種の保存に関しては何度もいうようだが、生物学的にはそれは偶然の結果であって、何ら目的は存在しない。「種の保存のために」というのはラマルキズムの幻想にすぎない。異性愛になるか同性愛になるかはあくまで偶然であって、そこには何の目的もない。
種の保存ということに関して言えば、たとえば昔の浄瑠璃にあるような心中物も、種の保存という意味では失敗している。ロミオとジュリエットだってそうだ。種の保存という意味では失敗者だ。それでも恋の情はそうした目的とは何の関係もなく、人々の心を突き動かし、それを扱った芝居は人々を感動させる。
いつの時代でもどこの国でも人々が求めているのは、そういった純粋な恋愛だと思う。
ただ、これも繰り返しになるが、子宮を持つ者はペニスを持つ者から守られなくてはならない。
それとスポーツ競技の男女の別が競技の性質上必要とされるのであれば、肉体的な性によって定義されねばならない。そうでないと女性に生まれついた者がスポーツで一番になる夢を奪われることになる。
トランスジェンダーは社会的に既にハンディを背負ってるからというのは言い訳にならない。そのハンディをなくすのが我々の仕事ではなかったのかい?
別の問題だが、囲碁に男女の別がないのに、将棋は何を根拠に男女を分けているのか、藤井君はどう思っているのだろうか。これは「りゅうおうのおしごと!」の提起している問題でもある。
あとLGBTの開放に必要なのは革命ではない。資本への参加だ。最終的には全員が資本に参加することで「疎外(仲間外れ)なき資本主義」を作り上げることだ。
「排除なき共同体」は現段階で最も生産効率のいい資本主義とタッグを組むしかない。資本主義よりも効率の良い生産方式が開発されない限り、革命を起こせば貧しくなる。今は持続可能資本主義に広く誰もが資本参加することが望ましい。
あと、鈴呂屋書庫に「星今宵」の巻をアップしたのでよろしく。この巻は第三までは曾良の『俳諧書留』にあるので間違いはないが、あとの『金蘭集』(文化三年刊)に掲載された部分については蕉門俳諧らしい面白さが感じられない。それと、同じところで巻かれた「文月や」の巻は文月六日の興行ではなく、七日の興行だったので訂正した。発句の日付に騙された。
あと「野あらしに」の巻も追加。
それでは「梟日記」の続き。
14,竹原
「十七日
安藝國
この竹原といふ所は、山を箕の手におひて、前に汐濱あり。何かゆふべのといへるたびねの心にもかよひて、あはれむべき住どころなりしが、むかしのおとゞはうつしてだに見給へるに、さなく見る事のめづらしければ、なにがし一雨亭にこのほどのやどりもとめ侍る。
五月雨の汐屋にちかき燒火かな」
「箕の手におひて」は箕の手形(てなり)のことで、コトバンクの「デジタル大辞泉「箕の手形」の解説」に、「左右に出っ張った形。」とある。ここでは左右山が迫った谷間で、前は浜という竹原の地形をいう。
「何かゆふべの」はよくわからないが、
夕されば何か急がむもみぢ葉の
したてる山は夜もこえなむ
大江匡房(詞花集)
の歌か。あるいは、
なにゆゑと思ひもいれぬ夕べだに
待ち出でしものを山の端の月
藤原良経(新古今集)
か。「むかしのおとゞ」とあるから、摂政太政大臣藤原良経の方か。
十七日だから日が沈んだ後に竹原の濱に着けば真っ暗闇になっている。月が登るのを待ってようやく一雨亭にたどり着いたということか。ここで一句。
五月雨の汐屋にちかき燒火かな 支考
「十八日
此日梅睡亭にまねかる。是も汐濱の中にありて、千山も万水ものぞみたふまじき別墅なり。今日はことに片照片降とかいふ空のけしきなれば、よのつねにはあらでいとよし。
夏菊に濱松風のたよりかな」
竹原の梅睡亭も一雨亭と同様、浜辺にある。裏には千山、正面には万水と、これ以上望むことのできない場所だった。
「片照片降」は一方で雨が降って一方で日が照っているという安定しない天気とはいえ、雨上がりの光の射す時にはこの上なく美しい世界を映し出す。ここで一句。
夏菊に濱松風のたよりかな 支考
ネット上の佐野由美子さんの「竹原地方における蕉風俳諧の伝播」には、支考編『西華集』に収録された竹原での俳諧(表八句)とその支考の注が記されている。
蓮池は吹ぬに風の薫かな 一雨
箸も一度に切麦の音 時習
あたまはるまねに座頭のにつとして 支考
雨の降日は淋しかりける 孤舟
磯ちかき野飼の牛の十五六 雲鈴
宿かりかねし旅の御僧 梅睡
あらし立今宵の月は細々と 一故
粟苅れても鶉啼なり 如柳
発句、
蓮池は吹ぬに風の薫かな 一雨
の句は、蓮の咲いている池に風が吹いてないのに風の薫りがする、という意味で、風がなくても自ずと蓮の香が漂ってくるという所に、支考は天下泰平の風だと解釈する。注に、
第一 不易の真也吹ぬに風のと轉倒したる所よりミれは
かならず蓮池の薫のミならんやかの琴上の南風な
るべし
とある。
琴上の南風は『十八史略』に、
舜彈五絃之琴、歌南風之詩、而天下治。詩曰、
南風之薫兮 可以解吾民之慍兮
南風之時兮 可以阜吾民之財兮
とあるという。
まあ、風流の基本は天下の太平をよろこび、笑い合うことにあるわけで、そうした和を感じさせる挨拶は基本的に風雅の誠に適うもので「不易の真」ということになる。
ある意味「不易」は流行しない凡句を褒めて言う言い方なのかもしれない。
脇。
蓮池は吹ぬに風の薫かな
箸も一度に切麦の音 時習
切り麦はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切麦」の解説」に、
「〘名〙 (「麦」は麺(めん)の意) 小麦粉を練り、うどんより細く切った食品。多くは、夏季、ゆでて水に冷やして食べる。ひやむぎ。切麺。《季・夏》
※多聞院日記‐永正三年(1506)五月二六日「今日順次沙二汰之一了〈略〉後段〈うとん・きりむき・山のいも・松茸〉」
とある。
夏の暑い時に風もないということで、一気に冷や麦をすする。支考の注に、
第二 其場也箸も一度にといひよセて切麦の凉しき音を
あつめたる廣き寺かたのありさまなるべし。
とある。
切麦や切蕎麦は寺で出すことが多い。一斉に冷や麦をすする音に寺の広さというのは、実際の興行の場のことを言っているのだろう。
第三。
箸も一度に切麦の音
あたまはるまねに座頭のにつとして 支考
まあ、楽しく会食していると、誰かがボケてそれにパシッと突っ込みを入れるふりをしたりって昔からあったのだろう。
座頭はこの突込みの頭を張る場面が見えてはいないが、研ぎ澄まされた聴覚で何が起きているかはわかっていて、にっと笑う。
「につと」は今日の「にやっと」のニュアンスではなく「にこっと笑う」の意味。元禄七年の「鶯に」の巻三十二句目に、
参宮といへば盗みもゆるしけり
にっと朝日に迎ふよこ雲 芭蕉
の句がある。
この句は支考の自注に、
第三 其人の一轉也給仕の者の手もとちかく末座はかな
らず按摩の座頭ならんされは此下の五もしにいた
りて一朝一夕の工夫にあらす百錬の後こゝにいた
る句に雑話をはなるゝ事誠にかたしとうけたまハ
りしか
お寺での会食に按摩の座頭がいるのはあるあるだったのかもしれない。切麦の場に按摩を取り合わせたところに、ふざけて頭を張る真似をしたところで座頭がにっと笑うという取り囃しというか、今でいうネタを即座に持って来れるのは、俳諧師としての修行の賜物であろう。日頃から日常の何か面白いことを探し求め、それをたくさん頭の中にストックしているからできる。
四句目。
あたまはるまねに座頭のにつとして
雨の降日は淋しかりける 孤舟
雨に降る日は淋しすぎるから、なんとか紛らわそうと笑わせようとする、ということだろう。四句目はこのようにさっと流すのは悪くない。支考の注は第三までしかない。
五句目。
雨の降日は淋しかりける
磯ちかき野飼の牛の十五六 雲鈴
雨の日の野飼いの牛は、たくさんいても淋しそうに見える。「磯ちかき」で水辺に転じる。
六句目。
磯ちかき野飼の牛の十五六
宿かりかねし旅の御僧 梅睡
磯の傍で家もなく雨宿りする所もない。前句をその旅の風景として旅体に転じる。
七句目。
宿かりかねし旅の御僧
あらし立今宵の月は細々と 一故
あらし立(たつ)は「風立ちぬ」と同様に嵐が吹いてくること。三日頃の月で細い月が心細くて吹き散りそうだ。宿のない旅僧の心境にに重なる。
八句目。
あらし立今宵の月は細々と
粟苅れても鶉啼なり 如柳
粟と鶉は和歌にも詠まれていて、
うづらなく粟つのはらのしのすすき
すきそやられぬ秋の夕ベは
藤原俊成(夫木抄)
などの歌がある。それを粟すらなくて鶉が鳴くからもっと淋しい、とする。
惟然の『二葉集』でも面六句がいくつも収められているように、この頃の中国地方には、一晩で歌仙一巻を満尾できるほどの者が揃わなかったのかもしれない。一句付けるのにうんうん唸りながら時間を食ってしまうと、興行そのものが退屈になるし、こうした難しさがじわじわと俳諧そのものの衰退につながっていったのだろう。
佐野由美子さんの「竹原地方における蕉風俳諧の伝播」には、メンバーの違うもう一つの面八句が収められている。
山陰は哥の遠のく田植哉 春草
昼寐そろハぬ庵の凉風 釣舟
から笠に皆俳諧の名をかきて 支考
三日四日の月の宵の間 流水
雁啼て湖水を渡る鐘の声 似水
早稲も晩稲もあるゝ軍場 樗散
今の世は子共も酒をよく呑て 雲鈴
もたれかゝれはこかすから紙 高吹
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