ラノベでも漫画やアニメでも、異世界転生ものというものが隆盛を極めているが、真面目な文学ばかり読んできた人にはついて行けない世界かもしれない。
ファンタジーワールドを舞台にした物語というのは昔からあった。指輪物語だとかは今の異世界のイメージの原型になっているとも言えるし、神話を題材にした小説やら、魔法使いが登場する物語だとか、古くからあるものだった。
もう一つの源流がSF小説で、基本的には科学の通用する世界が中心で魔法は登場しないが、現実には有り得ないようなタイムトラベルやワープ航法や意識を持つロボットなどが登場する辺りは、これも一種の異世界と言える。
今の異世界転生ものはこれにゲーム世界の要素の加わったものと考えればいい。つまり、異世界は基本的にその世界を作った創造主のような開発者や管理者がいて、ゲームのように緻密な世界観設定がなされている。
異世界転生ものに隣接するところにVRММОものがある。これは転生するのではなくゲームの世界に行くもので、現実世界と往復できるタイプのものもあれば、行ったっきり帰れないものもある。この行ったっきり帰れないタイプのVRММОだと、実質的に異世界転生になる。
逆に言えば異世界転生もの世界は、旧来のSFファンタジーや魔法ファンタジーものとVRММОの要素が混在している世界と言ってもいい。
異世界転生は輪廻転生ではない。輪廻転生は現実世界での転生にすぎない。そのため異世界転生は現実と切り離されたシミュレーションの世界の物語と考えればいい。主人公は転生しても読者はいつでも戻ってこれる。転生しても読者にとってみればゲーム世界に遊ぶのと何ら変わりはない。
ゲーム世界で起きていることは現実ではない。それは人為的に作られた世界であり、その仕掛けを解き明かしたりして楽しむ世界であるとともに、その仕掛けの中に寓意や思考実験を読み取ることもできる。そこが異世界転生ものの面白さだと言える。
異世界転生という設定だと、その世界の固有の人間を主人公にするよりも、虚構の世界に来たということがより明確に自覚され、世界を外から眺めるという視点に立ちやすい。異世界転生ものは人工的に世界-外-存在になれる文学と言ってもいいかもしれない。
ファンタジーワールドとVRММОとの融合という発想は、筆者的には二〇〇三年の『スターオーシャン Till the End of Time』というゲームが原型になっているように思える。
現実世界をいかにリアルに描こうとも、所詮は作者の頭の中で作られて世界で、むしろ作者の思想だとかでゆがめられた現実を押しつけられるのはたまったもんではない。最初から作り物の世界と割り切って読めるのが異世界ものの徳といえる。
あと、天和二年春の「月と泣」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
さて、前日に述べたような事情で、『冬の日』の「狂句こがらし」の巻、解説のやり直しをしてみようと思う。
鈴呂屋書庫のあの解説を書いた頃はまだ、他の俳諧はほとんど読んでなくて、当時の解説書などを参考にしたため、そのため正岡子規の貞門の洒落、談林の滑稽から写生説の発見で蕉風を開いたという当時主流の歴史観からどう逃れるかが課題だった。
ただ、その時はまだ芭蕉は当時の俳壇の中での群を抜く天才で、自らの発想で新風を次々と開いていったというバイアスがかかっていて、名古屋の連衆のレベルを過小評価していた。
このバイアスは結局は芭蕉が写生説を発明したが、それがあまりに近代的過ぎて、他の門人たちにはほとんど受け入れなかったという、古い歴史観の残滓によるものだった。修正しなくてはならないのはそこだ。
まずは発句だが、
狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉 芭蕉
の句の破調に関して言えば、当時としてはもはや新しいものではなかった。名古屋の連衆も千春の『武蔵曲』や其角の『虚栗』は読んでいただろうし、上方の伊丹流長発句の流行も知っていたであろう。
その意味で、この発句は多少名古屋の連衆を見くびった、これが江戸の発句だみたいな気負いがあったのではなかったか。
竹斎は江戸時代の初期に流行した仮名草子のキャラクターで、天和に再版された『竹斎』は、絵本のように紙面いっぱいに絵が刷られていて、その上の余白に文字が書き込まれているというもので、今日で言えば漫画のようなものだ。
元禄七年の名古屋での「世は旅に」の巻三十三句目に、
四五畳まけてあたまぬらさず
一冊も絵の有本はなかりけり 傘下
の句があるように、この時代はこうした絵のある本が氾濫していた。こうした中で菱川師宣のような優れた絵師が現れ、後の浮世絵の元となっていった。
竹齋はかつて名医の誉れ高かった養父薬師(やぶくすし)の似せもので、狂歌を詠みながら、磁石山の石で作った吸い膏薬のような妖しげなアイテムを使い、時には人助けもするが、たいていは失敗し、ほうほうの体で逃げ出す。
自分はその竹齋のような者です、という自己紹介の句になる。
野水はこの発句をどう思ったかは知らない。この挑発をさらっと流す。
狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉
たそやとばしるかさの山茶花 野水
どうりで笠の上に山茶花が飛び散っているかと思ったら、狂句木枯らしの竹齋さんでしたか、と答える。
第三は、
たそやとばしるかさの山茶花
有明の主水に酒屋つくらせて 荷兮
有明の主水という何となくありそうな人名を出して、前句の山茶花を笠に飛び散らせている人を、酒屋を作らせるような架空の偉い人とする。
主水は本来は水を管理する役人の官職名だが、当時の人名は官職名から来ているものが多く、特別なことではなかった。ただ、主水という名前から、明け方の有明の頃に草葉は清らかな露を結ぶから、さぞかし旨い酒が造れそうだ、とする。
四句目。
有明の主水に酒屋つくらせて
かしらの露をふるふあかむま 重五
馬がぶるぶるっと震えて露を掃う光景だろう。「あかうま」はどこにでもいる平凡な馬、駄馬という含みがある。酒屋など、商店には馬に乗った人も盛んに訪れる。
四句目にふさわしい穏やかな展開でありながら、リアルの世界を描き出す、『俳諧次韻』の「世に有て」の巻で見せた展開に近いものが感じられる。
五句目。
かしらの露をふるふあかむま
朝鮮のほそりすすきのにほひなき 杜国
異国趣味というのは延宝・天和の頃に盛んに見られたパターンだが、「ほそりすすき」は今となっては意味不明。天和二年の朝鮮通信使行列に関係しているのか。行列なら、露を払う馬もいるだろう。
六句目。
朝鮮のほそりすすきのにほひなき
ひのちりちりに野に米を刈 正平
前句の朝鮮に応じた架空の風景であろう。「野に米を刈」は陸稲だろうか。
初裏、七句目。
ひのちりちりに野に米を刈
わがいほは鷺にやどかすあたりにて 野水
隠棲している人の風情で、鷺に宿を貸すようなところだから、川べりだろう。川原乞食などという言葉もあるように、川原は公界くがいで、特に誰の所有ということもなく、自由に棲むことができただけに、ホームレスの溜まり場にもなる。
そんな川原に庵を構え、米を作っているという、侘びた風狂物の句とする。
談林的な都会的リアリティーとは違った、後の蕉門のリアリティーの先駆のようなものを感じさせる。
八句目。
わがいほは鷺にやどかすあたりにて
髪はやすまをしのぶ身のほど 芭蕉
河原の住人ということで、こういうわけありの一時的な隠遁僧がいるというのは、当時のあるあるだっと思われる。
何か不始末でもしでかして、一時的に坊主になって反省した振りをして、ほとぼりが醒めたらすぐに還俗する気でいるわけだ。「しのぶ」というのが、俳諧では恋の言葉だから、女のことで不始末を犯した男かもしれない。当時不倫は重罪だった。
九句目。
髪はやすまをしのぶ身のほど
いつはりのつらしと乳をしぼりすて 重五
打越の河原の設定が解除されるので、ここは駆け込み寺に駆け込んだ尼になった女とし、子を失ってもなお出て来る母乳を絞り捨てる。
十句目。
いつはりのつらしと乳をしぼりすて
きえぬそとばにすごすごとなく 荷兮
死んだ赤子の卒塔婆の前で泣き伏す女とする。
十一句目。
きえぬそとばにすごすごとなく
影法のあかつきさむく火を焼て 芭蕉
前句や打越のリアルでいて人情味あふれる句に、芭蕉も何か談林の流行の中で忘れていたものを思い出したのだろう。
この付け句は、寛文の頃の貞徳翁十三回忌追善俳諧三十一句目の、
秋によしのの山のとんせい
在明の影法師のみ友として 宗房
の句に似ている。最近使ってなかったこの貞門時代のこのパターンが、今の時代には生かせると思ったのかもしれない。
消えぬ卒塔婆を涙ながらに供養する人物の影が、寒さをしのぐための焚火の炎に映し出される。
十二句目。
影法のあかつきさむく火を焼て
あるじはひんにたえし虚家 杜国
虚家(からいゑ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空家・虚家」の解説」に、
〘名〙 人の住んでいない家。あきや。また、家財道具もない、あきや同然の家。
※日葡辞書(1603‐04)「Cara(カラ) iye(イエ)」
※俳諧・冬の日(1685)「影法の暁寒く火を焼(た)きて〈芭蕉〉 あるじは貧に絶えし虚家(カライヱ)〈杜国〉」
とある。
この場合は家財道具もすべて失って空き家同然になった家という意味であろう。何もないところで火だけを焚いて暖を取っている。
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