今日は晴れてたが午後から雷が鳴った。一度止んだものの夜にまた雷になった。安定しない天気だった。
あと、天和二年の「飽やことし」の巻もアップしたのでよろしく。
さて引き続き『ひさご』から残る一つ、「亀の甲」の巻を読んでいこうと思う。
発句は、
亀の甲烹らるる時は鳴もせず 乙州
かめって鳴くの、と思ってしまうがネットで見ると「レファレンス共同データベース」に、
「カメには声帯がないので鳴くことはないが、呼吸音や首を引っ込めるときの音が『キュー』『クー』などと聞こえることがあります。
(参考:『鳥獣虫魚歳時記 春夏』川崎展宏・金子兜太/監修列句選 朝日新聞社 2000年)
とある。
曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には春のところに「亀鳴(かめなく)」の項があり、
「[夫木集]川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり 為家」
とある。
ただ、この一巻の前に「雑」と書いてあるので、「亀の‥‥鳴もせず」は無季として扱われている。
亀を煮て食べるというと、やはりスッポンだろう。今日でもスッポン料理の店はある。高価で滅多に食う機会はないが、今でも鍋にして食べる。
脇は、
亀の甲烹らるる時は鳴もせず
唯牛糞に風のふく音 珍碩
スッポンは当時は高級料理ではなく田舎料理だったのだろう。風に乗って牛糞が匂って来る。
発句、脇ともに特に寓意はない。発句が無季なので脇も無季で受ける。
第三。
唯牛糞に風のふく音
百姓の木綿仕まへば冬のきて 里東
木綿は秋に収穫したあと、全部引っこ抜く。これを綿木引きという。これが終わると冬が来る。畑には何もなく、ただ牛糞の風が吹く。
四句目。
百姓の木綿仕まへば冬のきて
小哥そろゆるからうすの縄 探志
唐臼はウィキペディアに、
「唐臼(からうす)は、搗き臼の一種。
臼は地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物を搗く。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した。踏み臼ともいう。」
とある。
縄は何に使うかよくわからないが、足踏み式ではなく縄で杵を持ち上げるタイプの唐臼もあったのか。
綿実油を取るための作業であろう。臼で砕いてから圧搾絞りで綿実油を抽出し、余った粕は肥料にと無駄なく使う。
小歌を口ずさみながら作業を行う。いわゆる遊郭などで流行する様々な種類の小唄とはまた別ものだろう。多分即興で面白い歌詞を付けたりして笑わせながら仕事をしたのではないか。
五句目
小哥そろゆるからうすの縄
独寐て奥の間ひろき旅の月 昌房
奥の間で独寝ていると隣の部屋で盛り上がっている小唄に混ざって米を搗く音が聞こえてくる。
六句目
独寐て奥の間ひろき旅の月
蟷螂落てきゆる行燈 正秀
蟷螂が天井から落ちてきて行燈を消してしまう。
初裏。
七句目。
蟷螂落てきゆる行燈
秋萩の御前にちかき坊主衆 及肩
坊主衆は江戸時代にあっては茶坊主のことで、表坊主、奥坊主、数寄屋坊主がいた。
コトバンクの「世界大百科事典内の表坊主の言及」に、
「…茶坊主というのも茶の湯坊主の意味である。江戸幕府は本丸,西丸ともに奥坊主,表坊主をおき,剃髪(ていはつ),僧衣で,茶室,茶席を管理し,登城した大名などを案内し,弁当,茶などをすすめ,その衣服,刀剣の世話をさせた。本丸の奥坊主は100人くらい,表坊主は200人をこえたことがあるという。…」
「江戸幕府には同朋頭(若年寄支配)の配下に茶室を管理し,将軍,大名,諸役人に茶を進めることを職務とする奥坊主組頭(50俵持扶持高,役扶持二人扶持,役金27両,御目見以下,土圭間詰,二半場),奥坊主(20俵二人扶持高,役扶持二人扶持,役金23両,御目見以下,土圭間詰,二半場)100人前後,および殿中において大名,諸役人に給事することを職務とする表坊主組頭(40俵二人扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅(つつじ)間詰,二半場),表坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)200人前後があった(この職は大名,諸役人からの報酬が多く,家計は豊かで,そのため奢侈僭越に流れたという)。また茶室に関するいっさいのことをつかさどる数寄屋頭(若年寄支配)の配下に,数寄屋坊主組頭(40俵持扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅間詰,二半場),数寄屋坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)40~100人ほどがあった。…」
とある。
ここでは秋の萩の花咲く庭園での夜の茶席であろう。貴人の傍に仕える坊主衆が行燈を持つが、蟷螂が落ちてきて消えてしまう。
八句目
秋萩の御前にちかき坊主衆
風呂の加減のしづか成けり 野徑
坊主衆にはもう一つ古い意味で「坊」を持つ坊の主の意味がある。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「日本中・近世の僧侶の一身分。平安末期以降,本来寺院に属すべき僧侶の屋舎が,僧侶個人の私的所有物と化し,その屋舎を坊(房),坊の主を坊(房)主と呼ぶようになった。当初,坊主の称は,坊舎を持たぬ法師などと区別されて使われていたが,室町期以降,宗教施設の差異(寺院,道場)にかかわらず,一般僧侶をも指すようになった。同一坊舎内,あるいは他所に住する,坊主に従う人々を門徒という。坊主と門徒との関係は,法名下付を媒介にした,名付け親と養子・猶子との関係である。」
とある。
お寺には風呂があることが多く、古くは蒸し風呂だったがこの時代になると水風呂(浴槽のある風呂)も増えてくる。普段お湯加減にうるさい坊主たちも、偉い人の前だと静かになる。
九句目
風呂の加減のしづか成けり
鶯の寒き聲にて鳴出し 二嘨
まだ寒い中季節外れの鶯の声を聞いて、みんな静かになる。
十句目
鶯の寒き聲にて鳴出し
雪のやうなるかますごの塵 乙州
「かますご」はイカナゴの別名とされている。一説には京都での呼び方だという。魚は所によって呼び名が変わるために一概に言えないが。
イカナゴ漁は春のなので、ここでいう「かますごの塵」はそれのさらに小さい孵化したばかりの稚魚のことか。
前句の「鶯の寒き聲」から、その季節のものを付ける。
十一句目
雪のやうなるかますごの塵
初花に雛の巻樽居ならべ 珍碩
「巻樽」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 蕨縄(わらびなわ)で巻いた酒樽。進物用とする。
※浮世草子・好色二代男(1684)二「庭には金銀の嶋台。巻樽(マキダル)箱肴。衣装の色かさね」
とある。
「初花」で季節は桜の咲き初めになり、ひな祭りの頃になる。前句の「かますごの塵」をカマスゴのちりめんのことにしたか。
十二句目
初花に雛の巻樽居ならべ
心のそこに恋ぞありける 里東
ひな祭りを口実に酒を飲ませて、という下心か。
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