、取引対象物によって帳合米・帳合金などとも呼ばれた。」
とある。本来は相場の安定のために必要な取引だが、一部に博打かなんかと一緒くたにする人は今も昔もいる。杜国のことでも未だに無理解な論者がいる。俳句や文学に傾倒する人はパヨクが多い。
蝦夷地との交易は「商場知行制」と呼ばれ、藩主が家臣に農地の代わりにアイヌとの交易権を付与することによって成り立っていた。これによって松前藩が事実上交易権を独占することで公正な貿易が行われず、寛文の頃にシャクシャインの乱を引き起こすことになった。
アイヌとの交易にも本土の米取引と同様、先物取引が行われていたのだろう。享保十五年(一七三〇年)に大坂の堂島米会所ができた時には春夏秋冬「各季の最終日にあたる限市(げんいち)/限日(げんじつ)を区切りとして決算された。」(ウィキペディア)という。アイヌとの取引でも弥生の末に決算していたのだろう。
前句は遠い蝦夷地まで行ってしまうと月も花も心に残らないということで、それは人間が冷淡になるということか。
芭蕉は蝦夷地にも興味を抱いていたようで、『奥の細道』の旅で象潟まで行ったときももっと先へ行きたがって、持病のこともあるからと曾良に説得されて泣く泣く越後へ向かった。『幻住庵ノ賦』に、
「松嶋・しら川に面をこがし、湯殿の御山に袂をぬらす。猶うたふ鳴そとの浜辺よりゑぞがちしまを見やらんまでと、しきりに思ひ立侍るを、同行曾良なにがしといふもの、多病いぶかしなど袖をひかるるに心たゆみて、象潟といふ所より越路のかたにおもむく」
とある。
二十一句目は無常の句だが、前句がシンプルな句だけに、あえてネタを加えて取り囃している。
小姓泣ゆく葬礼の中
丁寧も事によるべき杖袋 芭蕉
(丁寧も事によるべき杖袋小姓泣ゆく葬礼の中)
葬儀の際には冥土の旅路のために旅姿をさせ、手には杖を持たせることもあった。わざわざその杖を袋に入れるのはちょっと変。無常でしんみりした所から何とか俳諧らしい笑いに持っていくための、一種のシリアス破壊といえよう。
三十四句目は去来が来ているということで、あえて上方のネタを出したか。
鼻つまむ昼より先の生肴
あわづにまけぬ串の有さま 芭蕉
(鼻つまむ昼より先の生肴あわづにまけぬ串の有さま)
粟津は近江粟津で瀬田の唐橋に近い。琵琶湖では魞漁(エリ漁)と呼ばれる大規模な定置網漁が古くから行われていて、そのため琵琶湖にはたくさんの長い棒のような杭が立っている。古語では「串」は杭の意味もある。
その粟津にも負けないくらいたくさんの杭の立っている漁村では、午後にもなると生魚が傷んできて臭い匂いがする。
同じ頃の「花に遊ぶ」の巻は、芭蕉が貞享元年冬に『野ざらし紀行』の旅で訪れた桑名本統寺の第三世大谷琢恵(俳号古益)等三人との江戸での興行になる。古益等は延宝・天和の古風を引きずっていて、芭蕉も苦戦したみたいだ。
六句目。
るりの酒水晶の月重ねたる
鸞の卵をくくむ桐の葉 芭蕉
(るりの酒水晶の月重ねたる鸞の卵をくくむ桐の葉)
前句はラピスラズリの盃の酒に水晶のような月が映り、空の月と盃の月の二つになるというもので、異国趣味に満ち溢れた句で、天和の頃の雰囲気を残している。
これに対し芭蕉は、とりあえず「鸞(らん)」を出して応じる。
「鸞(らん)」はウィキペディアに、
「鸞(らん)は中国の伝説の霊鳥。日本の江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には、実在の鳥として記載されている。それによれば、中国の類書『三才図会』からの引用で、鸞は神霊の精が鳥と化したものとされている。「鸞」は雄の名であり、雌は「和」と呼ぶのが正しいとされる。鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるともいい、その血液は粘りがあるために膠として弓や琴の弦の接着に最適とある。
実在の鳥類であるケツァール(キヌバネドリ目)の姿が、鸞の外観についての説明に合致するとの指摘もある。」
とある。「くくむ」は「くるむ」。
前句のゴージャスな雰囲気に逆らわずに桐の葉に包んだ鸞の卵を差し出す。
二十三句目も、
風の南に麝香驚く
此山に尊の沓を踏たまひ 芭蕉
(此山に尊の沓を踏たまひ風の南に麝香驚く)
と、ちょっと浮世離れした異国趣味の「麝香」と持ち出されたので、舞台を王朝時代に転じて応じるしかない。
「尊(みこと)」は高貴な人で靴を履いているから王朝時代であろう。従者がその沓をうっかり踏んでしまうというところで囃して俳諧にする。前句の「驚く」が麝香の香を漂わす尊が沓を踏まれて驚く、になる。
乞食が転んでも笑えないが、貴族が転べば笑える。
二十八句目も、長安城と異国趣味の句が出る。
西に見る長安城に霧細く
大樽荷ふ上戸百人 芭蕉
(西に見る長安城に霧細く大樽荷ふ上戸百人)
長安なので杜甫の「飲中八仙歌」の
李白一斗詩百篇 長安市上酒家眠
の詩句から、大酒飲みを登場させる。だからといって李白の俤だとありきたりなので、百人の李白を登場させて大樽を担ぐ。漢詩の趣向でもきちんと笑いに持ってゆく。
三十四句目は現実的な哀愁漂う句で、
しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふり
出代り侘る一條の辻 芭蕉
(しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふり出代り侘る一條の辻)
と出代りの場面を付ける。
「出代り」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 前の人が出たあとにかわってはいること。入れ替わり。「―の激しい下宿」
2 奉公人が契約期間を終えて入れ替わること。多年季・一年季・半年季などがあり、地域ごとに期日を定めた例が多い。
「年末の―の季節になれば」〈長塚・土〉」
とある。
京都の一条通りは御所から西陣を通る道で、千両ヶ辻がある。奉公の期間が終わった人は春雨の降る中信楽笠を被って出て行く。これは芭蕉らしい現実的な句だ。
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