2021年5月25日火曜日

 自民党が「LGBTなど性的少数者への理解増進を図る法案」を了承したのは賢明な判断だと思う。
 基本的に同性愛者を異性愛者に変えるのと同じくらい異性愛者を同性愛者に変えるのは難しい。だから、同性愛を認めても基本的に同性愛者そのものは増えない。カミングアウトする人が増えるだけだ。人類がみんな同性愛者になって人類が滅亡するなんてのはどうしようもなく非科学的な妄想だ。
 少子化は同性愛とは何の関係もない。少子化は過密に対する自然な反応にすぎない。鼠は過密になると共喰いをするが、人間は高等な知能を持つから子作りを控えるだけで対処する。それだけのことだ。
 有限な地球に無限の子孫の繁栄は不可能。あたりまえのことだ。
 同性愛を認めるのは構わないが、前々から言っている通り、たとえ心が男であれ女であれ「ペニスを持つ者」から「子宮を持つ者」を守る社会システムは維持されなくてはならない。これが崩れたらやり放題の世の中になる。
 アメリカも日本の政府と一緒でやることがワンテンポ遅い。「渡航中止・退避勧告」(レベル4)への引き上げは一か月前にやるべきだった。ピークアウトした頃にこれをやられると、やはり日本と一緒なんだなと思う。
 緊急事態宣言下のゴールデンウィークに行われたJAPAN JAM 2021もクラスターは出なかったという発表があった。夏にはFUJI ROCK FESTIVAL '21も行われる。その他野球もサッカーも相撲もずっと観客を入れて行われてたし、毎日のように満員電車も走っていた。それでも収束できたのだから、少なくとも第四波を上回る第五波が来ない限りオリンピックは観客を入れて開催できる。
 日本のワクチン接種も加速していて、一日五十五万回、明日には一千万回突破しそうだ。
 あと、鈴呂屋書庫に「すずしさを」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「梟日記」の続き

4,姫路

「廿三日
   姫路
 此地に千山・元灌などいへる人は、かねて風雅の名つたへ申されしが、今宵は何となき旅店にかりねして、かくいふ事を人々のかたに申つかはしける。
 晩鐘や卯の華の雪に宿からふ」

 姫路の千山はこの四年後に惟然が訪ねて行き、『二葉集』(惟然編、元禄十六年刊)で超軽みの風を打ち出すことになるが、それはまだ先のことだった。元灌もその時の『二葉集』に名を連ねていて、

 散か散か咲あり花の花の奥    元灌
 なんぞそれぞそれぞれ蚊屋に月はそれ 同

と言った句がある。
 千山は元禄五年刊才麿編の『椎の葉』に、「勿謂今日不学而」に、

 秋の夜や明日の用をくり仕廻   千山

の句を発句とした表六句が収められている他、「秋興」の歌仙にも参加している。また、支考の行く一年前元禄十年刊風国編の『菊の香』に、

 上京や絵行器をうる足ほこり   千山
   書写山に登りて
 秋の日の入やおり坂十八町    同

といった句がある。同じ集に、

   賤が家の苦熱をみて
 いさかひのあとくれかかる蚊遣かな 元灌

の句が見られる。
 ただ、支考は「今宵は何となき旅店にかりねして」とあり、

 晩鐘や卯の華の雪に宿からふ   支考

の句を贈ったが、この日実際に会ったかどうかは書かれていない。ただ、これから姫路にしばらく滞在することになる。


5,厚風亭

 「廿五日
 厚風亭にいたりて、その父了意老人の閑居を見るに、老父は此ほどいづこへか渡り給ひて、庭には牡丹の花の咲のこりてありしを、
 我袖は牡丹をぬすむ風雅なし
   春亭
 風爐かけて淋しき松の雫かな
   臨川亭
 うの華やちぎれちぎれに雲の照」

 厚風も後の惟然編元禄十六年刊の『二葉集』に、

 ぬけるやら着ぬでもなしに秋の空 厚風
 あたらしき卒塔婆も垣にほうせん花 同

の句があり、

 おさだまりぞないてや鳫の渡るらん 厚風

を発句とする表六句も収録されている。
 厚風の父の了意老人についてはよくわからない。支考も会えなくて、一句残す。

 我袖は牡丹をぬすむ風雅なし   支考

 「春亭」は誰の家のなのか、

 風爐かけて淋しき松の雫かな   支考

 風炉はウィキペディアに、

 「風炉 (茶道) - 茶道で、茶釜を火に掛けて湯をわかすための炉。唐銅製、鉄製、土製、木製などがある。夏を中心に5月初めごろから10月末ごろまで用いる。」

とある。松の雫は抹茶であろう。侘び茶の心を感じる。
 臨川は元禄五年刊才麿編の『椎の葉』にその名が見える。

 身にしむは桜咲日の念仏かな   臨川
 手にとればつくらぬ菊の花かろし 同

といった発句がある。ここで支考も一句。

 うの華やちぎれちぎれに雲の照  支考


6,書写山

「廿七日
 此日書寫山にまうづ。道のほど二里ばかりも侍らむ。けふは全夷のなにがしにあるじせられて、いざなふ人々あまたなる中に、老たるあり。わかきあり、若きは何がし小三郎とかや、誰が家の白面の郎ぞ。老たるは藥師六兵衛、是もたゞうきたる佛なるべし。たばこは酒にかえむ、さけはたばこにかへむといひあへる、をのれをのれが道すがらの物ずき、いづれにか定侍るらん。山は半里ばかりにそびえて、翠微に頭をめぐらせば、あはぢしま眼の中に落つ。須磨・あかしの浦浪、おのへの鐘は、名のみぞおもひやらる。山のたゝずまゐ、よのつねにはあらで、風聲水音の清浄も人の肌をかゆるばかりにぞありける。いたゞきの僧房あまた、所がら竹藪のくまぐまにかくれて、しばらく思ひかけぬ山のありさま成けり。
 ほとゝぎす鳴山藪や雲つたひ
 笋の露あかつきの山寒し
 それより奥の院にわたりて、性空上人の影堂を拜す。かたはらに池あり。是ハ辨慶がむかし、晝寐のかほを水かゞみけるよりこの名ありとぞいへる。我もその池の邊にたちよりて、
 旅寐せしかほや茄子のむさし坊
 是は夏季の茄子のくるしきこそおかしけれとて、たはぶれに申侍りき。されば夕陽の影も木の間にのこりて、その程もやゝ日暮にけるか、麓のさとにたどりて、明松といふ事をおもひ出して、あと先にふりあげたれば、世にいかめしき葬禮にこそありけれ。さらば孟嘗君がともがらならば、泣まねの上手もあらんといふに、まこと太泣もしつべし。その夜は元灌亭にかへりて、殊さらにくたびれふしぬ。」

 書写山は姫路の北にある山で、甲子園で流れる東洋大姫路の「書写を仰げば」の校歌でも知られている。ウィキペディアには、

 「書写山・書寫山(しょしゃざん)は、兵庫県姫路市にある山。山上には西国三十三所の圓教寺がある。西播丘陵県立自然公園に含まれており、兵庫県の鳥獣保護区(特別保護地区)に指定されているほか、ひょうごの森百選、ふるさと兵庫50山に選定されている。書写山の一部には原生林が残る。
 室町時代に玄棟によって成立した説話集の三国伝記には三湖伝説の元になったと思われる説話が記載されていて、そこでは書写山周辺の釈難蔵という法華の持者が十和田湖の主になった物語の起源が語られている。」

とある。書写山圓教寺がある。
 姫路宿から北へ二里、全夷のなにがし、何がし小三郎、藥師六兵衛とともに行くことになる。
 「白面の郎」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白面郎」の解説」に、

 「〘名〙 年少で未熟な男。また、色白の若い男子、貴公子。
  ※田氏家集(892頃)中・継和渤海裴使頭見酬菅侍郎紀典客行字詩「多才実是丹心使、少壮猶為二白面郎一」 〔杜甫‐少年行〕」

とある。酒とたばことどっちがいいかなんて他愛のない話をしながら登って行く。
 翠微(すいび)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「翠微」の解説」に、

 「① 山頂を少し降りたところ。山の中腹。
  ※菅家文草(900頃)五・徐公酔臥詩「無レ情湖水誰遺跡憶昔長山臥二翠微一」
  ※俳諧・幻住菴記(1690頃)「麓に細き流を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして」 〔爾雅‐釈山〕
  ② うすみどり色の山気。また、遠方に青くかすむ山。または、単に山をいう。
  ※本朝無題詩(1162‐64頃)六・別墅秋望〈釈蓮禅〉「木葉声声黄落雨、峡煙処々翠微山」 〔左思‐蜀都賦〕」

とある。山頂までは行かないが眺めのいい場所があり、淡路島や須磨明石の海を見渡せ、心が洗われるような気分になる。山頂には僧坊が並ぶ。ここで二句。

 ほとゝぎす鳴山藪や雲つたひ   支考
 笋の露あかつきの山寒し     同

 笋(たけのこ)はちょうどこの時が旬だったのだろう。
 書写山圓教寺の奥の院、性空上人の影堂は今の開山堂だろうか。
 池というのは鏡井戸で大講堂と食堂の辺りにあるという。弁慶が若い頃ここで修行していて、酒盛りに誘われて酔いつぶれて寝ていると、仲の悪かった信濃坊戒円等が弁慶の顔に「足駄」と落書きし、目を覚ますと戒円等が笑っているものだから鏡井戸で自分の顔を見てその落書きを知る。あとは大喧嘩というか弁慶無双になって大暴れ、終にはお寺が炎上する騒ぎになったという。
 そこで支考も鏡井戸を覗き込んで一句。

 旅寐せしかほや茄子のむさし坊  支考

 夏の暑さでばてたような顔が茄子のようだ、ということだろう。書写山を下りることには日も暮れ、明松ということを思い出すという。明松は「かがり」「たいまつ」という読み方がある。歩く時は篝火ではなく松明(たいまつ)だろう。真っ暗になったので松明を灯して歩くのだが、子供っぽく振り回して遊んだり、やがて何だか葬列みたいだということになって、泣き真似したりする。まあ、俳諧師というのはこういう連中なんだな、というところか。
 孟嘗君は「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」という故事があって、函谷関を越えて脱出する時に鶏の鳴き真似をして騙したという。

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
     幾夜ねざめぬ須磨の関守
              源兼昌(金葉集)

の歌もこの故事を踏まえたと言われている。
 まあ、そういうわけでいろいろあってとりあえずこの日は元灌亭に帰る。「殊さらにくたびれふしぬ」と遊び過ぎた子供みたいだ。

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