2021年10月7日木曜日

 今日は朝から小雨が降った。
 岸田さんの言う「新しい資本主義」は、よくわからない外国の人は、何かとんでもないことやるんじゃないかと不安になるかもしれない。韓国の失敗のことが頭をよぎったなら、大丈夫と言っておきたい。
 はっきり言って今の日本でそんな大きく変わることはない。基本的にいわゆる新自由主義と言われた規制緩和、民営化、小さな政府の流れは変わらないと思う。もちろんグローバル市場に干渉を強めるようなことはしないはずだ。
 六月に出された「新たな資本主義を創る議員連盟」設立趣旨という短い文章ならネット上で読むことができる。この議員連盟には安倍前首相、麻生太郎副総理兼財務相、甘利明税制調査会長も参加していて、基本的にアベノミクスの延長線上にあることは明らかだ。
 この設立趣旨の冒頭にはこうある。

 「近年、国内外において、成長の鈍化、格差拡大、一国主義・排他主義の台頭、国家独占経済の隆盛など、「資本主義」の価値が揺らいでいる。」(設立趣旨より)

 「成長の鈍化」はIT革命の大きな波が去った後の鈍化だから、これは当然ながら新たな破壊的イノベーションで解決することになる。
 「格差拡大」は資本主義の進展によってもたらされる豊かさから取り残された人たちの救済であり、何らかの「分配」へと向かうことになる。
 「排他主義の台頭、国家独占経済の隆盛」は言うまでもなく中国の一国資本主義のことで、当然ながら欧米の自由主義諸国との連携の強化ということになる。
 この中で一番問題になるのは「分配」をどうするかだ。

 「その結果、適切な「分配」政策の欠如が起こっている。
 従業員、顧客、取引先、地域社会といった多様な主体へ適切な分配がなされず、「人」や「社会」を豊かにする資本主義の役割と寛容性が失われている。供給サイドにおけるイノベーションの重要性は論を俟たないが、同時に、イノベーションによってもたらせた利益が適切に分配され、消費力・購買力という需要サイドの強化が実現しなければ、持続的な経済成長は実現できない。
 更に、資本主義の対象が 20 世紀型の「モノ」から「コト」へ、情報・データ等にシフトすることで、資本主義は一層近視眼化するとともに集中・独占が起こりやすくなっている。
 そして、利益や効率・合理性一辺倒の資本主義は、少数意見の尊重やプロセス・説明責任の重視といった民主主義の重要な側面の希薄化にも間接的に繋がっている。
 こうした現状を打破するため、我々は、新たな資本主義の形として、「人的」資本を大切にする「人財資本主義」、更に多種多様な主体に寛容な「全員参加資本主義」を実現しなければならない。」(設立趣旨より)

 ばら撒きを期待してた人は残念でした、だね。「人財資本主義」「全員参加資本主義」がここでの「分配」の問題への答えになる。つまり簡単に言えば有能な人材に対して十分な報酬を与え、人材の発掘や登用に差別をなくすということだ。何のことない、安倍政権が掲げてきた「一億総活躍社会」の継承に他ならない。

 「何よりも、分配政策の強化が不可欠ある。企業利益のより適切な分配、大企業と中小企業との間の分配の適正化、企業内での人的資本投資の促進、教育費や住宅費負担軽減のための支援、子育て・家庭支援の強化などを図らねばならない。また、非正規雇用の増加と賃金の伸び悩みが起こる中で、働き方改革やセーフィテネットの見直しが必要である。」(設立趣旨より)

 分配は政府が増税して低所得者に金をばら撒くと言った種のことではないのは、ここからも明らかだ。企業が従業員や下請け業者に適切な利益の配分を行うというのがまず第一になる。
 同時に、企業は従業員に働きやすい環境の提供をしなくてはならない。「教育費や住宅費負担軽減のための支援、子育て・家庭支援の強化などを図らねばならない」の前には「企業内での」と書いてある。新しい資本主義は企業風土の改革に尽きると言ってもいい。

 「また、資本主義本来の多様性や寛容性を確保するため、女性活躍政策などをより一層推進するとともに、情報やデータの独占に対する適切な競争政策の実現が求められる。」(設立趣旨より)

とあるように、女性の活用が盛り込まれている。ここにLGBTや障害者の活用も盛り込んでくれても良かったのだが残念だ。
 基本的に正月に読んだ夫馬賢治さんの『ESG思考』にあったような「ニュー資本主義」に近いものであろう。筆者としては「新しい」だとか「ニュー」だというのは曖昧で何をやろうとしているのかがはっきりと伝わらないばかりか、胡散臭い印象を与えてしまうので、「持続可能資本主義」という呼び方をしている。
 今これを読むと、自民党内では次期首相は岸田というのが、この会合の時点で決まってたのかもしれない。
 これだと逆に、何も変わらないかと思うかもしれないが、変わるとすれば成長戦略の方だと思う。

 さて、だいぶ雑談で話し込んでしまったが、風流の方に戻ろう。
 延宝七年の秋には、似春と四友が上方へ旅立つ時の送留別三吟百韻二巻興行がおこなわれている。「須磨ぞ秋」の巻と「見渡せば」の巻の二巻が巻かれている。
 その「須磨ぞ秋」の巻の十八句目、

   又や来る酒屋門前の物もらいひ
 南朝四百八十目米        桃青
 (又や来る酒屋門前の物もらいひ南朝四百八十目米)

は芭蕉の得意な経済ネタとも言える。
 この句は杜牧の有名な「江南春望」という詩の一句をもじったものだ。

   江南春望   杜牧
 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風
 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え
 水辺の村山村の壁酒の旗に風
 南朝には四百八十の寺
 沢山の楼台をけぶらせる雨

 「四百八十目米」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「一石四百八十匁前後。飢饉で米が四百八十匁もして、酒屋の門前に乞食が集る。」とある。
 匁は重さの単位であり、通貨としては銀の重さの単位になる。六十匁が大体一両だから四百八十匁は金八両になる。
 ウィキペディアの「江戸時代の三貨制度」のところに、

 「また『銀20匁』など下一桁が0である場合、『銀20目』と表すのが一般的であった。」

とあるから、「四百八十目」は四百八十匁ということになる。
 米一石は約百五十キロとされている。ウィキペディアの「米価」のところの「『日本史小百科「貨幣」』『近世後期における物価の動態』を基に作成した銀建による米価の変遷」によると、延宝の頃の米価は一石五十から八十匁、吉宗の時代に二百三十匁まで跳ね上がったのが最高値で、それからすると一石四百八十匁はありえないようなべらぼうな値段になる。
 七十一句目のこの空想趣味もなかなかだ。

   夢はやぶれて杖と草履と
 しにはづれ此頃の礼お門まで   桃青
 (しにはづれ此頃の礼お門まで夢はやぶれて杖と草履と)

 死ぬと冥土の旅のために杖と草履を棺桶に入れる。
 ところがまだ生きていて墓から抜け出し、杖と草履をお寺の門のところまで返しに行く。
 前句の「夢はやぶれて」は実際に死んでないから仮死状態の時に夢を見てたのだろう。いわゆる臨死体験とかで、花のの向こうに川があってそこにご先祖様が立っていて、懐かしさに涙をこぼすと、「まだここに来ては駄目だ」とか言われてはっと目が覚める、といったところだろう。
 目が覚めると棺桶の中で杖と草履が副葬されている。そんな物語が浮かんでくる。
 七十五句目は古典趣味と現実感覚が入り混じる。

   秋風起て出るより棒
 気違を月のさそへば忽に     桃青
 (気違を月のさそへば忽に秋風起て出るより棒)

 ここでいう気違いは今でいう精神病者ではなく、謡曲『三井寺』に出てくるような「物狂ひ」であろう。

 「月の誘はばおのづから」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.40001-40002). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とあるように、月夜に鐘を搗くような狂乱物のパターンを踏まえている。
 ただ、現実には棒でもって取り押さえられる、というのが落ちになる。
 八十七句目は歴史ネタ。

   茶の湯の古道跡は有けり
 太閤の下駄一足や残るらん    桃青
 (太閤の下駄一足や残るらん茶の湯の古道跡は有けり)

 千利休が大徳寺三門(金毛閣)に雪駄履きの木像を楼門の二階に置いて、それが楼門をくぐる秀吉の頭を踏みつけるみたいだということで、利休の切腹の原因になったと言われている。
 ここでは雪駄を下駄にして、太閤を踏んだ下駄一足が茶の湯の古道の跡として残っている、とする。
 九十四句目は囲碁ネタ。当時は天才棋士で後に棋聖と呼ばれた本因坊道策の登場で、巷でも囲碁ブームが巻き起こっていた。

   薄情かかりがましき若いもの
 黒手にはねてころすはころすは  桃青
 (黒手にはねてころすはころすは薄情かかりがましき若いもの)

 前句の「かかり」を囲碁の相手の石の近くに打つ「かかり」とし、黒の手が伸びてきたらその先をはねて殺しにゆく。
 九十七句目。

   蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ
 千年の膏薬既に和らぎて     桃青
 (千年の膏薬既に和らぎて蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ)

 千年の膏薬は前句の蝦蟇を受けての蝦蟇の油のことであろう。ウィキペディアには、

 「ガマの油の由来は大坂の陣に徳川方として従軍した筑波山・中禅寺の住職であった光誉上人の陣中薬の効果が評判になったというものである。「ガマ」とはガマガエル(ニホンヒキガエル)のことである。主成分は不明であるが、「鏡の前におくとタラリタラリと油を流す」という「ガマの油売り」の口上の一節からみると、ガマガエルの耳後腺および皮膚腺から分泌される蟾酥(せんそ)ともみられる。蟾酥(せんそ)には強心作用、鎮痛作用、局所麻酔作用、止血作用があるものの、光誉上人の顔が蝦蟇(がま)に似ていたことに由来しその薬効成分は蝦蟇や蟾酥(せんそ)とは関係がないともいわれている。」

とある。
 蝦蟇の油が効いて傷口もふさがり、蝦蟇も鉄拐も安心して一息つく。
 囲碁ネタは「見渡せば」の巻の四十九句目にもある。

   又なげられし丸山の色
 片碁盤都の東花ちりて      桃青
 (片碁盤都の東花ちりて又なげられし丸山の色)

 前句の丸山は丸山仁太夫という当時有名だった力士のことだが、ここでは京の東の地名とし、京の街を碁盤に見立てて、「なげられし」を投了のこととする。
 右辺の白の大石が死んでしまったのだろう。
 芭蕉の空想は心中ネタにも及ぶ。
 「見渡せば」の巻の六十二句目。

   不心中世にまじはりて何かせん
 君が喉笛我ほてつぱら      桃青
 (不心中世にまじはりて何かせん君が喉笛我ほてつぱち)

 君は喉笛を搔っ切って勝手に死に、われはぼってっ腹を抱えて生き残って心中は成立しなかった。こんな不心中でどうやって生きていけばいいのか。
 男も流石に赤子がいるので殺せなかったのだろう。
 九十句目。

   鉢一ッ万民これを賞翫す
 けんどむ蕎麦や山の端の雲    桃青
 (鉢一ッ万民これを賞翫すけんどむ蕎麦や山の端の雲)

 「けんどむ蕎麦」は「けんどんそば」でコトバンクの「世界大百科事典内のけんどんそばの言及」に、

 「…江戸初期のそば屋は,三都とも菓子屋から船切り(生のそばを浅い矩形の箱に並べたもの)を取り寄せて使う店が多かった。1664年(寛文4)に〈けんどんそば切り〉が売り出され,4年後にははやりものの一つに数えられるまでになった。けんどんそばの元祖については,瀬戸物町信濃屋と堀江町二丁目伊勢屋との説があるが,吉原の江戸町二丁目仁左衛門とするのが正しい。…」

とある。
 一人分をあらかじめ分けて盛ってあって、給仕をせずにそのまま各自取って食べられたことが人気になったという。ファストフードの元祖ともいえよう。各自の鉢に入った蕎麦は万民に好まれた。
 「けんどん」は慳貪/倹飩で、ケチという意味と邪険という意味があり、おかわりができないという意味ではケチで、給仕をしないという意味では邪険だった。「つっけんどん」もこの「けんどん」から来ているという。
 九十九句目も当時のグルメネタから。

   八盃豆腐冬ごもる空
 俤のおろし大根花見して     桃青
 (俤のおろし大根花見して八盃豆腐冬ごもる空)

 八盃豆腐はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 豆腐を細長く切って煮た料理。煮出し汁が水四杯、だし二杯、醤油二杯の割合であったので八杯と名づけたとも、豆腐一丁で八人前とれたので名づけたともいう。八杯。〔浮世草子・風俗遊仙窟(1744)〕」

とある。昔の豆腐は今よりも堅かったのかもしれない。
 冬だけど真っ白なおろし大根を花に見立てて、八盃豆腐で冬籠りする。

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