太陽光パネルの設置の義務化は日本のような電力会社の寡占体制の国では有効な方法だとおもう。各家庭が外部電力に依存する限り、一握りの電力会社が効率優先で火力か原発かの二択を繰り返す。それを抜け出るには電力の自給体制を作らなくてはならない。
家庭だけでなく、むしろ役所、工場、店舗、駐車場など、大型の施設にはすべて義務付けるようにした方がいい。ソーラーパネルだけでなく電気自動車用の充電器も義務付けるといい。
あと、コロナはやはり変異株によって状況が大きく変わっている。過去にクラスターを出してないというのは科学的なエビデンスにはならない。今とは別のウイルスで安全だったというだけのことだ。ロックフェスが安全だというなら変異株でも安全だというエビデンスを示すべきだ。
これは飲食店でもスポーツイベントでもパチンコ屋でも同じだ。今の変異株でも安全だというエビデンスを出せ。過去は忘れろ。
COVID-19が出る前の旧型コロナのデータを持ちだして、コロナはただの風邪だと証明するようなものだ。科学を冒涜している。
それにあと、緊急事態宣言に効果がないから解除しろというのは暴論もいい所だ。どうしたら効果が出るかを論ずべきなのは言うまでもない。
とにかく世の中何が何でも今まで通り営業を続けたくて、どうしようもない詭弁がまかり通っている。
あと、「皷子花の」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
それでは「何の木の」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
誰が駕ぞ霜かかるまで
あこがるる楽の一手を聞とりて 芭蕉
『源氏物語』末摘花巻で常陸の親王の娘が七弦琴が得意だと聞いた源氏の君が、親王が名手だっただけにどういう琴を弾くのか気になり、わざわざ聞きに行く場面がある。ただ、季節は朧月夜だった。
本説というほど物語に即してはないが、王朝時代ならわざわざ霜の夜に楽の一手を聞きに行くこともあったのではないか、という所で付けている。
二十六句目。
あこがるる楽の一手を聞とりて
釣の王子の浦はさびけり 益光
前句を敦盛の笛としたか。敦盛の戦死した一之谷のあたりの須磨の浦は海人の釣舟が歌にも詠まれている。謡曲『敦盛』で笛を吹く敦盛の霊の登場場面のイメージになる。
そうなると王子が何を指すのかというとこになる。神戸市須磨区に王子公園があるが、王子の浦という場所があったのかどうかはわからない。
二十七句目。
釣の王子の浦はさびけり
声さりて鳥居に残る秋の蝉 又玄
神戸の王子公園のあたりはもともと王子権現のあったところで、延元元年(一三三六年)に紀伊熊野より若一王子神の分霊を勧請し、創建された。
前句がこの辺りの浦のことをいうなら、王子権現の鳥居に秋の蝉、ということになる。
二十八句目。
声さりて鳥居に残る秋の蝉
しぐるる風に銀杏吹ちる 勝延
神社に銀杏の木は付き物で、前句の「残る秋の蝉」を秋に残る蝉ではなく、冬になってもまだ残る秋の蝉として晩秋から初冬の時雨に銀杏散るとする。季語としては「銀杏吹ちる」で一応秋になる。
二十九句目。
しぐるる風に銀杏吹ちる
笈かけて夜毎の月を見ありきし の人
秋を通じて夜毎夜毎の月見を繰り返してきた風狂の旅人とする。月を見ているうちにいつのまにか時雨の季節になってしまった。
三十句目。
笈かけて夜毎の月を見ありきし
心と住ん家の図もなき 平庵
前句の風狂の徒を一所不住とし、住むべき家は心の中にあって、実物の家を建てる図を描いていない。「住む」は前句の月の「澄む」に掛けている。
二裏。
三十一句目。
心と住ん家の図もなき
親ひとり茶に能水と歎れつる 益光
「歎れつる」は「なかれるつ」。
家を建てようと思うが、親が茶の水の良い所でなければだめだと譲らないので、なかなか決まらない。
三十二句目。
親ひとり茶に能水と歎れつる
まづ初瓜を米にしろなす 芭蕉
「米にしろなす」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、
「売って米に換えるの意。『類船』「瓜」の条に「孫鐘といふ人家貧にして瓜を作りし也」と見える」
とある。孫鐘の話はウィキペディアに、
「孫鍾は呉郡富春県(現在の浙江省杭州市富陽区)の瓜売りの商人であった。はやくから父を亡くして母とふたりで暮らしおり、親孝行であったという。ある年に凶作の飢饉の状況であり、彼は生き延びるために、瓜を植えてそれを売って生計を立てていた。
ある日に、彼の家の前にとつぜん三人の少年が現れて、瓜が欲しいとせがんだ。迷った孫鍾自身も生活が苦しいものの、潔く少年らに瓜を与えた。瓜を食べ終わった三人の少年はまとめて孫鍾に「付近の山の下に墓を作って、あなたが埋葬されれば、その子孫から帝王となる人物が出るだろう」と述べた。まもなく三人の少年は白鶴に乗っていずこかに去っていった。
歳月が流れて、孫鍾が亡くなると、かつて少年らが述べた付近の山の下に埋葬されたが、当地からたびたび光が見えて、五色の雲気が昇ったという。」
とある。
親にいつか茶に良い水を、と思いつつ、まずは瓜を育てて売ることから始める。その子孫が帝王になったかどうかはわからない。
三十三句目。
まづ初瓜を米にしろなす
此坊を時鳥聞やどりにて 正永
正永は初登場だが執筆か。
前句の瓜を育てている人をお坊さんとし、ホトトギスの声が聞こえるような山の中に住んでいる。
三十四句目。
此坊を時鳥聞やどりにて
ゆり込楫にふねつなぎけり 又玄
ホトトギスの聞こえる坊を水辺とする。
山ちかく浦こぐ舟は時鳥
なくわたりこそ泊りなりけれ
康資王母(金葉集)
の心か。
三十五句目。
ゆり込楫にふねつなぎけり
武士の弓弦に花を引たわめ 勝延
「武士」は「もののふ」、「弓弦」は「ゆづる」と読む。
風流に欠いた武士が桜の枝を弓のように撓めて船をつなぎとめる。
近代の都都逸にある「咲いた桜になぜ駒繋ぐ、駒が勇めば花が散る」と同じようなもの。明和九年(一七七二年)刊の『山家鳥虫歌』が元らしい。
挙句。
武士の弓弦に花を引たわめ
短冊のこす瑞籬の春 の人
前句の武士が花の枝を引っ張ったのを、歌を書き記した短冊を吊るすためだとし、場所を瑞籬で神社とすることで、伊勢での興行は目出度く終了する。
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